NO.3035 「いさぶろう・しんぺい」から変化しています、新形式2R形、「かんぱち・いちろく」 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 平成16年より令和5年まで、肥薩線などで運行されてきました観光列車(D&S(デザイン&ストーリー)列車)でありました「いさぶろう」・「しんぺい」が存在していた事はご覧の皆様もご存知ではないかと思います。

 

 「いさぶろう」・「しんぺい」とは、肥薩線の山線であります人吉~吉松間で運行されておりました観光列車でありまして、愛称の由来は、「いさぶろう」が人吉駅→吉松駅間の愛称でありまして、人吉駅~吉松駅間が建設されました当時の逓信大臣でありました山縣(やまかた)伊三郎から、「しんぺい」が吉松駅→人吉駅間の愛称でありまして、同じく人吉駅~吉松駅間が建設されました当時の鉄道院総裁であった後藤新平の名前からこの愛称が付けられておりました。

 

 この「いさぶろう」・「しんぺい」は、平成8年の運行開始から平成16年までは、定期列車としてキハ31形気動車もしくはキハ40系(キハ40形・キハ140形)気動車1両編成によりまして、シートに畳を敷く形で運行されてきておりまして、ワンマン列車でもありましたので、運転士の方による案内も見られておりました。

 

 その後、その平成16年3月の九州新幹線新八代~鹿児島中央間開業に伴います観光列車化に伴いまして、当時の人吉鉄道事業部にも所属しておりましたキハ140-2125(画像1)を深い赤地の古代漆色に塗り替えられまして、かつ車内も改装しまして運行されておりましたが、更なる利用者増に対応しまして、キハ47形気動車1両(キハ47-8159)が平成16年の秋に、そしてもう1両(キハ47-9082)も平成21年に改造されておりまして、「いさぶろう」・「しんぺい」は画像1・2のように最高3両で運行されていた事もありました。

 

 さらに、運行開始から平成29年改正前は熊本~人吉間は快速として運行されておりましたが、平成29年改正以降は同じくキハ40系気動車で運行されておりました「かわせみ やませみ」とともに特急化されておりまして、それによりまして熊本~人吉間は特急料金が必要な列車となっておりました。

 

 

 しかし、令和2年の「熊本豪雨」によりまして、活躍先の肥薩線は大きな被害を受けまして、災害以降は現在豊肥線の熊本~宮地間で活躍します「かわせみ やませみ」と併結しまして博多~門司港間で臨時運行されましたり、小倉総合車両センター内に設けられております「小倉工場鉄道ランド」へのシャトル列車として活躍する姿も見られておりました。

 

 【いずれも博多~門司港間臨時運行時】

 (令和2年撮影) 

 

 (令和4年撮影)

 

 さらに、令和4年に西九州新幹線開業に伴いまして運行されるようになりました「ふたつ星4047」の種車としてキハ140-2125が外れましてキシ140-4047に改番されておりまして、画像のように白地の姿へと変わっております。

 

 (江北駅で撮影、キシ140-4047(←キハ140-2125))

 

 

 そして、他2両も令和5年10月4日で運行を終了しておりますが、運行終了前の令和5年9月17日に宮崎駅から都城駅まで日豊線、都城駅から吉松駅まで吉都線、吉松駅から隼人駅まで肥薩線、そして隼人駅から鹿児島中央駅まで再び日豊線という行程で団体臨時列車が運行されておりまして、私自身もこの日鹿児島県湧水町の吉松駅で撮影しておりました。それにしても、この列車の吉松駅での姿も、本来は肥薩線の「山線」で活躍しておりましたが、その「山線」が寸断されている事で、吉都線を通らないとこの駅へはやって来られなかったのも残念な所ではなかったでしょうか。

 

 (停車時画像)

 

 (こ線橋撮影)

 

 その後、10月4日の小倉総合車両センターへ運行されます団体臨時列車を最後に運行を終了、「いさぶろう」・「しんぺい」としての姿はこれで終止符を打たれております。

 

 

 そして、キハ47形気動車2両に関しましては、キハ125形気動車1両を加えた改造車を含めました3両編成で、新たなD&S列車としてデビューを果たしております。今回ここからは、大分県九重町の豊後中村駅で収めておりました模様を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 今回撮影場所の豊後中村駅であります。この駅のホームは、画像のように2面2線の駅となっておりまして、特急列車は「ゆふ」が停車を行っております。尚、以下画像右奥にありますのが駅舎でありまして、茅葺きの駅舎となっているのが特徴でもありまして、九重町の管理となっている事から駅業務も管理委託駅として駅員の方も日中配置しております。

 

 (奥が久留米方、以下画像右奥が茅葺きの駅舎です)

 

 (奥が大分方)

 

 そんなこの駅は、以前は3番ホームも存在しておりまして、2面3線の形が取られておりました。しかし、その後使用停止となっておりましたが、現在も雑草が生い茂る中で線路は撤去されずに残されている事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (線路も残されています)

 

 ちなみに、久留米方を見ますと2番ホームへの線路の部分に線路が雑草の方向へ分かれている事がわかります。実際そこから3番ホームの方向へ線路が分かれていた事もわかる姿でもあります。それにしても、奥の「Y字分岐」の姿を見ましても特急列車は高速で通過できないような仕組みとなっている事もわかるのではないでしょうか。

 

