く娘がもう切らないと決めた一年前。

気持ちのブレが完全に無くなった訳ではない。

葛藤の日々もある。

 

2018年。

 

あれから一年。

娘は一度も「切ること」をしていない。

枕の下に隠していた剃刀も今はない。

 

環境を変えようと決めた去年5月。

それから約一年をかけて、以前の家を出て引っ越しをした。

娘とふたりだけの生活を2月から始めた。

 

今年は中学3年生。

修学旅行や卒業に向けて、中学校生活の締めくくりの一年。

上級生としての自覚をもって大人になる一歩を踏み出す時期。

本当なら、その環境に入り安堵と心配を繰り返していることだろう。

その環境はうちには無い。

 

家にいる安心感。

外に出ない分、運動も勉強もない。

その分心配もない。

 

今はそれでいい。

 

それでも、小学生から続けているレッスンだけは休むことなく行っている。

唯一の外に出る理由。

友達もレッスンの子だけ。

以前のような依存する子はいない。

 

毎日何してるの?

勉強はどうしているの?

 

聞かれることは同じ。

 

何か毎日しなくてはいけないことが生きることなら、娘はもう死んでいる。

学校に行かないと勉強出来ないというのであれば、娘は何も出来ていない。

 

娘は14歳。

この年でおちおぼれというレッテルを貼られるのであれば、それは娘に課せられた課題。

どうするかは、今後自分の力でクリアにしなければいけないだろう。

それが、教育を放棄した親の責任と言うのであれば、その責任を請け負うことが私の使命。

 

「親」という字は、「木の上に立って見る」と書く。

 

『見守る』

 

私は、あの事件以来、娘を見守ることに徹してきた。

世間という風に当てられながらも、自分の意思を通してきた。

理不尽だったことや理不尽なことに悩まされたこともあった。

もうそんなことはどうでもいい。

これから社会に出ていく娘を、これからも見守る。

手助けしない訳ではない。

娘の心の糧であればいい。

 

全ての経験が娘を育てる。

 

本来、今知らないことを中傷されるようであれば、その意味を教えたらいい。

知らなくて痛い目にあった時には支えたらいい。

その時にはもう遅いと言われたこともある。

でも、その時が来たら考えたらいい。

 

娘は、死を以て私に色々教えてくれた。

その恩返しをするだけ。

 

娘が産まれて来てくれたからこそわかったこと。

娘が行動したからこそわかったこと。

 

そこには過剰な愛があり、あの出来事が起こった。

それを愛だと思い込んで追い詰めた。

 

愛の使い方を学ばせてもらった。

 

人として持っていなければいけないことを身を挺して教えてくれた娘。

 

人生の師であり、愛すべき存在。

 

今は、もっとも心許せる友であり信友。

相談相手であり、甘えられる存在。

時に子供扱いも当然する。

でも、日々の生活の中の互いの役割は、仲間。

ひとつ屋根の下に住むシェアメイト。

 

学校に行かなくても、ちゃんとした思いやりの心は持っている。

常識的なことも知っている。

クレーマーな私よりも余程人間出来てる。

礼節もしっかりしている。

家にいるからこそ、失態を恐れ、身に付けたいことには積極的に取り組んでいる。

 

確かに漢字がわからない。

九九が出てこない。

 

それも当然。

勉強としての頭を働かす動機がないから。

 

身体も固く、動きもおかしい。

身体を動かす動機がないから仕方がない。

 

与えたらいいのかもしれない。

与えられたら楽なのかもしれない。

 

でも、娘はそんなことは望んでいない。

望まないことの無理強いは、彼女を死に追いやる。

 

毎日家にいて外に出ることなく過ごす大変さを考えたことがあるだろうか。

 

自分で全て決める。

 

起きてから寝るまでのプランを全て自分で決める。

それも、規制のない世界で。

 

彼女だから出来ること。

 

