こってうしのブログ不定期便

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純子ファミリーの皆さん、今晩は!
 
昨夜、ついにSONGS二回目の出演となる純子さんの特集が放送されました!
 
既に伝えられている通り、現時点で再放送の予定は無い様ですので、純子ファミリーの皆さんの視聴率はかなり高かったと思われます。純子さん御本人も日本での活動再開のきっかけとなった番組ですし、こってうしにとっても積年の想いが実現した思い入れのある番組です。
 
【7/5 追記】
NHK総合チャンネルで7月12日(金)午前1:30~午前2:00 [木曜深夜]に再放送決定!
 
という訳で、この番組だけはしっかりと記憶に留めておきたいという意味もあり、当ブログでしっかりレポートし、記録に留めておきたいと思います!
 
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■夢はシンガーソングライター
 
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8回ポプコン大会プロデビューのきっかけとなった「雨の日のひとりごと」で優秀曲賞を受賞した時の映像。
(注)この辺、詳しくは以前の拙稿『緊急特集! 4月6日放送のNHK SONGSを○○倍 楽しく見る方法?【増補改定版】』をご参照下さい。
コッキーポップTVは日本テレビ系列で放映されましたが、世界歌謡祭等も含め、映像はフジテレビさんに版権があるみたいですね。
 
■デビュー前 思い出の街「渋谷」
 
(その1)純子さんの隠れ家(?)
 
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当時、純子さんが東京に仕事で来る度に宿泊していた渋谷のホテルです。
同じコンテスト出身者である中島みゆき、世良正則、CHAGE and ASKA、クリスタルキング等の面々が純子さんと同様、このホテルに宿泊していたそうです。
 
見たところ、外観はそれ程、新しくはなさそうで、当時とほとんど変わっていないのではないでしょうか? 関西人なので、ホテル名等詳しくはわかりませんが、純子さんが「家」と呼んでいた位ですから、純子ファミリーにとっても「聖地」と呼べる場所の一つなのかもしれません。
 
【追記】ヒデさんからの情報提供で、このホテルは「渋谷東部ホテル」と判明。
     東京方面への出張や旅行に行かれる方は、一度、宿泊されてみては如何でしょうか?
 
(その2)
旧エピキュラス スタジオ
 
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1978年のデビュー曲「思い出は美しすぎて」のレコーディングで使用したスタジオです。少し調べてみますと、現在は「エレクトーンシティ渋谷」というヤマハさんが運営する施設に変わっている様です。
 
同スタジオに関して、笛のおっちゃん」こと旭さんの解説を引用させて頂きます(御本人の承諾を得ております、ありがとうございました!)。

渋谷のエピキュラスは、元ボーリング場だったのをヤマハが買い取って改造したものだったが、 どちらかと云えば、ヤマハの音楽教室(?)や、イベント会場としての方がメインだった様に思う。
録音スタジオは、中くらいの大きさだったが、黒っぽい内装、控えめな照明のせいか、暗い感じのスタジオだったが、なんとなく格好良いスタジオ、と云う印象もあった。
当然ながら、ヤマハ関係の録音が多かったと思う。 中島みゆきさん達が活躍した、あの「ポプコン」のリハーサルも、このエピキュラスでやっていた。 後になって、エピキュラスと云うと、目黒の大鳥神社の横に有る、ヤマハの地下のスタジオを指すように成ったが、あそこも元はボーリング場だった様だ。 

 
デビュー 20歳の試練
 
「思い出は美しすぎて」のレコーディングはかなり難航した様です。最初のフレーズ「やさしく~」をなんと何百回!も歌い直したそうです。
これまでアマチュアの立場で自由に作詞&作曲し、自分のスタイルで歌っていた純子さんにとって、レコーディングでの度重なる駄目出し?はかなりの苦痛で、自分にはこの仕事は向いていないとまで思いつめたそうです。
 
しかし、結果は12万枚のセールスを売り上げ、一躍脚光を浴びる事になります。
 
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■ヒットに恵まれなかった苦悩の日々
 
2枚目のシングル「さよならの言葉」は2万枚にも届かず低迷、スタッフからも「名古屋に帰った方が良いのでは」とまで言われたそうです。同じ内容が関西テレビ「よーいドン!」の中でも再現ドラマ付きで取り上げられましたね。
 
