「川越style」

webマガジン川越styleは、「小江戸川越」のお店や人、イベント、行事、風景、文化、川越の熱い動きを伝える川越で最も有名な情報サイトです。丁寧な取材に基づく記事、川越の一大叙事詩、川越を深く伝え尽くす。過去記事もぜひどうぞ。


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晴れていれば、畑の向こうに綺麗に富士山が見えることがある。

特にこれから空気が澄んでくれば、稲刈りが終わった田んぼの向こうに、

白くお化粧した富士山が望めるはず。

そう、まさにお店の近く、ふじ乃から富士山が。。。


2015年11月3日川越の和洋菓子店が集まるイベント、

「小江戸川越お菓子マルシェ」に、

南大塚にある「四季彩菓ふじ乃」さんが出店します。


(2015年11月3日小江戸お菓子マルシェ開催 

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12080821308.html

ふじ乃がイベントに出店するのは珍しいことで、

もっと言うと、和菓子店が川越のイベントに出るのはあまり例がない。

川越らしい和菓子文化を感じられる機会として、

これから注目されていくイベントです。

お菓子マルシェには、ふじ乃はあの大福を何種類か出品し、

さつま芋を使ったお菓子なども考えているそう。

ふじ乃さんは気合十分でイベントを盛り上げようとしています。


「四季彩菓ふじ乃」、お店があるのが西武新宿線南大塚駅、

南口を下りて右手にあります。

広い店内には手作り、作り立てお菓子がこの日も並んでいる。









「栗おこわ」は今年の新米、新栗。

「川越びより」は、チーズクリームをはさんだブッセケーキで、

川越の温暖で豊かな気候風土を感じさせるような、ふんわり柔らかな食感。

「なんだこれ」は、小豆餡とさつま芋餡が麦こがしの中に入っている。

昔なつかしい麦こがしを使い、香ばしく焼き上げた一品です。


大人気の「芋ようかん」。
芋ようかん作りは、さつま芋の状態を見ることから始まる。

自然の農産物なのでいつもその質が一定という訳ではありません。

芋1本1本の皮を剥き、カットするのはもちろん手作業。

さつま芋の按配を長年の勘で感じ、手からいろいろな情報が受け取って確認。

その情報をもとに、時にはさつま芋の蒸し時間を変えてみたり、

砂糖蜜の硬さを変えてみたり・・・

これまで培った感覚で調整を加え、最良の状態に仕上げていく。


さつま芋といえば、「十三里」も。
さつまいもあんと桂皮未(ニッキ)の風味がいい、定番の焼菓子。

江戸時代、小江戸川越はさつま芋の本場で、九里四里(栗より)うまい十三里と、

江戸から川越までの距離をさつま芋のおいしさに変えて言い伝えられました。

その伝統を菓子作りに受け継ぎ、

さつま芋をふんだんに使い、じっくりとこんがりと焼き上げたスイートポテトです。


そして、初代が作る上生菓子もふじ乃の大事なお菓子。

季節感をふんだんに採り入れながら、上品な味に仕上げる上生菓子は、

これがあってこそという、和菓子店を和菓子店たらしめているお菓子でもある。

お茶の席に欠かせないもので、もちろん生感を好む方は普段からこちらを選ぶ。

春だったら外せない桜に、菜の花、蝶々などがテーマとなり、繊細な仕事が光ります。



季節が巡り、秋になれば、柿や萩、菊の花、紅葉、水面に映った月など、

これぞ日本の美というお菓子は、見ているだけでも楽しい。。。









そして、ふじ乃はもう一つお店があり、そちらが本店になります。

南大塚駅の反対側北口を出て16号線を越えて、

福昌寺の横の道を真っ直ぐ、大東市民センターに続く道沿いにあります。

周囲はまさに大東地区の米どころで田んぼが広がる地域。

(近くには西武安比奈線の廃線路が。このすぐそばです)










こちらでも南大塚同様のお菓子が店内に並んでいます。


特に「こんがりぽてと 炭焼芋」は、

岸朝子さんが著書

「岸朝子の取り寄せでおもてなし」(Lady bird小学館実用シリーズ)で取り上げたほど。

さつま芋をこんがりと焼き上げたスイートポテトです。



南大塚駅前店のお菓子も本店のお菓子も、

本店奥にある工場にて日々、作られている。

あのふじ乃の和菓子は一体どんな風に作られているのか・・・??

