酔いどれ元編集長の仏教談義会場&Zoom(アーカイブ版可)
『酔いどれ元編集長の仏教談義🎶』
リアル会場&オンラインZoom(アーカイブ版可)
日時:2024年6月26日(水)
19:30~21:00
場所:読書のすすめ
読書のすすめで毎月一回開かれます「酔いどれ元編集長の仏教談義」は、
佼成出版社 吉川元編集長に大乗仏教の代表的経典『法華経』を読み解いていただいています。
『法華経』は、お釈迦様が悟られたこの世界の真理を物語や喩え話にしたもので、最後に説いた教えと伝えられいます。
「法華経」 全二十八章、
第十六章前半までは、悟りを開いた人間 釈尊が人の本当の生き方を説いている内容で、
第十六章後半以降は、仏 釈迦如来がこの世界の真理を説いている内容です。
六世紀の飛鳥時代、日本に大乗仏教が伝来した中に「法華経」がありました。
聖徳太子は、「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の三経の注釈書『三経義疏(ぎしょ)』を著しました。
日本仏教の始まりに、「法華経」があったんですね。
また、鎌倉時代初期に最澄によって開かれた比叡山「天台宗」の根本経典に「法華経」がありました。
“すべての人が救われる”という大乗仏教の経典「法華経」を、
浄土宗開祖の法然上人、浄土真宗開祖の親鸞聖人、曹洞宗開祖の道元禅師、臨済宗開祖の栄西禅師、時宗開祖の一遍上人、日蓮宗開祖の日蓮聖人、
日本仏教の祖師方は比叡山で学んだのですね。
曹洞宗 道元禅師は、「法華経」の二十八章にわたる物語や喩え話に、そこに連なる仏教の深遠な教えに触れ、涙したと伝えられています。
「法華経」は、諸経の王と称され、比叡山「天台宗」は、日本仏教の母山と呼ばれています。
吉川元編集長がひもとき語られる「法華経」は、長年に渡るご自身の学びと体験によるもの、
脈々と伝えられてきたこの世界の真理に、ご自身が波打ちながら溶け込み、そして私たちに慈雨となって降り注ぎます。
私は、吉川さんから「法華経」の教えを通して、
“仏の理法”
“すべての人が救われる”
“森羅万象が法を説いている”
この世界の真の姿を学び続けています。
『酔いどれ元編集長の仏教談義🎶』リアル会場&オンラインZoom(アーカイブ版可)
日時:2024年6月26日(水)
19:30~21:00
場所:読書のすすめ 店内
参加費:お布施(お気持ちですが、佼成出版社の本を「読書のすすめ」よりお買い上げ下さいますようお願いしております)
🌟仏教談義(Zoom orアーカイブ版)参加ご希望の方は、
「読書のすすめ」吉川さんのおすすめ本のページ↓
から、一冊よりご購入お願い致します。
その際に、仏教談義参加希望とお書き添えください。
追って、Zoomアドレスをお送り致します。
お問い合わせは「読書のすすめ」へ↓
03ー5666ー0969
リアル会場&オンラインZoom(アーカイブ版可)
日時:2024年6月26日(水)
19:30~21:00
場所:読書のすすめ
読書のすすめで毎月一回開かれます「酔いどれ元編集長の仏教談義」は、
佼成出版社 吉川元編集長に大乗仏教の代表的経典『法華経』を読み解いていただいています。
『法華経』は、お釈迦様が悟られたこの世界の真理を物語や喩え話にしたもので、最後に説いた教えと伝えられいます。
「法華経」 全二十八章、
第十六章前半までは、悟りを開いた人間 釈尊が人の本当の生き方を説いている内容で、
第十六章後半以降は、仏 釈迦如来がこの世界の真理を説いている内容です。
六世紀の飛鳥時代、日本に大乗仏教が伝来した中に「法華経」がありました。
聖徳太子は、「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の三経の注釈書『三経義疏(ぎしょ)』を著しました。
日本仏教の始まりに、「法華経」があったんですね。
また、鎌倉時代初期に最澄によって開かれた比叡山「天台宗」の根本経典に「法華経」がありました。
“すべての人が救われる”という大乗仏教の経典「法華経」を、
浄土宗開祖の法然上人、浄土真宗開祖の親鸞聖人、曹洞宗開祖の道元禅師、臨済宗開祖の栄西禅師、時宗開祖の一遍上人、日蓮宗開祖の日蓮聖人、
日本仏教の祖師方は比叡山で学んだのですね。
曹洞宗 道元禅師は、「法華経」の二十八章にわたる物語や喩え話に、そこに連なる仏教の深遠な教えに触れ、涙したと伝えられています。
「法華経」は、諸経の王と称され、比叡山「天台宗」は、日本仏教の母山と呼ばれています。
吉川元編集長がひもとき語られる「法華経」は、長年に渡るご自身の学びと体験によるもの、
脈々と伝えられてきたこの世界の真理に、ご自身が波打ちながら溶け込み、そして私たちに慈雨となって降り注ぎます。
私は、吉川さんから「法華経」の教えを通して、
“仏の理法”
“すべての人が救われる”
