こんにちは、大久保琴です。
今日のマイストーリーシリーズのテーマは、「人生の山と谷」。
人生、山もあれば谷もある。
今日は、私の人生の山と谷を、3つ挙げてみようと思います。
生まれた時に、さいたいヘルニアという病気で、
すぐに救急車で運ばれ、緊急手術をし、
そこから1ヶ月半入院した私。
4歳までに3回手術をしましたが、
覚えているのは4歳の時の入院くらいで、
家族にはとても心配をかけたのだと思いますが、
私自身は、
それが辛かったとか特にそういう記憶はありません。
むしろ、人と違う経験をしていることが嬉しかった。
小学校入学くらいまでは、
毎日が楽しくて仕方が無くて、
お友達ラブ、家族ラブ。特に弟ラブ。
明日はどんな楽しいことが待っているだろうと、
毎日が希望に溢れていたことを覚えています。
今もしも、もう一度どこかに戻れるとしたら、
保育園に通っていた時代に戻りたいと思うくらい、保育園が大好きでした。
「この世に本当に悪い人なんかいない」
そう心の底から信じ切っていたのが、この時期でした。
小学校に入学してからも
お気楽テンションはしばらく続きましたが
だんだんと、「あれ?」と思うことが増えるように。
良かれと思った行動が裏目に出ることが、
かなり増えてきた気がします。
今振り返ると、
うざい子供だったのだと思いますが、
当時は、なんでそんなことをされるのか分かりませんでした。
思春期に近づくにつれ、それはエスカレートし、
クラス全員に無視をされたり、
「くさい」と言われたり。
「琴ちゃんのおかげで、人見知りなうちの子も溶け込めた」
なんて言われていた小学校入学当時が嘘のように、
私は暗く、ほとんど口も聞かず、下ばかり向いているこどもになっていきました。
でも、中学入学の頃は、まだなんとか周りに溶け込みたくて、
周りに合わせてみたりもしましたが、
それがまた裏目に出て、部活の同期を傷つけてしまい、
それが決定打となって、部活では完全に孤立。
左膝の亜脱臼という大けがも重なり、
小学校2年生から好きで続けていたバスケットボールも、楽しいと思えなくなりました。
でも、部活を辞めることもできなくて、
周りの目を気にしながら、
中3までだから……となんとか続け、
中3の頃には、少しだけ上向きになり、無事に中学校を卒業。
高校は、中学校の知り合いが1人しかいないところを選び、
新しい自分になることにチャレンジ。
ここでも生き辛さは度々感じていましたが、
中学の時よりは楽しい3年間を過ごしました。
大学はより自由度が増したのもあり、
楽しくて、充実した4年間を過ごしました。
大学卒業と共に一人暮らしを選択するも、
自分がいかに恵まれていたのかを知り、何度もホームシックに。
それでも実家には帰らず、
アルバイトをしながら役者活動をしていました。
自分の弱い部分、ダメな部分から目をそらし続け、
愚痴ばかり言い、
自分のことしか考えていなかったなと、
今振り返ると思います。
本当に色んな人に出会い、
傷ついたことも、楽しかったことも、
どちらもありましたが、
完全に周りの目を気にして生きるようになったのがこの頃。
そして、「自分は間違っていない!」と、
心が頑固になったのも、この頃でした。
そんな中、唯一私の心を変化させたのが、
共演者だった夫との出会い。
実は一度、夫に告白されてふっているのですが、
2年後に、今度は私から告白してお付き合いがスタート。
そのまま結婚しました。
夫は「本気になれば人は変われる」ということを、
身をもって教えてくれたのだと思います。