開店するまでに時間があったのでフラリとこちらまで流れてみました
「神子畑選鉱所(みこばたせんこうしょ)」
ここで選別された鉱石は生野にある精錬所に運ばれたそうです
かつてはこの選鉱所で働く人々の子ども達がたくさん通った小学校も今では廃校になって佇んでいます

(※かつての神子畑選鉱所 wikipediaより画像を拝借しています 2004年にこれらの建物は撤去されています)
今でこそ長閑な山間部の里ですが、かつてこの様な大規模な工場が稼動していた頃はさぞや賑やかな場所だったのでしょうね
明延鉱山、生野銀山と共にここ神子畑は「鉱石の道」で結ばれ観光名所となっています
生野銀山湖奥にある黒川温泉と合わせて車で回るコースも設定されているようなので遺構巡りと温泉なんていかがですか?
これからの季節ですと紅葉も合わせて楽しむ事が出来ますよ
【国内有数の巨大産業遺構である神子畑選鉱場は、養父市大屋町の明延(あけのべ)鉱山から産出される鉱石を選鉱する場所として栄えていました。神子畑選鉱場 は、1919年(大正8年)年に建設され、山の斜面を利用した施設は22の階層があり、幅110m、長さ170m、高低差75mの建物は東洋一と言われて いましたが、2004年に撤去され、今は基層だけが残っています。神子畑では15世紀ごろ神子畑鉱山として金を採掘する鉱山でしたが、近くの生野鉱山の方 が採掘しやすかったため、長く休鉱状態が続いていました。1878年(明治11年)になって有望な銀鉱脈が再発見され、翌年から採鉱が始まり、当時は加盛 山と呼ばれ、生野鉱山の支山として稼動していました。明治後期、神子畑鉱山には約3000人の作業員がいたとされます。しかし、明治末には次第に産出量が 減少してきたため、、生野鉱山が三菱合資会社に払い下げられた後の1917年(大正6年)に閉山しました。 その2年後、神子畑鉱山は選鉱場に変更され、明延鉱山の鉱石をスズ、銅、亜鉛などに分け、全国の製錬所に送っていましたが、1987年明延鉱山閉山ととも に操業停止しました。神子畑選鉱場も明延鉱山の閉山に伴いその役目を終え、廃墟と化していましたが、2004年に神子畑選鉱場が取り壊されました。
(神戸観光Webに記載文より)】












一円電車(明神電車)



山頂から麓まで鉱石を運んだ線路が今も残る
シックナー【thickener】 沈降濃縮装置
大きなモーター(?)が見えます


ムーセ旧居

日本で現存する最古の鋳鉄橋
