決まった動きをすることで実は心が自由になるという話 | KOTOBAKO塾長ブログ

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茶道の御稽古では、動きが制限されます。

決まった型どおりに手も足も動かさなければなりません。

どこで何を言うかも決まっていて、いつ何を準備するかも決まっている。

集まる人は皆「我」を限りなくゼロにして「場」に集中することになります。

すべての所作が決められているので、普段は無意識に動かしている身体に、自然と意識が向きます。

型どおりに体を動かそうとすると意外と動かせないことがわかります。

 

スポーツなどでも「我」を消して、「場」に集中していく、という要素はあります。

野球で言えば、バント(犠打)は正にそれです。

 

自分がどうしたいかではなくチームのために自分がどう動くべきか、そこに己を合わせていく。

「我」を殺すことで、逆に「己」が生きてくるとも言えるかもしれません。

茶は更に一歩踏み込んで、すべての動作を型どおりに行います。

型どおり動こうとすれば、最初は、歩くだけでもめちゃくちゃぎこちなくなります。

人に見られていることを意識すると更におかしくなります。

 

型になれてくると、意識しなくても手足を自由に動かせるようになります。

所作が完全に決まっていて型どおりに動けるようになると心に自由が生まれます。

「あれは失礼かな、これは失礼かな」とj普段余計な気を遣っている人も、気を遣わなくてもよくなるからです。

 

型を守ることで、礼儀から解放され、一人の人として、今に向き合うことができるようになります。

そして、そういう個が集まった時に初めて、今ここで人と人とが触れ合うことができます。

それが、本来の茶会です。

 

現代では、99パーセントは、形骸化してしまっています。

僕もいろんな先生に習いましたが、先生がそもそも茶とは何かがわからないというのが現実です。

 

それでも、型の中に、ちゃんと心が残されている。

その理は知らずとも型から学べる仕組みを作ったのが、利休という人なのです。