【軍師の言葉】 不動産広告の間取り図をアートに。美術作家・山本聖子さん | 週刊『広告三国志』

【軍師の言葉】 不動産広告の間取り図をアートに。美術作家・山本聖子さん


三国志 すいません。山本さんの肩書きは、
     「芸術家」でよろしいんですか?

山本  芸術家というとおおきすぎるので、
     う~ん、美術作家ですかね。

三国志 美術大学を卒業されて、この道に?

山本  はい。大阪芸術大学を出て、
     そこから京都造形芸術大学の
     大学院に行きました。

三国志 そこを卒業されたのが4年前なんですね。

山本  はい。

三国志 美術界のことはあまり
     わからないんですが、大学院まで
     行かれる人は、基本的に作家を
     目指されるんですか?

山本  なかなか厳しい世界ですので、
     大学院まで出ても、作家として
     作品づくりを続けている人は少ないです。
     実際、私のまわりでも、ほとんどの
     人が辞めてしまってますね。

三国志 そもそも芸術を志されたのは、
     いつの頃からなんですか?

山本  高校は進学校だったんですけど、
     まったく勉強に付いて行けなくて。
     付いて行けないから興味もないし、
     3年間ずっとヒマでヒマで。
     「本当に退屈な毎日だな」って、
     高校3年間ずっと思ってて(笑)。
     そのなかで唯一、美術は好きだったので。
     大学は美術だ!って(笑)。

三国志 それで、美術系の受験勉強されて。

山本  でも、親が反対しまして。
     親も勉強からの逃げで美術って
     言い出したことを見抜いていて。
     それをなんとか説得して、
     2年生の冬くらいから受験用の
     アトリエに通いはじめたんです。そこで、
     デッサンとか色の勉強をはじめました。

三国志 大阪芸術大学に入られて、
     すぐに作家志望だったんですか?

山本  作家になりたい・なりたくない
     というよりは、高校3年間の本当に
     退屈な感じをもう味わいたくない、
     というのが先にありましたね。
     その反動があって、大学では
     とにかくガムシャラに美術に
     取り組んでました、授業の課題とか。
     で、いいのがつくれると褒めてもらえるし、
     どんどんのめり込んでいきましたね。

三国志 じゃあ、小さい頃から
     絵が好きで好きで、みたいな
     感じではなかったんですね。

山本  そうですね。絵ばかり描いてる
     というような少女ではなかったですね。

三国志 キッカケは「高校時代がヒマだった」という。

山本  そうですね(笑)。

三国志 でも、やればやるほど面白くなった?

山本  うん。絵を描くのが楽しいというよりも、
     デッサンとかを習いはじめたら、あきらかに
     世界を見る目が変わったんです。例えば
     葉っぱ一枚を見ても「あ、こういうふうに
     影を描いたらいいんだな」とか。
     普通に電車に乗っていても、デッサンを描く目で
     見てしまうんです、人の服のシワの感じとかを。
     まわりを見るのが楽しくなりました。

三国志 毎日がヒマじゃなくなった(笑)。

山本  そうですね(笑)。

三国志 大学ではいろんな先生の授業があって、
     そのなかから自分のやりたいことを
     見つけていくという感じなんですか?

山本  そうですね。もともとは絵画コース
     だったんですけど、結局、3年生で
     立体のコースに変更しました。
     平面の紙のなかに絵を描くのは
     どうやら私には合っていなくって、
     立体的にものを表現するほうが
     私には合ってるなと思って、
     コースを変えました。

三国志 当時の山本さんが影響を受けた
     作家さんとか、いらっしゃるんですか?

山本  いまでもそうなんですが、
     「繊細なもの」にすごく興味があって。
     でも、直接的に影響を受けたというのは、
     う~ん、あんまりないかな。それよりも
     学校の先生や先輩、まわりの友達から
     受けた影響のほうが大きいですね。


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※撮影協力: g r a f


三国志 ちょっと話が脱線するんですが、
     趣味とかって何かありますか?

山本  趣味。むずかしいなぁ。
     趣味が仕事というか、
     作品づくりみたいなところがあるんで。
     う~ん。聞かれたらこう答えとこ、
     みたいなレベルでいうと、野球かな(笑)。

三国志 あ、野球。プロ野球?

山本  プロ野球。

三国志 阪神ですか?

山本  阪神です(笑)。

三国志 トラキチですね。

山本  いや、そこまでは(笑)。
     あとは、お茶のお稽古とかかな。

三国志 ま、そうですよね。
     好きな仕事をされてると、
     それが趣味に近いですよね。

山本  でも、なんか、ぜんぶそういう
     視線になっていくというか。
     例えば野球を観ていても、
     ピッチャーがボールを投げる前に
     一瞬止まりますよね。溜めますよね。

三国志 はい。

山本  その時に、いよいよ投げるぞ
     っていうコンマ何秒の溜めの瞬間に、
     ピッチャー以外の内野手や外野手も
     ピリッとした緊張感に包まれるじゃないですか。
     これは球場で観ないとわからないんですが。
     その一瞬の緊張感の美しさを作品で
     表現できるかな、と考えたりとか(笑)。

三国志 なるほどなるほど。

山本  そういう美しさまで行き着きたいな、
     と思ったりしながら野球も観てたりするんで。
     そうなると、もう、趣味と仕事って境がないですね。

三国志 職業病みたいなもんですかね(笑)。
     広告の仕事でも、そうですね。
     「このニュースは広告に使えないかな」とか
     「あの壁にポスターを貼れば目立つのにな」とか、
     自然と考えてしまいますね。

山本  あ、やっぱり、そうですか。

三国志 はい。しかし、球場まで観に行かれるんですね。

山本  はい、これは完全に趣味として(笑)。

三国志 でも、美術をはじめられて本当に
     「世界の見え方」が変わられたんですね。
     人生が、退屈じゃなくなった?

