清明の候、他愛のないスバラシの日々 <異邦人としての在り方 考>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
春の陽光とともに
空がどんどん明るくなってます。
アメダス観測の積雪も
4月1日 17:00 に
ゼロ!となりました。
冬よ、さらば!
と言ってもいいでしょう。
さあ、暦時計は
午前7時となりました!
北海道 小柴ふあーむ より
清明 のご挨拶を申し上げます。
冬よ、さらば!
うん、確かにそうなのですが
春分の3月21日に襲ってきた
暴風雪には ヒヤッとしました。
冬の最後屁
道内各所でトラブルを起こし
足早に去っていきましたけど
小柴ふあーむ は幸いにも
被害というには及ばぬほどの
ほんの小規模な損傷だけで済みまして
ホッとしているところでございます。
4月1日 新年度
いかがお過ごしでしょうか?
入学試験、卒業からの
新入学、あるいは出立
慌ただしい1ヶ月も終わりを告げ
見送られる方も、見送る方も
さあ、次いってみよう! と
目線が新たになりますね。
清明 とともに始まる新学期
まさに世の中が清く明るく見える
桜散った歩道を
仲間と歩く、あの感覚
いつまでも覚えておいていただきたいものです。
今回も僭越ながら
前回に続いて、朝ドラ「ばけばけ」の話題から。
誠に充足感で終われた
叙事詩のクールでした。
しばしのお付き合いを。
私たち夫婦
年齢のせいなのかどうか
最近は激アツな抒情詩よりも
淡々とした叙事詩に
嗜好が向いております。
観る映画なんかも
淡々とした方に好みが移ってまして
結論の出ない古い欧州映画とかを
好む傾向があります。
例えば、でありますが
「ひまわり」「道」「自転車泥棒」「かくも長き不在」など
あれ?イタリア映画が多いですねw
基本、イタリアが好きなので
仕方ないか・・・
好きな映画を納得するまで
二度見、三度見するのが
趣味かもしれません。
ほんのワンカットの作り込みを
探したりするのが
好きですね。
ばけばけ
まだ西洋慣れしてない明治初期の日本で
異人さんと、彼にまつわる日本人らの物語。
良くも悪くも日本社会であります。
自分自身が
異人さんの立場を経験もしていて
訪ねる方と受け入れる方の
両方の気持ちがなんとなくわかります。
異邦人、というのでしょうかね。
既にある安定社会に
異分子として入り込む人です。
それが異人さんのうちは
良いのですけどね
訪ねる側も未だ謙虚ですし
受け入れる側も受け止める姿勢があるし。
しかし移民さんになると
話は違う。
地域社会を作り変え塗り替え始めると
話は穏やかじゃない
ですね。
ましてや
そこに宗教感が絡むと
もはやコミュニケーションは難しくて。
周囲に対して
己が宗教感を押し付け始めると
あなたに相応しい土地は他にある
と結論されちゃいます。
自分の経験から申しますと
日本人や日本社会には
なんだかんだ言っても
色濃く 八百万の神 信仰が
染み込んでおりますから
感謝 ひとつとっても
その意味と表し方は異なります。
「和」の概念
自然信仰の精神
尊崇とか崇拝
丁寧や謙虚の概念
清く潔いことの尊重
日本人独特の精神性は
DNAとして組み込まれていて
自然と振る舞いに現れており
所作を見るだけで
識別できるほどであります。
それ即ちの
文化というものでありましょうね。
然るに
今のニセコ地域
宗教的・経済的な移民が押し寄せてて
傍若無人に地域を跋扈蹂躙しています。
それは選民思考というか
優越主義をベースにした振る舞いで
いちいちが面倒に繋がります。
「和」を尊重する日本人気質
その裏返しは「揉め事を嫌う」となり
面倒なことはスルーして
相手にしない行動となりやすいですね。
しかしそれは
相手に「許容」「受諾」のサインとして受け取られ
異人さんたちの立ち居振る舞いは
まるで移民が如く
徐々に大胆不敵となり始めます。
暗黙の了解 とか 不文律
といったマナー・モラルの領域が侵され始め
静まって沈澱していた沼底を掻き混ぜ
再びの泥沼化をもたらしたり。
マナー・モラル
敢えて口にしない者同士で成り立つ
静かで綺麗な作法であり
互いを尊重し自制を促す
大切な風習が壊されます。
大人の社会として
厳に慎まねばなりません。
話戻って、「ばけばけ」
描かれていた小泉八雲の日本への順応過程は
涙ぐましくも微笑ましくて
逆異人だった35年前の自分たちも
想起させられました。
驚愕、拒絶、理解、和解、順応、適応
いろいろな状態を経て
人は水に馴染んでいくものです。
日本語で言う「水に馴染む」
という感覚。
とっても素敵な表現だなと思います。
こちらニセコ地方に来て
早や22年を経過しました。
未だ地域に馴染もうとしてる最中です。
異邦人の自覚とともに生きております。
これはエンドレスかもしれません
生まれ育った土地でない限りは。
終生、、いや死んで尚
異邦人として、異分子として
存在することでしょう。
それはそれとして
致し方のないことです。
そういう道を選んだのですから。
「謙虚」「従容」
という言葉があります。
それを
「卑下」とか「自虐」とか
卑屈な気持ちで受け止めると
物事は前に進みません。
「ばけばけ」のヘヴンさん
ジゴク、ジゴク!と拒絶してたのが
いつのまにか スバラシ、スバラシ!と
共鳴し始めてました。
どんな水でも、一度は飲んでみて
それで体に合わなければ
その時にまた考えれば良いのです。
その、飲んでみよっか!の第一歩が
人生を豊かにする一つかもしれません。
代表との人生を始めた
逆異人状態の35年前
お互いを 合う・合わないなど言う暇もなく
私たちが 世間に合わない二人になり
懸命にもがきながら合わせていました。
ドラマでそんな頃を思い出しながら
互いに見えない 陰になった目だけで
ポロリポロリ落涙を重ねていた
この半年でした。
おそらくは
互いに、あの頃を思い出して
ともに歩いてきた道のりを
手繰っていたような
そう思いたいものです。
他愛のない
スバラシの日々だっただないの?
このドラマの主題を
最後の最後に
見せたことのない最高の表情で
池脇千鶴さんに言わさせた
ふじきみつ彦さんの脚本
この一瞬のために
彼女を持ってきた。
そう言っても過言じゃない
ほんの一瞬のスバラシの表情
いかったですね。
半年間を括るに相応しい
池脇さんらしい表情
ありがとうございました。
それでは
次回「穀雨」の候まで
どうぞお元気で!
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
春分の候、吉沢亮さんに絡め取られた 朝ドラ「ばけばけ」 <錦織友一という役柄に思ふこと>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
公式積雪は60cmを切り
雪解けは順調に進んでおります。
現場残雪も80cmと目され
除雪作業も早々に切り上げられそうです。
さあ、暦時計は
午前6時を指しました。
お元気でしょうか?