ふじ乃の川上さんが真摯に向き合う、神聖なお菓子作りの現場に今回向かいました。。。


すでに今年の稲刈りは終わって一段落し、のどかな時間が戻ってきた大東地区。

田んぼを臨む本店では、朝の寒さが身に染みてきた季節となるなか、

この日も工場では川上さんが午前中から仕込みを始めていました。

「今日は饅頭の仕込みが特に多い日ですね」

と話しながら、手元はずっと、山芋に米粉を混ぜた薯蕷(じょうよ)饅頭の生地をこねつづけていた。

ここで日々、饅頭に限らずふじ乃のお菓子は作られ、

また、新しいお菓子のアイディアが生まれる場でもある。



饅頭は材料により、小麦粉を使ったものと、この山芋を使った薯蕷饅頭の2種類に分けられる。

生地ができたら、小豆餡を包んでいく工程へ。

父と息子、初代川上弘毅さんと二代目川上勝弘さん、

毎日向き合って仕事をする関係で、流れるような速さで次々に生地のなかに餡を詰めていきます。



ふじ乃の菓子に使う餡は、水に一晩漬けた北海道産豆をじっくりコトコト煮詰め、

熱伝導の良い銅鍋を用いて作る「直火練り」。

沢山の種類がある餡を自家製とするのは、

ふじ乃の初代、頑固親父・弘毅さんのこだわりです。

どんなに忙しかろうが、どんなに手間がかかろうが

「餡は菓子屋の命だ」と絶対に譲らない。



餡を包んだ饅頭に、蒸す前にお酢を入れた水を吹きかける。

これをすることで蒸し上がった時の饅頭の「割れ」を防ぐことができるという。

12分ほど蒸かすと、辺りに香ばしい香りが放たれる。

見ているだけでうっとりするツヤツヤの綺麗な薯蕷饅頭が出来上がりました。

オープンから変わらぬ素材と製法で守り続けてきた、ふじ乃の薯蕷饅頭。




出来立てを一つ頂くと、小麦粉とは違うお米の風味にたっぷりの餡、幸せのお饅頭でした。

お饅頭は本当に一個一個が手作り。

手でこね、手で包み、蒸し、手で焼印を押していく。

そして饅頭に限らず、お菓子というお菓子は全て手作りしているのです。

その後、小麦粉に黒糖を混ぜた生地の温泉饅頭の仕込みに取り掛かりました。

生地が出来るとすぐに餡を二人で詰めていく工程へ。




左手で生地を受け、広げ、右手で餡をすくい、生地の中に入れていく。

左手の平の中の動きで生地を丸めながら包み込むと、

あっという間に一つのお饅頭の形になっていく。

目にも止まらぬ早技ですが、

一連の動作にたくさんの小さな技が詰まり連続して美しい。。。

あとはお湯を沸かして蒸気で饅頭を蒸かしていきます。

これも出来上がりまではしばしの時間。少し待つとします。。。


店内を見回すと、

和菓子店の、この場所でお店をやるからこそというネーミング、

そのストーリーにまた、和菓子の奥深い世界に誘い込まれます。


「田面の月」、

「小江戸栗」、

「みよし野」、

「川越ゆめ街道」、

「八瀬の里」、

例えば田面の月は、中に栗が丸ごと入って月を表現していて、

川越ゆめ街道のパリパリした皮の最中を食べると、

川越街道を道をシャリシャリ歩いているような光景が思い浮かび、

八瀬の里は、八瀬大橋が架かる池辺から入間川を臨む風景が広がる。


ふじ乃がある川越の大東地区は川越の中でも特に広い地区で、

北に行けば田んぼが広がり、南に行けばさつま芋畑、

西には夏になれば梨やぶどうが園で実り、東には珍しい上円下方墳の山王塚古墳が残る。

現在の大東地区というと、南大塚駅が中心と捉えられていて、

もちろん一番人が集まり発展しているという意味では正しいですが、

大東の奥深さは駅から離れたところにあります。

駅から離れないと昔から遺る素の姿に触れることができない。そしてその素の姿がとてもいいのです。

大東地区のことは以前面白い角度で伝えたことがありますが、

広い地区だからこそ、東西南北で表情がまったく異なる。



(大東図鑑2013 http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12064666608.html

