地方にいる友人が
私が住む関東圏の状況を心配して
連絡くれました。


日頃から
非二元のメッセージを好む友人です。

彼女が好きなメッセンジャーの方が、

こんなことを言ってたよ、

と教えてくれました。



「日本よりも非二元が根付いてる

ヨーロッパでは

パンデミックが起きた当初も

ありのままを見ようとしないで

楽観視する非二元信者が多く、

大変なことになってから慌ててしまう人が多かったとか聞いたよ。

波動だ、私はいない、とか

言ってる場合じゃない」



とね。




時々、

「ふわふわスピリチュアルではなく、

現実もちゃんとして」

といったことも聞きます。




ふむ




私は、非二元はそもそも言葉にできないから、

言葉にしたくないのだけど、

先の言葉を受けて、あえて言うならば、

ここで何が起きようが、

ぺったりとはりついている何かで、

状態も状況も在り方全てに

その裏側に塗られた剥がせない糊、みたいな。

切れ目もない糊、すでに ここ。


だと思ってる。



ありのままをみるもなにも、

ジタバタしようがしまいが、

もう、それ、裏側に糊が張り付いてる。



と、思ってる。


そのまんまだ。


誰がどう受けとめて

どう動いても



それはただこの言葉のとおり。

そのまんま。




また、



スピリチュアルと現実も

分けることもどちらかを選ぶこともできなくて、



ふわふわだろうが、

しっかりだろうが、


現実はぜんぶスピリチュアルだし、

人間はスピリチュアルな存在だし、

いま、起きていること、

それに対処していること、

頑張って生きていること、


ぜんぶスピリチュアルのなか。


だと思ってる。




だから、

それはそれ、これはこれ、なんて、


暮らしの中のことや世の中の出来事と

目覚めやアセンションや非二元やらを


とかく定義する必要もないと思ってます。




お好み焼き食べるの好き!

お好み焼きをもっと上手に作れるようになりたい!

心の話が好き、心を強くしたい!

アセンションってなんだろう?

もっと知りたい!

と、



全て同じことで、


意識の段階(視点の違い)によって、

好みが分かれてるだけ



だと思ってます。





いまの自分の気持ちがそこに向くのならば、

そこを

一生懸命生きよう!

そこを

一生懸命頑張ろう!

そこを一生懸命楽しもう!



これはすべて

非二元、

すべて

スピリチュアル。



大切な今日という一日に

愛を込めて!!





これは昨秋、沖縄行ったときのひとコマ。この海の向こうには久高島があるんだって。




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