さてさて。

次は家の怪について。

わたしの実家は築100年を超える古き良き日本家屋です(*/∀\*)キャー

トイレはぼっとん*
掘りごたつも、家の床下に芋を蓄える貯蔵庫も有ります*

そんな我が家で、曾お祖父ちゃんの代から、今現在の私ら兄妹の代までの子どもが育ちました(o´-ω-o)ウン。

たぶん、これからも増えるでしょう。
それだけ歴史があるのでつ(*゚ω゚*)

そんな我が家で、私はいろいろ体験しましたとも。

兄妹のうちで何故かいつも私だけ…(o´-ω-o)ウン。泣

あれは、幼稚園児年長の頃でした。

私は兄妹の真ん中で、下に妹ができると、姉としての自覚をもたせるためか、母から家の手伝いをよく頼まれるようになりました。

最初はどうしても嫌だったお手伝い
。間違えば激怒され、泣いたときもありました。が、わたしは気づいてしまったのですwww

手伝いをすれば、いつも妹ばかりに構っている母から褒めてもらえる!(p`・ω・´)q グッ

これに気づいた私は、見事母の思惑通り、手伝いを自分からやるようになりました。

その日わたしは洗濯場で母の横に座り、遊んでいました。
時間は23:00過ぎ。
突然隣にいた母がすくっと立ち上がり、洗濯場を出てすぐの玄関へ移動してこちらを見てにこやかに言いました。

「○○おばちゃんの所に行ってくるからね。お留守番してて。」

この当時、母は近所の○○おばちゃんと仲良しで、子供会のことや、自治会のことなどの用件を相談し合うような仲でした。

いつもは、もっと早い時間に出掛ける母が、何故かこの日は夜中に行くと言いました。

しかし、私はニコニコ笑いながら返事をして、母を送り出しました。

このとき、お転婆だった私は、イタズラが大好きでしたw
もちろん、母がいないうちに、何かしたくて仕方がありません (-∀-*ノノやー

しかし、悪いことをすればおこられてしまいます。
怒られるのは絶対 イ•ヤwww
そう考えた私。

要は誰かを驚かせることが目的なのであって、驚かせる方法は、良いことでも、悪いことでもぶっちゃけ、どちらでもよかった。ヾ(*´∀`*)ノキャッキャッ*

しかも、このとき、私は母に褒められることに味をしめていた時代!

びっくりさせる方法は、単純なことで、洗濯物を畳んで、仕分けておくということだった。( *`ω´)

決めたら即行動!
親が帰ってくる前に、と、小さいながらも早く、そして丁寧に作業をしてしまいました。

結果、目の前には整然と…とまではいかないけれど、きちんと並べられた洗濯物!!

あとは母が戻ってくるのを待つだけです(=´∀`)

待てど、待てど、
ヾ(*´∀`*)ノキャッキャッ

待てど、待てど、
(*/∀\*)キャー

待てど、待てど、
il|li(つω-`。)il|li

か、帰って来ない!!ウワーン(ノД`)


何でぇーーゥワー。゚(゚´Д`゚)゚。ーン

と、凹んだものの、

帰って来ないなら迎えに行こう!
(*゚ω゚*)アッ!

と、どうしても、すぐにでも褒めてもらいたかった私。

そのまま玄関へ行き、外へでて、真っ暗な夜の道を通って、○○おばちゃんのうちへ。

怖かった!
すんごい怖かった!
 ガタ(((;;OдOll)))ガタ

しかし、母に褒めてもらうために一人だけで夜道をすすみ、とうとう到着!

し か し ! !


おばちゃん家の中は真っ暗!!ww


今考えると、当たり前なんですけどねっ!
たぶんこのとき、既に1:00過ぎ。

人様の家を訪問する時間ではない!
でも、確かに母は、○○おばちゃんの所に行ってくるからね。と言った。

私、行っちゃいました!www

深夜にも関わらず、背伸びしてチャイム連打ww

ぴんぽっぴぽぴぽぴぽぴぽっ
(。oωo)6

ガチャっとドアが開き、

「はーい?…あら、どうしたの~?お母さんは?ひとりで来たの?」

私は内心、え?(´Д` )と思いつつも、

「お母さんいないの?」(。oωo)
「?、来てないよ?」


ポッ(||l ゚д゚)カ~ン…
え?いないの?