 

 さて、しばらくしますとお目当ての列車でもあります「かんぱち」・「いちろく」が入ってまいりました。画像の姿からもわかりますように3両編成でもある事がお分かりいただけます。尚、この豊後中川駅は停車駅ではなく、運転停車として停車を行っております。

 

 

 ここからは、「かんぱち」・「いちろく」に関しましてもご紹介してまいります。この「かんぱち」・「いちろく」は、冒頭ご紹介しました前任の「いさぶろう」・「しんぺい」と同様、個人の名前から取っているのが特徴でもあります。

 

 「かんぱち」に関しましては、恵良駅前にあります酒造場の3代目でもあり、久大線敷設の運動の一人でもありました麻生観八(あそうかんぱち)から、「いちろく」に関しましては旧大分県農工銀行頭取でもありまして、久大線の前身の大湯線の誘致に尽力しました衞藤一六(えとういちろく)から愛称を取っておりまして、「かんぱち」は博多→由布院→大分→別府間「いちろく」は別府→大分→由布院→博多間で運行されております。

 

 

 こちらの画像が、今回「かんぱち」の停車駅となりました麻生観八氏もいました酒造場があります恵良駅であります。現在は造り酒屋風の駅舎となっておりまして、麻生観八氏の功績をたたえた資料館も併設しておりますし、久大線の駅の一つとしても存在しますが、かつては、この駅から宮原線も延びておりまして、今度新たな千円札となります北里柴三郎の生家があります北里方面や、肥後小国方面へも運行されていた駅でもありました(廃線跡探訪・NO.2757他参照)。

 

 (令和4年撮影)

 

 

 一方、こちらが今回訪問しました由布院駅でありますが、その由布院へ線路を延ばしましたのが衞藤一六氏でありまして、鉄道を敷設する事で観光開発にも貢献するにも至っております。尚、この由布院駅へは実は大きなカーブの中にある駅でもありまして、それが「一六曲がり」と呼ばれている事も有名でもあります。

 

 

 さて、今回の「かんぱち」・「いちろく」は、実は新たな形式として改番しております。それが2R形気動車でありまして、「いさぶろう」・「しんぺい」に使用されておりましたキハ47形気動車、そして新たな改造車となりましたキハ125形気動車とも2R形気動車となっておりまして、「2R」は二人のロマンスカーと言う理由でもあります。

 

 まず、元キハ47形気動車でありました2両からご紹介します。

 

 (1号車、2R-16←キハ47-9082)

 

 (3号車、2R-38←キハ47-8159)

 

 この2両が、「いさぶろう」・「しんぺい」から変わりました2両であります。実際に以下画像が「いさぶろう」・「しんぺい」時代の2両でありますが、窓枠が固定窓・拡大している所から見ましても大掛かりな改造であった事が伺わせております。尚、画像にはありませんが、1号車には2人掛けの座席がありますし、2号車には2~4人掛けの半個室タイプのボックス席が置かれているのも特徴でありまして、いずれもグリーン車として扱われております。

 

 (キハ47-9082→2R-16)

 

 (キハ47-8159→2R-32)

 

 そして、中間車が2R-80であります。この車は、キハ125形気動車のキハ125-24から改造されたものでありまして、その下の画像からわかりますように、以前は黄色一色をまとっていた気動車でありましたが、現在は画像のようなカラーへと改まっている事がわかります。そんなこの車は「ラウンジ杉」とも呼ばれておりまして、樹齢約250年で、全長約8メートルの杉の一枚板カウンターもこの車内に備えられております。尚、テールランプからもわかりますように、両側の運転台は引き続き存置しているとの事であります。

 

 (参考、キハ125形気動車)~キハ125-24の画像がありませんので、キハ125-23他の画像を使用しています

 

 これらは、これまで手掛けておりました水戸岡鋭治氏によるデザインではなく、鹿児島の「IFOO(いふー)」によりまして初めてデザインが手掛けられておりまして、やはり外観からも水戸岡デザインとは少々違った所が見られている事もわかるのではないかと思います。

 

 そんなこれらの車番はさまざなな理由もありまして・・・

 

 2R-16 「(16)いちろく」より

 2R-80 全長約8メートルの杉の一枚板カウンターより

 2R-38  麻生観八が八鹿酒造の3代目だから

 

と、理由も正直単純である事が伺えるのではないでしょうか。

 

 

 さて、運転停車しておりました豊後中川駅を「かんぱち」は発ちまして、由布院・大分・別府方面へと進みます。それにしても、キハ47形気動車にキハ125形気動車と言いますと、唐津線でも普段見られておりますが、それが一つの「D&S列車」として組み込まれているのも意外な所かなとも思う所ではあります。

 

 

 今回は、今回初めて収める事ができました、「いさぶろう」・「しんぺい」から変わりました、2R形気動車「かんぱち」・「いちろく」に関しましてご紹介しましたが、この列車自体は特急列車と言う扱いではありますが、旅行商品(パッケージツアー)のみの発売でありますので、従来の特急列車との違いは見られております。それにしても、「いさぶろう」・「しんぺい」の改造前の姿からしますと大きく変わった事が伺えますが、それも新たなD&S列車としての姿でもありましょうか。とにかく、久大線を中心に運行されておりますので、ご覧の皆様も利用する機会がありましたら利用してみてはいかがかとも思います。