2月23日(土)は埼玉県伊奈陣屋、土屋陣屋での見学会があり参加しました。日本城郭史学会主催の見学会です。

 今回の見学会は史学会委員の阿部和彦さんが案内してくれました。城郭建造物に造詣が深く、これまで城郭史研究に何回か論文を書かれています。「城の見方・調べ方」の書籍では西ヶ谷先生と共著で城郭建造物の箇所を執筆された方です。

 

伊奈陣屋空堀跡

 

 当日は大宮駅改札外に集合です。集合時間になると、城見学の資料を参加者に渡します。今回の見学会の予定を簡単に説明して、最初の目的地である伊奈陣屋を目指します。今回の見学会は当初は同じ埼玉県の松山城を予定していましたが諸事情により伊奈陣屋に変更になりました。

 

今回の見学会の説明(大宮駅にて)

 

 伊奈陣屋は10年以上前に県の史跡指定に対して反発した地元住民と揉めていました。当時は陣屋内に史跡反対の立て札があり、鉄格子で立入禁止の場所もありました。陣屋を見学すると少し物々しく感じました。その後は住民と和解をして史跡として整備されました。

 

以前あった史跡反対の立て札

 

以前の陣屋内の一画

 

 伊奈陣屋は埼玉ニューシャトル丸山駅の近くにあります。駅を出発してすぐの場所に陸橋がありました。この陸橋から障子堀跡が見えます。ここで阿部さんからの説明があました。しばらく説明を聞きながら陸橋から城見学です。

 

陸橋から障子堀跡を見学

 

 この時期は障子堀があった箇所は枯れ草の色が違います。堀跡が一目瞭然で分かります。陸橋からだと障子堀跡を見渡せます。前回、来たときは草が生い茂っていて分からなかったです。いきなり新発見がありました。

 

障子堀跡

 

 障子堀跡には説明板があります。陸橋から降りて障子堀跡に行くと周辺の枯れ草の色の違いが分かりにくかったです。

 

障子堀跡2

 

 障子堀跡の次は物見櫓跡を見学します。空堀がありその先に櫓台跡があります。大宮市史ではここに二本柱の物見櫓があった伝承を紹介しています。物見櫓や何らかの建物があってもおかしくない土塁でした。

 

物見櫓跡

 

空堀と物見櫓跡

 

 北側から城内に入り、道沿いに歩いていると、空堀跡を利用した遊歩道がありました。この遊歩道は最近整備されたみたいです。ここから本丸北側空堀跡を歩きます。

 

本丸東側堀跡入口

 

本丸東側堀跡1

 

 空堀跡を利用した遊歩道はしばらく続きます。当時に比べると堀跡はだいぶ埋まっていますが、今でも薬研堀の雰囲気をよく残しています。

 

本丸東側堀跡2

 

本丸東側堀跡3

 

本丸東側堀跡4

 

 本丸空堀跡の遊歩道は100M以上ありました。空堀跡を出たら城の蔵屋敷跡がありました。そのまま南に歩いていくと表門跡がありました。薬医門である表門は近くの寺院に移築されて昭和58年まで残っていましたが、老朽化で取り壊されてしまいました。

 

 

表門跡

 

 表門跡をさらに南に進むと水堀跡がありました。堀跡は今でも残っていますが、この日は水が枯れていました。水堀跡に沿って歩くと、陣屋南端に着きました。

 

水堀跡

 

 伊奈陣屋の南隅から城外に出て、願成寺に向います。願成寺は伊奈氏三代目の伊奈熊蔵忠勝の墓があります。江戸時代初期に熊蔵は9歳で死去して伊奈氏は一時断絶します。功績のある伊奈氏の断絶を惜しんだ幕府によって熊蔵弟の忠隆に家督を継がせて伊奈氏は再興されます。家は再興されましたが石高は大幅に減りました。

 

願成寺、伊奈熊蔵の墓前

 

 願成寺を出て、再び伊奈陣屋を目指します。二の丸西側空堀も堀跡を利用して遊歩道になっていました。堀跡は100M近くあり、なかなか見事でした。ここで写真を撮る人が多かったです。二の丸跡は発堀調査の結果、何もないのが分かったそうです。よく分からない発堀調査の結果です。

 

二の丸西側空堀

 

 次は城東側の曲輪を目指します。この曲輪は今でも頭殿権現社があり、空掘で分かれていて独立した曲輪になっています。権現曲輪といってもいい曲輪です。

 

城南側を望む

 

 権現曲輪から城南側が見渡せます。今は田畑の中を東北・北陸新幹線の高架橋が通っています。当時は一面沼地でした。沼地の周辺は江戸時代の一時期、紀州藩のお鷹狩場だったそうです。権現曲輪を後にして伊奈陣屋の見学は終了です。

 伊奈陣屋にも2時間ほどのいて、堀跡、土塁跡を十分見学しました。陣屋といっても城域は広くて実際は城でした。遺構も思っていた以上に残っていました。伊奈陣屋は今後も見学しやすいように整備される予定です。

 

城南側を歩く

 

 丸山駅から大宮に戻り、川越線に乗り換えて指扇駅に向かいます。駅から土屋陣屋は少し離れているのでバスで向かいます。最寄り駅のバス停を降りたら土屋陣屋は目の前にあります。夕方のこの時間になりますと伊奈陣屋の時より寒くなりました。

 

土屋陣屋長屋門(現存)

 

 土屋陣屋は江戸時代初期に荒川工事の出先の拠点として築城されたそうです。戦いのための城ではなく工事現場の拠点の城です。当時は伊奈氏の家臣だった永田氏の末裔が今でも陣屋跡に住んでいます。そういうわけで土屋陣屋は永田陣屋とも呼ばれます。土屋陣屋の最大の目玉である長屋門を見学します。長屋門は江戸時代後期に建造された現存建物です。長屋門の先は今でも永田さんが住んでいるのでこれ以上は入れません。

 

長屋門前

 

 長屋門の上部には駕籠が吊してありました。この駕籠は幕末に永田家の当主が伊勢詣りに行ったときに使った駕籠を保管して展示しています。

 

門に吊してある駕籠

 

 長屋門の屋根をよく見ると忍び返しがありました。

 

忍び返し

 

 長屋門を十分見学したら、陣屋の周りを一周します。南側を除く三方向の堀跡が今でも残っています。当時の堀よりは幅が細くなっている箇所も多いです。堀跡を見ながら陣屋の周りを歩きます。

 

陣屋東側空堀跡

 

 陣屋を一周して最初の場所に戻り、ここで解散になりました。今回は一日二城の城見学でした。伊奈陣屋はじっくりと見学しましたが、土屋陣屋は伊奈陣屋の半分ほどの時間での見学でした。

 

陣屋前にて解散

 

 今回の見学会は急遽変更になりましたが、予定変更を感じさせない見学会でした。久しぶりに行った伊奈陣屋は以前とだいぶ変わっていました。予想以上に残っていた土塁、堀跡を十分見学できたよかったです。

 

 このブログは別のブログで書いたものを一部を追記修正して投稿しました。