冒頭に掲載した富士山の写真は、この大東図鑑からのものです。

そして、先ほどの上生菓子の一つの水面に映る月は、

この大東の田んぼに水が張られた水面に映る月なのか、

はたまた入間川に映しこまれた月かもしれないと、想像するのも和菓子を頂く楽しみでもあります。


ふじ乃が川越にお店を構えたのが今から45年以上前のこと。

以来、ずっと通い続けてくれるお客さんも数多くいて、

子から孫へと3世代に親しまれている和菓子店です。

ふじ乃の初代、川上弘毅さんはこの道なんと60年の職人。

弘毅さんは中学卒業後15歳で和菓子の道に入り、

神奈川のお店や銀座の立田野で修行したのち、

川越の南大塚でお店を構えようと決意。昭和43年27歳の時のことでした。

1号店を構えたのが、旧大東出張所の近くで、

当時の南大塚といったら、和菓子店はおろかお店もまだ少ない頃で、

「東京から来た人がお店を構えるらしい」というニュースは、地域に衝撃を与えた。

開店日は、お店の前にまさに長蛇の列ができたと初代は振り返ります。


その後5年経った頃に今の本店となる場所に2号店を開き、

今から20年ほど前に南大塚駅前店をオープンしました。

ちょうどその頃に、初代の息子であり20代前半だった勝弘さんが二代目としてお店に入った。

勝弘さんは南大塚生まれ南大塚育ち、大東東小から大東中。

「商売しているお店で育ってずっと間近で仕事を見ていて、楽しそうに見えた。

物を作って販売する商売というものをやりたいなと漠然と思っていました」

もう中学生の頃から「いずれはお店を継ごう」と考えていたといいます。

和菓子職人になるために最低の技術を身につけるまでには

「5年はかかる」と語る初代。

こつこつと腕を磨いてきた二代目が、修行に入って10年ほどしたのちに考案したお菓子が、

今やふじ乃の代名詞として多くの人に思い浮かばれている、あのお菓子だった。

それが、創作大福。


季節によって種類は変わり、今の時季だと12種類ほどが並んでいる。

この大福シリーズは二代目が開発し、これまで幾度ととなくメディアで扱われてきたた人気商品。
扱われるたびに南大塚の風景が映り、地元民は歓声を上げてきました。
日本テレビ「ニュースリアルタイム」にふじ乃の大福が登場、
人気雑誌『ブルータス おいしいお茶の教科書。』の中の
「日本一の抹茶スイーツ決定!」に、抹茶オレ大福が取り上げられていた。
きょうの料理NHKテキスト『食彩浪漫8月号』<美味取り寄せ浪漫>コーナーに、
料理研究家の清水先生の推薦でふじ乃の「カフェオレ大福」が登場し、
また、一番衝撃的だったのは、今となっては懐かしいタモリさんの人気番組、
フジテレビ「笑っていいとも!」に出演したこと。

大福が登場し、お店は「南大塚駅」と紹介されても、

普段知ってる川越の南大塚駅のことには思えなかったことを覚えている。

出演者がカフェオレ大福に「美味しい!」と声を上げていたのは懐かしい思い出です。


そう、今でも不動の一番人気のカフェオレ大福は、

3種類のコーヒーをブレンドしたコーヒーあんと生クリームを
きめの細かい絹のような滑らかな肌ざわりの羽二重餅の生地 で包み込んだ一品。


川上さんは季節の旬を採り入れることにも意欲的で、

この秋にはかぼちゃオレ大福や和栗オレ大福、

そして川越の秋の味覚の代表選手、さつまいもオレ大福も登場しています。

さつま芋の餡と、林檎の果汁と砂糖で甘酸っぱく煮込んだ「角切りサツマイモの甘露煮」、

生クリームを羽二重餅で包み込んだ一品。

(ちなみにこれは、小江戸川越観光協会認定の小江戸川越ブランド産品 に選ばれている)

季節と合わせて地域の農産物を採り入れることに積極的な川上さんは、

大福だけでなくお菓子に使用しているさつま芋は、

同じ大東地区の荒幡農園さんのさつま芋を使用しているという。

(南大塚、荒幡農園のさつま芋畑)