“森羅万象が法を説いている”
この世界の真の姿を学び続けています。
『酔いどれ元編集長の仏教談義🎶』リアル会場&オンラインZoom(アーカイブ版可)
日時:2024年6月26日(水)
19:30~21:00
場所:読書のすすめ 店内
参加費:お布施(お気持ちですが、佼成出版社の本を「読書のすすめ」よりお買い上げ下さいますようお願いしております)
🌟仏教談義(Zoom orアーカイブ版)参加ご希望の方は、
「読書のすすめ」吉川さんのおすすめ本のページ↓
から、一冊よりご購入お願い致します。
その際に、仏教談義参加希望とお書き添えください。
追って、Zoomアドレスをお送り致します。
お問い合わせは「読書のすすめ」へ↓
https://dokusume.shop-pro.jp/
03ー5666ー0969
【御礼】6/12 第126回「読書のすすめの落語のすすめ」
【次回7月10日(水)19:30~
「読書のすすめの落語のすすめ」は、落語会の後に
『カラオケへ行こう🎵』です】
三遊亭神楽師匠と兄弟子の三遊亭全楽師匠の、真打ちお二人の師匠による贅沢な「読書のすすめ」での月一回の落語会、
今回は、三遊亭神楽師匠の一席から。
例えば、ナットウ売りは、ねばり、糸を引くような売り声
そんな江戸の街へタイムスリップしたような、神楽師匠のさまざまな行商の声が味わい深く響き…
落語「豆や」は、豆売りの男のてんやわんやを描き、最後のオチにぎゃふんでした。
おもしろかったー!!
三遊亭全楽師匠の一席 「崇徳院」
大店の若旦那が病の床についている。その病はなんと、恋煩い。上野清水寺に参詣した時、茶店で出逢った美しい良家の娘さんに一目惚れ、その娘さんが立ち去る時落とした茶袱紗を拾って差し上げると、
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」と書いた紙を渡してくれた。小倉百人一首にある崇徳天皇が詠まれた歌の上の句。
下の句は「割れても末に逢はんとぞ思ふ」という、“今ここで別々になっても、いずれ再会したい”という意。
恋煩いの床についた若旦那のために、そこに出入りする熊五郎さんが、その歌だけを頼りに、その娘さんを探しだそうと駆け回る…
目に映り、耳に聞こえ、肌で感じる情の世界!!
神楽師匠と全楽師匠の、軽快なテンポとリズムの言葉・顔・動き。
今回もその時空に引き込まれて、笑いが止まらない。
「落語」座布団一枚の上の宇宙、今回も堪能させていただきました!!
ありがとうございました。
私からの読書のおすすめは、
「スマナサーラ長老が道元禅師を読む」
これは、「読書のすすめ」の『成幸読書』 頒布会218号。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少しでも皆さまの人生とビジネスの両輪がうまくいくようにとの想いから、「読書のすすめ」店長の清水克衛が、毎月自ら選んだ本をお送りいたします。
本は1500円~2000円前後のものですが、こちらの
成幸読書をお申込の方限定の解説音声と解説書が付いてます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
道元禅師は、大乗仏教の“すべてのものに仏性があり、すべてのものが仏になれるのなら、なぜ修行しなければならないのか”という問いを、唐に渡り答えを見つけました。
麻浴山宝徹禅師が扇を使う姿から、
『空気』がすべてに行き渡っているけれど、扇を使ってあおいで風を感じないと、『空気』の存在がわからない。
『仏性』もすべてに行き渡っているけれど、『扇であおぐ』という『修行』をしないと、風『仏性』がわからない。
落語においても、
人情という空気がこの世界を支えているけれど普段気がつかず、落語を聴くことによって人情という存在がわかる、ということではないかな。
『スマナサーラ長老が道元禅師を読む』
もう一冊のおすすめ本『岡 潔 の教育論』。
岡 潔 は、1901年生まれ、数学の世界の大問題を解いた世界的大数学者。
仏教の心理学の唯識学では、人の心には、眼 ・耳 ・鼻 ・舌 ・ 身 の五識があり、それを束ねる意識の六識、その下にマナ識、最下層にアラヤ識があるとされます。
岡 潔 は、日本人にはアラヤ識の下に九識、その下に十識まであると、提言されています。
アラヤ識が土壌で、私は一つの株だとすると、九識は地下茎、十識は地下水だという。
その地下水は『真情・情緒』で、それが命を生かし進ませるエネルギーだと。
そう、私たちの命の源には、『真情・情緒』があって、そこを豊かに育むことこそ、教育の根幹。
『情と日本人』
↑読書のすすめで書籍をお買い上げ下さった方にお配りしているものです。
『岡 潔 の教育論』
『日本創世の会 第1号』
引き続き、懇親会も大いに盛り上がりました!
師匠方と垣根のなさすぎる懇親会!!