■「みずいろの雨」誕生秘話
 
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原宿を歩く純子さんの視線に「表参道 神宮前五丁目」と書かれた歩道橋が見えます。関西人にとっては?ですが、ここがあの「みずいろの雨」が生まれた事で有名な歩道橋。
この場所も純子さんの「聖地」としていつまでも残っていて欲しいですね。
ご存知の通り、みずいろの雨」は59万枚の大ヒット、前作とはうって変って、レコーディングスタジオのスタッフ全員が総立ちで純子さんのレコーディングを期待を込めて見守っていたそうです。
 
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定番となった黒のジャケット&パンツスタイルで「みずいろの雨」を歌う純子さん。磨きのかかった歌唱力に加え、八神組メンバの演奏もお見事で、もう何も言う事はありません。
 
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ドラム担当のひぐちしょうこさんの周りに張り巡らされたアクリルのパーティション。これを見た時、アクリルに写るメンバの姿を狙った演出なのかなあ?と思いました。しょうこさんのツィートによると、ドラムの音が大きく、ボーカルマイクに被ってしまうのを防止するためだそうです。納得!
 
■トップシンガ-への道
 
以降、「思い出のスクリーン」(1979:24万枚)、「ポーラ・スター」(1979:24.5万枚)、「Mr.ブルー~私の地球~(1980:30万枚)」を始め、ヒット曲連発の純子さん!
1980年には「パープルタウン」(60万枚)「第31回 NHK紅白歌合戦」への出場を果たします。
ここで紅白歌合戦の事が出てきました。何か予感させませんか!
 
■アメリカ進出という「夢」
 
1983年、全曲英語の歌詞によるアルバム「I WANNA MAKE A HIT WIT-CHOO(恋のスマッシュヒット)」で全米デビューします。当時、こってうしはそのジャケット写真を見て衝撃を受けたのを記憶しております。
 
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しかし、ご存知の通り、ヒットにはつながらず、ヤマハから離れる事に。
これを機に語学の大切さも痛感。1986年、純子さんが28歳の時、イギリス人音楽プロデューサであったジョン・スタンレー氏と結婚、翌年アメリカへ移住しました。
この辺を境に、こってうしも純子さんから遠ざかってしまいました….。
 
■29歳の決断 アメリカへ移住~「音楽」と「子育て」の両立
 
アメリカへ移住してからも、ロサンゼルスでの初ライブ(1990)を始め、コンサート等、精力的に活動されましたが、二人の子供の出産を契機に子育てに情熱を傾ける様になり、2000年には活動を休止します。
 
そんな生活が続く中、ある時、純子さんの友人から向けられた一言、「自分の幸せ」は人の気持ちによって左右されるものではいけない」という言葉で、歌うことが純子さん自身にとっての本当の「幸せ」である事に気づかされ、日本での活動再開へとつながったのです。
 
■25年ぶり 日本で音楽活動を再開
 
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6月9日のパルテノン多摩でのコンサート会場での映像へと続きます
曲は「Take a Chance」
観客全員が総立ちでこぶしを振り上げ、会場の熱気がビンビン伝わってきます!
ただ、願わくば、会場かスタジオでのフルコーラス映像を放送して頂いていれば、SONGSを見た多くのファンに、純子さんの今の姿を知ってもらえる事が出来たのではないかと、個人的には少々残念に感じています。
 
   「Take a chance」八神純子
 
■ファンが待っていた「パープルタウン」
 
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先週の予告編でも放映された、上下ジーンズ姿でバッチリ決めた純子さんが歌います。八神組の皆さんの演奏に、ストリングスが加わっています。
「みずいろの雨」でのパンツスタイルもそうですが、個人的にはワンピースよりも身体にフィットしたパンツスタイルが純子さんには凄く似合うと思うのですが、皆さんは如何でしょうか?
 