北海道小柴ふあーむより
「春分」のご挨拶を申し上げます。
今クールの朝ドラ
しばらくぶりに
熱心に視聴しております。
「ばけばけ」
淡々とコミカルに
優しく進める叙事詩は
朝の穏やかな始まりに
好都合であります。
なにより
主役のヘヴンさんが
すごく上手でしてね
日本語覚え始めのガイジンの癖を
よく表現できています。
文章としてでなく
単語に分解して使う日本語
とってもらしくて好感が持てます。
言葉を覚えるのは、まず
文章としてよりも
暗号文を使うが如く
主語、述語、目的語
名詞、動詞、助詞、助動詞
それらをパズルのように組合せ
必要最低限の意思疎通から
始める。
ヘヴンさんの日本語
すごくリアルだと思いますし
逆もまた然り、だと思います。
このドラマに吉沢亮さんが
不遇の助教師として出てました。
映画「国宝」で
この一年は話題になってましたけど
じつは私、あまり得意な役者さんじゃ
ありませんでした。
が、ですね
複雑な深層心理というか
屈折した嫉妬を抱えた
でも純情を捨てられない
そんな助教師役だった今回
一気に好きになっちゃいまして
不思議なものであります。
なかなか笑わないのに
時折天然で笑みをこぼしたり
心の渇望の裏返しで
期待感を隠せぬ表情を
見せる時もある。
寂しさを抱えた人特有の
押し殺した人恋しさ
というのでしょうか
朝ドラに出てきた吉沢さんは
言葉少なに伝えてきてくれました。
皆さんの近くにも
そういう人がいませんか?
寡黙、優秀、無表情、理解困難
なのに
静かに横顔を見ていると
すごく静かに、ほんの一瞬
瞬間的な表情の緩みがあったり
また直ぐに
心のバリアの向こうに隠れたり
でもまたちらりと
舞台袖の表情が滲んで出てきたり
そういう人
いませんか?
普段明るくしてる人
逆に静かにしてる人
でもそれが素顔とは
限りません。
人は皆
多かれ少なかれ
どこかで
素性をカモフラージュして
生きざるを得ないことでしょう。
人を見るのが上手い人は
真正面から目を見て話してるようでも
架空の目線が横や後ろから眺めていて
あたかも数台のカメラで
多方向から撮影・観察している
そんな気が致します。
人の群れから離れ
一人でいる人を指して
寂しい人生だな、と
ネガティブに評する族もいます。
仲間、という言葉を好み
友達をひけらかす族もいます。
果たして
それはその通りなのだろうか?
群れに紛れて
群れの上に立って
仲間!と認定して
派手に活動していることが
本当に幸福なのだろうか?
それは一義的には決められない
と私は思います。
人が集まると
必ず意見の食い違いが生じ
誰かのために誰かがゆずる
そんな現象が出てしまいます。
支配欲や認知欲も噴き出します。
上手な議論や調整ができれば良いか?
いや、世の中
なかなかそんな高等能力を持つ人は
居ないと思います。
力を持つ人
声の大きい人
企む人 図る人
なにより、わがままな人
そういう力に巻き取られる現象が
必ずや生起しちゃうでしょうね。
そうした中で
勝敗、優劣、強弱、正誤
いわゆる人為的・人依存の格付けが
為されていくことになり
結果、人間の弱さや狡さが内混ぜとなった
複雑な模様が出来あがっちゃう
と思います。
ごくごく身近な例では
結婚式やお葬式の舞台裏などは
内混ぜの坩堝じゃないでしょうかw
あまり立ち合いたくない現場であります。
朝ドラ「ばけばけ」
吉沢亮さん演じる 錦織友一
厳しく、不遇の、切ない男の
純情さを捨てられなかった物語
セリフの無い長回しのシーン
背後からのシルエット描写が多く
表情を映しても、それは横顔
瞬間の緩みを抜き取る様に
決して正面から撮ってないのが
いつも陰を感じさせて
一番好きだったシーンは・・・
ヘヴンをなんとか松江に引き留めようと
ウマオイの入った虫籠を
資料と共に大切そうに抱いて
松野家の門前まで来た
その横顔
純粋な期待感が溢れる
少年の様な綺麗な微笑み
そして
屋内から聞こえる
家族の悲しい現実
友人として認められたかった友一も
家族という枠には敵わなかった
とともに、蝋燭の火が消える様な
表情の脱色
資料と虫籠だけが
置き去りにされた
門の敷居・・・
あの 錦織友一 の表情
脱色直前の 絶望寸前の
嬉しそうな 期待の笑み
あれが 一番好きで
あれが 一番切なく
泣けました。
21年間、冬の現場で
接客業を経験しました。
私を鍛えるに余りある
素晴らしい時間でありました。
その中で
私なりの拘りがあったのですが
それは必ずしも好評ではなくて
時としてクレーム対象となりました。
それは、お客様の
「悲しい一瞬を見逃さない」
「弱いお客様に照準を合わせる」
でありまして
達成感よりも成功体験を
重んじておりました。
噛み砕いて言うと
もっとやらせろ!という方より
私にできるかな?という方をサポートする
インストラクターで在らんとしてました。
華やかな人の陰で
静かに隠れている人
そういう人に光を当てて
一緒にやりましょうよ!と
未知の世界へ誘おうとしてました。
好評不評が混在した
難しいポジションを取っていた
インストラクターでありました。
吉沢亮さん演じた 錦織友一
影ある不遇の秀才
それが故に
ヘヴンという物書きに
自己の望みを託さんと頑張った。
現実主義者で情緒が大嫌い
なのにヘヴンの心を欲して
満たされぬ枯渇を癒そうとした。
悲しく切ない
表情を封印しようとした役どころに
吉沢亮さんのことを
一気に好きになりました。
To Nihikori Yuichi
In dear remenberance
of Izumo Days.
OVT from The East
1ヶ月で13kgも減量して挑んだ
悲しくも切ない男の物語
でした。
さて
いつのまにか一年の1/4が経過しました。
今シーズンの活動はいよいよこれからです。
まもなくDMがお手元に上がります。
どうぞご笑覧くださいませ。
それでは次回
「清明」の候にまたお会いしましょう!
それまでどうぞお元気で(^^
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
啓蟄の候、井の中に 鳴き声そこで鳴り響く 大きく膨らむ蛙ひと匹 <第21期 始まります!>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
寒の戻り
道内は太平洋側を中心に
30cmも積もったところがあります。
こちらニセコは
風向きの関係で10cmほどの
ほとんどミゾレに近い湿雪。
融雪して温度が上がった地面で
ベチャベチャなシャーベットと
化しております。
さあ、暦時計は
午前5時を指しました。
お元気でしょうか?
