K18製 ブラックオパールのリング 明治期

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遊色の美しいブラックオパールのリングです。これまでホワイトオパールはあらゆる装身具で沢山見てきていますが、ブラックオパールは初めて見ました。質の良い石を使っていること、アームの造りが太いこと、古い刻印からこのリングは明治期のものではないかと考えています。ほんの少しだけ楕円形でとても可愛らしい小ぶりの石です。

 

造りはいたってシンプルですが、アームは太めでしっかりしています。

 

石は2ミリにも満たない程薄く、細い4本爪がとても華奢です。

 

真正面から見たところ

 

上から見たところ

アームの太さがお分かりいただけると思います

 

横から見たところ

 

刻印です。「K18」「 SにT?」「N.K」とあります。今まで見かけたことのない古めかしい雰囲気の刻印で、一瞬外国製のようにも思いましたが、K18とあることとリングのデザインがいかにも日本製らしくしょんぼり(笑)しているので、まず日本製と考えて大丈夫かと・・・。大正時代になると日本製の貴金属装身具がどっと製作されるようになるので、まだ金製品が貴重な明治の中期頃に、高級品である外国製リングに似せて打刻されたものと推察しています。右から二つの刻印は工房印と小売店印と思われますが、今のところ不明です。当方は外国製のリングの刻印には詳しくありませんので、もしよくご存知の方がいらっしゃいましたらご教示お願いいたします。

 
明治期のリングを重ねて写してみました。石の大きさなど雰囲気が似ていると思います。

  大正末〜昭和のごく初期の洋装女性用の懐中時計鎖です。鎖は2本で、上下できる中央のアジャスターで留めるようになっています。時計飾りも18金製品で桐紋をモチーフにしたとても珍しいデザインです。重さ全体で約7グラム。

 

 

チェーンの種類は喜平でも占縄でもなく、少し調べてみたのですが結局わかりませんでした。しっかりした編み込みで丈夫に出来ています。

 

時計飾りです。花のところにプラチナが薄く貼られています。

 

裏側は方位磁石になっています。

 

鎖を束ねるアジャスターの表側です。シンプルできっちりした造りです。

 

裏側です。

 

刻印です。ちょっと見えにくいですが「K18」と、どこかの工房印と思われるものが打刻されています。

 

すでに所有している3本占縄の時計鎖を並べてみました。デザインの豊富な短鎖に比べると結構地味ですが、当時の装身具の資料としてはとても興味深いものです。

 

昭和2年発行の服部時計店のカタログ『鎖と提物』に掲載されている女性用時計鎖です(1ページ目の右端は男性用です)。このパターンの時計鎖ですが、洋装用だということはわかるのですが、実際どのような服装にどのように使用されたのかはまだわかりません。女性の洋装がリバイバルした大正末〜昭和初期のスーツ用だと予想しているのですが、実際着用している当時の写真を是非見てみたいものです。

 

 

youtubeをチラチラ見ていたらこんな映像がアップされていましたのでご紹介します。ただ出典がわからないしカラーフイルム撮影かのちの彩色かもわからないのですが、私個人の実感としては時代については昭和10年前後のものにはほぼ間違いないと思います。4分少々なので興味がおありの方はどうぞご覧ください。これらの瀟洒なビル街は空襲でアメリカにほぼ焼き尽くされてしまったのでしょう。洋装の女性も多く、18金の合成石リングなどを身に着けていそうですね。

 

1935年(昭和10年)東京の貴重なカラー映像

https://www.youtube.com/watch?v=dCWxEeL9eEo

 

また、こういう映像もアップされていました。

 

東京大空襲直前の東京

https://www.youtube.com/watch?v=DdTW71Lvo_Q

 

こちらはどうやらNHKのドキュメンタリーの抜粋という感じですが、映像にかなり緊迫した雰囲気があるので、大東亜戦争開戦後の政府広報映画だと思います。戦前は今より所得格差が大きかったので、こういう住宅密集地で貧しい生活を送っていた人たちは極めて多かったと思うのですが、ただこの映画も国民の防火意識を高めるためにちょっとそれを誇張している感があります。ニューヨークなどアメリカの大都市でも貧困街は生活ギリギリ限度の貧しい人たちが今でも密集して暮らしていますし、こういう映像もそんなに戦前日本を卑下して観る必要もないかと思います。防空壕云々の映像もありますが、上から爆弾を落とされたらどんな立派な住宅地でもどうしようもないですよね。実際に空襲で何万人という単位で民間人が殺戮されるようになった時点でもう戦争はストップするべきでした。

