2020/09/27 朝日新聞/山形県

 ■戦争・政治、気兼ねなく語れる場に
 シベリア抑留を始めとする戦争資料が並ぶ小さな平和祈念館が、村山市の民家にできてから1年が過ぎた。戦争体験者らが代わる代わる資料を持ち寄り、手狭になったため早くもリニューアル。戦後75年を迎えて当事者が少なくなったいまの思いを、運営する下山礼子さん(69)に聞いた。
 ――おじの故沢田精之助さん(1921~85)がシベリア抑留体験を描いた絵巻物が見つかったことが、全ての始まりですね。
 精之助は、戦争のことは絶対に話さなかった。最近思い出したことですが、小さいときに「カチューシャ」の歌をロシア語で教えてくれたぐらい。精之助がシベリアに行っていたとも知りませんでした。
 いとこの家にあった絵巻物が朝日新聞の記事になり、シベリア抑留者支援・記録センター(東京)のボランティアの方が見に来た時に私も初めて見ました。
 ■抑留絵巻物に涙
 ――どうしてのめり込んだのですか。
 絵巻物の最後に与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」の引用があり、涙がポロポロと出てきた。前書きを見返すと「二度と戦争はしたくない」と書いてありジーンと来てしまって。反戦の絵巻物が30年間誰にも知られず眠っていたわけで、後世にやっぱり伝えたいと思いました。
 寒河江市の洋画家、故渡辺八郎尉門さんが抑留体験をもとに描いた「異国の丘」の画集をコピーさせてもらったり、抑留体験者が帰国時に着ていた洋服を提供してもらったりして展示物をそろえていきました。
 ――どんな方が来館していますか。
 報道されると、お客さんが来るという状況です。来られなくても電話や手紙、本だけが届くことも。資料を持ってくる人からは「自分がいなくなったら、みんな捨てられるから」とよく言われます。
 90代の親を子どもが連れてきたり、親は亡くなったけれど訪れたりする人もいます。「父親がシベリアに行っていたが、何も話さなかった。どういうことがあったのか少しでも知りたい」という方もいました。
 ――集いの場にもなってきているようですね。
 同じ時間に偶然来た人が話し合う。今の政治の話も出て「近所の人に話せないことを気兼ねなく話せる」とも言われます。ここは別名「沢田絵巻と歴史談話室」。なぜあの戦争が起きたのか、これから戦争をしないためにどうすればいいか、自由に話せるスペースにしたいという思いです。
 ――開館1周年企画は、シベリア抑留と満蒙開拓団の経験者の対談でした。
 若い人に伝えたいと思っていたら、村山産業高校の先生と生徒が来てくれました。これからも講演は企画していきます。体験者の方も「ちゃんと言い残しておきたい」とおっしゃっているんです。
 ■きっかけを作る
 ――今後の展望は。
 開拓団として旧満州へ渡った人が一番多い長野県で「満蒙開拓平和記念館」を開設に導いた寺沢秀文さんを尊敬しています。被害も加害も伝える信念で行政も巻き込んだすごい人です。2番目に多い送出県だった山形県にもそんな施設があるべきでないかと、だんだん思うようになりました。
 普通の生活では戦争を知ることができないけれど、施設や資料があれば、見に行けば何かは感じる。あの戦争を忘れてはいけない中で、そんなきっかけを作っていくしかない。これまで頼ってきた戦争経験者が誰もいなくなる歴史が始まる中、新しい方法も考えていかないと伝わらないと思っています。
 (上月英興)
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 しもやま・れいこ 1950年、村山市生まれ。都内の私大を卒業後、地盤工学会(旧土質工学会)に就職し、専門書の出版に携わる。2011年に定年退職し帰郷。16年、沢田精之助さんの絵巻物をまとめた「シベリア抑留者の想い出」を知人らと協力して発行。19年8月、実家で「小さな小さな平和祈念館 宇宙の片隅に」を開館した。