北海道小柴ふあーむより
「啓蟄」のご挨拶を申し上げます。
オリンピックが終わり
パラリンピックが始まりました。
さらに
ワールド ベースボール クラッシック
WBCと共にプロ野球オープン戦も始まって
メディアはスポーツの春を
演出しております。
一方で中東では
イランを中心とした紛争が始まっていて
世界の動きから目が離せなくなっています。
武力行使、輸出入制限、海上封鎖
次々と打たれる現実的な手に
日本のいつか来た道と重なり
そして今も変わらぬ経済環境がゆえに
毎日の国家運営が気がかりです。
約100年前
世界恐慌から始まった大不況と
互いの保護貿易の干渉による摩擦
そして、戦争への道のり
人間は高度な知能を持ちつつも
未だ原始生物としての愚も忘れてないので
利益獲得のために互いを傷つる
あるいは
傷つける態勢で牽制するなど
結局は野生と同じ行動原理と
言われても仕方ありません。
こうしたことが起こるたびに
メディアの意図的な偏向報道で
胸が悪くなるものであります。
たとえば
米国の攻撃は批難しても
イランの虐殺は放置とか
米国の武器取引は批難しても
イランの戦争支援は無視とか
ダブルスタンダードと言われる
多重基準の酷さは目に余ります。
そんな中で
今年の農業生産も始まるわけですが
原材料価格の高騰は数年も続いていて
給与所得者でいう実質賃金も
下がっているのが現状であります。
今般の紛争が引き金となり
先物、株式、資源の取引市場が
乱れ始めると困りますね。
世界中でリスクオフのトレンドになれば
物流相場が打撃を受けます。
今年の農産物市況が
どうか安定してくれるよう
祈るばかりでございます。
寡占主義
顧客から選択の自由を奪い
市場の総合生産力を削いで
業界を衰退に追いやる
破滅的な自尊思考。
どんな業界でもそうですが
寡占主義はとどのつまり
富の支配を目指すものであり
生きる自由の剥奪であります。
我が農業界とて
その輪廻の中で生きて
苦しんでおります。
例えばメロン業界
広く認知を図るべく
産地のブランド形成に
関係者らは時間と情熱を注ぎ
より多くの生産者と消費者の幸せを
両立しようと奮闘してきました。
しかし
個別ブランド事業者らは
地域ブランドにタダ乗りした挙句に
それを踏み倒すような思考で
富の寡占を図ろうとしちゃいます。
経済的不公平を生むこの行動は
当然、地域を破壊して
そして誰もいなくなった・・・を
演出してしまいますね。
アイデンティティの確保として
ブランドって大事ですけど
陳列棚で他のブランドを排除して
自分一人でのさばることは
その棚自体を廃れさせます。
それをわからず
ブランドの盗用、乗っ取り、転用をしますと
被害は陳列棚だけにとどまらず
そのお店の荒廃、倒産へと
向かわせます。
先人が築いた大切なお店を・・・
であります。
武器を持たせちゃいけない奴って
残念ながら
世の中には居ります。
武器の使い道を
自尊偏重でしか理解できないから。
じゃあ、どっちが、だれが
そのヤバい奴なのか?
見る場所、見る方向によって
変わりますけど
ヤバい奴は自分を中心にしか考えない
という特徴がありますので
選別する一つの指標でありましょうね。
自分の城からしか
世間を見ようとしない奴。
新規就農で農業経営を立ち上げて
よもすれば自分が
そうなりやすい立場でした。
あまりにも弱過ぎる立場だったから。
その様は差し詰め
近代以降の世界における日本の立場と
重なって見えたかもしれません。
何の基盤も付合いも資本も無い中で
どうやって地位を確保していくか?
それに尽きる道程であったと思います。
幸いにも
拡大成長の意向は
私たちには無かった。
それがほんとう
実に幸いだった。
足るを知る
が人生観であり
足るが如何に困難かを
身をもって知ってきた。
だから故
過剰干渉を避けて
モンロー主義とか大袈裟は言わないけど
自己完結型経営を目指してきた。
己の価値観は
己の中で実現できれば
それでよろしい。
それで生きてきたから
今もなんとか
生かさせてもらってる。
と思います。
過剰な思い込みとヒロイズムは
周囲を不幸にします。
周囲の不幸で自己満足を得る罪を
犯します。
組織員としての経験から
自己と世間の距離感を
自分なりに考えてきました。
それが今の私たちの
ポジションであります。
意外と、それでいいのかな?
と益々思うようになってる
この数年であります。
そんな思いで始める
北海道 小柴ふあーむ の第21期
であります。
今年もどうぞ
よろしくお願いいたします。
いまダイレクトメールの準備を
着々と進めておりますが
例年通り、3月末には
お手元に届くよう手配いたします。
どうぞお楽しみに!
世間はアメリカのトランプ大統領を
一方的に悪者と決めつけてますが
私はそれに懐疑的であります。
メディアが誘導する時は
だいたい、その逆が正しい。
技術、農業、国際いずれも
メディアのモノクロームは
創作話、寓話でした。
しかも何かの意図を感じるような。
シナリオ在りきの情報操作
賢く感じるようにしたいものです。
そして私たち自身も同様に
そう見られる発信者側の側面を持つことも
忘れぬようにいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
それでは
次回「春分」まで
どうぞお元気で!
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
雨水の候、「日の丸」「君が代」を懐ける幸運を大切に <オリンピック表彰式に思ふ>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
一気に寒さが緩みました。
本州以南では春一番も吹いたとか?
こちら北海道も+10℃に迫る南風が
大陸の黄砂とともに流れ込んでおります。
暦時計は 午前4時を指しました。
お元気でしょうか?
北海道小柴ふあーむより
「雨水」のご挨拶を申し上げます。
冬季オリンピック
佳境ですね。
今回は欧州開催ということもあり
時差の関係で視聴時間帯が
生活に影響を及ぼしておりますw
朝の除雪に合わせて
早起きしながらチョット観て
朝ごはん食べながらチョット観て
晩ごはん食べてからチョット観て
いつの間にか寝る時間すぎて
まだ観ている。
LIVEだとやっぱり
目が離せなくなります。
20年以上
冬山の仕事をしていたからか
競技によっては体が反応するとか
古傷が疼くようなシーンの
連続であります。
特に今回から
ドローン撮影が解禁されて
よりリアルな映像が配信され
まさにライダーの実感に近い
物理的感覚がダイレクトに伝わる
恐ろしい?ほどの臨場感が
味わえてます。
特にスピード系競技
選手に追従するドローンからの映像など
リアルすぎちゃって
あの人たちのネジの外れっぷりが
見事に表現されていますよね。
ネジの1本や2本じゃない
なんなら全部飛んでるんじゃない?
というくらいの手加減の無さ
命知らず
なんて旧い言葉がありますが
まさに、それ。
カミナリ族?なんか
赤ちゃんの駄々っ子にすぎませんねw
ところで「君が代」
早朝、駐車場の除雪をし
車を移動したりして
朝のルーチンを終えて
玄関で雪をほろって
外套を脱いで
ガラッと開ける茶の間の引き戸
ストーブと加湿器が作る暖かい空気と
冷やっこい頬のコントラストが心地よい
北国の日常にある
そんな小さな幸せ
先週のある朝
そこに「君が代」が
流れておりました。
「日の丸」が
掲げられておりました。
表彰式で流れる国歌
掲げられる国旗
国の数だけありますけど
「君が代」と「日の丸」は
格別な清廉さと荘厳さを
携えてると思います。
銃を持て!