そしてなんと‼️
次回の7月10日(水)19:30~の「読書のすすめの落語のすすめ」(Zoom参加可)は、落語会の後に
【カラオケへ行こう🎵】
いつも「読書のすすめ」内での懇親会ですが、次回は【カラオケ🎵】です。
三遊亭全楽師匠の歌がスゴイんです⤴️⤴️
もう他の誰も歌わないで!というくらい聞き惚れてしまいます♥️
ご参加お待ちしております。
7月10日(水)19:30~
8月21日(水)19:30~
「読書のすすめの落語のすすめ」blog
「読書のすすめの落語のすすめ」は、落語会の後に
『カラオケへ行こう🎵』です】
6/12(水)、第126回「読書のすすめの落語のすすめ」に足をお運びいただき、誠にありがとうございました。
三遊亭神楽師匠と兄弟子の三遊亭全楽師匠の、真打ちお二人の師匠による贅沢な「読書のすすめ」での月一回の落語会、
今回は、三遊亭神楽師匠の一席から。
三遊亭神楽師匠 「豆や」
例えば、ナットウ売りは、ねばり、糸を引くような売り声
そんな江戸の街へタイムスリップしたような、神楽師匠のさまざまな行商の声が味わい深く響き…
落語「豆や」は、豆売りの男のてんやわんやを描き、最後のオチにぎゃふんでした。
おもしろかったー!!
大店の若旦那が病の床についている。その病はなんと、恋煩い。上野清水寺に参詣した時、茶店で出逢った美しい良家の娘さんに一目惚れ、その娘さんが立ち去る時落とした茶袱紗を拾って差し上げると、
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」と書いた紙を渡してくれた。小倉百人一首にある崇徳天皇が詠まれた歌の上の句。
下の句は「割れても末に逢はんとぞ思ふ」という、“今ここで別々になっても、いずれ再会したい”という意。
恋煩いの床についた若旦那のために、そこに出入りする熊五郎さんが、その歌だけを頼りに、その娘さんを探しだそうと駆け回る…
目に映り、耳に聞こえ、肌で感じる情の世界!!
神楽師匠と全楽師匠の、軽快なテンポとリズムの言葉・顔・動き。
今回もその時空に引き込まれて、笑いが止まらない。
「落語」座布団一枚の上の宇宙、今回も堪能させていただきました!!
そして、奇跡のアコーディオン奏者トリーマンの今回の曲は「宇宙戦艦ヤマト」 。
ありがとうございました。
私からの読書のおすすめは、
「スマナサーラ長老が道元禅師を読む」
これは、「読書のすすめ」の『成幸読書』 頒布会218号。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少しでも皆さまの人生とビジネスの両輪がうまくいくようにとの想いから、「読書のすすめ」店長の清水克衛が、毎月自ら選んだ本をお送りいたします。
本は1500円~2000円前後のものですが、こちらの
成幸読書をお申込の方限定の解説音声と解説書が付いてます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
道元禅師は、大乗仏教の“すべてのものに仏性があり、すべてのものが仏になれるのなら、なぜ修行しなければならないのか”という問いを、唐に渡り答えを見つけました。
麻浴山宝徹禅師が扇を使う姿から、
『空気』がすべてに行き渡っているけれど、扇を使ってあおいで風を感じないと、『空気』の存在がわからない。
『仏性』もすべてに行き渡っているけれど、『扇であおぐ』という『修行』をしないと、風『仏性』がわからない。
落語においても、
人情という空気がこの世界を支えているけれど普段気がつかず、落語を聴くことによって人情という存在がわかる、ということではないかな。
『スマナサーラ長老が道元禅師を読む』
もう一冊のおすすめ本『岡 潔 の教育論』。
岡 潔 は、1901年生まれ、数学の世界の大問題を解いた世界的大数学者。
仏教の心理学の唯識学では、人の心には、眼 ・耳 ・鼻 ・舌 ・ 身 の五識があり、それを束ねる意識の六識、その下にマナ識、最下層にアラヤ識があるとされます。
岡 潔 は、日本人にはアラヤ識の下に九識、その下に十識まであると、提言されています。
アラヤ識が土壌で、私は一つの株だとすると、九識は地下茎、十識は地下水だという。
その地下水は『真情・情緒』で、それが命を生かし進ませるエネルギーだと。
そう、私たちの命の源には、『真情・情緒』があって、そこを豊かに育むことこそ、教育の根幹。
『情と日本人』
↑読書のすすめで書籍をお買い上げ下さった方にお配りしているものです。
『岡 潔 の教育論』
『日本創世の会 第1号』
引き続き、懇親会も大いに盛り上がりました!
師匠方と垣根のなさすぎる懇親会!!
