12日の続きです。
北上して岐南町へ。
字の如く岐阜の南にあります。
ここもまだ信長の時代は尾張です(^^;
岐阜市との境を流れる境川が当時の木曽川だそう(* ̄∇ ̄)ノ
そんな国境近くに信長が秀吉に築かせたのが伏屋城。
木曽川に材木を流し、それを使い短期間で築いたので一夜城とも呼ばれ…ん?どこかで聞いた事あるな…墨俣城と同じ話です(^^;
墨俣には元々砦があったとか、場所が書かれてない書物が有るとか色々議論されてて、実はこちらが本当の一夜城かも知れないし、若しくは両方そう、そうじゃない、ここが言われを真似た…結局結論は出てません( ̄▽ ̄;)
時期も1558~1569年と曖昧( ̄0 ̄;)
洪水で退却した河野島の戦い(1566年)と稲葉山を落とした(1567年)間ではないでしょうか?
竹藪の中に土塁が残ってます。
突入しようとしましたが、目に見えてクモの巣の罠( ̄▽ ̄;)
折角引っ付き虫も左半身は綺麗になった(嫁が取った)ので断念。
後で調べると私有地らしいので無理に立ち入らなくて良かったです(^^;
とまれ、あり得ない天守がある墨俣と同じ言われがあるのに扱いが全然違う(私有地だったり、民家に囲まれてる問題もあるでしょう)伏屋城でしたヽ(´o`;
次は残りの右半身の引っ付き虫を取りつつ、池田輝政の話に戻ります。
(ルートがどうしてもダブります(^^;)
続く。