「生産者のことを知っているし、信頼して使うことができます」と話します。

地域の畑で育った農産物が地域のお店で使われる地域マリアージュがここにもある。


他に定番の大福としては、

ブルーベリー大福、キャラメル大福、黒大福よさこい、黒豆きなこ大福などがあり、

抹茶オレ大福には、狭山茶の抹茶「明松」を練り込んだ餡を使用しています。

地元が誇る銘茶・狭山茶から作られる狭山抹茶明松は、
狭山茶の製造・販売をしている、『奥富園』さんから仕入れている。
奥富園さんは自家製造・加工した緑茶を毎年品評会に出品し、
農林水産大臣賞や埼玉県知事賞など数々の賞を受賞している優良茶園。
ご主人は、狭山抹茶「明松」をつくりだした【明松会】の発足人であり、現在も役員。
明松会とは、「狭山茶から抹茶を作ろう!」と、

狭山茶業協会の有志数名で立ち上げ発足した会。


実は抹茶工場明松というのは、以前河越抹茶茶摘体験で紹介した

まさにあの場所のことなんです。



関東唯一の抹茶工場が川越のお隣狭山にあり、ここで「明松」や「河越抹茶」が製造されている。


大福は季節のものとしては他に、

冬には冬ショコラオレ大福、みかんオレ大福

春にはさくらミルク大福、夏にはマンゴーオレ大福、トマトオレ大福がありました。

フルーツジュレ大福として、苺とフランボワーズの大福、甘夏とグレープフルーツの大福も人気だった。


ふじ乃の大福シリーズは、本店、南大塚駅前店だけでなく、

本川越駅近くにある小江戸蔵里でも販売されています。




(小江戸蔵里の明治蔵にて)

なぜ、ふじ乃は創作大福を始めたのか??

二代目が10年ほど前に、

「それまでふじ乃ではいちご大福が人気で、若い人に好まれていたんです。

大福で他の展開ができないか考えたところから、創作大福を作ってみようと思いました。

ちょうど仕事も覚えて、そろそろ自分オリジナルのお菓子を作りたいという時期でもあった」

そして創作大福、記念すべき第一作目が、あのカフェオレ大福だったのです。

抹茶などが後に続き、

さらに世の中のマンゴーブームに乗って大福に採用したのもふじ乃らしい新しさ。


川上さんの展開はこれに留まらない。

今から8年前のこと、2007年10月30日には、

なんとニューヨークで和菓子実演を披露したこともありました。

埼玉県川越市を中心とした県西部の若手経営者らでつくる「川越style倶楽部」が、

在ニューヨーク日本国総領事館公邸で「小江戸川越と歌麿の世界inニューヨーク」を開催。
これに川上も同行しニューヨークへ渡りました。
会場となった在ニューヨーク日本国総領事館公邸は、築百年以上という歴史的建造物で、
民間に貸し出す初めてのケースとなり、外務省もこの画期的なイベントに協力した。
米国人によく知られている浮世絵の喜多川歌麿に着目、「歌麿は川越出身」という説があり、
歌麿が活躍した江戸時代を切り口に川越の文化を実演で紹介し、川越をPRした。

当日のプログラムは、書道パフォーマンス、日本舞踊、江戸の食文化トークショー、
川越style倶楽部アレンジのおもてなし料理、和菓子実演、
川越祭りの祭り囃子の生の音と踊りと盛り沢山の内容でした。

(当時の実演風景)

川上さんは「私は、和菓子実演の担当として、また川越の和菓子職人として、
何をお出ししようかとかなり悩んだのですが『歌麿』がテーマとしてあったので、歌麿が描いた美人画、
その美しさと艶っぽさを表現できないかと考え、試作に入りました。

あわせて健康志向の強いニューヨーカーに植物性食品を原料とする

ヘルシーな和菓子の魅力を伝えたいとも考えました。

試作段階では、岸朝子先生に助言をいただいたり、川越スタイル倶楽部のメンバーともよく話合い、

たどり着いたのが色とりどりの餡を葛で包んだ和菓子『小江戸美人』でした。

お客様の前で本葛を使った皮生地をつくり、

にんじん餡(Carrot)、かぼちゃ餡(Pumpkin)、枝豆餡(Green Soybeans)、

紫芋餡(Purple Sweet Potato)、さつまいも餡(Sweet

Potato)、ラズベリー餡(Raspberry)、きんかん餡(Kumquat)の7種類を

手早く包む姿を披露するという趣向で、

おしろいに見立てたさつまいも粉をまぶして『小江戸美人』の出来上がり。

(小江戸美人)

