松山市民の理想の進路は地元の愛光中高から東京大学である。済美平成は愛光ほどではないが愛媛では他の私立中よりかなり上とされる。
愛光中は四谷大塚で偏差値58ないと入れない。済美平成中は52くらい。俺がエスカレーターで幼稚園から上がった愛媛大学付属中は42だ。
済美高校特別進学コース、初めての入学試験に合格したのがいまでも忘れられない、推薦だが。一流ではないが、なんとか進学校の部類に入る。国公立には毎年100人程度入っている。
済美高校一年生。相変わらず成績は中の上。二年で文系・理系が分かれるので進路をきめないといけなかった。
理想は言うまでもなく首都圏の私立医学部である。しかし、難しいであろう。というのも学力的な事情もあり、理系には向いていない。
とすれば、東京大学文科3類の後期か一橋大学法学部後期の私立文系型入試か、くらいかと考えていた。無理なら早稲田か慶応。
学部も、もちろん理想は早稲田なら政経、無理なら最低でも人科。慶應ならSFC(当時は早稲田政経政治より偏差値2つも上で私立文系トップだった)、無理なら商。
高校2年になり、一つの転機が訪れた。ケーブルテレビのMTVで当時カリスマ的人気を誇っていた、昔のレペゼン地球をもっと過激にしたようなアメリカの番組、jackassの放送である。
アメリカの大学に行きたい、と思うようになった、新たな刺激になったのか見違えるように良く勉強するようになった。
リズムをつかんだというか、目の色が変わってきた。
夏の河合全統模試。いきなり早稲田大学人間科学部がC判定(合格可能性40~60%)。正直目を疑った。英国2科目だけの数値であったが、紛れも無く人科の合格可能性(40~60%)とのこと。残念ながら3科目だと依然として早稲田政経はおろか社学教育もE判定(合格可能性20%以下)。
しかし、主要科目である英国で点が取れていた。あと1年半あればもしかするかも。アメリカの大学もいいが早稲田ブランドも捨てがたい。いきなりの朗報に夢膨らませた。
3年初の模試。突然早稲田人科がA判定(合格可能性80%以上)。早稲田大学第一文学部C判定。まぐれで英語ができただけのこと、しかしまぐれでも早稲田A判定がでるだろうか。ここで初めて俺の非凡な才能を感じた。A判定はあくまで2科目の模試で、3科目では依然としてE判定であった。
しかし、早稲田人科は完全に射程圏内に入った。これなら夢の本キャンである第一文学部も華麗に受かるだろう。
しかし、現実は厳しかった。7月の模試、第一文学部はE判定(合格可能性20%以下。要志望校再検討。)次の模試もその次の模試もE判定が続いた。人科にも届かない日々が続いた。少し見込みが甘かった。高校2年次にかなり伸びていたので、つい高望みをしてしまった。
秋になりやっと才能が開花してきた。悲願の第一文学部C判定。しかし、遅い。この時点でC判定では、少々厳しい。あらためて、ここで日本史を切り捨てようか考えた。早稲田の本キャンは一文以外3科目やらないといけない。これは負担がかなり大きい。
だからこの時点で本キャンを深追いすると、科目が多いので力が分散し、一文に対してかなりブレーキになる。
早慶ほか私立受験では最悪である。結局一文人科がダメな場合、マーチということになる可能性が強い。まさに天国と地獄。ここにきて偏差値一覧表には現れない、そして生半可には受験することすら許されない早稲田の崇高な高い壁をヒシヒシと感じた。
模試判定はCが続く。ただ、今まであまりよくなかった3科目模試で初めて法政B判定が出た。日本史が上がってきた。国語も偏差値63だったのが、一気に78まで上がってきた。
12月、早稲田模試、人科の判定はB(合格可能性60%~80%)。思わず鳥肌がたった。ついにこの日がきた。父親の喜んだ顔が目に浮かんだ。しかし、同時に緊張が走った。最も難しい展開になってきた。
センター試験でマーチを押さえたかった。しかし状況は厳しかった、結局センターマーチは断念し、獨協法と國學院経済と国士館政経とした。ここにきて冒険は避けたいところだし、妥協した。

気が向いたら続き書きます。