西洋的「個人主義」は、全く違う歴史的背景を持つ日本に輸入された時に、好き勝手と自己責任論に置き換わってしまったが、

征服し征服されを繰り返していた、狩猟民族系の人々は、恐らく民族や国家全体をパズル、個人をピースと見立てていて、

国家とは、民族や血統の異なる異質なものの寄せ集めであることが前提にあり、

統治とは、違うものをいかに上手く噛み合わせ、国家ひいては自分の民族と血統の利益のために機能させるかであり、

その中で生まれたのが、唯一絶対神だったのだろう。

個人単位では、ピースは一つとして同じ形はないが、属する集団を機能させ維持するには、一つとして欠けてはならない、かけがえのない存在であり、平時は貢献の意識でもって、そのピースでなければできない役割を果たすこと。

役割を与えるのは神あるいは創造主であり、才能や能力もその役割を果たすべく与えられたものであるから、好き勝手に扱うことは許されない。

そして、緊急時において、一人ででも行動できる精神を有しているのは、あえて横並びを避ける事で全滅を免れる知恵でもある。

こう考えると、個人主義とは、個人単位で見れば、一枚岩ではなく一見バラバラに見えるが、国家や民族の生き残りといった、全体の事を考え作られた概念であるように思う。