人間は理性のある賢い動物なので、良い記憶よりも悪い記憶の方が頭に残っている人が多い。
10のいいことがあったとして、1の最悪な出来事があったらいいことが霞んでしまう。
逆をいえば「最悪な出来事」が先に来るか後に来るかで考え方もまた変わるのだが、SEXにおいて「痛い経験」が先に来ると致命的になる。
何故なら、痛いことは本能的に体が反応してしまうからである。
歯医者が良い例だ。
痛みがくると反射的に体が動いてしまう。
つまり、「SEXでの痛い経験」は自分の意識とは関係ない部分で本能に刻まれてしまうのである。
濡れる、濡れない、濡れにくい、勃つ、勃たない、勃ちにくい、も本人の体質や相手の愛撫の仕方によるものではなく、過去の経験というものが関係してくる。
痛みが好きな人間なら話は変わるが、大抵の人はそれを好まない。
しかもSEXは無防備な状態での行為のため、心と体、どこに傷がつくか判ったものではない。
よって警戒心は剥き出しになり、この手の話が生理的に受け付けなくなるというのも理解出来るようになる。
しかし、問題はここからだ。
「痛くない又は気持ち良いと思える相手はどうやって見つければよいのか」という壁にぶつかるのだ。
性的な話題を人に話す事が憚れるこの世の中、自分からそういった相手を探していると周知されれば白い目で見られることもあるだろう。
そこで、3つの解決方法がある。
- 自分を極める
- パートナーと話し合う
- 専門の人間に任せる
「自分を極める」のは自分の性感帯や絶頂ポイントを調べていく開発。
「パートナーと話し合う」のは信頼できる相手とより関係を深めるための最適な開発。
「専門の人間に任せる」のは知識と技術のある人間に託すという近道。
ここに数をこなせばいい、という方法がないことに気付いただろうか。
ただ闇雲に数を増やしたところで、トラウマが増える危険性を孕んでいるためオススメしない。
裸とは産まれたままの姿だ。
信頼できる相手にしか見せたくはない、と考える人は多いだろう。
全くもってその通り。
逆をいえば、信頼が出来て技術も知識もある人間となら良いSEXが出来る可能性が高くなる。
ここで重要なのが、己に満足せず慢心しないことだ。
人間の体は構造は似通ったものはあれど、寸分狂わず同じという体を持つ者はいない。
「こうすればああなる」と固まった意識を持つのではなく、「こうなることもある」「ああなることもある」という可能性の話で相手と向き合う姿勢が大切なのである。
SEXは本来気持ち良いものだ。
そこに「愛」というスパイスが入る事でより濃厚で深みのある行為になる。
「愛」を「思いやり」に変換してもいい。
「一緒に気持ち良くなりたい」とお互いを思いやれる相手を見つけることができれば、より良い性生活を送る事が出来るはずだ。
ヤリチンヤリマンが上手いとは限らない
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