やっと、クルマからおりられる。
くるまよいで、くるしんだ。
しんせんな空気。右も左も山ばかり。
きもちわるい。
うらめしい気持ちで、ハコスカをみる。
しゃがみこんだら、見たことない草がたくさん生えていた。
つくしは知ってる。公園にもはえているもん。
これはなに?
きいたらお父さんが「ふきのとう、天ぷらにして食えるぞ」と言った。
お家のとびらが開いて、おとうさんにそっくりなおばあちゃんが「よくきたね」とわらった。
***
息子のコウマ@がまだ14歳だった、今年のゴールデンウィーク。
コロナ禍以降、初めての行動制限がなかったこともあって、父の田舎に帰郷した。
もう誰も住んでいない家だけれど、父の名義になっている。
先祖が眠る寺に、お墓まいりも兼ねて・・・雪が溶けた頃に毎年見に行ってたのだけれど・・・
近年はコロナでなかなか難しくなっていた。
父は、ひょっとしたら雪で潰れているかもしれないと毎年心配していた。
案の定、家が傾いて、戸が開かなくなっていた。
もう、売って処分してしまった方が良さそうな土地なのに。
父は、自分が生きている限りはこのままにしておきたいという。
戻る場所があることが、かけがえなく大切なのだという。
誰も住まない家の前につくしと、ふきのとう。
40年以上前と同じように生えていた。
コウマが不思議そうにこれなんですか?と聞く。
「ふきのとう。天ぷらにして食えるぞ。」。
ここは、何も変わらない。まるで時間が止まったみたいだ。
私は、田舎に暮らしたことはないけれど・・・日本といえば故郷の景色が脳裏に浮かぶ。
原風景。わたしの忘れられない里山の光景は父の故郷のものだ。
年たった数回。父に連れられて帰った故郷の風景が、そのまま私の日本になった。
コウマはどうだろうか。
私以上に、コンクリートジャングルに暮らす息子に原風景はあるのだろうか。
障害を理由に追い出された元地元は、工場が多い街だけれど・・・
有名な山がある街でもあった。
山のお寺の鐘がなる街だった。
追い出され、生まれた場所を離れて、実家に戻る時。
元地元の夕焼けの風景は、小さな原風景に変わっていた。
コウマにとって、特別なものになっていた。
思慕から、哀愁に変わってしまったその夕焼けを。
実家に戻るたびに見に行きたいと言われ、哀しい瞳で山を仰ぐ息子にとって。
都会の中でも、山は故郷の原風景になっていたのだろうと切なくなった。
そんな都会とは比べ物にならないほどに父の故郷は山深く。
ゴールデンウィークにも関わらず、桜が山を淡いピンクに染めていた。
関東で、一番遅く桜が満開になる場所だそうだ。
この里山の風景を、コウマにも覚えていてほしい。
私以上に、父がそう思っている気がした。
まだまだ、コロナに気をつけなければならない旅路で、ゆっくりもできなかったけれど。
コウマの希望で、川端康成の「雪国」が本当かどうか?検証してくることにした。
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国だった。」
川端康成の『雪国』の、あまりにも有名な冒頭部分である。
コウマの説では・・・
同じ豪雪地帯でトンネル一つでそこまで残雪が変わるでしょうか?
あちらが雪国なら、こちらも雪国のはず
家族みんなが頷く。
「川端康成、本当は行ってないんじゃない?」父が失礼なことを言い出す始末。
雪解けの季節、国境の長いトンネルを抜けてみた。
私と父は車で。
鉄オタのコウマたっての希望で、夫とコウマは電車で。
二手に分かれて国境の長いトンネルを抜けると。
抜けた先では、残雪の量が明らかに違った。
雪国・・・は確かに存在した。
川端康成の『雪国』は、本当だった。
「一山超えるという言葉があるように、山は一つ越えれば全く世界が違うからな。」
運転しながら、父がそんなことを言った。
「見てみろよ。川の流れがここで左右逆になるんだ。」
確かに・・・不思議な感覚にとらわれる。さっきまでと川の流れが真逆だ。
険しい山を挟んで、群馬県は太平洋側に。新潟県は日本海側に。
真逆の方向に流れていくのだそうだ。
同じ雪雲が落とした雨粒が、全く逆の方向に流れていく。
あんなに近かったのに、決して交わることのない遠くに離されていく。
当たり前のことに、衝撃を受ける。自然に学ぶことが多い。
都会のコンクリートジャングルを思い出す。人工物がどれほどに進化しても・・・
自然の芸術には負けるなと・・・車窓から見える風景にそんなことを思った。
そういえば、最近都会で、つくしを見なくなった。
私が子供の頃は、公園にも生えていたのに。
競争社会の中で合理的に処理されていくなか、狭いコンクリートの中で権力の大きさに圧倒されては潰れそうになるけれど。
自然の中で、人間はあまりにも無力であることを思い知ることは大切なのかもしれない。
また、家族と戻ってこよう。
ゴールデンウィークに、そんな旅をした。