立ち上がれ!
国を誇れ!国のために死ね!
血を流せ!やっつけろ!
最後の一人まで殺せ!
そんな国歌もあるなか
ただ一つだけ
「みんな幸せに、永遠に」
たったそれだけの
ゆっくり静かな国歌
それが「君が代」であります。
そして、白地に
赤い丸一つだけの
最端デザインの国旗。
よその国が羨んで止まない
ザ・シンプル かつ 究極のイメージ
「日の丸」。
表彰式のような場になると
会場が静まり返らざるを得ない。
こんなシンボルを懐けるのは
幸運だと思います。
「日本」という国
そりゃあ面倒くさくて
優柔不断で態度はっきりしなくて
みんなで仲良くなんて言って
中庸を好みますけど
文化度、文民度のある人たちには
その意味を理解してもらえるし
敬意の交換も可能な国民性です。
イデオロギーが無くても
調和できるなんて
なかなか無い国であります。
しかし、ひとたび
コアに触れられようとすると
敢然と拒絶する芯の強さが現れ
秘めた畏れとなって
他国へと伝わります。
そこから内に入っちゃ
いけないよ。
勝手に私に触れちゃ
いけないよ。
たとえば
知らないお家へ招かれたとして
客間という離れの間に通され
茶の間や仏間には
入れてくれません。
身内にならねば
入れてはくれません。
勝手に上がると怒られます。
たとえば、そんなこともありますよね。
世界には
色々たくさんの国がありますが
日本のような国に関われて
極めて幸運だったと
私は思います。
国際色豊かになった
いまのスキー場では
菊の御紋をつけた渡航証を持って
世界各地をまたにかけて
自由を謳歌する人が大勢いますけれど
しかし、その考え方は
じつは色々であります。
残念なことに
日本には絶望してる!
こんな国滅びてしまえ!
と言って憚らぬ
日本に敵意を持つ日本人も
少なからず居るのが事実です。
残念でありますが。
いま持てる権利、資格が
なぜ与えられるに至ったのか?
それ以前の状態で
観念が固定されてるのかもしれません。
ひょっとして
権利とか、資格とか
元々無かったものだと
知らないのかな?
でも渡航証を持ってるし
出入国の意味も知ってるはずだし
そもそも渡航証と在留許可は
国を出たら命綱な筈だし。
なんでもかんでも
与えられていることを当然と思う時代に
問題があるのかもしれませんね。
だって小学校から
道徳の授業を廃止したり
二宮金次郎像を撤去したり
教材や授業料をタダ乗りしたり
こうした基礎教育の破壊過程を
私たちは体験しつつあるのかも
しれませんね。
「いま着手せねば、手遅れになる」
先の選挙で問われたテーマですが・・・
表彰式を見てると
思想信条の自由を振り回し
皆んなの大切にしたいものに唾を吐く
一部の公務員の悪態を連想し
それに対し「非」を堂々と突きつける
シンプルな正義もあって然るべきだな
と思うところです。
思想信条の発揮は
もっと別な場所で
然るべき自分の場所で
行っていただきたいものです。
身近な例で言えば
自分ちの表札に唾吐かれて
怒らぬ人は居ませんものね。
お父さんとはたしかに
上手く行ってないかもしれないけど
だからと言って表札を
踏み躙るのは違うだろ!
と、怒るべき時を判断できる人が
もっと増えて欲しいな
と思います。
若者たちが全身全霊で
人生を賭けて挑んだ結果に対する
表彰式
考えてみてください。
もしそこに
自分のポールにだけ
国歌も流れず、国旗も揚がらない。
もっと言えば
名前を呼ばれるときに
苗字がない。
つまり
どこの誰かがわからない。
どっかの誰かで覚えられず
記録に残らず忘れられる。
考えてみてください。
多様性とかを殊更大きく主張する時代なのに
アイデンティティは否定するとか
矛盾してはいないかな?
個人、家族、一族、地域、地方
そして国家
まとまるための責任と義務があって
その見返りとしての権利がある。
人は社会性を持つ動物ですから
一個体では生きていけません。
個人 vs. 集団
私利 vs. 公益
自由 vs. 規律
利得 vs. 奉仕
相矛盾する間を
利害調整を図りながら
互いを尊重し合う。
まさに
「権利」 vs. 「義務」 の概念を
互いに意識しあってこそ
住みやすい世の中であるし
その括りの象徴
共通認識のシンボルが
「国歌」であり「国旗」だろう
と思うんですけどね。
そこにいる人を
自ずと静かにさせる国歌「君が代」
すごいんじゃないですかね?
なにも国粋主義なわけでもなく
ただ見逃してるアイデンティティに
気づきませんか?
というくらいでどうでしょう。
私の人生は半分以上を
国際的現場に関わってきたわけで
オリンピックと身の回りを対比するたびに
もうチョット熟度を上げられればなぁ
と思うこと仕切りで御座います。
さて
カレンダーはまもなく
3月となります。
畑も本格始動となります。
営農の火蓋が切って落とされます。
過去最速で
決算と申告を終えた今年
しかも共用スペースは冬の間
維持管理されてました。
平年を超える積雪でありますが
どうか無事にハウスの架設まで
いけますように。
それでは
どちら様もお元気で。
次回「啓蟄」の候に
またお会いしましょう!
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
立春の候、我が家の鬼退治は 森高千里から <出会いを「合わない」と言う勿れ>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
「10年に一度の寒波」が
札幌〜千歳エリアに混乱をもたらし
その傷も癒えぬ間に
次の寒波が来て
さらに「今季最強の寒波」が
第3波攻勢を掛けてきている
北海道であります。
暦時計は 午前3時を指しました。
お元気でしょうか?
北海道小柴ふあーむより
立春のご挨拶を申し上げます。
寒波三連発に
鉄道、バス、航空機
みんな対応に苦慮していますね。
動かせば、無茶しよる! と怒られ
止めれば、サボってる! と怒られ
中間をとって間引き運転をすれば
中途半端で使えん!と
また怒られる。
なんだかとっても
気の毒になってしまいます。
確かにセクター間で
不整合もあるかと思いますが
相手は自然でありますから
もう少し寛容になりたいものです。
天には抗えないんですもの。
便利な世の中になってから
住まう人、利用する人らは
自然への耐性が衰えてるのかも
しれませんね。
暦は「立春」
春の入り口に立ちました。
本州以南ですと
たしかに節分を過ぎますと
春の始まりを感じますね。
各地の梅園で
紅白 梅まつり が始まり
空っ風も角が取れ始めて
太陽も高くなります。
あ、スギ花粉が飛び始めるのも
春のお告げでありますか。
身の回りの動植物らが
春を告げ始める「立春」であります。
さて、節分・・・
如何お過ごしになりました?
