どう書き出そうか・・・
珍しく、ペンが進まない(実際にはタイプしてるんだけど笑)
最近になって自分の気持ちが「カタン」と音を立てて変化したことがあって、これを書くかどうかさえしばらく悩んだことがあったんです。
私は、小さい時の出来事で「自分は愛されない存在だ」って思い込みを持ってしまって、本当に長らくその思いから抜けられずにいたんですよね。
「親から愛されない」が派生して「愛する人から愛されない」→「誰からも愛されない」(いやいや待ちなさい笑)
愛されない三段活用かってくらいの飛躍💦した気持ちを握りしめて生きてきました。
それによって人間関係を上手く築くのがとても下手でした。今も苦手ですが
この思い込みを持ち続けて生きるのは辛いな・・・
と解決策を求めて、親にも自分の気持ちを吐き出して、話し合うこともできて、だんだんと
「あぁ、もう過去には戻れないし、この苦しい思い込みは自分で乗り越えるしかないんだろうな・・・」と思っていました。
親(特に母)とは、頑張って関係を作りにかかっていた時もあったけど、ここ数年は距離をおくようにしていて、(関わるとどうしてもあの頃の寂しさからの「怒り」が出てきてしまって苦しかったから。)「このまま人生が終わっていくのか?それも仕方ないな」って思っていました。
でも、最近一人で自分と向き合う(自分を受け入れたいと思って過ごす)時間が増えて、
ふと
「もう良いかな」
って気持ちがわいてきたんですね。
少し話はそれますが、
教員として、今まで保護者の方とお話してきて、「上手に子育てできてない」って、ご自分を責めてることが多くて、
そんなときにはいつも
「人を育てるって並大抵じゃないし、今こうしてこの子が生きているってことだけですごいことです。毎日命をつなぐために24時間、自分の時間も愛情も注いできたってことだけでもどれほどすごいか。」って心からそう思って伝えてきたんです。
そう思うと、、、、
私がこうしてここに生きているだけで、やはり母は、「愛情と自分の時間(命)」を注いできてくれたってことなんですよね。
でも、、、
もし、それを認めてしまったら、、、
愛されてたってことを認めてしまったら
寂しかったことや、
苦しかったことや、
辛かったことまで、なかったことになってしまう。
それがどうしてもいやだったんですよね。
(もう、それは誰のせいでもないってわかっていたにも関わらず。。。)
だけど、今まで感じてきた苦しさも悲しさも寂しさも、生きにくさも全部
自分の裸の心を守るためのものだった。
もしそうなら、
小さなころからずっとがんばって私を守ろうとしてくれた思い込みたちよ
「今までどうもありがとう」
って、ちゃんとありがとうを言って、手放しても良いかなって思ったんです。
手放しで人を信じることも、誰かに甘えることも、愛することも、愛されることも
ものすごく怖いから、自分から避けていたけれど
「また傷ついても良い」
素直な気持ちで、人と関わっていこう
また、親とも関係を築いていこう
って、そう思って一歩踏み出せた気がします。
今までの私。「ありがとう」
これからもよろしくね