今武蔵と呼ばれた有名な武術家の國井善弥先生という方がいます。

 

だいぶ前にこの國井先生が海岸で抜刀演武している動画を見た時の事です。

 

私はこの映像をみて「桜だなあ」「日本だなあ」と思いました。

 

何故だかわかりませんが、そういう感想を持ったのです。

 

ある種の「爽やかさ」「華やかさ」「色気」みたいなイメージが湧いてきて、それを日本だなあと思ったのです。

 

そう思ったのはその時が初めてで全く無根拠の感覚でした。

 

 

その後、武術研究家の甲野善紀先生の著書の中で新体道の創始者の青木宏之先生が國井先生と立ち会ったという話を読みました。

 

青木先生は目の前で剣を構える國井先生を「満開の桜をみているようで見事だった。」と評しています。

 

 

「ああ、やっぱ同じように感じた人がいるんだなあ。」とそれを読んで思ったのを覚えています。

 

 

 

私が思うに、國井先生は桜が日本の代表として語られる時代までの身体的ルーツと繋がっておられたんだと思います。

それは一つの日本民族的な動きだと思います。。

 

 

 

一方で今の大多数の古武術や能や禅に代表される日本的な身体文化には、私は何も感じないのです。

 

それらは本来は個人の無用な癖を徹底的に排除するためのメソッドが基盤にあるからです

それは間違いなく日本的な動きではあります。

 

しかし、日本民族的な動きでは無いのです。

 

私は日本的な動きと日本民族的な動きが二つあるんでは無いかと、前述の無根拠の体験から思うようになったのです。

 

変な言い方ですが、國井先生の動きを見て「私の血が勝手に感じた何か」というのは民族的なものだと表現するのが適当な気がするのです。

 

民族的な動きというのは動的で活気があって爽やかで色気があるものです。

 

しかしただ早く動けばそうなるかというと、そうでもないのが問題なのです。

 

民族的な動きというのは、やっぱり何かと繋がっていないといけない。

 

 

 

 

 

 

能も禅も、その影響をふんだんに受けた現存する古武術も、身体運動から民族性を排除したものです。

 

おそらく、そういう動きを昔のエリート層の武士は「華のある動き」としたのです。

 

江戸時代に松浦静山という家柄抜群のエリート武士がいました。

 

心形刀流を修め、甲子夜話を編纂した文武共に優れた方です。

 

その松浦静山は当時の琉球使節の奏楽を見て、親子そろって壮大にこきおろしています。

 

曰く、「品がない」「踊りたくなってしまってダメ」「庶民的」と辛辣です。

 

つまり今の感覚で華やかなものは、エリート武士にとっては華では無かったのです。

 

彼らにとっての「華」というのは静的で動きの無い、能や禅や茶道のような気配の物だったのです。

 

今に伝わるそのような静的作法における身体文化も、本当の達人が行えばそこに凄まじい「華」を実際に感じる事が出来たでしょう。

 

個人の癖を取り除き、「そこに在る」という事が本当に出来れば、逆説的にそこに民族的華が創出するんだと思います。

 

 

 

江戸期以前から、一部のエリート武士達は恐らく「俺たちは雑兵とは違うぞ」という意識があったんだと思います。

 

その中で茶道や能や禅と邂逅し、前線の侍とはまた違った武術と死生観を求めたんだと思います。

 

家康にしても疋田文五郎の剣をみて「匹夫の剣」と評して入門しなかったといわれています。

 

当時の疋田文五郎の剣がもしも民族的なものだったら、もしかすると家康はそれを匹夫の剣と評したのか知れません。

 

戦国期からエリート武士の間で剣技に格式による優劣をつける価値観があった可能性があるとすると、今残っている一刀流や新陰流は当然エリート武士の格式の影響を受けているはずです。

 

恐らく能のようにツラツラと上下動なく進み、禅のように静かに、必要以上に動かない「死をあきらめた死生観」に基く動きを、エリート武士の華だとしたのかもしれません。

 

今の武道にはそうした民族性を排した動きが基盤にあり、

 

そういう価値観は連綿と受け継がれ、戦前戦後に入って武術の制定化によってさらにそれが固定化した概念になったんだと思います。

 

本来は個人レベルの低いレベルの華を修正し、本物の華を生む為のメソッドが形骸化し、ただ民族性を排除した華のない固く重苦しいだけの文化になってしまったのではないかと思うのです。

 

 

 

 

つまり、現代の私たちが思う日本らしい文化というのは民族性を排除したものが多いのです。

 

何故そうなったのかは色々思う所はありますが、

 

恐らく日本の民族性は一つでは無かったはずで、現在の私たちは長い歴史の色々な段階で民族性を捨てていく事で協力して生き延びてきたのではないかと思います。

 

その代りに民族性の無い静的文化を、統一した価値観として共有してきたのかもしれません。

 

格式や品格を制定し共有する事はコミュケーションを円滑にする非常に有効な手段なのかもしれません。

 

考え方が異なる者どうしは、考え方をより合わせるより、格式的な作法を共有する方が円滑に行くのかもしれません。

 

日本人は長い歴史の中でそこに気づいて段々と今の日本人らしい日本人になっていったのかもしれませんね。

 

西洋では静的な格式や作法というのは上流階級でしか共有されてきませんでした。

 

しかし日本ではいつの頃からか庶民層にも静的作法を共有する文化が続いています。これは凄い事です。

 

だから私は民族性を排除した静的な日本的文化を否定する気は全くありません。

 

 

しかし私が問答無用で感じたような「日本民族的な何か」を、そうした作法を墨守するだけの伝統体系でこの体に宿す事は出来ないと思います。

 

今の日本人がいにしえの日本と繋がる為には、日本的なものをいくら学んでも不可能です。

 

そういう作法は、本来は華を出す為に行う、個人の癖を取り除く段階だという認識が無いからです。

 

ただ形式を墨守し守るだけで、そこから華を生み出す身体を作り上げられる人は殆どでないでしょう。

 

 

もったいない事です。