豆、蒔きましたか?
太巻き、頬張りましたか?
蒔いた豆は
大豆でしたか?
それとも、落花生でしたか?
残念ながら我が家では
何にもナッシングでありました。
子供が居なくなると
やっぱりこうなりますね。
つい最近までは
(といっても15年も前ですけど)
節分には太巻き作ったり
ちらし寿司で祝ったり
出来ないなら 出来ないなりに
頑張って思い出を作ろうとした
代表が居りました。
それを分かって喜ぶ子供らもいて
小さな幸せを感じたものです。
携帯に流れてくる
子供ら家庭の鬼退治写真を見ると
「奴ら、今が一番幸せな時期だなぁ」と
思わず遠くを見つめてしまいます。
渦中にいる時は分からないけど
その一瞬の幸せって
人生の1ページとして記憶に残ります。
子供ら、存分に今を
味わって欲しいと思います。
鬼退治・・・
何を連想されますか?
私は、「森高千里」さん でしてw
変でしょ?
あれは35年前
私たち夫婦が出会って間もない頃のこと
代表が車に持ち込んだテープが
「森高千里」だったんですわ。
クラッシック一辺倒の私は
聴いたことも、興味も無いジャンルでして。
一瞬、えっ?!
と思ったんですけど
食わず嫌いは良くないと思いなおし
一通り付き合うことにしたんです。
その日だけかな?
と思ってたら
そのテープは私の車に常備となり
知らぬ間にリピートで聴くことに。
と、通勤途上
毎日聞いていたら
これがまんざら、悪くないw
あの歌詞感と
時代を象徴する透明感あるサウンドで
爽快な疾走感もあって
次第に代表のペースへと
引き摺り込まれた結果
今に至っております。
その中の一曲ですね
「鬼退治」
おにたいじ! おーにたいじ!
それいけ! 桃太郎がいないからー!
いつの間にか
刷り込まれてしまいました。
そもそも
他人の趣味だから
そうそう無理に共感する必要もなく
かといって否定する必要もなく
お互い「ふ〜ん、いいんじゃな〜い?」
くらいの距離感が
気疲れせずに楽ですよね。
合う/合わない なんて
めんどくさいこと言わないで
出会いをまず受け止めよう。
そんなノリで聴いてた
森高千里
新鮮、斬新な世界でありました。
その後
めでたく生涯の伴侶と相成りて
企てた結婚式は
サイパン!
いや、双方の親兄弟だけの
他には誰も一切呼ばない
家族婚でしたけど。
互いの両親にとって
初の海外旅行もプレゼント出来た
イイ表情に包まれた数日でした。
森高千里
からの〜、サイパン。
お分かりでしょうが
それはもう見事な
感化のされようでした。
バブル期のお手軽で
身近なリゾート
サイパン。
グアムほど賑やかじゃないし
高くもないので
仕送りしつつの
貧乏技術職の私には
程よい背伸び感でありました。
しかも戦中派の親世代にとっては
戦跡めぐり、慰霊の旅ともなり
いろいろ思いの込められた島でした。
決戦地や終焉地
司令部跡とか
あの、バンザイクリフとか
慰霊碑立ち並ぶ海岸線を
拝礼しながらの旅は
新しい生活の門出に
気の引き締まる思いをさせられました。
なにより
そうした企画に全面賛同してくれた
代表に感謝の限りでありました。
思えば私たちは
その最初からして
虚栄や欺瞞、世間体を嫌う
本質主義の道を共に歩んでいた
と言えるのでしょうね。
代表も、おばさんになり
私も、おじさんになり
若い子には負ける歳となり
自営業をやってることもあり
夫婦の揉め事はちょくちょくありますけど
そんな時は
あの頃の健気なお互いを思い出して
心を静めて明日に向き直っています。
我が家の「鬼退治」
家庭内の邪気は
森高千里からのサイパンの思い出が
追い払ってくれてます。
めでたし、めでたし。
それでは
次回「雨水」にまた
お会いしましょう!
寒暖差が激しくなりますが
どうぞご自愛くださいませ。
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
大寒の候、第八師団(弘前)斯く戦えり <八甲田と黒溝台のつながり>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
季節を代表する寒波が
居座り始めて2週間目となりました。
積雪も一気に膨らみ始め
郷でも1メートルを超えました。
さて暦時計は 午前2時を指しました。
お元気でしょうか?
北海道小柴ふあーむより
大寒のご挨拶を申し上げます。
12月
稀に見る暖冬小雪と言われてましたが
小寒の頃から帳尻合わせが始まり
いま大寒においてすっかり
プラマイ 0(ゼロ) となってます。
北海道用語かと思いますが
持ち出しの無いこと、帳尻の合うこと
プラスマイナス ゼロのことを
プラマイゼロ と言いますね。
いま正に
冬はプラマイゼロとなってます。
北海道用語の類似系では
もう一つ余計に、という意味で
プラスアルファ も
年配者には多用されます。
若者向け商品を ヤング と言ったり
男女のことを アベック と言ったり
先進的なつもりなのに
いまいちで独特な表現が
北海道では蔓延ってます。
先週末には
当地でも-13℃を記録して
乾いた寒さが充満していました。
それでも北海道的には
ニセコは温暖地域でありまして
同じ日に道東や道北では
-20℃台後半に突入しておりました。
たしかに学生時代に
ニセコ地帯を始めて訪れた時には
旭川に比べてずいぶん柔らかい空気だな
と思ったものです。
海が近いから湿度も高いですしね。
そのせいもあるのでしょう。
凍れが柔らかい分
生活では色々と楽であります。
大寒 1月20日 は
気象的にも理に適っております。
大陸の寒気がたっぷりと溜め込まれて
堪えきれずに海洋へ溢れ出すのが
ちょうどこの時期であります。
旭川で公式最低気温-41℃を記録したのも
1月25日(明治35年 1902年)でしたし
八甲田山で雪中行軍訓練が遭難し
199名の犠牲者を出したのも
1月24日〜1週間
その時でありました。
八甲田山の遭難事故は
小説や映画でよく知られておりますが
その部隊は、陸軍第八師団(弘前)であり
事故を起こした青森の連隊と
無事に完歩した弘前の連隊とは
ともに同じ師団だったんですよね。
映画では
青森隊の隊長が 北大路欣也さん
弘前隊の隊長が 高倉健さん
互いに同じ使命を帯びて
情報や意見を交換しながら
成功を誓い合っていた・・・
そういう設定でしたが。
実際は
そういうことも無かったそうです。
それぞれ独立した企画だったそうです。
雪中行軍に成功した連隊は
その後、第八師団(弘前)として
日露戦争に出征しております。
しかも投入されたのが
激戦で知られる 黒溝台の会戦。
5倍にも及ぶロシア軍の圧倒的勢力
思い込みによる状況判断のミス
混乱した作戦指導などにより
日本側の損耗率は4割を超え
それでも大激戦の後に
かろうじて勝利しております。
が、しかし
雪中行軍を完歩した部隊は
三日三晩の激闘の末
全滅
八甲田一周を成した将兵
隊長を含めて 戦死されてるそうです。
奇しくも
雪中行軍から3年後の
1月25日〜29日。
-30℃の陣地戦にて
散華されてるとか。
そう、まさに
ほぼ同じ日に・・・
であります。
日露戦争では
第七師団(旭川)も出征していて