■「約束」大人のラブソング
 
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16年ぶりのオリジナルアルバム「Hear I am」を発表、この中にある世代を超えたラブソング「約束」です。ずっと昔から年齢の壁が無いラブソングを書きたいと思っていた曲で、聞いた人が「恋心がそそられる」感覚を「揺さぶる」曲だと純子さんは考えていそうです。
 
アルバムの中でも好きなファンが多い曲ですが、今回は純子さんの弾き語りと溝口肇氏のチェロを迎えてのスペシャルバージョンです。
思わず、大人だけの特別な世界に引き込まれてしまいます。
 
    「約束」八神純子~2013年4月26日 富士市文化会館ロゼシアターで収録
  
■あっという間の30分~放送を見終えて
 
それにしても、30分は短かったなあというのが正直な感想です。
 
デビュー当時から現在までの純子さんの歩みをふりかえりながら、今の純子さんの歌声もお茶の間に届けるという意味では、番組としてうまくまとまっていたかもしれません。
 
ただ、こってうしも含めた純子ファミリーの皆さんには少々物足りない感じがしたのではないでしょうか?
 
前述しましたが、「Hear I am」から「Take a chace」や「Rising」といったリズム感があり、パンチの効いた(表現が古~っ!)曲を1曲でも良いのでセットリストに加えて頂けたら、こうしたファンの溜飲も下がったのではと思うのですが、こってうしだけのわがままでしょうか?
 
とは言うものの、こうして、念願のSONGS出演が叶ったのはすごく嬉しい事に違いありません。
 
ところで、偶然なのか、次回はあの高橋真梨子さんの特集です。
 
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(一言メモ)真梨子さんが抱える数字は、今年がデビュー40周年という意味。
 
先日、純子さんが出演された関西テレビ「よーいドン!」でも取り上げられていましたが、高橋真梨子さんと純子さんは非常に仲が良く、純子さんが慕っていたお姉さん的存在です。
SONGS予告編では、もう一人の仲良し、尾崎亜美さんとの対談もある様です。
★こってうしはお二人とも大好き!
 
純子さんとの三人での対談が実現していれば最高だったのに、少し残念です。もしかしたら、お二人の対談で純子さんの名前も出てくるんじゃないだろうかという淡い期待をしながら、次回のSONGSもチェックするつもりです。
 

【6/29 追記】
この日放送された「SONGS 高橋真梨子さん特集」で、高橋真梨子さんと尾崎亜美さん、お二人の対談の模様が流れました。
 
真梨子さん「ベドロ&カプリシャス」(二代目ボーカル)を1978年に脱退後、「あなたの空を翔びたい」でソロデビューしました。この曲を提供したのがシンガーソングライターの亜美さんでした。その当時からお互いの家を行き来した大の仲良し二人組だそうです。
 
現時点で今回の再放送は未定の様ですので、番組を見逃した方の為にお二人の会話を再現します。
 
(真梨子)
 「よく飲んでたね 昔は!」
(亜美)
 「飲んだ!真梨子ちゃんのところによくお邪魔して飲ませていただいたり」
(真梨子)
 「逆もあったし」
(亜美)
 「あったしね」
(真梨子)
 「なんか、本当にあの時期は私たちもすごく楽しい時期だったなぁって!」
(亜美)
 「濃密でしたね」
(真梨子)
 「うん」
(亜美)
 「私 友達いっぱい連れていったね」
(真梨子)
 「そう!」
(亜美(真梨子)
 「渡辺真知子ちゃんと八神純子ちゃん!」
(亜美)
 「うるさい小娘3人でね。たまたまね、私が酉(とり)年(1957年)で、
 純子ちゃんが戌(いぬ)年(1958年)で、真知子ちゃんが申(さる)年
 (1956年)だったんで『桃太郎の家来みたいだね』って。
 『真梨子ちゃんに呼ばれたら行くよ!』って よくお邪魔した(笑)」
 
こってうしの期待通り、純子さんのお名前が飛び出しました!
亜美さんの証言から、真梨子さんは当時「ゴッド姉ちゃん」的な存在だったんですね(笑) 高橋真梨子さんと小娘3人組が当時どんな会話をしていたか聞いてみたいものです^^)。

 
あっ、そうそう、昨日オリックス劇場のチケットが届きました!
座席は抽選で決まる方式でしたが、1階のかなり良い席GETできました。
 
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では!