こうこの日記

こうこの日記

つれづれなるままに・・

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月に一度、近くの大学に通っている。

この勉強が面白くて面白くて。


もともと勉強は嫌いなほうではないとは思っていたが
(これについて何か言いたくなる人もいるだろうとは思うけど)
本当に毎月この日がくるのを楽しみに待っているのだ。


そこには肉眼では見ることができない世界がカラフルに広がっていて、
自分の目の力が足りないということをこれでもかと、思い知らされる。


でもその世界は確かに存在するというのだから、引き込まれるように見入ってしまう。
あー、すごい。
生きているうちに後どれだけ知らない真実に遭遇できるだろう。
そう考えるだけでワクワクする。



さて、圧倒的な知識を受けとれず、軽くトランス状態になると、
不思議なもので急速にお腹が空く(これも見方によっては神秘的なかもしれないけど)。


5分ほど歩くと、涼しげなのれんが現れる。



閉店まで1時間ほど。

恐る々お酒が飲みたいと言うと、あー、ハイハイと明るい声で受け入れてくれた。

その声に甘えて寒さに弱い私は今日も熱燗を。





最近の若者はお酒を飲まないらしい。


そのせいかわからないが、今日のお客さんは教授世代の方たちばかり。


静かな空間がホッとする。
こういう感じは蕎麦屋らしくっていいなぁ、なんて思う。


期待するものがあるというのは安心するものなのだ。
ああ、熱燗がしみる。




玉子焼き




ほくほく、熱い。
やっぱり身体が冷えていたのだ。


ふふふ。


じんわり広がるお酒のいい香りと、
柔らかい玉子の味がいい感じに合わさる。


こういうのが好き。
何とも言えず、楽しくなる瞬間なのだ。



きのこそば




きのこの旨みって独特のものがある。
他では絶対入り込めない領域を持っているように思う。


それと蕎麦との融合は、またそれ唯一の領域をつくる。

いろんな種類のきのこがその絶対領域を広げる。

食感もそれぞれで楽しい。


うーん、美味しい。



ふおっ、ふおっと、堪能していると、
あっという間に最後の人になってしまった。


ああ、急がないと。


と、そんな気持ちを読まれたのか
「ああ、いいのよ。お茶飲んでいってね」と、優しい声。



えっ、まあ。


では、お言葉に甘えて。






気圧が変わる時って眠たくなる。
子供の時からそうで、これは大人になっても治っていない。


叔母を見ると年金をもらう歳になっても同じことで悩んでいるので、
おそらく生涯治らないのだろうと思う。

まったく、ありがたくない遺伝だ。


暦の上では立春をむかえ、そろそろソチでオリンピックが開催されるとような頃、
まったく予想していなかった大寒波が襲ってきた。


その季節外れの出来事は、どうにかなったんじゃないかと思えるほどおかしくて、
その前日は綺麗な青空が広がり気温も高く穏やかだった。

いや、むしろ暑いと思ったほどだったかもしれない。



と、まあ。こんな感じで毎日変わる天候のおかげで眠くて眠くてしかたがない。


それに加え、ここんと朝早くから活動しなくてはいけないことがあって・・・。


ああ。
やってられない。


ってなわけで、今日は銀蕎麦である。




こちらの店主とは酒の好みが似ている。と、私は思っている。


だから、安心して注文できるのだがここはやっぱりおススメから。

石川門




旨味の出方が素直で嬉しい。


風味を保つために一升瓶で買うことはあまりないという。
そういう思いが、この素直さに繋がっているのだろうと思う。



お通し と お豆腐




さりげない、大豆の香り。
お酒を誘うなぁ、なんて思うのは私だけではないはず。


今日は久しぶりの一人飲み。


気を使わずに、味を楽しめる。
うっしっし。





こんなにあっても、独り占め。


『一人の人は、気になる』と、前から言っていた店主が
若いかんじのもあるといってきた。




この二つが気になるというと「じゃあ、両方いきましょう」と、気持ちいいかえし。

ははは。いいなぁ。


焼味噌



ほんと、美味しい。いいなぁ、こういうの。


美味しい、美味しい。


この空気も美味しい。



〆はせいろ。




はぁ、スッキリする。

ヒンヤリとした口当たりが、優しく引き締めて現実へと戻す。



明日だって、早くから活動する。


でも、今日はもうちょっとだけのんびり。


そうそう。

蕎麦湯はゆっくり味わいたいし。




新年開けて最初の蕎麦はこちらだった。


年末に恒例の年越蕎麦を。
母が作る天ぷら蕎麦を堪能したのだから、
蕎麦からそれほど離れていたわけではなかったが、
どういうわけかその成分が枯渇しているのを感じていた。