旅順要塞の攻囲戦や奉天の会戦で
激闘しております。
明治生まれの亡き祖母にとって
「戦争」とは 日露戦争を指していて
「前の戦争」という時は、日露戦争
「今度の戦争」という時は、大東亜戦争
でした。
国家存亡の危機
今では考えられぬほどに
切迫した時代だったでしょう。
負ければ亡国し
植民地となるわけですから。
寒さに強いと言われる
北の兵隊たちは
日清、日露、大東亜の戦いにおいて
満州やアリューシャンなど
寒冷地に送られていました。
-30℃の厳寒、厳冬のなか
任務に殉じた先祖たちがいたことを
忘れてはならないと思います。
平和的に選挙ができることも
先祖たちの働きの上で
成り立っている今であります。
清、露、米
そして欧州ら
植民地政策に抗い続けて
2勝1敗
先祖たち
よくやったと思います。
今般、ダボス会議で
私たちはアンタ達と戦って今がある
アンタ達のことはよく知ってるわよ
と片山財務省がハッキリ言ってくれました。
その自負と気概は
今を生きる者として
見習わなければなりません。
それがすなわち
次世代への責務でもありましょうから。
毎年
大寒の頃になると
どうしても日露戦争のことを
想起しております。
あれに負けていたら
マジで植民地になっていた。
そう思います。
自国政府を持って
主権を持って
自国通貨で経営する。
タダで出来ているわけじゃ
ありませんから。
秋の修学旅行で
江田島を訪れたばかりですが
国の成立ちとか存亡とかを考え
農業者として立ち止まるのも
必要かな、と思うところです。
だって
耕作を通して国土を維持し
生産を通して経済を支えてるのですから。
なんてったって
第一次産業、ですから。
ね?
最強クラス寒波の下
灯油炊いた暖かい部屋で
電気使って通信しながら
こうして発信できてること
普通だと思っちゃいけませんよね。
そんな
身を正す思いの
大寒でございます。
それでは
次回、立春の候に
またお会いしましょう!
寒さ厳しいおり
体調管理、そして事故にも
お気をつけて!
それでは(^^
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
小寒の候、冬も自分も「帳尻合わせ」は必然かも? <人生の働き方改革>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
「帳尻合わせ」
というとそれは
概ね経理用語でありますが
こちら北海道では
季節用語にもなっております。
道内広範囲で
雪なし年越し となった新年
然れど道民は
戦々恐々として
冬の帳尻合わせを
待ち構えておりました。
・・・
暦時計は午前1時
今年の歩みを始めました。
北海道 小柴ふあーむ より
「小寒」のご挨拶を申し上げます。
北海道民が言う
「帳尻合わせ」
暖冬小雪傾向の時に
いやいや、油断できないぞ?
その内、モッサモサと降ってきて
帳尻を合わせてくるから
のように使われます。
実際、地球の熱移動として見ても
理に適っていると思われ
年間の総受熱量は決まっているのだから
その分布状態が偏っているだけ。
どこかが濃ければ
別などこかが薄くなる。
一種の熱振動は当然生じるわけで
大気の揺らぎを通して
熱はあっちへ行ったり
こっちに来たりしています。
然れども
そのまま振動が振れていても
変位もいつかは極値に達し
振動は反対へ向かい始めます。
減衰を伴った振動を繰り返しつつ
いずれ安定状態へ収束していき
熱均衡は保たれる。
「帳尻合わせ」
ごくごく当然の現象であります。
今のところ
平年の半分ほどのペースで
雪が積もっていますが
いやいや、時は未だ1月上旬。
冬の本気は
これから2月末まで。
降雪量は休むことなく
持続的なトルクカーブを描いて
最高出力点へと向かいます。
冬の仕事を引退した
今冬
農業してから初めて
畑に張り付いております。
コンスタントな除雪をしつつ
越冬中の育苗ハウスを
守ってます。
作業、工程、管理
いずれも初めての条件で
手探り状態です。
落ち着いて
焦らずに
周りをよく見て
効率的な安全作業を
心掛けています。
そして
地道なデータ収集も並行し
越冬作業の「勝ちパターン」を
構築せむ!としてまして
それはつまり
新しい自分の構築!とも
受け取っております。
21年続けてきた
冬山生活から
自分の城に籠って
守りを固める自分へ。
不思議な感覚に包まれながらも
心理的集中が途切れない状態で
心地よさも感じてます。
と、見てみると
「人生の帳尻合わせ」ステージに
向かっているのかな?
そんな気もしております。
「人生の帳尻合わせ」
守りを固める、と書きましたが
思考的には、新たな攻勢への
戦術転換です。
持てる戦力の投入方法を
変える方向であります。
より分かりやすいブランドに
再構築を探るべく
能力の使い道をシフトする
ということであります。
「人生の帳尻合わせ」
言い換えると
「人生の働き方改革」
とも表現できましょうか?
作りたいものを作り
売りたいように売る。
多少の損失は許容して
個の尊重のコストとして
受け止める。
漠としてでありますが
「ねば論」から「べき論」へと
シフトしつつある
小柴ふあーむの’26年であります。
今回もありがとうございました。
それでは
次回「大寒」の候にまた
お会いしましょう!
寒さ強まる中
どちら様もご自愛くださいませ。
ごきげんよう
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
冬至の候、身清めし お伊勢参り <農業者としての一区切り>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
寒気が長続きしない
今年の初冬
一時は30cm近くまで行った
郷の積雪も
今はゼロに戻ってきています。
さあ!
暦時計は午前0時を回りました!
一足早く年越しとなりました。
北海道 小柴ふあーむ より
「冬至」のご挨拶を申し上げます。
さて季節のご挨拶
今回も
先の修学旅行の話題から。
北海道 小柴ふあーむ
先立ってからの念願が叶いまして
「農業者としての お伊勢参り」を
やっと敢行して参りました。
私自身、2度目でありますが
農業者になってからは
今度が初めてであります。
私
元はそんなに信心深い人間じゃ
ありませんでした。
超現実的な思考であり
守護の様な実態なきものは
笑って捨てていたほど
罰当たりな人間でありました。
しかしながら
年齢も重ねて
若き頃を振り返り
そして農業者となって
20年を超えて
人智の及ばざる力に対して
畏怖の念を覚えると共に
これまでも不思議な体験があったな
と認めざるを得なくなっております。
あるいはまた
日本という国の成り立ちに
造詣が深まりつつ
過去の異国との交流からも
良き日本人たらしめん
との思いが深くなってきました。
戦後教育のおかげで
私も例に漏れず
日本自虐史観に染められてました。
北海道に育ったというのも
それが旭川だったというのも
影響あるでしょうね。
しかし
異国との交流を30年以上してみて
それはどうも間違っているぞ?