鮮やかな色はすべて素材そのものの色です。

鮮やかな色とりどりの和菓子の競演を会場の皆様にも喜んでいただき、和菓子職人としてたいへんうれしく思いました。外国人の方々からも「素晴らしい」というお声もいただくことができました」

川越では洋菓子店や洋菓子を作る個人作家さんは多いですが、

和菓子店、とりわけ、手作りしている個人店となると意外に多くない、いや、現実は数えるほどしかない。

川越の街には和菓子が絶対合うはずどころか、欠かせないものなのに和菓子店が増えないのは、

参入するハードルが決して低くないのも一因かもしれません。

和菓子作りはやはり腰を据えた長い期間の修行が必要で、簡単に始められるものではない。

日本の四季折々を織り込むだけでなく、お店がある地域性も大事にしながら

そのお店だからこその和菓子が求められる。

そのなかで、代を継いだ若手がお店の看板を守り、

この道を究めようとしている事実も一方で川越にはある。

一番街の時の鐘横にある「福呂屋」の鈴木さんもそうだし、

ふじ乃の川上さんももちろんその一人。



(福呂屋 http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11767594197.html


川上さんは自分たちの地域、南大塚を盛り上げようと、

南大塚に伝わる伝統行事、「餅つき踊り」にも毎年参加している方でもあります。




(2015年1月南大塚餅つき踊り http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11977850464.html

10年以上前に栗原造園の栗原さんや荒幡農園の荒幡さんたちと共に、

「南大塚の伝統を継承しよう!」と揃って南大塚餅つき踊り保存会に入ったのだという。

以来、高齢化問題を迎えていた伝統行事を活性化させ、華麗で激しい餅つきを魅せています。

南大塚に限らず地域の伝統行事を支えているのは、多くは地域の商店や農家という現実。

果たしている役割の大きさに、感謝と尊敬を抱きながら、

地域に根を張る商店と農家の存在を忘れてはならないと肝に銘じたいです。

もちろん2016年1月の餅つき踊りにも川上さんたちは参加するはずなので、

そちらの雄姿もぜひ見て欲しいところ。


そして・・・ふじ乃といえば、以前15種類の大福を題材にして開催されたあのイベントのこと。。。

ふじ乃の大福が好きな人は、「今日はこれ、次はこれ」と

少しずつ制覇していくのを楽しみにしているものですが、

「いや、一度でいいからあれを一度に制覇したい」と立ち上がった企画があった。。。

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(2013年6月南大塚ふじ乃大福フェスティバル http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11561684446.html

あの後、川上さんもこの記事を見て、

「楽しんでもらえてよかったです」と話していました。


蒸し器に入れられたお饅頭が、どうやら出来上がったようです。

蒸気に包まれながら出された饅頭たちは、ぴかぴか光って輝いていました。






ふじ乃本店から、真っ直ぐ進んで大東市民センターを越えていけば、

目の前には田んぼが広がり、その先に富士山が見える時がある。

これから空気が澄んでくる季節になれば、なおさら富士山は綺麗に輝いてくるはず。

そういう場所にお店はあり、そういう土地の一つ一つを大事にしている和菓子店がある。

これからも、何十年とここで和菓子を作り続けていきます。


「四季彩菓ふじ乃」

■本店・工場
〒350-1162
埼玉県川越市南大塚1-25-21
TEL・ FAX 049-244-4065
E-mail  fujino@cronos.ocn.ne.jp
営業時間 9:00~18:00
定休日 水曜日


■南大塚駅前店
〒350-1165
埼玉県川越市南台3-1-21プライム川越南台1F
TEL 049-241-5655
営業時間  9:30~20:00
定休日 水曜日



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今年は9月中旬くらいからさつま芋が届いてきたのだという。

