もうすぐ私の母の誕生日!

今日は、一緒にケーキを食べて、

くら寿司をご馳走しました。

 

 

 

もう父も亡くなっており、

私も離婚していますので、


ひとりものどうし、

困ったときはお互いに助け合う仲ですウインク

 

 

 

 

 

 

写真を撮る前に食べてしまったので泣

この写真はフリーの素材写真です真顔

 

 

 

私は母とは、離婚してからここ数年が

一番良い関係かもしれないです。

 

 

 

若い頃は、

姉妹の長女として育ったこともあり

 

母にはいろんな思いがあって

なかなか良い関係を築けませんでした。

 

 

 

 

厳しい父と、気性の激しい祖母と、平和を取り繕うとする母

 

 

私が育った家庭を一言で表すならこうです。

 

 

 

父は自分にも厳しいが

他人にはより一層厳しい人で、


子どもの頃はよく怒られました。

 

 

 

 

 

 

父はこだわりが強く、

一日のスケジュールが

しっかり決まっている人でした。

 

 

 

予定が変更になったり、

予想外のことが起こると

非常に機嫌が悪くなります。

 

 

 

感覚過敏もあり、

食事もかなり限定的なものしか食べられず、


衣服も肌触りが合わないという理由で

着られない素材・デザインのものが

たくさんありました。

 

 

 

いつもパソコンに向かって何かしていて

一緒に遊んでもらった記憶はありません。

 

 

 

家族でのお出かけや旅行でも、

いつも先先と自分の行きたい方向へ

行ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

父は、恐らく自閉症スペクトラムでした。

 

 

 

相当IQが高かったので

興味と特性を生かして研究職に就いており、


本人の困り感というところで言えば

「障害」にはならないのかもしれませんが・・

 

 

 

祖母は、そんな父を「育てにくかった」と言い

情報もあまりなかった時代のことですから、

ずいぶんきびしく接したようです。

 

 

 

一緒に暮らしていたのですが、そ

んな歴史があるので

父と祖母はいつも険悪で一触即発でした。

 

 

 

どちらも言葉が異常にきついので

言い合いになると手がつけられません滝汗

 

 

 

祖母は、もともとの気性も激しく、

父とうまくいかないフラストレーションも

あったのでしょうが


いつも母にきつくあたっていました。

 

 

 

 

 

 

母はもともと平和主義で

あまり自分の意見を言わないほうだと思いますが


この環境でなるべく揉め事が起こらないようにと

いつも気を張り詰めていたのでしょう。

 

 

 

いつ怒り出すか分からない父の機嫌を損ねないように先回りし

祖母の嫌味や嫌がらせはただひたすら耐えて

 

「自分さえ我慢していればなんとかなる」

と思っていたのだと思います。

 

 

 

私は母にもよく怒られましたが、

その理由はいつも


父と祖母の機嫌を損ねないで!ということでした。

 

 

 

家の中は常にギスギスしていて

物心ついたときには、

私は自分の部屋にこもるようになりました。

 

 

 

 

カサンドラ症候群

 

 

これは今振り返って思うことですが

 

いつの頃からか、

母は情緒不安定で怒りっぽくなり、


自己評価も非常に低くなっている様子がありました。

 

 

 

母は抑うつ状態であったと思います。

 

 

 

 

 

 

推測ですが、母はカサンドラ症候群だろう・・と思います。

 

 

 

父がなくなったのは2020年ですが、

母はその後もその症状に苦しみ、


2022年に入ってやっと、

少し母の時計が動き出しました。

 

 

 

睡眠薬を飲まないと

寝られない時期もありましたが

最近は手放せているようです。

 

 

 

最近は習い事を始めたり、

明るい話をすることも増えたので

ホッとしています。

 

 

 

 

家庭の人間関係の影響は大きい

 

 

若い頃はもう家族と関わりたくないという気持ちが強く、

とにかく自立したくて、看護師を志しました。

 

 

 

早くに結婚したのも、

とにかく実家ではない自分の居場所が欲しかったから。

 

 

 

 

 

 

育った家庭の中に

正常な人間関係がなかったためかと思いますが


私は幼少〜若い頃はほんとうに人間関係が苦手でした。

 


 

ふつうの距離感や思いやりのかけ方や、

どんなときに「ありがとう」と言うのかということすら

 

分からなかったんです・・

 

 


小学校低学年の時。


終わりの会で

「野村さんはありがとうを言わない」とクラスメイトから告発されてしまい

すごく情けなく恥ずかしい思いをしました悲しい

 

 

 

 

 

 

終わりの会では泣きそうになりながら

「ごめんなさい。直します。」と言い


それからというもの、

みんながどんな時に「ありがとう」を言うのかひたすら観察し、

完全にコピーするという形で会得しました。

 

 

 

よく「野村さんは変わっている」

とも言われましたし、


そのことをみんなの前で

ネタにする先生までいて


学校という場所は、

私にはかなりキツかったです笑い泣き

 

 

 

その後も、

まわりの人がどんな時に

どんなふうにふるまうのか

ということを一生懸命観察し、


それを体系的に記憶していって、

少しずつみんなと同じような人間関係が

作れるようになりました。

 

 

 

今は逆に「コミュニケーション能力が高い」と言われたりしますが、


子ども時代からまわりを観察して

研究してきたことや


ギスギスした家庭で

人の顔色を見る癖がついてしまったことが

影響しているだけで

 

コミュニケーション能力が高い、

というのとは違うような気がしています。

 

 

 

この経験もあり、私は

 

人間関係の基礎は家庭内の人間関係だと思っています。

 

 

 

どんなに口で教えても、

 

実際の生きた「ありがとう」「ごめんね」にはかないません。

 

 

 

家族が家庭でどう振る舞っているかをみて、

子どもは覚えていくんだと思います。

 

 

 

 

親子を超えて、同志に

 

 

 

 

 

 

私は、母が祖母と父の機嫌をとり、

私に「余計なことは言うな、するな」と言ってくるのが本当に嫌いでした。

 

 

 

子どものときに、

祖母の機嫌取りで一緒に私の悪口を言っているのを聞いた時、

足元がガラガラと崩れて世界が灰色になる感じがしました。

 

 

 

今でも思い出すとつらく、

心の奥からなんとも言えないものが

上がってきます。

 

 

 

だけど、母も他にどうしようもなかったのだということや

母自身も私以上につらい思いをしていたということが


大人になって、

子育ても経験して、

少しずつわかっていきました。

 

 

 

 

 

 

そして父が亡くなってからは、

ひとりで生きていく者どうし、

 

母娘ではなく戦友のような関係に変化していきました。

 

 


今が一番居心地がいいかなと思っています照れ

 

 

 

母娘ほど近くはなく、友人よりは少し近い。

 

 

 

ちょっとした距離感の違いで、

冷静に話ができるようになり、

いろんな話をするようになりました。

 

 

 

父が亡くなってから、

過去の家庭がギスギスしていたことなども

話すことができ、


つらかった思いを共有できたのも

大きかったかもしれません照れ

 

 

 

 


 

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