宿泊旅を書く前にネタがなくなりそうだし…
大変だった最近の我が家の事件簿…と感じた事…覚書
その1
9月下旬。朝、足が痛くて歩けない…と父。
午前中に車でかかりつけ医に連れていき、“たぶん痛風だと思うけど、尿酸値を下げる薬は飲んでるからなぁ…”“〇〇センターの紹介状を書いてあげるから一度見てもらおうか”
“ちょっと待って下さい。そこは以前同じ症状で処方された薬の副作用で、急遽入院するハメになったので、できれば違う病院へ”。
午後から兄に車を出してもらい、私がお世話になっている大学病院へ。50肩が痛いのに、慣れない車椅子を押し押し病院内をあちこち。トイレに連れていき車椅子から立ち上がるのも、父も私も一苦労
レントゲンや採尿や採血やらで、診察が終わったのが17時
病院だからすぐにタクシーが来るかと思いきや、待つこと1時間以上…。雨は降ってくるし、アプリで検索しても近くにタクシーはいない…
兄にLINEしたら“どうぞごゆっくり”ってそうじゃないだろーーー
結局父は尿酸値も高くないし、肝臓も年相応。処方されたのは痛み止めだけ…。ビールを毎日1日5本くらい飲んでいたのに…
2週間後の診断では“やはり尿酸値も正常だし、痛風だったとは言えないなぁ…”て。
その頃には杖で歩けるようになり…
89才、どんだけ体力あるんだ!この人は!
その2
10月下旬、兄が怪しいゲホゲホ咳をしていたのだけれど、父にも移ったようで
最初は市販の咳止めを飲んでいたけれど、症状を言ってかかりつけ医に薬を出してもらい、帰ってくると階段を這って上ってくる。体に力が入らない様子
ゲホゲホから、ぐおっほんぐおっほんになり、夜もひっきりなしに、げぼーーげぼーー息もゴロゴロ…尋常じゃない喉の痛みらしく、水さえ飲むのが一苦労で。これはもしや
ついにはベットから体を起こすこともままならずトイレまで歩けないので兄と2人がかりで、紙パンツを履かせてそれでも粗相しまくりで
夜中、どしーーんガッシャンとすごい音がしたと思ったら、トイレに起きようとして仏壇の扉に手をかけて倒れたらしく、扉も壊れて手の平も切ってるし
何を話しかけても、一点を見つめて一言も発せず動けずこれはもうやばいかも
翌朝まで待ってかかりつけ医で地元の中型の病院の紹介状をもらって、なんとか連れて行くと…
(外出すると、ちゃんとした服を着てしゃきっとする見栄っ張りな父)
幸い肺は綺麗だけど(あれだけ咳き込んでいたのにやはりすごい体力)、脱水症状を起こしているから入院して点滴をした方がいいかもね。と
でも夜も気になって全然眠れなかったから入院してくれた方が楽かもとも思った…。
入院の手続きをしていたら…
“ちょっと待ってコロナ陽性が出てしまいました。うちでは受け入れてないから、どこか探そう。〇〇センターがいいか”“そこはあんまり…この間、大学病院に行ったので診察券がありますが…”“近いし〇〇センターがいいよ。救急車呼ぼう”
まじかーーー
初救急車だわ。12時過ぎ、車で5分ほどの病院へ到着したものの、救急車の中で待つ事2時間“発熱外来が混んでいるみたいです”
コロナだから外にも出してもらえず父もストレッチャーの上で辛そう。もぞもぞ私も腰が痛くなるし辛い
ようやく病院内に入れたと思ったら“ここでお待ちください”と隔離され…
またレントゲンと採血をしたらしかった…1日に2度レントゲンて…情報共有してくれないのか
私の後に来たおばちゃんが“ここで待つように言われたけどいつまで待つのかしら”と、たまりかねて話しかけてきた。“かれこれ1時間以上は待ってます…”“あなたがそれだけ待ってるということは、私はその後よね…”
おばちゃんとなんやかやと身の上話をしていたから、少しは気が紛れたかも。救急車でここに運ばれることになった時に“ここか…と思っちゃって、評判良くないわよね”て。“わかります私もそう思いました”
そして担当医がやってきて“目を通してサインをしておいてください”とあっさり渡された紙には、身体抑制の全てにチェックが入っており…
え?