と確信するに至りまして
まあ、交流相手が
戦勝国側ばかりだった
というのもあるでしょうが
たまぁに言われたんですよね
「日本人てどうして、自国を知らないのよ?」
とね。
歴史は言わずもがな
特に近現代史
そして社会システム
たとえば税制や社会保険
あと雇用構造や資本構造
「で、お前の国はどうなのよ?」
「おれの国では、こうなんだけど?」
と聞かれるたびに
自分の国の成立ちを知らず
恥ずかしかったわけで。
普段の生活から
全体と個 の意識を
もっと強く持たねば
社会人として足りないな
と思い至ったわけです。
畑を耕すこと
それ すなわち
国を耕すこと
目の前の畑を
生活のために耕すも
それは国のためにもなり
国家繁栄の一部でもある。
人類起源
古代文明の頃から
耕すことによって
命を紡いできた
この国において
その象徴が
大国主大神であり
そして
豊受大御神であり
天照大御神であります。
いずれも
国造りと農耕の祖神で
国家繁栄の源を象徴しております。
農業者として
一人歩き出来る様になって
いま改めて
祖神にお参り直して
身を清めてこようか
そして来年以降も
健康で末永く
この畑を維持・運営していけたら
と願わずにはいられないのであります。
強欲は争いをもたらします。
なので必要以上の欲は
災いであります。
しかしだからと言って
意欲を摘んでばかりでは
永続はおろか維持すらおぼつきません。
ここが
人間の、現実社会の
難しいところであります。
先達が苦心惨憺で築き上げてきた
血の滲むブランドを
一人の経営者が横取りする様な
ゲスなことは農業の原点にもとります。
でも旧ソ連の様な
集団農場の思想で
全体の効率のみでは
個の尊重が危ぶまれます。
その中間で
上手く柔軟に立ち回れる
優秀な経営体が増えていければ
農村の空気も変化するかもしれませんね。
憚りながら
北海道 小柴ふあーむ が
その一事例になれればと
今後も歩んでいく所存であります。
伊勢からの御利益を
小柴ふあーむの畑に持ち帰り
来年以降の五穀豊穣と無事安全を
成し遂げたいと思います。
衣食足りて礼節を知る
その一環に関われるよう
今後の精進して参ります。
どうぞ宜しくお願いいたします。
それでは
今年はこの号でお仕舞いとなります。
1年間、お付き合いいただきまして
誠にありがとうございました。
どうか皆様、良いお年をお迎えください。
来年は松の内明けて
「小寒」のご挨拶からになります。
それまで
ごきげんよう
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
大雪の候、長距離フェリーは身近な船旅 <太平洋フェリー「いしかり」名古屋便>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
スキー場が一斉にオープンした
北海道ニセコ
雪のペースは芳しくないですが
今週はまとめてやってきそうですよ。
暦時計は午後11時となりました!
北海道 小柴ふあーむ より
「大雪」のご挨拶を申し上げます。
この冬
今のところ平穏傾向であります。
いや、まだ始まったばかりですが
・・・
3回ほど
風雪のピークがありましたが
どれも「あ、これくらいなら」
という感じで
社会が機能不全になるような感じじゃ
ありませんでした。
しかしながら
二十四節気「大雪」を迎えますと
だいたい本気を出してくるのが
冬の性格でして。
今週の予報を見ると
たしかにその通りでして
雪が力強く降りそうです。
さてどうなりますか
腹を括って待ち構えましょう。
ところで・・・
小柴ふあーむ の修学旅行
FBページや X
インスタグラムに
各種のテーマでまとめながら
徐ろにアップし始めております。
4年ぶりに道外へ飛び出し
たっぷりと移動を楽しんできた今回
アップも多種多様にわたりますので
いろいろ想像力を働かせながら
付いてきてくださいね。
私たち(わたし?)の
旅の嗜好は
目的地を楽しむ旅行 というより
移動を楽しむ旅 でして
「あのルートを通りたい」
「あの汽車に(船に)乗りたい」
「あのポイントを通過したい」
そういう組立てとなっております。
旅は移動にこそ
味がある。
少年期から
その嗜好は一貫して
変わらないです。
今回もまた
変態的な旅をしてまいりました。
さて今回も
盛りだくさんに移動を計画
実行してまいりました。
今回のキーポイントは
1。船旅
2。伊勢
3。潮岬
4。四国
5。お城
6。広島
と、こんな感じです。
それぞれに意義がありまして
久しぶりの、あるいは未開拓の
ワクワクを自分たちなりに
盛り込んでいます。
前回「小雪」の候 では
「お伊勢参り」について
お伝えしました。
農業者としての「新嘗祭」
大切な感性だということで。
そして今回は
「船旅」について
お伝えいたします。
豪華客船クルーズ!
ですかねw
いやいや
小柴ふあーむ 豪華客船クルーズは
ハードルが高すぎます。
それほどの経営手腕も
持ち合わせておりませんw
興味は強いんですけどね
まだそういう一点豪華にはなれません。
蛇足ですけど
一点豪華で言えば
AMTRACの旅とか
シベリア鉄道の旅とか
そういうのも強く惹かれます。
AMTRAC
乗ってみたいですね。
非常に魅力的です。
と、それはさておき
今回の船旅は 長距離フェリーを
堪能してまいりました。
太平洋フェリー
苫小牧〜仙台〜名古屋 航路です。
このルート
ほぼ22年前
静岡から北海道へ移る時
私が生活設営で事前来道したり
本移動で家族で乗り込んできたり
あるいは
10年前に亡父の看取りで
後始末と納骨で
福島まで通ったりした
私にとって
思い出深い航路でして。
まさに人生の局面に使われてきた
忘れられない瞬間、映像が
たくさん詰まっております。
航海途中の楽しみで
航空自衛隊 松島基地の訓練に
遭遇出来るといいなぁ〜
なんてことも考えてました。
それも
この航路の醍醐味でありまして
なんせホテルごと
長い距離を移動できるのが
船旅のいいところ。
大浴場もあるし
いつでも飲めるし
ブッフェの食事も
エンタメも楽しめて
眠くなればベッドでゆったり
それでいて
宿泊代と交通費を勘案すれば
かなりお得な代金ですから
最高じゃないですか?
40時間
ちっとも長く感じなくて
むしろお尻に根っこが生えて
もう一泊してもいいじゃん!