山本  はい。忙しいです(笑)

三国志 で、立体のコースに変わられて。
     私ならではものができた!っていう
     作品は、大学時代に?

山本  はい。ありました。

三国志 どんな作品なんですか?

山本  あの、芸術大学に入学した当初は、
     妙に肩にチカラがはいってまして。
     芸術家といえばちょっと変わった人で
     なければいけない、天才的ななんか
     オーラを出してなければいけない
     っていうのが、自分の中にありました。
     作品をつくる時にも、できるだけ
     奇抜にしよう、みたいな意識があって。
     でも、つくりながら「なんか違う、
     なんか違う」という思いもあって。
     3年生の頃に、一回、自分に正直に、
     自分が本当に好きだと思えるものを
     つくってみようと思いました。
     で、自分が好きなものって何だろう
     と思って、それを文字に書き出したんです。
     で、その言葉が、「薄い」とか、
     「細い」「白い」とかだったんです。

三国志 なるほど。奇抜さや変さではなかった。

山本  そうです。でも、これで
     できる限りつくってみようと。
     「薄い」というテーマで彫刻を
     つくりはじめました。すると、
     なんか肩のチカラが抜けたというか、
     自分が素直になっていく感じがあって。
     それで4年生の卒業制作で、
     『空白な場所』という作品をつくりました。



作品:『空白な場所』
細い4本の棒の上に薄い錫製の板。その上に
植物の灰がさまざまな形で載せられている作品。


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三国志 こういう作品を作られて展示をされて、
     お客さんが「なんだろう?」って感じで
     観るじゃないですか。その姿を見る作者の
     気持ちって、どういうものなんですか?

山本  う~ん。

三国志 あ、そもそも、誰かに見せたい
     というモチベーションがあるんですか?

山本  まず、いちばん最初にある純粋な
     動機は、「自分が見てみたい」です。
     でも、自己満足だけでは満足できないんです。
     結局、「人と関係したい」みたいなところが
     あるので、人の視線というのは意識していますね。
     私は、自分の思いや感情を表現することには
     まったく興味がなくて、むしろ、できる限り
     そういう自分の感情を作品からは
     排除しようとしています。ていうのは、
     例えば作品の中に自分が入ってしまっていると、
     それを観る人が入るスキマがなくなって
     しまうんじゃないか、と。
     そこに私自身がなければ、あらゆる人が
     そこに入れる可能性があって、よりリアルに
     感じてもらえるんじゃないかと思っています。
     すべての人が当事者になれる作品をつくることが、
     ある意味、プロとして芸術作品をつくる者の
     使命じゃないかと思っているんです。
     もちろん、ぜんぜん逆の作家さんもいますけど。
     自分を全面的に出すという人も。

三国志 なるほど。

山本  なので私、絵が描けないんです。
     色が選べなくて、赤と青があるとしたら、
     どっちかを選ぶことができなくて、
     「どっちも対等でしょ」と思ってしまう。

三国志 自分を出せない。

山本  はい。だから立体作品の素材にも
     色を塗ったことありません。なんか、
     色を塗ってしまうと、服を着せてしまう
     ような感覚があって。

三国志 あぁ、そうなると「山本さんの服」を
     素材に着せてしまうことになるから。

山本  そうですね。素材の良さを
     殺してしまう気がするんです。



作品:『independent empty』
国際芸術センター青森にて展示。
湾曲した空間に展示がしてある
大きな四角の間取り図の作品。


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山本  この作品は住宅の間取り図を
     新聞広告やチラシから切り抜いて
     使っているんですけど、これも
     着色してなくて、あるものを
     そのまま使っています。

三国志 この作品が、かなり反響あったんですね。

山本  はい。はじめて東京でやった
     個展だったんですが、いままで
     でいちばん反響がありました。
     ネットとかで批評されたり、
     新聞に学芸員の人が記事を
     書いてくれたりしました。

三国志 新聞のインタビューでも語って
     おられましたが、作品のキッカケと
     なったのは、大阪の千里ニュータウン
     あたりの原風景だとか。
     個人的にはあのあたりは自然もあって、
     いい住宅地というイメージがあります。

山本  私には自然すらもコントロール
     されている感じがあります。
     うまく残してある、というか。
     適度に区画整理されたなかに、
     自然と人の住まいが配置されて
     いるという感じが。
     すごく住みやすいんですけど、
     なんか違和感があります。

三国志 その違和感を表現されている?

山本  作品の動機のひとつにはなっていますね。

三国志 美術作家さんの毎日は、どんな毎日ですか?

山本  発表する場がなくても、
     とにかくつくってます。
     急に展覧会とかから
     声がかかる場合もあるので、
     日頃から蓄積しています。

三国志 昨秋は青森でも展示されたんですね。

山本  はい。青森の国際芸術センターという
     ところのプログラムに応募したら
     受かりまして、3カ月間、泊まり込みで
     作品制作をやらしてもらいました。
     海外からの参加者もいて、
     ずいぶん刺激を受けました。

三国志 今後の活動は?

山本  間取りのシリーズは続けていこう
     と思っています。あとは、青森でも
     展示したんですが。いま、新しく
     取り組んでいるのは、夜にマンション群を
     外から撮影すると、照明とかカーテンの具合で
     いろんな色になるんですが、それを透明フィルムに
     閉じ込めるという作品です。まだまだ
     煮詰めないといけないんですが。

三国志 次回作、楽しみにしています。
     今日は、ありがとうございました。


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※今回は国際美術館前の g r a f さんに撮影場所を
借していただきました。ありがとうございました。



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次回は2月14日の更新予定です。
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