人生の山と谷の時期

 

今日のテーマは「人生の山と谷」

 

こんにちは、大久保琴です。

 

 

 

 

★私のマイストーリーシリーズ★

 

【1】発信応援プロジェクトで得たいこと
【2】自己紹介
【3】人生の山と谷の時期
【4】1つ目の谷で起きたこと

【5】1つ目の谷を誰とどうやって克服したか 
【6】1つ目の谷で学んだこと・気がついたこと
【7】2つ目の谷で起きたこと
【8】2つ目の谷を誰とどうやって克服したか
【9】2つ目の谷で学んだこと、気がついたこと
【10】3つ目の山で起きたこと
【11】3つ目の山を誰とどうやって克服したか
【12】3つ目の山で学んだこと、気がついたこと
【13】ワクワクすること、大切に思っていること
【14】避けたいこと、苦手なこと
【15】私が思う弱い自分
【16】これからなりたい自分
【17】好きなこと、得意なこと
【18】私が役に立ちたい人
【19】私の夢と目標
【20】私の究極のゴール
【21】チャレンジしてみて感じたこと


 

21個のマイストーリーが書ける

「発信応援プロジェクト」はこちらの画像から↓

 

 

 

 

 

 

 

今日のマイストーリーシリーズのテーマは、「人生の山と谷」。

 

人生、山もあれば谷もある。

 

 

今日は、私の人生の山と谷を、3つ挙げてみようと思います。

 

 

 

 

 

 

何もかもが楽しかった子供の頃

 

生まれた時に、さいたいヘルニアという病気で、

すぐに救急車で運ばれ、緊急手術をし、

そこから1ヶ月半入院した私。

 

4歳までに3回手術をしましたが、

覚えているのは4歳の時の入院くらいで、

 

 

家族にはとても心配をかけたのだと思いますが、

私自身は、

それが辛かったとか特にそういう記憶はありません。

 

むしろ、人と違う経験をしていることが嬉しかった。

 

 

小学校入学くらいまでは、

毎日が楽しくて仕方が無くて、

 

お友達ラブ、家族ラブ。特に弟ラブ。

 

明日はどんな楽しいことが待っているだろうと、

 

毎日が希望に溢れていたことを覚えています。

 

 

今もしも、もう一度どこかに戻れるとしたら、

保育園に通っていた時代に戻りたいと思うくらい、保育園が大好きでした。

 

 

「この世に本当に悪い人なんかいない」

 

 

そう心の底から信じ切っていたのが、この時期でした。

 

 

 

 

生き辛さを感じ始めた思春期

 

小学校に入学してからも

お気楽テンションはしばらく続きましたが

 

だんだんと、「あれ?」と思うことが増えるように。

 

 

良かれと思った行動が裏目に出ることが、

かなり増えてきた気がします。

 

 

今振り返ると、

うざい子供だったのだと思いますが、

 

当時は、なんでそんなことをされるのか分かりませんでした。

 

 

 

思春期に近づくにつれ、それはエスカレートし、

 

クラス全員に無視をされたり、

 

「くさい」と言われたり。

 

 

 

「琴ちゃんのおかげで、人見知りなうちの子も溶け込めた」

 

 

なんて言われていた小学校入学当時が嘘のように、

 

私は暗く、ほとんど口も聞かず、下ばかり向いているこどもになっていきました。

 

 

 

でも、中学入学の頃は、まだなんとか周りに溶け込みたくて、

 

周りに合わせてみたりもしましたが、

 

それがまた裏目に出て、部活の同期を傷つけてしまい、

 

 

それが決定打となって、部活では完全に孤立。

 

 

左膝の亜脱臼という大けがも重なり、

小学校2年生から好きで続けていたバスケットボールも、楽しいと思えなくなりました。

 

 

でも、部活を辞めることもできなくて、

 

周りの目を気にしながら、

 

中3までだから……となんとか続け、

 

中3の頃には、少しだけ上向きになり、無事に中学校を卒業。

 

 

 

 

高校は、中学校の知り合いが1人しかいないところを選び、

新しい自分になることにチャレンジ。

 

 

ここでも生き辛さは度々感じていましたが、

中学の時よりは楽しい3年間を過ごしました。

 

 

大学はより自由度が増したのもあり、

楽しくて、充実した4年間を過ごしました。

 

 

 

役者時代

 

大学卒業と共に一人暮らしを選択するも、

 

自分がいかに恵まれていたのかを知り、何度もホームシックに。

 

 

それでも実家には帰らず、

アルバイトをしながら役者活動をしていました。

 

 

自分の弱い部分、ダメな部分から目をそらし続け、

愚痴ばかり言い、

自分のことしか考えていなかったなと、

 

今振り返ると思います。

 

 

 

本当に色んな人に出会い、

 

傷ついたことも、楽しかったことも、

どちらもありましたが、

 

 

完全に周りの目を気にして生きるようになったのがこの頃。

 

 

そして、「自分は間違っていない!」と、

心が頑固になったのも、この頃でした。

 

 

 

 

 

そんな中、唯一私の心を変化させたのが、

共演者だった夫との出会い。

 

 

実は一度、夫に告白されてふっているのですが、

2年後に、今度は私から告白してお付き合いがスタート。

そのまま結婚しました。

 

 

夫は「本気になれば人は変われる」ということを、

身をもって教えてくれたのだと思います。

 

 

 

子育て期と難聴発覚
 
結婚後、劇団を退団した私は、
程なくして長女を出産。
 
こどもが大好きだった私は、
子育てがとっても楽しくて、
 
こんなに楽しくて幸せなことがこの世にあるのか!
 
と、思っていました。
 
 
この時にも、
妊娠中にものすごいつわりに苦しんだり、
なかなか小児科医や保健師さんに恵まれなかったり、
 
なぜかいつもちょっと損をするという性質は変わっていませんでしたが、
 
長女の可愛さで、昔よりも落ち込むことは減っていきました。
 
 
2年後に、またもや壮絶なつわりを経て、
次女を出産。
 
 
同時期に、
完全に母の勘で、長女が難聴であることが分かりました。
 
 
次女の育休が終わったら、
保育園にあずけて、職場に復帰して……
 
 
という、私の中で当たり前だったプランは崩壊。
 
 
 
手話の勉強をスタートし、
療育に通いました。
 
 
長女をこのまま保育園に入れて、
働き続けるという手だってありました。
 
 
でも、長女の将来を考えたら、
ろう学校の幼稚園に入れることが、ベストな選択だと思ったのです。
 
 
長女を入園させて、
 
次女の育休の終了と共に、
大好きだった仕事を退職。
 
 
起業の道に進みます。
 
 
 

 

まとめ:意外と谷多いかも
 
山からはじまった私の人生は、
小さな山はありつつも、
基本的に谷ベースで進んできました。
 
 
私、自分の人生はそんなに谷はないと思っていたのですが、
基本が谷ベースだったからなんですね……。
 
 
書いてみてはじめて気がつくことも多い、このマイストーリー。
 
 
 
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