だた、世に出ることで格差は確実に生じ、そこで挫折する。

そこからどう這い上がるか。

これから先何年か後には、最も人生の中で大きな試練が待ち受けている。

そこから逃げるのも隠れるのも挑むのも彼女次第。

それを知らないのではなく、知っているからこそ今知るべきことを

ちゃんと精査している。

 

足りない部分を私は補うだけ。

間違いを修正するのが私の役割。

正すのは本人。

 

ADHD(注意欠如多動性障害)・ASD(アスペルガー症候群)

アスペだからと諦めることも出来た。

その症状があるからこそ、世間と同じことが出来ないことを諦めたのはある。

でも、それが彼女のためで生きる上で必要なことだった。

 

何が正解で何が不正解かはわからない。

 

ただ言えることは、人として必要なことは、受け取る側でいくらでも内容が変わるということ。

意見の相違はその人が起こしていることで、その判断は受け取る側でどうにでもなる。

 

思いやりがあれば、人のことを良く知ろう見ようとするもの。

 

本当の意味での「思いやり」を娘にも持ってもらいたい。

 

アスペが治ってほしいとか、アスペをわかってほしいとかはどうでもいい。

気の合う仲間は、自分らしさを持っていたら必然的に集まる。

人は人でしかわからないことがあるということを知ってくれたらいい。

 

歴史は時代が作ったのではなく人が作って来たものだから、彼女の歴史は、これから自分が作っていけばいい。

 

私はその一部であれたらそれでいい。

 

その出発地点が今ここにある。

 

料理が好きでキッチンに立つことが多い娘。

ひとりにしてきたことが良かったのか謎。

でも、思いやりが見えたこの瞬間が嬉しい。

 

明日は私の誕生日。

パートナーである皇子と二人で計画してくれたお誕生会。

仕事で時間が取れない都合もあり、母の日である5月13日。

サプライズのお祝いをしてくれた。

 

娘からは、手作りのケーキと毎年母の日にくれているガラスのバラの花。

皇子からは、バッグと時計。

ふたりから花束。

 

皇子との出逢いでやるべきことが見つかり、娘との出逢いで命の大切さを知った。

 

初めての手作りケーキ。

 この日のためにお小遣いを貯めて、材料を準備してくれた。


ちゃんと思いやりの気持ちが育っている。

協力者がいることで人を喜ばすことが出来ることが嬉しいと言っていた。

 

これからは、一人ではなく周りの協力を得ながら娘は成長していく。

それはお互い同じスタートラインに立ったということ。

 

やっと卒業。

私は、私の誕生日である明日。

これまでのこと、これからのことを娘と二人で話、お祝いしようと思う。

明日は二人の卒業式。

新しい門出へのお祝い。

 

娘の15歳の誕生日には、どうお祝いしてあげようか。

今から娘の最高の笑顔を見ることが楽しみで仕方ない。

 

終わり。。。

 

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今まで長きにわたりお読みくださってありがとうございます。

 

ここに起こったこと全ては実話です。

共感・共鳴してくださる方がいらしたとしたら、その方達の励みになれたらと思います。

まだまだ学ばないといけないことがあります。

ここに記したことで全てを無にしようとしたわけでなく、これからの自分のけじめとしました。

 

全ては経験と、心の糧にしようと思いながらも負担に感じることも多く、

あり得ないことが起こったショックから立ち直れず、自分らしさを失ったこともありました。

そこには常に皇子の存在があり、娘共々助けて頂きました。

心に置くことや考え方を正してくれ、いつも支えてくれたMちゃん。

KさんやTくんなど、たくさんの方に支えられてここまで来ました。

 

見捨てず、琴や娘を気にかけ見守ってくれた方々には、言葉で言い表すことが出来ない感謝でいっぱいです。

そういう方々に支えられ、琴は幸せ者です。

心からお礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

まだまだこれから。

 

お付き合いありがとうございました。

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