そしてなんと‼️
次回の7月10日(水)19:30~の「読書のすすめの落語のすすめ」(Zoom参加可)は、落語会の後に
【カラオケへ行こう🎵】
いつも「読書のすすめ」内での懇親会ですが、次回は【カラオケ🎵】です。
三遊亭全楽師匠の歌がスゴイんです⤴️⤴️
もう他の誰も歌わないで!というくらい聞き惚れてしまいます♥️
ご参加お待ちしております。
7月10日(水)19:30~
8月21日(水)19:30~
「読書のすすめの落語のすすめ」blog
【御礼】6/8 Zoom広島「逆のものさし人参畑塾」
6/8 Zoom広島「逆のものさし人参畑塾」を開かせていただきました。ありがとうございました。
『逆のものさし思考』(逆のものさし道のテキスト)を読む
第二講「非真面目のススメ」
『逆のものさし思考』
真面目でも不真面目でもない、真面目に非ずの非真面目。
常識や普通といった世間のものさしに忠実な真面目、自分の正しさに固執する真面目、
そういう真面目な頭を、内から外から“破る”行動や本との出会いと人との出会い。
真面目に傾き過ぎない、真面目に非ずの非真面目、
“本当にそうか”疑ってみたり、“片側だけの盲目になっていないか”一度否定してみたり、“自己中心になっていないか”逆からみたり、
行動と本との出会い人との出会いで、自分を一度壊し、また再構築しながら、
いろいろな事に揺さぶられながらも、ニュートラルなところに立つ非真面目へ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
今回の、Zoom広島「逆のものさし人参畑塾」で話し合ったことに、とても大事な気づきをいただきました。
今回、ご参加して下さった方は、人生の大転換が怒涛のごとく起こり、今ちょっと小休止。
ベランダで花木を植えたり植物を育てたりに夢中で、とても楽しいと。
経済性と利便性と効率性の目的にひた走っている私たち、仕事でも生活でも目的を追う日々。
時には、その方のように、そういう目的をもたない時間も大事だと思う。
目的を追うことは、この人間社会には必要不可欠ですが、目的意識に大きく偏り過ぎています。
経済性と利便性と効率の目的意識からちょっと離れてちょっと忘れて、その方のように、花木を植えたり植物を育てたりを楽しむ。
そういう時間に流れる言葉にできない豊かさこそが、人間の根底にある真情・情緒と結びつく。
数学者 岡 潔 先生の言葉、
仏教の唯識学でいう人間の心の最下層の八識のアラヤ識、岡先生は八識の下に九識十識があって、十識は「真情・情緒」だと。
十識の「真情・情緒」は、「地下水」のように私たちの命を育み養い生かしているもの。
人間の「真情・情緒」は、この世界の不思議に驚き感動する情でもあります。
花木を植えたり植物を育てたり、その方はいつもそこに大きな驚きと感動があるそうです。
経済性と利便性と効率の目的をもたない、楽しみとしてやること、無目的でやることが、人間の根源「真情・情緒」と一つになるのです。
また、何かに打ち込む時のゾーンに入るような、没入する時の「無心」が、私たちの根源「真情・情緒」と一体となるのです。
人間社会は、目的をもって進み、問題解決能力を発揮していきます。
それも人間の大事な特質ですが、
無目的に楽しくやることも、人間の「真情・情緒」の十識の世界を肌で感じられる時間、
目的に向かい進む時間とともに、私たちの根源に立ち止まる時間の、そのバランスが大事だと、その方の花木や植物を育てるお話から感じました。
またもう一つは、
花木や植物を育て愛でることは、“今こうしたら、来年にはこう”と繰り返し巡る時間の円環。
その時間の流れは時計の針のように円環。
その繰り返しの終わりの無い円環の時間感覚は、この世界の循環の理(ことわり)を感じさせます。
直線ではなく円環で巡る時間、それが古来の日本人の感覚、私もその時間感覚を身につけたいと思いました。
無目的に、経済性と利便性と効率の目的から離れた十識「真情・情緒」に、時々深く降り立ちたい。
そして、目的を超えた没入する「無心」で、「真情・情緒」と一体に。
時々無目的に、
そして無心に。
これら「真情・情緒」や「円環の時間」のことは、以前「逆のものさし道」で清水代表にお習いしたことです。
私の「真情・情緒」に、地下水のように染み込んでいます。
「逆のものさし道」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=154570292
岡 潔先生の、八識のアラヤ識の下に九識十識があるという、仏教の唯識学を驚嘆させる十識「真情・情緒」は、こちらに↓
↑「読書のすすめ」で書籍をお買い上げの方に、お配りしているものです。
ご希望の方は、書籍をご注文いただき、『情と日本人』を希望と、お書き添えください。
「読書のすすめ」
『岡 潔 の教育論』
『日本創世の会 第1号』
次回、
今回もありがとうございました。
また、楽しみにしております!
