娘にとっても私にとっても新しい生活がはじまる。

買い物を全て終わらせ、夕食は外食にした。

 

「何食べたい?」

「お昼は私の好きなピザだったから、ママが好きなもの食べに行こうよ。」

「ママはいつでも好きに出来るから、食べたいもの言っていいよ。」

「なら、うどんかな。私、小さいころからうどん好きだし。」

 

娘のやりたい、食べたいを叶えてあげる。

それしかできない。

物がそろった以上、もう食べ物しか叶えてあげられない。

 

保育園年少さんの3歳。

七夕の短冊のお願い事。

 

『うどんになりたい』

 

うどんになりたいってなんだ?(笑)

子供の発想って面白い。

 

あの頃は純粋無垢で、死ぬなんて考えてもいなかっただろう。

 

この子が育ってきた軌跡は、その片鱗は今も生きている。

そのひとつひとつが重たい。

3歳のあの頃に戻してあげたい。

 

いや...戻りたいのは私だった。

 

以前に行ったことのある、老夫婦のやっている品の良い美味しいうどんを提供してくれる静かなお店に行った。

注文を終え、食べ物が出来上がるまでの間。

娘は私に、

 

「ママ大好き!」

 

と抱き着いてきた。

離れたくないと言っているように、必要以上にペタペタしてきた。

ベタベタがあってる。

そんなこと、今までしたことはない。

したかったのに、出来ない状況や環境にしたのは私だ。

 

ご飯を前に泣きそうになった。

心の中で「ごめんね」が繰り返されていた。

 

注文したうどんが来て、一口食べる。

 

「美味しいね!私、ここのうどん好き!ママ、連れて来てくれてありがとう!

退院したらまた来たい!この味忘れないと思う。」

 

退院したら。。。

いつ退院できるのか。。。

そんな日がくるのか。。。

気持ちが出口の見えないトンネルに入っていく。

 

「また来よう!」

 

私の力のない声にも気づかない。

いつもなら、違和感を感じて顔色を窺い、「ママ大丈夫?」という場面。

私の娘への違和感が大きすぎて、うどんの味も食べたことも覚えていない。

 

うどんを食べ終え、店主のおじいさんに「またおいで」と声を掛けられ、

 

「また来ます!美味しかったです!ごちそうさまです!」

 

と、笑顔で、はきはきした声で、こたえる娘。

今までそんなことはない。

むしろ、挨拶もろくに出来ないのかとイライラしてきた。

そうしてきたのも私。

 

笑顔ではきはき。。。

 

「散歩に行ってくる!」

 

と言って出掛け、帰ってこないつもりで出て行った時の笑顔と言い方がよみがえる。

同じ表情、言い方。

 

娘は、いなくなる。

生きてはいるけど、また私の目の前からいなくなる。

会えるし、いる場所もわかっている。

でも、もう以前の娘はもういない。

私が13年間育てた娘は帰ってこない。

確信した瞬間。

 

お店を出てから病院まで10分。

 

このまま家に帰ってもいいのでは?

連れて帰ってもいいじゃん。

帰って、いつも通り部屋に閉じこもって、動画見るんだよね?

病院に行ったら、携帯もタブレットもないんだよ?大丈夫?

家に帰ろうって言ってよ。

おなかもいっぱいだし帰ろうかってなぜ言わない?

頭がグルグルする。

 

居なくなった時と同じ。

同じグルグル。

 

病院に到着して、病棟に行く。

長い廊下。

診察時間も終わり、面会時間も終了間近。

誰もいない。

静か過ぎる廊下。

気持ちが高揚しているのか、娘の声だけが響く。

 

病棟の入り口。

桜の模様。

一面桜色のドアと壁。

好きな色。

教えられた通りインターホンを押す。

鍵を開けてもらい中へ。

 

朝と同じ光景。

日の光がないだけ。

ホールの電気がまぶしい。

面会室に通され荷物のチェック。

 

「危険なものがないか調べますね。」

 

聞いてない。

そりゃそうだよね。。。

これからはここのルールにそっての生活。

 

部屋着に付いている紐。

下着の金具。

持ち物ひとつひとつを丁寧に調べる。

 

全てを調べ終え、お別れの時間。

 

「娘の部屋を見たいんですが...」

 

「規則で部屋を見せるわけにはいきません。」

 

ここで親面しても仕方ないとはいえ、洋服を整え、持ってきた道具を整理し

娘の使い勝手のいいように整える。

いつもそうしてきた。

誰にもやらせたことが無い。

だって、自分の娘。

好きも嫌いも全て知ってる。

どんな部屋でどんな布団で寝てるかもわからない。

部屋の広さも何があるのかもわからない。

ショックだった。

何回目のショックかもわからない。

ありえないことが多すぎる。

ため息すら出ない。

 

職員の方が娘に説明する。

「はい。はい。」としっかり答えている娘。

側にいるのに、遠い。

説明が終わり、別れの時間。

 

職員に「娘さんは責任持ってお預かりします。」と言われ、

お帰り下さいと促される。

 

言葉が出てこない。

 

やっと出てきた言葉。

 

「頑張るんだよ」

 

声を掛けながらハグをする。

 

「うん。ママ大好き!」

 

背中をトントンして離れる。

 

笑顔で手を振る娘。

 

職員の方に「お願いします」と一礼してドアをあけてもらう。

 

ドアが閉まる直前に見えた娘の顔には表情がなかった。

感情の無い表情。

その顔を見た瞬間にやっと思えた。

 

『娘は精神病者だった...』

 

ドアは閉まり、私の13年間の子育ては終わった。

私の娘はいない。

私が育てた娘は死んだ。

川に飛び込んだ時、もう娘は死んでいた。

わかった時にはもう遅かった。

 

続く。