使用しているのは、川越の畑で育てられた「紅高系(べにこうけい)」。

「今年のお芋も美味しいよ」と話しながら、

熱せられた油にスティック状にカットしたさつま芋を落としこんでいく。




揚げている最中は、 箸でずっとかき混ぜていなければならない。

そうしないとさつま芋は重さで鍋底に沈み、焦げてしまう。

さつま芋の状態を見ながら高速でかき混ぜ続けていく。
だんだんと色付いてきて、茶色くなってきたのが分かった。

小江戸スティックにするためには素揚げを二回。


芋を一度揚げて鍋から出すとしばらく置き、

そして油の温度を上げた中にさつま芋を流し入れて、外側をカリカリにする。

これから二回目の揚げが始まろうとしていた。


今年も川越はさつま芋のシーズン到来、

同時に川越市内のお店でも、川越の新芋を使うシーズンが到来しました。

川越には料理にお菓子にと、さつま芋を使った様々な食べ物を提供するお店がありますが、

大学いも川越いわたさんにも、今年の川越の新芋が続々と届いています。

お店があるのは本川越駅から歩いて5分。

小江戸蔵里があるクレアモールを北へ進み、ひろ接骨院の角を右へ曲がるとお店が見えます。

新富町本店は、オープンから早くも5年が経ちました。

近くには樹齢600余年の銀杏の木で有名な出世稲荷神社があり、それも目印。







さらに二号店として、2014年9月には時の鐘店オープンしています。


(時の鐘店)

大学いも専門店ンとして、一番の定番はやっぱり大学いも。

外はカリッ、中はホクホクして、そしてあの蜜が絡むと幸せの味。

大学いもは和菓子でもなく洋菓子ともいえず、

おやつ、おかずとして親しまれている部分もあり、

人によっては食事、あるいはワインに合うと話す方もいるそうで、

その大学いもの幅広さは、裏を返せばさつま芋がいろんなシーンに合うという広さでもある。

大学いもは家庭で作られたり、量販店で販売されていますが、

しかし、あのほっくり感にあの蜜、美味しい大学いもとなると簡単にはできない。。。

そこはさすが専門店。


そして、いわたさんは大学いもが看板商品でありつつ、

さつま芋を使った今までにないお菓子を作ることにも意欲的で、

「大学いもだけじゃなく、いろんな人に来てもらいたいと思って、新しいものに挑戦しています。

新しいものを考えるのが好きなんです」

大学いも屋さんが手がける手づくリスイーツとして、

今までに数々の新商品、あるいは季節限定商品を開発してきました。

おいもチーズケーキは今やもう言葉が必要ないくらい定番化している。

川越style

プレーン・ごま・ショコラ・黒糖紫いも、と季節限定2種類の全6種類、

甘味に秘伝の蜜を使っています。

お皿もフォークもいらない手軽なスティクタイプのケーキで、ギフトやお土産にも求められている。


「カリカリ揚げ」は、薄く切ったさつま芋をカリカリに揚げて、

大学いもの蜜をたっぷり絡めたもの。
「おいもチーズケーキのMIX CUP(ミックスカップ)」は、

色々な味のケーキを食べやすいキューブ状にカットしてミックスして入ったもの。

食べ歩きにも最適、お持ち帰りもOKです。


いもころりんは、さつまいもを使った手づくり焼き菓子。

プレーン・いもの葉・紫いもの3色をミックスしています。サクっとした食感とやさしい甘さが人気です。


いわたさんの大学いも製造の現場は、ちょうど一昨年の今頃にも密着しました。

あれからもう二年になることが月日の経つ速さを感じる。

それに大学いも川越いわたというお店が、様々なメディアで扱われるようになって、

存在感がかつてよりもぐっと増しているように感じます。

昨年からの露出を見ても、

フジテレビ「正直女子さんぽ」で紹介、
文藝春秋社「100年レシピ」で紹介、
散歩の達人ムック「埼玉さんぽ」で紹介、
KBSラジオ「ゆうゆうサタデー」で紹介、
TBS「ひるおび!」で紹介、
読売新聞朝刊で紹介、
日本テレビ「ワケあり!レッドゾーン」で紹介、
るるぶ情報版埼玉で紹介。

