2024/03/08 岐阜新聞

 ハルエさんとのお別れ 郡上市のひるがの高原には豪雪地帯に不似合いな雨が降っていた。

 容体が急変したと一報を受け佐藤ハルエさん方を訪ねると、ハルエさんはベッドで浅い呼吸を繰り返していた。

 「午後には遺族会の方が来ますよ」と呼びかけるとわずかな反応があった。1時間後、到着した仲間に見守られ息を引き取った。 

 満蒙開拓の黒川開拓団に参加し、20歳のとき「接待」という名目でソ連軍に差し出されたハルエさん。

 戦後のある時期から体験を証言してきたが、遺族会の内部では「接待」を巡る立場や考え方の違いがあり、会員間で分断が生じていた。

 しかしハルエさんの葬式には近年疎遠だった人の姿もあった。式後に自然な流れで食事会となり、始めこそやや気まずかったが最後は笑顔で集合写真を撮り散会した。雲間から青空がのぞいている。ハルエさんが縁を結んでくれた。一向に別れの実感が湧かない中、それだけは思った。