中断された生 フーガの技法、グレン・グールド (ESSAY CLASSICAL MUSIC 1) | 月夜の出来事 - 今村幸治郎 -

月夜の出来事 - 今村幸治郎 -

音楽と文学をこよなく愛し、とっても温かく、優しく、
ユーモアであふれていた愛すべき
色鉛筆画家今村幸治郎 (1953-2018)。
彼の日々の想いや考えを綴ったブログ 月夜の出来事。
現在は幸治郎の甥にあたるたかちゃんの協力のもと
息子である今村 遊が更新しています。

 

2007/01/11 02:11 に今村幸治郎の綴ったブログです。

 

グレン・グールドは僕の大好きなピアニストだが、彼の事を好きになったのは遅く、20歳を過ぎてからだった。もちろん、名前は知っていたし、ピアノの奇人としてクラシック好きの人達の間では言われていたし、僕の周りのクラシック好きの友達からは、いかに彼が変わっているかという事を聴かされていたのだった。それに、ピアノそれ自体にとてもうるさいらしいなどという事も聴いてはいた。それで聴かされた、グレングールドのレコードは、ちっとも変わっているとは思えなかったのだ。歌さえ歌ってしまう時があるといっても、何しろこっちは、バド・パウエルのライブ盤、でピアノより大きな唸り声の”ホット・ハウス”、も聴いているし、歌うと言っても、ヒヤーなどと、奇声を上げる、キース・ジャレットもいるのだった。ジャズを毎日聴いているものにとっては、ちっとも変わっていなかったのだ。それにそのとき聴いたレコードの音は籠っていて、とても、ピアノの音にうるさいとは思えなかったのである。これは、後に理由を知る事になった。それは、グレングールドのせいではなく、コロンビアのレコーディング・チームが悪いのだった。彼の歌が聴こえない様に音をしぼっていたのだった。その事は、グレングールドのレーザーディスクで解った事だった。そして、彼等は、まったく彼の天才を理解していないのだった。もう、見ていて、ぶっとばしたく(失礼)なってくる。彼を馬鹿にしているのでは、と思うシーンも登場する。やっぱり彼が理解されるには、時間が掛かるものだと思った。とにかく、60年代のコロンビアのスタッフは、馬鹿すぎます。ジャズのセロニアス・モンクのレコーディングでも、やはり、モンクを馬鹿にして、彼を怒らせているのですから。僕にはグレングールドの歌を歌うところがすごく好きです。音をしぼるのがまったく理解できないのです。音をしぼった結果、音が籠って聞こえたのです。スタジオの録音風景では、モニターにアルテックA5が使用されていました。いい音でした。あのままでよかったのです。
 ところで、グレングールドは50歳を過ぎて、2度目となる、”ゴールドベルグ変奏曲”を吹き込むとすぐに、急死してしまいました。びっくりしました。それは、確か,カミュが言っていた、レコードを叩き付けてレコードが割れた様な、中断された生というものを感じた瞬間でもありました。また、それは、ソニーで発売されていた、”The art of Fuga"のレーザーディスクのグレングールドの映像とも重なり合いました。この曲はご存知の様にJ・S・Bachの最後の未完成の曲なのです。ここでグールドは、最後の音が終わると、スパッと手を引くのです。その瞬間ドキッとします。こんな終わりのレコードが今までであったでしょうか,しかし、本当の終わりってこういうものなのかも知れません・・・。