繁華街の一画にある小さな店が並んだ横丁と呼ばれる場所。

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昼間は雑貨・洋服や食料品を扱う店は開いているけれど 閉まっている店も多い。

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昼には昼食に訪れる人もいるけれど多くはないし、開いている店も限られている。

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ロードと呼ばれる様な近代的な路地もあるが無機質で冷たく、横丁とは呼べない。

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横丁が賑わいを見せるのは夜

学生の頃、先輩に連れられて始めて横丁にある店に入った時に価格や量・雰囲気に新鮮な物を感じながらも懐かしい様な居心地の良さも感じていた。

当時は学生運動が盛んで、立ち寄った喫茶店でテーブルに置いてあるシュガーポットを「皆の物」と捉えるか「誰の物でも無い」と捉えるかで思想の傾向が分ると云う様な事も話題にした。

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高校時代の先輩や同期の仲間と勉強会などはしていたが実際的な活動はせずノンセクト・ラジカルでも無く、思想の話題は出来ても活動の話題には参加出来なかった。


現在でも夜に見る店の様子は 当時と変わらない様に見える。

店で話しをしている人達の話題は何なのだろう。

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当時は駅の広場には自然発生的に議論の環が出来、ギターを持った活動家を中心に反戦フォークを歌うグループもあって、ヘルメットを被り旗とゲバ棒を持った活動家達のデモもあり投石に使われない様に駅の線路の石がアスファルトに取り替えられて、立て看が並んだ学生街のキャンパスには催涙ガスの匂いが漂っていた。

通っていた大学でも紛争が始まり、学部単位でのフランスデモに参加して言い様の無い高揚感を覚えたりもした。


しかし、中学の頃からの両親の面倒を見るのは自分しかいないのだと云う一人っ子がゆえの義務感とも云える想い、それを翻してまで参加する程の必然性を見い出す事が出来ず闘争に参加して行く事は無かった。


友人達には社青同・中核・ベ平連などの活動家もいて議論もしたが互いに闘争に参加する事もしない事も非難する事は無かった。

それは、それぞれが真剣に考えた上で選んだ道だと理解していたから

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デモに参加して逮捕された友人には拘置所に面会にも行った。


活動家では無いので警察の手ものびないだろうと云う事で闘争資料を預けにも来たML派学生解放戦線だった同期の友人は日大の郡山闘争に参加して体を壊しても活動を続ていた。

ある日その友人が危篤状態だと連絡をもらって面会に行き、葬儀・納骨にまで参列した。


彼は闘争の先に何を見ていたのだろう、いま何かをしなくてはいけないと云う押さえ切れない情熱に動かされていたのだろうか

闘争の中で倒れた彼は後悔していたのだろうか いや、自分が選択した道を歩んだのだから志半ばで倒れるのは無念ではあっても後悔はしていなかったと思う 



どんな道だろうとどんな結果だろうと、自分が選んで信じた道を歩んだのだから・・・

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