『からくりからくさ』 | 手当たり次第の本棚
2007-01-30 22:17:18

『からくりからくさ』

テーマ:古典・文学
機織りというのは、そもそも、女性の仕事であり、かつ、神事でもあったようだ。
東洋でも、西洋でも、神に仕える女性は、機を織った。
物語中では、日本の言い伝えにある、水蜘蛛と、渕の底で機を織る女の物語に触れられるが、有名どころでいえば、ギリシア神話のアラクネーの物語なども、そうだろう。
神話では、アテネの怒りに触れたアラクネーが、蜘蛛にかえられてしまったとされているが、本来は、アラクネーは旗織る巫女とみなせるのだそうな。
あるいは、運命の女神を例に引いても良い。
ギリシア神話だと、これも、糸を紡ぎ、断つ三女神とされてるが、
ケルト系の神話や言い伝えでは、「機を織る女神」であるケースもあるようだ。
そういえば、ギリシア神話でも、北欧神話でも、(つまりヨーロッパ全域にわたって、しばしば)運命を司る女神……または、人々の母なる女神は、三人一組だ。
女神という座から放逐されていたとしても、メデューサを含むゴルゴン三姉妹なども、そうだ。

奇しくも、からくりからくさの家に集う若い女性たちのうち、三人が、「布」にかかわる女性であるのは、大変面白い。
一人は染める。
二人は、織る。
昔ながらの「女の手仕事」を日々営みながら、それを通じて、彼女らは、感じ、伝え、考えているようだ。
「機を織る」という仕事があるからこそ、洋の東西を問わず、古来、女は表に出せない鬱屈を発散してきたのではないかという示唆は、物語の中心に「りかさん」という人形を据える事で、更に生きてくる。

「りかさん」は、一応の主人公である蓉子が祖母から受け継いだ特別な人形で、彼女に語りかける言葉を持つ、魂のある人形なのだ。
蓉子の祖母は、人形が、魂の旅の途上、いっとき休む場所(のひとつ)である、と教えるのだけれど、たしかに、人形は「器」であるという話がある。
昔から、神事に使われる人形は、たとえばハニワや雛のように、人の身代わりであったり、
呪術に使う形代のように、人の魂を写すものであったりした。
子供の遊び相手であるならば、子供が人形を大切に思う気持ちを受ける器なのだ。
いずれにせよ、人形は、人の「想い」を受け容れてくれる器であるということだ。

そういえば、東北の「おしらさま」は、木の棒に幾重にも「布」を巻きつけたものがご神体で、(ついでに言えば、後付らしいけど養蚕との関係もあり)、女性だけがおしらさまを祭り、子供の遊びにまぜてあげると喜ぶのだそうだ。
家の繁栄とも、祖先の祭りとも関係のあるらしい「おしらさま」は、「りかさん」と、少し通じるところがあるように思う。

一方、「りかさん」の作者である人形師は、もともと、面打ちであった、と語られる。
「面」も古くから神事に使われるもので、これまた洋の東西を問わないのだが、人形と違うところは、人の内側から、ある部分を(神懸かりの状態で)外に表出させるという機能を持つ事だ。
(だからこそ、世界のあちこちで「演劇」にも使用されたわけだね)。
同じく人間の魂に関わりながら、「面」と「人形」は、どうも正反対の働きをするようなのだ。
人の想いを受け容れる人形と、人の内側から何かを引き出してしまう、面。
それを、同じ人間が人生の前半と後半で、作り上げるというのは、実に興味深い。

このように重厚なテーマを幾つもからませながら、それを布の織り目のように、うまく交錯させ、ひとつの物語に織りなしていく作者の力量は、実に素晴らしい。
いろいろなモチーフが、最初は互いに無関係でありながら、最後にはみごとにひとつのものへと、結実してしまうのだ。

さて、それでは、蓉子たちの住む家に起居する四人目の女性、マーガレットはいかなる役割を持つのか?
おそらく、それは、「りかさん」の対立的存在なのだ。
りかさんが、女性たちの想いを受け容れ、内包していくように、
マーガレットは「異邦人である」という立場から、彼女らの思いや考えを、鏡のように反射していく。
反射される事によって、見えるものもあるということだ。
しかし、「対立する存在である」という事は、「ひとつのものの、裏表」とも言えるのかもね。
それがゆえの、ラストシーンなのだろう。
そういう意味でも、物語の結末は、見事なものだ。


梨木 香歩
からくりからくさ
新潮文庫

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