『ゲド戦記外伝』 アースシーの世界を彷徨う | 手当たり次第の本棚
2005-11-10 17:01:12

『ゲド戦記外伝』 アースシーの世界を彷徨う

テーマ:海外SF・ファンタジイ
〈ゲド戦記〉あるいは、アースシーの物語は、決して、「語りつくされることのない物語」である、と言えるだろう。
全てが明解ではなく、どことなく曖昧で、あるいは語り手が口ごもったり、口早に終わらせたり、あえて口にしない事などが、あちこちにあるのに気づく。
また、そうであるからこそ、物語の世界が陰影に富み、深みや奥行きを感じさせるのだ、という事もできる。

それにしても、やはり、気になることはあるだろう(笑)。
たとえば、ロークの学院は、どのようにしてできたのか?
ゲドは大賢人でいる時に、いったい、どんな事をしてたのか?
そう、物語の中では、大賢人になる前、大賢人でなくなるちょい前、そして、その後しか語られておらず、大賢人という立場でどんな事績を残したのかは、まるでわからないのだ。
「まあ、そんなものかもね」
と納得もできるが、しかし、やはり、ちょっとは知りたい。
教えてあげるよ、と言われたら、拒みがたいだろうと思う。

さて、この本には、5つの短編が収録されている。

◇カワウソ
川でおよぐ、イタチみたいな生き物、カワウソ。とはいえ、これはその名を、通称としてもらった男の物語だ。ずっと昔、ハブナーの玉座が空で、アーキペラゴに風雲が渦巻き、魔術師達が互いに技を競い合っていた頃。アブナーにはローゼンという海賊提督が精力をふるっており、ついには僭王となっていたのだそうだ。
で、こういった海賊王は、たいてい魔術師を求め、手元に置いて便利な道具として使っていたのだけれど、一方の魔術師は(人に恐れられたり嫌われたりする職業なものだから)、こういった海賊王を通じて権力をふるっていたわけだな。
カワウソは、そんな中、船大工の子として生まれた。
ところが、生まれつき、すぐれた魔法の力を持っていたのだ!
ゆえに、ローゼンと、ローゼンに仕える魔術師にその能力を狙われた。

一方、そんな権力欲の塊たちに虐げられ、あるいは捕らえられて利用されないために、のちに魔女とか呪い師と呼ばれるたぐいの人々は、ひそかに、結社のようなものを作っていたわけだ。「手のもの」あるいは「手の女」と呼ばれるとおり、秘密の手の合図を使っていた。
カワウソは、捕らえられて魔術師に利用されながら、「手」につながる女奴隷と巡り会い、しだいに、「手」の仲間たちをたどって、後のローク島にたどりつく。
そこは、一度略奪されつくされた島で、そのために男がほとんどおらず、女だけの島だったのだけれど、ここでカワウソが学び、知識と力を身につけていきながら、島だけで孤立していっては先がないこと、魔力のあるものを招き、教え、あるいは教えを請い、知識を集め、知識を分け与える事が必要だ、という考えが起こってくるのだ。

すなわち、これは、ロークの学院がどのようにして出来、最初はどのようなものであったのかを語る物語。
また、魔女や呪い師と、大魔術師の違いについても、それとなく語られている。

◇ダークローズとダイヤモンド
『アースシーの風』でゲドが述懐するとおり、ロークで学ぶ者たちは男に限られているだけでなく、なぜか、その後も独身を通すということになっている。
なぜだろう?
べつだん、そうしなければならないという規則はないようなのに。
ここでも、魔法の才能に恵まれていた若者が、いささか彼の素質とは的はずれな魔法の修行をしなくてはならなくなるだけでなく、まさしくその修行のために、幼なじみの恋人と引き離されなくてはいけない、という話になるのだ。