【逆のものさし人参畑塾とは】
時代が変わっても変わらない人間の生き方を、歴史・先人から学ぶ“縦糸の読書”を通して、本質・真理を学び、それぞれの生き方に活かし、後世へ伝えていく勉強会です。
明治初め福岡の女医 高場 乱(たかば おさむ)が、薬用人参畑の中で始めた塾「興志塾」(通称人参畑塾)で、西郷隆盛の精神を継ぐ頭山満ら玄洋社を育てました。
私利私欲に偏らず仁を尽す「殺身成仁」、何かに誰かにぶら下がらない「天下一人を以て興れ」、その精神を伝えていきたい。
「逆のものさし人参畑塾」ブログ
「逆のものさし人参畑塾」のもとには、「逆のものさし道」での学びがあります。
「逆のものさし人参畑塾」は、その「逆のものさし道」での学びを活かし、知識や方法としてではなく、
モノゴトの本質を見極め、
“人の道”のモノサシを身につけ、深い静けさと湧き上がる躍動を湛えた心を養うことを目指しています。
【逆のものさし道とは】
縦糸の読書を師とし、実践と対話を通して、世間の常識や多勢の空気に流されない確かなモノサシを身につけるための勉強会。
読書・実践・対話の中で、本質・真理に目を開き、またその本質・真理から自分自身を問う、それを繰り返して進む「道」です。
「逆のものさし道」
ーーーーーーーーーーーーーーー
テーマ:「非真面目のススメ」『逆のものさし思考』(逆のものさし道のテキスト)を読む
第二講「非真面目のススメ」
『逆のものさし思考』
真面目でも不真面目でもない、真面目に非ずの非真面目。
常識や普通といった世間のものさしに忠実な真面目、自分の正しさに固執する真面目、
そういう真面目な頭を、内から外から“破る”行動や本との出会いと人との出会い。
真面目に傾き過ぎない、真面目に非ずの非真面目、
“本当にそうか”疑ってみたり、“片側だけの盲目になっていないか”一度否定してみたり、“自己中心になっていないか”逆からみたり、
行動と本との出会い人との出会いで、自分を一度壊し、また再構築しながら、
いろいろな事に揺さぶられながらも、ニュートラルなところに立つ非真面目へ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
今回の、Zoom広島「逆のものさし人参畑塾」で話し合ったことに、とても大事な気づきをいただきました。
今回、ご参加して下さった方は、人生の大転換が怒涛のごとく起こり、今ちょっと小休止。
ベランダで花木を植えたり植物を育てたりに夢中で、とても楽しいと。
経済性と利便性と効率性の目的にひた走っている私たち、仕事でも生活でも目的を追う日々。
時には、その方のように、そういう目的をもたない時間も大事だと思う。
目的を追うことは、この人間社会には必要不可欠ですが、目的意識に大きく偏り過ぎています。
経済性と利便性と効率の目的意識からちょっと離れてちょっと忘れて、その方のように、花木を植えたり植物を育てたりを楽しむ。
そういう時間に流れる言葉にできない豊かさこそが、人間の根底にある真情・情緒と結びつく。
数学者 岡 潔 先生の言葉、
仏教の唯識学でいう人間の心の最下層の八識のアラヤ識、岡先生は八識の下に九識十識があって、十識は「真情・情緒」だと。
十識の「真情・情緒」は、「地下水」のように私たちの命を育み養い生かしているもの。
人間の「真情・情緒」は、この世界の不思議に驚き感動する情でもあります。
花木を植えたり植物を育てたり、その方はいつもそこに大きな驚きと感動があるそうです。
経済性と利便性と効率の目的をもたない、楽しみとしてやること、無目的でやることが、人間の根源「真情・情緒」と一つになるのです。
また、何かに打ち込む時のゾーンに入るような、没入する時の「無心」が、私たちの根源「真情・情緒」と一体となるのです。
人間社会は、目的をもって進み、問題解決能力を発揮していきます。
それも人間の大事な特質ですが、
無目的に楽しくやることも、人間の「真情・情緒」の十識の世界を肌で感じられる時間、
目的に向かい進む時間とともに、私たちの根源に立ち止まる時間の、そのバランスが大事だと、その方の花木や植物を育てるお話から感じました。
またもう一つは、
花木や植物を育て愛でることは、“今こうしたら、来年にはこう”と繰り返し巡る時間の円環。
その時間の流れは時計の針のように円環。
その繰り返しの終わりの無い円環の時間感覚は、この世界の循環の理(ことわり)を感じさせます。
直線ではなく円環で巡る時間、それが古来の日本人の感覚、私もその時間感覚を身につけたいと思いました。
無目的に、経済性と利便性と効率の目的から離れた十識「真情・情緒」に、時々深く降り立ちたい。
そして、目的を超えた没入する「無心」で、「真情・情緒」と一体に。
時々無目的に、
そして無心に。
これら「真情・情緒」や「円環の時間」のことは、以前「逆のものさし道」で清水代表にお習いしたことです。
私の「真情・情緒」に、地下水のように染み込んでいます。
「逆のものさし道」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=154570292
岡 潔先生の、八識のアラヤ識の下に九識十識があるという、仏教の唯識学を驚嘆させる十識「真情・情緒」は、こちらに↓
『情と日本人』
↑「読書のすすめ」で書籍をお買い上げの方に、お配りしているものです。
ご希望の方は、書籍をご注文いただき、『情と日本人』を希望と、お書き添えください。
「読書のすすめ」
『岡 潔 の教育論』
『日本創世の会 第1号』
次回、
Zoom広島「逆のものさし人参畑塾」
8月24日(土)13:00~14:00
広島「逆のものさし道」
8月24日(土)14:30~
今回もありがとうございました。
また、楽しみにしております!