それからは早かった。
おばちゃんにおやすみなさいを言って←オイっ
怖い夜道を、

ダッシュダッシュダッシュっ    アワワワワ… ε=ε=ε=ヘ(ll゚Д゚)ノ

家に帰って、母屋のおばあちゃんの家に入って「お母さんがいなぃーゥワー。゚(゚´Д`゚)゚。ーン」
と、泣きわめき、お父さんにも知らせようと、離れに入った瞬間。

「あははははははははっ!!!!」

えぇぇぇぇぇぇぇ!!━━(艸゚Д゚ll)━━ッ!?

二階から聞こえた声、
あ、あれは間違いなく、HAHA‼
混乱しつつも、ふて腐れて二階にあがり、

「なんでここにおると!
どこにおったとぉーーゥワー。゚(゚´Д`゚)゚。ーン」
と言えば、

その部屋にいた一同が
「は?」…((( ;;゚д`)))…

「お母さんはずーっとここにおったよ?」

え?うそっ!((=ω=`;三;´=ω=))

誰に聞いても、
母は食事が終わってからずっと、妹の世話をしながら二階のこの部屋に居たという。

え。
じゃあ、わたしが遊んで居たときに横にいて、外に出掛けて行ったのは、一体誰だょーぅ?!

今でも謎の出来事です。
…((( ;;゚д`)))…
昔話でも。

3日4日共にこれといって何もおきなかったので、昔話にでも付き合ってくださいな(o´-ω-o)ウン。

昔は今と違って、もっとはっきりとアチラさんをみていたように思う。

その証拠に、いろいろ不可思議な記憶があるし、何より同級生からも不思議な子として、認定されていたことがあげられまする。 ゴ~(´д゚lll)~ン…

あれは、父親の仕事の準備に夜中、ついて行った時のこと。
たしか、3歳ぐらいのときだった。

夜中、真っ暗の中に、今はがまだすドームという建物になっているが、その建物が建つ前にその道を車で走ったことがある。
現在がまだすドームが建つ周辺は、当時、普賢岳の噴火で、建物の大半が火砕流に埋まったまま放置されていた。

地面から見える鳥居や、家の一部を、車の中から珍しそうに眺めていた時。

視界の端に、青白いのと、赤い丸い光が二つみえた。
それは、走っている車の斜め後ろを六メートルくらいの感覚でゆらゆら揺れながらついてきた。
時々、位置が入れ替わるその光をみて、

当時の私は、何だろぅ?(*゚ω゚*)としかおもっていなかったが、今になってそれを考えると、あれって、もしかして…もしかしなくても⁉

Σ(ll゚Д゚ll)
ってかんじです。

今更ながら思い出して、父親に尋ねてみると、
彼処は、火砕流に巻き込まれて、家共々埋まってしまった人がたくさんいたはずだ、といわれました(。oωo)

というか、よく覚えていたな~ともいわれましたが、何故か忘れることのない記憶として残っています。


先程まで屋上にいました。
うん。

昨日、ゆーらゆーらしていたアチラさんはいなかったけど、他の方はふつうに彷徨ってらっしゃるみたいですよ。

屋上の角に腰掛けていると、左側(位置的には道路側)から、「フフフッフフッ」って女の人の笑い声がすぐ近くからきこえて、びびりながらも慌てて道路を確認したけど、人影ナッシング。

ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘もちろん光速で避難!

やーね(;´Д`A

今撮れば写るかしら?と携帯カメラを向けたけど、暗くてよくわからなかった(~_~;)
photo:01


photo:02


photo:03



iPhone、露光調整も、フラッシュも付いてないんだもん!(´Д` )泣ナンテコッタ!



ついでに。
この記事を作成途中にいきなり携帯の電源が落ちた。
ちょうど「フフフッ」ってところを書いてる途中!
あと、UPした途端にも電源が落ちた。

打ち直すのめんどかったわww


でも、何か関係あるのかしら…((((;゚Д゚)))))))ブルブル