[一番下に追記があります](8月14日)

[写真を数枚入れ替えました](8月24日)

 

前回に引き続き、三越製の高級感溢れるスクエア型の翡翠のリングです。カットは適当ですが(笑)透明感のある綺麗なメレダイヤの取り巻きがとても豪華です。細いアームの三面に彫りがあり、石座は大きめなのにとても華奢です。私の所有しているリングの中では最高級のものです。石座の縦1.2センチ、重さ3.8グラム。

 

正方形ではなく僅かに縦長になっています。

 

 

石座は唐草になっています。

 

 

 

刻印です。「丸に越」、大正時代から少なくとも昭和12年までは存在していた「中村善太郎」の「ダイヤ枠にJN」の工房印および「Pt」があります。戦前のプラチナ刻印は殆どが「PM」ですが、三越は「PT」を使っていたようです。こちらを参照→

 

 

以前入手していた同じ三越製のWGのリングと並べてみました。アームの華奢な雰囲気、唐草模様などがよく似ています。こういうデザインが当時の三越製の特徴だったのでしょう。

 

ダイヤの取巻リングは昭和12年4月号のカタログ「三越」にも掲載されています。

5番(プラチナ、真珠にダイヤ取巻のリング)

リングのデザイン部分の大きさに比べてアームは細く、4番を除き、他のリングのアームには細かな彫りが施されています。

 

同じく「三越」カタログの昭和11年6月号に、ほぼ同じ形のアームのリングが掲載されていました。「白金透し彫」の「真珠」です。価格は27円、現在の価格に換算すると約7万円弱です。

 

アームは華奢で特徴的な形、メレダイヤもカットがバラバラ(笑)、また古い刻印が押されているので、これだけの証拠が揃っているということで戦前のものに間違いないと判断して入手したのですが、どうしても一点だけ腑に落ちないことがあります。それは

 

ダイヤの色が揃いすぎている(笑)

 

ということです。もっと色目がひとつずつ違っていたらいかにも戦前らしい、ということになるのですが、一つ残らず濁りもなくクリアで綺麗な石が使われているので、もしかしたら戦後のものかも・・・という疑問も拭い去れません。戦前のものだとしたら、こんなに上質なリングを身につけていた女性は一体どんな身分の人だったのでしょうね。

 

[追加]

クリアなダイヤをご覧いただきたくてストロボで写してみました。

 

[追記]

あれから他のジュエリーのメレダイヤをよく見ると、この束髪簪のダイヤは、石の色はやや暗めでカットは実に適当(笑)ですが、色目だけはバシッと綺麗に揃っています。小粒のダイヤは、戦前はいわゆる色石(天然ルビー、サファイア、エメラルドなど)と比べて比較的入手しやすかったのかもしれません。当時のブランド製品ということで、石の綺麗なこのリングも戦前のものでまず間違いないと思います。共箱があったらなおよかったです。

 

真珠の周りにメレに近いルビーをあしらった三越製の18金のファッションリングです。刻印からみて明治末か大正のごく初期のものと思われますが(理由は後で述べます)、さすが三越製で造りがよくとてもバランスのよい上品なリングです。

 

 

 

真横です。丁寧に石と真珠が留めてあるのがわかります。

 

刻印です。木葉の刻印がありますので、大正7年から少なくとも昭和12年までは存在した「海老原章次」工房(木の葉の刻印)の製品とわかります。三越の刻印に合わせましたので、「K18」と「海老原工房の刻印」がひっくり返っています。

 

このリングには例の未解明の刻印が二つ押されています。提灯(?)にK、それから「B」の刻印があります。この海老原工房は東京貴金属品製造同業組合に所属しておりましたので、本来ならば金槌マークが押されているべきなのですが、そうでないところを見るとそれ以前の時期の刻印と思われます。そうするとこのリングは明治末くらいまで遡れると思いますが、当時のものとしてはとてもモダンなデザインです。明るい印象のリングなので今でも若い人によく似合うと思います。

 

指に嵌めてみました。本当に可愛いくて古いものとはとても思えません。戦前日本の文化はなかなかイケています。(笑)