くらいの居心地の良さでした。
フェリーって沿岸航路なので
陸から10〜20kmの範囲を走りまして
これって意外と近いんですよね。
陸地の地形が
今どの辺りかを教えてくれる
そんな楽しみもございます。
今回、やっぱり
一番印象に残ってるのは
遠州灘の夜明けでした。
富士山と浜松アクトタワーが
一望の下に収められましてね。
離れてから20年以上経つ
遠州もさることながら
浜松の街並みの背後に聳え立つ
天竜の山並みが
懐かしさを呼び覚ましてくれました。
やっぱり
人生の局面をいくつも越えた
忘れられない土地ですから
グッとくるものがありましたね。
車なしの徒歩乗船
フェリーの楽しみ方として
十分に「ありっ!」だと思います。
沿岸ごとに入れ替わる
テレビ地上局の移り変わりも
楽しいですしね。
山と同じように
海も
地球を肌で感じられる
すばらしいものであります。
来年以降も
頑張って仕事して
移動を楽しめるオフに出来たらな
と思いながら
既に他の長距離航路を探している
自分が居ります。
どうもすみませんです。
太平洋フェリー「いしかり」
総トン数 15、762トン
全長 199.9メートル
全幅 27.0メートル
最大速度 26.50ノット
巡航速度 20ノット
機関出力 16,320ps×2基
旅客定員 777名
乗用車 100台
トラック 184台
就航が2011年3月ですから
まさに大震災の時に
デビューしようとしてた船ですね。
たしかあの震災の影響で
日程が順延されてた記憶があります。
その津波の海も
今回噛み締めながら
航過してまいりました。
高市総理じゃないですけど
働いて、働いて
明日への希望を持って
歩みたいと思います。
遠くへ旅すること
それは自分たちの歩みを反芻するのに
とても良い機会となります。
来年もまた来たいね。
来れるように頑張ろうね。
そう素直に確かめられる機会
そういう旅でありました。
それでは
次回「冬至」の候まで
どうぞ健やかにお過ごしくださいませ。
ありがとうございました。
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」
小雪の候、農業者として新嘗祭を意識する <今季完了の感謝と御礼>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
11月前半の天候不順を遣り過ごしながら
なんとか今季活動完了に持ち込んで
一息ついた北海道ニセコ
暦時計は午後10時となりました!
北海道 小柴ふあーむ より
「小雪」のご挨拶を申し上げます。
お陰様をもちまして
11月15日 予定通り
北海道 小柴ふあーむ の今季活動を
無事に完了いたしました。
御贔屓いただいた多くのお客様に
代表とともに厚く御礼申し上げます。
どうも有り難うございました。
今年も年越しができそうで
ホッとしております。
その渦中にある時は
つらく長い時間と感じることもある
日々の農作業でありますが
終わってしまえば
今年も短かったなぁ
あっという間に終わっちゃった
との振り返りとなってしまいます。
そうしてまた
来年の営農に挑む!
となるわけですね。
ひとまず
オフは充電と再計画の時間とし
今年の整理と来年の設計に
充当いたします。
今冬から過ごし方を専業化して
落ち着いて考える時間を
しっかり確保してまいります。
うん、至極楽しみな冬
であります。
ところで・・・
今季活動を完了し
早速、小柴ふあーむの修学旅行を
催行してまいりましたが
農業者として
必ず行なっておきたいことを
実行に移してまいりました。
「新嘗祭」に合わせた
お伊勢参り
それであります。
人生において
これが2回目のお伊勢参り
前回はちょうど30年前
まだバリバリの会社員で
ちょうど海外赴任から帰って来た年末
差し詰、大皇への帰朝報告
といった感じでした。
今回は
予ねてより念願だった
農業者としての参詣
ゼロから始めた農業生産者として
曲がりなりにも経営が成り立ち
こうしてお参りに来れることへの
感謝と御礼を伝えに参りました。
11月23日
勤労感謝の日
でもこれは
戦後のGHQ政策の結末で
実際は皇室の最重要祭祀である
「新嘗祭」の日でありますよ。
その3日前
私たちは私たちなりの新嘗祭を
させてもらいました。
特に
外宮の豊受大御神参詣は
農業者として重要であります。
世間では
内宮の天照大御神参詣のみが
引き立てられますけれど
それは日本国の旗印
日の丸を象徴するがゆえのこと。
じつは
森羅万象、農林漁業の象徴は
外宮の豊受大御神であらせられます。
農業者にとって
直接直結の御祭神なのです。
今年一年
のみならず
農業に身を投じてからの22年
なんとか子息を育て上げ
生活を維持出来るまでになれた
地の神、水の神、風の神、天の神に
感謝と御礼をしてまいりました。
そして
自宅用と畑用と
それぞれの御守りをいただいて
持ち帰ってまいりました。
どうかこれからも
体の続く限り
この小さな畑の営みを
お守りくださるように
御利益を分けてもらって来ました。
御神体は
畑の ”ある場所” に
丁重に納めて
見守ってもらいます。
この仕事に就いてから
理論や論理のみでは説明のつかない
天佑神助の存在を
何気に感じるようになりました。
いえ、いつも申しておる通り
理論や論理は
現実の対処として必要で
勉強と努力は欠かせません。
それはまず
自力本願の考え方であります。
何もしない人には
何も起こりません。
しかしながら
出来るだけのことをやって
それでもなお
人智の域を越えることが
森羅万象の中では起こり得ます。
天災や風水害
偶発的な事故、病気
運命の悪戯
おおよそ
人の準備で全てを避けられるものじゃ
ありませんね。
農業をしながら
人間の無力さ、自分の非力さを
痛感する連続であります
この22年間は。
だから!なおさら!
なのであります。
伊勢という
あのゾーンに入りますと
私たちのみならず
人々すべてが
真摯かつ謙虚になり
図らずも
鳥居の前で敬礼をし
参道は端を歩きます。
ごく自然に
それが始まります。
日本人と思しき人々
すべてがそうなっています。
DNAが呼び覚まされる
というのでしょうか?
内なる魂
というのでしょうか?
そうせざるを得ない衝動が
あのゾーンに入ると
突如沸き起こります。
周りを観察していると
日本人の判別が
いとも簡単に出来てしまう
それほどの霊気に満ちてますね。
これからも
色々な課題に取り組んでまいります。
品質であったり
満足であったり
安定であったり
信頼であったり
そのすべて
一つ一つが
日本という国の
北海道という地域にて
小柴ふあーむ という経営体で
行われます。
私たちのみならず
関わってくれる全ての方達に
健康と御多幸が訪れますように。
小柴ふあーむのこども達 によって
季節を耕す物語 として
お届けできますように。
来季も頑張ります!
どうぞよろしくお願い申し上げます。
それでは
次回「大雪」まで
インフルエンザに気をつけて
どうぞお健やかに
北海道 小柴ふあーむ
代表 和美
その夫 孝志
フェイスブックページ 「~勇気ある生き様~ 北海道 小柴ふあーむ」










































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