いったい、主人公はどちらを選ぶのか?
アースシーの魔法の世界と、人間らしい恋心を絡めた佳作のように思えるが、歯切れの悪さもある。

というのは、アースシーの魔法は、作者の意図的なものによるのか、性的な要素について語っていないのだよなあ。
たとえば、巫女が処女であることをしばしば求められるように、(広い意味での)魔術は、強烈な性的抑圧を必要とすることもあるし、
逆に男女の性的交わりをパワーの源とする場合もある。
いずれにせよ、セックスというやつは、魔術にとって、非常に大きな要素のひとつなのだけれども。
そこを巧みにル=グィンが避けているのは、やはりジュヴナイルとして語られ始めたからなのだろうか。
そこを包み隠しているため、この物語は、結局のところ、恋物語に終始してしまう。
もちろん、恋物語としては、とても美しくピュアなものなのだけどね。

◇地の骨
これは、オジオンとその師匠の物語。
本編でも時々触れられたように、オジオンは、かつて、地震を鎮めたと言われている。
ところが、実は、その偉業はオジオンひとりのものではなかったのだ。

ゲドを受け容れ、後にテナーを受け容れ、さらにテルーのことをたぶん予見していたゴントの大魔法使い、オジオン。彼はいったい、どのような人物だったのだろう。
そのことが、この短い物語の中で、余すところなく語られている。

また、これは、究極の「変身の術」でもある。
思えば、〈ゲド戦記〉には数々の、危険な魔法と、それがもたらした災厄が語られているし、実際、魔法というものがそもそもどういうものなのかも、結末であかされていて、なんだか、あんまり魔法は良くないよねえ、というような気持ちにさせられてしまうが、いやいや。

これはとても大がかりな魔法であり、かつ、人々を救った魔法でもある。
もっとも、それが、ロークの学院正統の魔法ではない、というあたりがなかなか皮肉なのだけれども(笑)。
味わい深いラストといい、この短編は、私が本書の中でもっとも愛するものだ。

◇湿原で
ここに登場する老いた男は、かつて大変狷介な性格をしており、かつ、非常に才能豊かな魔術師だった。
ところが、慢心した結果、おのれを失うほどの目に遭ってしまったようだ。
実際のところ、これは、大賢人となったゲドと、呼び出しの長トリオンのなした、命がけの対決の結果、起こったことなのだけれど、この二人に敗れ、ローク島を出て行った魔術師は、ともかく危険な男と目されていた。

掛け値なしに、大罪人なのですよ( ‥)/

しかし、家畜の疫病がはやる湿原に姿を現した男は、いったい、どのような行動をしたのだろうか?
また、彼を追ってきたゲドは、どのようにふるまったのだろう?

慢心して罪を犯した結果、おそろしい目に遭うというシチュエーションは、『影との戦い』に似ているし、
大がかりな魔法のため、ほとんど廃人になってしまった後というのは『帰還』を思わせるところもあるが、
むしろここでは、どのような罪もあがなわれ得ないことはない、という事だろう。
あがなうことと、ゆるすこと。
そんな風に書くと、いかにもキリスト教的な道徳臭がしそうだが、
いやいや、それは、人間として身につけるべき徳というものではあるまいか。
そして、そういうテーマでありながら、まったく説教臭くないところが実に良い(笑)。

◇トンボ
これは、アイリアンの物語。
本編を全て読み終わっているのならば、『アースシーの風』で、テハヌー(テルー)と親しく交わる、女性の竜を思い出せるだろう。
彼女は、人間として生まれ、竜の本性に目覚めたひとだ。

彼女のおいたち、そして
『アースシーの風』の中で触れられている、呼び出しの長トリオンと彼女のかかわり、
様式の長アズバーと彼女のかかわりがどのようなものであったかが、わかるのだ。

アメリカでは、実際にはこの短編集の方が『アースシーの風』より先に刊行されている。
したがって、本編を読むにあたっても、『帰還』のあと、まず「トンボ」を読んでしまう、という手もありそうだ。
まさしく、この話は、時間的に『帰還』と『アースシーの風』の間に入るものだからだ。
ゲドは出てこないけれどね。



アーシュラ・K・ル=グウィン, 清水 真砂子, Ursula K. Le Guin
ゲド戦記外伝

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