【逆のものさし人参畑塾とは】
時代が変わっても変わらない人間の生き方を、歴史・先人から学ぶ“縦糸の読書”を通して、本質・真理を学び、それぞれの生き方に活かし、後世へ伝えていく勉強会です。
明治初め福岡の女医 高場 乱(たかば おさむ)が、薬用人参畑の中で始めた塾「興志塾」(通称人参畑塾)で、西郷隆盛の精神を継ぐ頭山満ら玄洋社を育てました。
私利私欲に偏らず仁を尽す「殺身成仁」、何かに誰かにぶら下がらない「天下一人を以て興れ」、その精神を伝えていきたい。
「逆のものさし人参畑塾」ブログ
「逆のものさし人参畑塾」のもとには、「逆のものさし道」での学びがあります。
「逆のものさし人参畑塾」は、その「逆のものさし道」での学びを活かし、知識や方法としてではなく、
モノゴトの本質を見極め、
“人の道”のモノサシを身につけ、深い静けさと湧き上がる躍動を湛えた心を養うことを目指しています。
【逆のものさし道とは】
縦糸の読書を師とし、実践と対話を通して、世間の常識や多勢の空気に流されない確かなモノサシを身につけるための勉強会。
読書・実践・対話の中で、本質・真理に目を開き、またその本質・真理から自分自身を問う、それを繰り返して進む「道」です。
「逆のものさし道」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=154570292
【御礼】5/25 Zoom京都「逆のものさし人参畑塾」
【御礼】5/25 Zoom京都「逆のものさし人参畑塾」
今回のテーマは、『逆のものさし思考』第五講 “縦糸の読書をしよう”。
「逆のものさし人参畑塾」は、『逆のものさし思考』(逆のものさし道のテキスト)十一講を、一講ずつ読み深めています。
『逆のものさし思考』
『逆のものさし思考』目次
一、一元論で世の中を見る
二、非真面目のススメ
三、無学でいなさい
四、ファンになるな プレイヤーになれ
五、縦糸の読書をしよう
六、非効率を愛せよ
七、そもそも論を考える
八、NWB.SAL.ABI 三つの法則
九、答えではなく問いを見つける
十、自力と他力
十一、自(みずか)らではなく自(おの)ずから
今回の人参畑塾のテーマ“縦糸の読書をしよう”、
「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」ビクトール・フランクル 霜山徳爾訳 みすず社1956年出版
“夜と霧”とは、政治犯の容疑者を家族ごと一夜にして消すというナチスの秘密指令。
ビクトール・フランクル、1905年オーストリア ウィーン生まれ、ユダヤ人、精神科医。
幼少から、“人は必ず死ぬのに何故生きるのか ” と、人が生きる意味を追求し続けた。
そして、どんな苦しみにも意味があると、生きる意味を見い出す心理療法「ロゴセラピー」(ロゴ=意味)で、
ユダヤ人の差別迫害が激しさを増した1900年代に、多くのユダヤ人が自ら命を断とうとすることから、
“それでも人生にイエスと言う”、苦しみの中から生きる意味を見い出だす手助けをした。
フランクルは1942年37歳の時、ドイツ強制収容所に入れられ、
強制収容所では、労働力に値しない老人や女性子供が真っ先にガス室に送られ、労働できなくなるとガス室へ送られた。
“あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない”、
どんな耐え難い苦しみにも意味があり、それが生きる意味だと、自らのロゴセラピーを、
凄惨を極めた強制収容所で、生身の自分が実証して記したのが「夜と霧」。
フランクルがあげる生きる意味の中で、私の心が掴まれたのは、生きる意味は苦しむ態度であるということ。
苦しみはこの世界から私への問いかけ、生きる意味への問いかけ、
苦しみに、心は押し潰され身体は打ちのめされて、苦しみに心身は打ち砕かれて流されるのか、
それとも、
心身の苦しみを超えて、誰かのため何かのための愛に向かい、自己を超越するのか、
苦しみへの態度は、自分で決めることができる。
災害や差別や偏見の不条理な苦しみは何時の時代にもあり、
ただそれに意味があるのではなく、後にそれによる意味を見出だした生き方をするのが、生きる意味の実現だと。
それがあったからこその生き方。
自分を超えたものへの愛によって、人はより人間らしくなり、それが人生の苦境を乗り越える支えとなる。
そして、心身の苦しみを超えた自由な精神は、人間の尊厳。
苦しみを超えるところに生きる意味がある。
“あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない”
そして、凄絶な苦しみと絶望の淵からのフランクルの人間性への深い信頼、
自分を超えたものへの愛。
ガス室を作ったのは人間、
ガス室で祈るのも人間。
「夜と霧 ドイツ収容所の体験記録」ビクトール・フランクル 霜山徳爾訳
「華氏451度」
読んでみたい方は、読書のすすめにご注文ください。