昨年中に蕎麦中毒を直していたはずだったので、
この感覚は自分でも以外で、かつ反省するものだった。


まだまだ訓練が足りないのか。身体能力の衰えか。



おから と 喜久酔 特別本醸造



蕎麦中毒を治す気持ちはあっても、お酒の中毒を治そうとは思わない。


第一。蕎麦屋に入っては、まずは蕎麦前というのが礼儀というのだ。
ああ、さすが礼儀を忘れていない。自画自賛なのだ。


うんうん。やっぱり美味しい。

安定しているってこいうことをいうのかもしれない。

思い描いた味があるって嬉しいことだと思う。


嬉しさの余りだろうか、
私にしては珍しく、その後の写真が残っていない。

自分でも「こういうこともあるんだなあ」なんて思う。


しかし、記憶を呼び戻すと葵天下の大吟醸は本当に美味しかった。
うーん、どうして画像がないんだろう。



かろうじて、画像が残っていたのは富士山も驚きそうな蕎麦の姿。
こちらは、二枚目の福井県産。




眠の福井ときたら、
他とはまったく違う味がしてならないのだがら、どうにも比べようがない。

結局のところ、お酒に気持ち良く酔わされ、蕎麦に足りなかった空間を満たされて、
写真も、昨年の反省も、今年の豊富も忘れて来てしまったのだろうと思う。


まあ、私にとってこういう生き方が理想なのだと段々と悟ってきた。
だから、これも良しとするのだ。



帰りに秋葉原駅のあたりでアイドルの名前を大声で張り上げている集団にあった。


ふふん。
私も昨年から練習したAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」のダンスは

宴会で披露できるほどの腕前になったぞ。



どうだ。勝負だ。




暮れ近くになって、勤務地が変わった。


とは言っても以前に通っていた場所なのでそれほど抵抗はなく、
『あー、またあのお蕎麦屋さんに行けるんだ』なんて浮かれた気持ちでやってきた。


しかし、この甘い考えはやはり駄目だったようで、
時代と共に変化した業務を詰め込んで勉強する日々が続き、
情けないことに、私の灰色の脳みそは簡単に悲鳴をあげてしまった。


見た目も一気に老けような気がする。


寒い風に吹かれながらトボトボと歩いた先に、
以前と変わらない竹の姿を見つけたときは思わず涙をこぼしそうになった。




ご主人が席をすすめてくれる。
今日は、花番さんがいないようだ。


お酒のラインナップが増えたかもしれない。
壁によく知っている銘柄の張り紙がみえる。


けれど、やっぱり。
黒牛




このポリシーを感じる味と香りがたまらない。

ワインも紹興酒も好きなお酒ではあるけれど、

日本酒のこの旨みと甘みと言ったら他では絶対に出せないと思う。


だから、求めていた味を口にすると『あー、これだ。うんうん。』なんて、
自分の周りをクルンとベールで包み、世界に入り込んでしまう。


一人飲みを続ける理由は、ここにあるのかもしれない。



こんな寒い日は、優しいお豆腐や





味噌の味に癒される。





そうそう、こちらは
鴨の陶板焼き がおすすめ。




あつあつで、近づくとグンと香りが攻めてくる。

醤油と出汁の味がたまらなく美味しい。

程よい歯ごたえが、食べているんだと分からせてくれる。



お蕎麦






香り豊かで、蕎麦らしい強さを感じる。





それに、ツルンとした鴨の肉団子と葱の甘みが加わるのだからたまらない。

そう、日本に生まれたことを感謝する瞬間なのだ。



すっかり、温まり気持ちよくなってはいるが、
現実逃避するほど酔っぱらってはいない。


今日も良い酔いかたができたと思う。


ああ、明日も頑張ろう。





食べものには旬と呼ばれる時期がある。


もちろん、そのことは知っていたし、

少なからずその恩恵にあずかって来たことも、嬉しい事実として受け取っている。

旬となれば、柔らかな甘味を増したり、
芳醇な香りを醸し出したり、溶けるような脂がのることだって・・。

と、まあ。

それは自分自身の記憶に基づく条件反射だと思うのだけど、
体験にないものはそう簡単に想像できるものではない。





36か月熟成の最高級イベリコ生ハム




生まれて初めての体験。

噛めば噛むほど旨みが出て、香りが飛ぶように広がる。


どこか森林のような爽やかさを感じる。


これは、すごいっ。




香り高いアルバ産白トリュフを半熟卵とポレンタと共に




白トリュフの味を知ってしまった。

そう思うほど、麻薬のような魅惑的な香りなのだ。

今まで、こういう食材が存在することを知らなかった。


この香りとポレンタの油と半熟卵が絶妙なバランスで調和するのだから、
不思議の国に迷い込んだようなクラクラした気持ちになるのも仕方ない。




こんな迷走気分でワインをいただく。


ワインも相当に素晴らしいワインなのだ。

日本酒ばかり飲んでいた私には、ワインの知識はない。
『白は酸味を楽しんで、赤はタンニンの味を楽しむ』なんて、自分でそんなことを勝手に思っていた。



ルノワ 1979年





私がいただいては申し訳ないほどのワイン。


そんな後ろめたさを感じながらいただく。



軟かな酸味が先に来たと思ったら、優しい香水のように気持ちよく広がって消えていった。


なんて、儚い。

熟成したワインとは、こういうものなのだろうか。


ふたくち目は、少し濃く感じる。


注いだ瞬間から、香りが変わっていって、
その後を追うように味も変化し続けるのだ。



ワインてすごい。




蝦夷鹿のソテーをポワブラードソースで セップ茸のフリカッセと栗と共に




この季節なら、やっばり鹿。


鹿特有の赤い肉を見つめて、
すっと吸い込むように口に入れるともっと深い森に迷い込んでしまった。


熟成、柔らかさ。


ソースと肉の相性に、焼き加減まで、計算された味と香り。



フレンチのすごさとは、こういうものなのかなと思う。

和食とは、楽しみ方も体で感じる場所も違う。


全身で食事を感じることに変わりはないが、
ズンと響いてくる場所が違うのだ。


いただいたものを体の中心に閉じ込めるような、
満たされた気持ちに酔いしれながらデザートに手を伸ばしてみる。





周りが映り込むほどツルンと綺麗なアイス。


クリームブリュレにスプーンを立てると、パリンと音を立てて割れる。


バニラもクリームも全てがいいものであることを、胸を張って話しかけてくる。


その言葉に何の疑問も感じない。


偽りがないとは、こういうことを言うのかもしれない。



キラキラ光る六本木の街並みに、加速する酔いを感じて帰宅。


翌朝は、現実と夢の中間のような錯覚の中で目が覚めた。


夢って見るものだろうか、それとも叶えるものだろうか。



ふと、そんなことを考えてしまった。