暴れた人を抑制するんじゃなくて
すぐにネットで調べると、今は拘束は縮小の方向になってきていると書いてある。
担当医に訴えても、父の場合は高齢者だし、知らないところに連れてこられて暴れるかもしれないので初日から拘束します。点滴を抜いてしまったりするので…と父はそんな事しないと思う
病院側の負担をなくす為とはいえ、そんな状態で入院させたら、脱水症状やコロナが治ったとしても頭も体も完全におかしくなって廃人になってしまう
“抑制によって歩けなくなったり、血栓も出来やすくなります”“延命治療はどうされますか”
え?そんなことまで今聞くの
お医者様も高齢者を拘束したらどうなるのか、もうわかっているのであろう…。歩けなくなる事前提のリハビリプランも渡されたし…。
延命治療はしませんと言ったけど、“お父様も同じ意見なので一致していてよかったです”て。そうやって高齢者が葬り去られてきたのね…
単に点滴をしてもらおうと思って連れていただけなのにこんなことになろうとは…
“コロナ陽性なので2週間面会はできません”。
もしかすると父の姿もさっきの救急車の中が最後なのかと思ったら悲しくなってきちゃって…これはサインはできないかも…兄に状況をLINE。
“どーゆーこと!?サインはするな!車で迎えに行く”
今回は、すぐ来てくれた
結局、入院はさせずに連れて帰ることにしました。おばちゃんに挨拶をして帰る。
おばちゃんも同じ説明をされていた…どうするんだろう
連れて帰って、それで呼吸が止まっても思い残すことはない。病院で拘束されて亡くなるよりはいいだろう…
5時半、ようやく父奪還
私は朝ごはんを食べない人だから、朝から飲まず食わずでもうヘロヘロでした
父は声はがらがらだけど“月がきれいだね”なんて言いながら、外の空気を吸って、杖をついて自らの足で駐車場まで歩き…。
あんなに喉が痛いと言っていたのに、よほどお腹が空いたのか家に着くなりバナナ2本をペロリと食べ、テレビを見ながら新聞を広げて、家を満喫しておりました。やはり家がいいよね。うんうん。。
…その後…
2日後には朝からビールを飲んでた脱水症状だって言われてるのに…おいおい
どんだけ体力あるんだ!!すごい回復力!!
だけど、もうあまりとやかく言わずに好きにさせてあげよう…と思ったなり。
私は翌朝一瞬熱が出て、“ついにコロナデビューか”と思ったけど、喉も痛くないし咳も出ない。鼻水は止まらなかったけど
ゲホゲホコロナ菌を浴びながら、つきっきりで世話をしたり、病院に連れていったり
“お前はよく大丈夫だな”と兄。“ワクチン打ってないからかね”“さすが免疫力すごいな”
ワクチンを打っていない私が一番元気ってなんなんでしょう(兄は1回、父は3回)
私はコロナ禍でもTVでやっているような時間をかけたしっかり手洗いやうがい、徹底した消毒なんてしなかったし、その手で料理を作ってみんな食べていたし、旅行にも行きまくっていたし、
やはりワクチンより過度な消毒より
自己免疫力て大事!だと思う
自ら免疫力を落とす事はしたくない。
私はいわゆる標準治療を拒否して5年目に突入。担当医に大変な事になると散々脅されたけど、抗がん剤をしたら元気な細胞も殺しちゃうし、旅もできないし、いつか再発するなら心と体に悪い事はしたくないと、手術だけで闘病はやめた。(記録に詳しく書こうと思っているけど、いつになるか闘病日記になっちゃうのと、イラストも描いてあったけど…)
あ、変な民間療法とかはしてませんよ。ふつーーの生活を続けているだけ。あ、父から話が逸れたね
でも、父を入院させていたら今頃どうなっていたかビールを美味しそうに飲んでいる父を見て思う
明日どうなってもいいように、人生悔いなく生きる!!
父にもそうあって欲しい!!
心と体が喜ぶことしよう!!
兄ともお互いに“何かあったら延命治療はしないでね”と心に誓いました。私は、リビングウィル(生前の意思表明)はもう書いてあるけど
そんな我が家の事件簿でした…。
今は父共々、通常運転なのでご心配なく
じゃらんクーポンをGETして、頑張ったご褒美にポチってしまったしふふふ