【逆のものさし人参畑塾とは】
時代が変わっても変わらない人間の生き方を、歴史・先人から学ぶ“縦糸の読書”を通して、本質・真理を学び、それぞれの生き方に活かし、後世へ伝えていく勉強会です。
明治初め福岡の女医 高場 乱(たかば おさむ)が、薬用人参畑の中で始めた塾「興志塾」(通称人参畑塾)で、西郷隆盛の精神を継ぐ頭山満ら玄洋社を育てました。
私利私欲に偏らず仁を尽す「殺身成仁」、何かに誰かにぶら下がらない「天下一人を以て興れ」、その精神を伝えていきたい。
「逆のものさし人参畑塾」ブログ
「逆のものさし人参畑塾」のもとには、「逆のものさし道」での学びがあります。
「逆のものさし人参畑塾」は、その「逆のものさし道」での学びを活かし、知識や方法としてではなく、
モノゴトの本質を見極め、
“人の道”のモノサシを身につけ、深い静けさと湧き上がる躍動を湛えた心を養うことを目指しています。
【逆のものさし道とは】
縦糸の読書を師とし、実践と対話を通して、世間の常識や多勢の空気に流されない確かなモノサシを身につけるための勉強会。
読書・実践・対話の中で、本質・真理に目を開き、またその本質・真理から自分自身を問う、それを繰り返して進む「道」です。
「逆のものさし道」
今回のテーマは、『逆のものさし思考』第五講 “縦糸の読書をしよう”。
「逆のものさし人参畑塾」は、『逆のものさし思考』(逆のものさし道のテキスト)十一講を、一講ずつ読み深めています。
『逆のものさし思考』
『逆のものさし思考』目次
一、一元論で世の中を見る
二、非真面目のススメ
三、無学でいなさい
四、ファンになるな プレイヤーになれ
五、縦糸の読書をしよう
六、非効率を愛せよ
七、そもそも論を考える
八、NWB.SAL.ABI 三つの法則
九、答えではなく問いを見つける
十、自力と他力
十一、自(みずか)らではなく自(おの)ずから
今回の人参畑塾のテーマ“縦糸の読書をしよう”、
読書離れが進む現代に、“縦糸の読書”が必要な理由を、アメリカで1950年代に書かれた『華氏451度』で、ご紹介しました。
また先人から人として大事なことを学ぶ“縦糸の読書”、「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」を紹介させていただきましました。
「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」ビクトール・フランクル 霜山徳爾訳 みすず社1956年出版
“夜と霧”とは、政治犯の容疑者を家族ごと一夜にして消すというナチスの秘密指令。
ビクトール・フランクル、1905年オーストリア ウィーン生まれ、ユダヤ人、精神科医。
幼少から、“人は必ず死ぬのに何故生きるのか ” と、人が生きる意味を追求し続けた。
そして、どんな苦しみにも意味があると、生きる意味を見い出す心理療法「ロゴセラピー」(ロゴ=意味)で、
ユダヤ人の差別迫害が激しさを増した1900年代に、多くのユダヤ人が自ら命を断とうとすることから、
“それでも人生にイエスと言う”、苦しみの中から生きる意味を見い出だす手助けをした。
フランクルは1942年37歳の時、ドイツ強制収容所に入れられ、
強制収容所では、労働力に値しない老人や女性子供が真っ先にガス室に送られ、労働できなくなるとガス室へ送られた。
水のようなスープと1片のパンの日々、病気か飢餓かガス室で終わりを迎える絶望的な状況の中、
“あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない”、
どんな耐え難い苦しみにも意味があり、それが生きる意味だと、自らのロゴセラピーを、
凄惨を極めた強制収容所で、生身の自分が実証して記したのが「夜と霧」。
フランクルがあげる生きる意味の中で、私の心が掴まれたのは、生きる意味は苦しむ態度であるということ。
苦しみはこの世界から私への問いかけ、生きる意味への問いかけ、
苦しみに、心は押し潰され身体は打ちのめされて、苦しみに心身は打ち砕かれて流されるのか、
それとも、
心身の苦しみを超えて、誰かのため何かのための愛に向かい、自己を超越するのか、
苦しみへの態度は、自分で決めることができる。
災害や差別や偏見の不条理な苦しみは何時の時代にもあり、
ただそれに意味があるのではなく、後にそれによる意味を見出だした生き方をするのが、生きる意味の実現だと。
それがあったからこその生き方。
自分を超えたものへの愛によって、人はより人間らしくなり、それが人生の苦境を乗り越える支えとなる。
そして、心身の苦しみを超えた自由な精神は、人間の尊厳。
苦しみを超えるところに生きる意味がある。
“あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない”
そして、凄絶な苦しみと絶望の淵からのフランクルの人間性への深い信頼、
自分を超えたものへの愛。
ガス室を作ったのは人間、
ガス室で祈るのも人間。
「夜と霧 ドイツ収容所の体験記録」ビクトール・フランクル 霜山徳爾訳
「華氏451度」
レイ・ブラッドベリ
読んでみたい方は、読書のすすめにご注文ください。
https://dokusume.shop-pro.jp/
【逆のものさし人参畑塾とは】
時代が変わっても変わらない人間の生き方を、歴史・先人から学ぶ“縦糸の読書”を通して、本質・真理を学び、それぞれの生き方に活かし、後世へ伝えていく勉強会です。
明治初め福岡の女医 高場 乱(たかば おさむ)が、薬用人参畑の中で始めた塾「興志塾」(通称人参畑塾)で、西郷隆盛の精神を継ぐ頭山満ら玄洋社を育てました。
私利私欲に偏らず仁を尽す「殺身成仁」、何かに誰かにぶら下がらない「天下一人を以て興れ」、その精神を伝えていきたい。
「逆のものさし人参畑塾」ブログ
「逆のものさし人参畑塾」のもとには、「逆のものさし道」での学びがあります。
「逆のものさし人参畑塾」は、その「逆のものさし道」での学びを活かし、知識や方法としてではなく、
モノゴトの本質を見極め、
“人の道”のモノサシを身につけ、深い静けさと湧き上がる躍動を湛えた心を養うことを目指しています。
【逆のものさし道とは】
縦糸の読書を師とし、実践と対話を通して、世間の常識や多勢の空気に流されない確かなモノサシを身につけるための勉強会。
読書・実践・対話の中で、本質・真理に目を開き、またその本質・真理から自分自身を問う、それを繰り返して進む「道」です。
「逆のものさし道」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=154570292
6/22 長崎「逆のものさし人参畑塾」オンラインZoom
2024年6月22日(土)、長崎「逆のものさし人参畑塾」のテーマは、『逆のものさし思考』第三講 “無学でいなさい”です。
最先端の物理学をもってしても、この世界の分かっていることが5%、分からないことが95%、
私たちは本当は何も知らない。
知識を頭につめこんで、頭でっかちになっていることに気がつかず、その既知のフィルターを通してこの世界をはかり、知ったかぶっている。
真理というのは、本来「知識」のなかには無く、生活や仕事のなかに。
歴史や先人の背中を見ながら、実践による知をつかみ、さらにその上に実践を重ねて、真の知を磨き上げていくことが大事です。
知識を頭につめこんで知ったつもりになることは、多くのものを見えなくしています。
知識が逆に自分を狭めてしまうのです。
体験によって身についた智慧こそが本物。
その体験が、自分の中にすでにある“縦糸の読書”を照らし出し、真理への道の確かな一歩となります。
【長崎「逆のものさし人参畑塾」🌟オンラインZoom】
日時:2024年6月22日(土)
時間:13:00~15:00
テーマ:『逆のものさし思考』第三講 “無学でいなさい”
『逆のものさし思考』(逆のものさし道のテキスト)十一講を、一講ずつ読み深めています。
場所:長崎市 勤労福祉会館
参加費:千縁
『逆のものさし思考』
『逆のものさし思考』目次
一、一元論で世の中を見る
二、非真面目のススメ
三、無学でいなさい
四、ファンになるな プレイヤーになれ
五、縦糸の読書をしよう
六、非効率を愛せよ
七、そもそも論を考える
八、NWB.SAL.ABI 三つの法則
九、答えではなく問いを見つける
十、自力と他力
十一、自(みずか)らではなく自(おの)ずから
『逆のものさし思考』をお持ちではない方でも大丈夫、ご参加お待ちしております。
【逆のものさし人参畑塾とは】
時代が変わっても変わらない人間の生き方を、歴史・先人から学ぶ“縦糸の読書”を通して、本質・真理を学び、それぞれの生き方に活かし、後世へ伝えていく勉強会です。
明治初め福岡の女医 高場 乱(たかば おさむ)が、薬用人参畑の中で始めた塾「興志塾」(通称人参畑塾)で、西郷隆盛の精神を継ぐ頭山満ら玄洋社を育てました。
私利私欲に偏らず仁を尽す「殺身成仁」、何かに誰かにぶら下がらない「天下一人を以て興れ」、その精神を伝えていきたい。
「逆のものさし人参畑塾」ブログ
「逆のものさし人参畑塾」のもとには、「逆のものさし道」での学びがあります。
「逆のものさし人参畑塾」は、その「逆のものさし道」での学びを活かし、知識や方法としてではなく、
モノゴトの本質を見極め、
“人の道”のモノサシを身につけ、深い静けさと湧き上がる躍動を湛えた心を養うことを目指しています。
【逆のものさし道とは】
縦糸の読書を師とし、実践と対話を通して、世間の常識や多勢の空気に流されない確かなモノサシを身につけるための勉強会。
読書・実践・対話の中で、本質・真理に目を開き、またその本質・真理から自分自身を問う、それを繰り返して進む「道」です。
「逆のものさし道」
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