もうメディアに引っ張りだこのお店となっている。


二年前は夏頃に来たので、もう灼熱という表現がぴったりな熱さの中で大学いもを揚げていました。

あの時は小江戸スティックだけでなく、お店の看板、大学いもを揚げているところを見たので、

貴重な光景をここにも引用します。

温度計を見ると、その部屋は50℃を超えていた。立っているだけでも汗が噴き出してくる暑さ。

目眩に襲われそうになりながら、設置された温度計を見ると50℃。

いや、50℃までしか計測できないものだったので、実際はそれ以上の暑さのはず。

この猛烈な暑さの室内で、黙々と鍋に向かっている後姿があった。

大鍋の油の温度は170~180℃。

目の前に立つ体感温度は、一体どのくらいになっているだろう。。。

多い時で、1日に10回もここで揚げるという。大学いもの揚げが始まった。

川越style

(2013年の記事から)

いわたでは小江戸スティックに使うさつま芋は川越産で、

大学いもに使うのは千葉県産ベニアズマと使い分けている。

大学いもは初代からずっとベニアズマを使用しているそう。

ベニアズマはホクホクしていて食べやすく、天ぷらなどいろんな用途に使えるのが特徴の品種で、

関東では一番ポピュラーなさつま芋かもしれません。

さつま芋は500~700、800gの2Lサイズのものを5本使用し、

180℃で「一回」揚げ。高温で一気に揚げていきます。

ここでもやはり、揚げている最中はずっとかき混ぜ続けています。
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生芋が大学いもになるまでの真剣勝負、いわたさんの代名詞、「大学いも」が出来上がりました。

という紹介をしていた2013年。

生芋から揚げてあっという間に完成する時間の早さは、

さつま芋のフレッシュ感を感じる一番の道かもしれません。


大学いも川越いわたは、この場所では開店からちょうど5年になりますが、

もともと初代が昭和五年に台東区で創業した、いわた本店が始まり。

例大祭の大御輿などで有名な東京台東区の鳥越神社。

そのほど近くに広がる延長約230メートルの商店街が「鳥越おかず横丁」です。

おかず横丁は、近隣の家庭におかずを提供してきた下町ならではの風情が残り、

今や地域を超えて、下町風情を求めた観光客にも広く愛される人気スポットとなっています。

この下町情緒溢れる商店街にあったのが大学いものいわた本店は、

地元はもちろん、遠方からもお客さんが訪ねて来るおかず横丁屈指の人気店でした。

いわたさんの母方のお祖父さんがお店を始め、

お祖父さん、お祖母さんが切り盛りするお店で、

いわたさん自身その大学いもの味は、

「小さい頃から食べて親しんでいた味」でもあったそう。

今は営業していない本店の味を、より多くの方に味わってもらおうと、

暖簾分けという形で川越で始めたのが「大学いも川越いわた」だった。

初代から数えると三代目にあたり、

素朴にして趣ある味わいはいわた創業当時そのままで、

初代と変わらない製法、変わらない蜜で作り続けています。

「川越はさつま芋の街で、もちろん加工品のお店はたくさんある。

なかでもその場で作り立てを提供するような、

こういうお店もいいんじゃないか??と思って川越で始めました」と話す。


川越でお店を構えてから、川越の街を改めて考えた時に、

いわたさんは思う事がありました。

川越芋。

川越芋というのは、川越市内で作られているさつま芋、ではなく、

三富(さんとめ)地域と呼ばれる、

埼玉県西部の、川越市、所沢市、狭山市、ふじみ野市、三芳町で

作られるさつま芋を総称して、川越芋と呼んでいます。旧川越藩領地という言い方もする。

地元の人も観光客も、

やはり川越市内で作られているさつま芋が欲しい、食べたい、という声は以前からずっとあり、

それに応えたいという思いがあった。

そこから、川越市内でさつま芋を作っている農家と繋がり、川越産さつま芋を使用するようになりました。

冒頭のいわたさんの小江戸スティックは、

川越の福原地区、下松原の戸田さんの畑のさつま芋です。

川越style


川越style

(2013年、戸田さんの畑を訪れるいわたさん。

この時戸田さんを知り、まさかその後

川越Farmer’s Marketに出店してもらうなんて、そもそも開催されていくなんて、

この時は露ほども思っていませんでした)


今では毎年、ここで収穫された紅高系が戸田さんによっていわたさんに運ばれ、

お店で小江戸スティックになっているという、畑からお店へ、そしてお客さんへというリレーがある。

いわたさんが、この畑のさつま芋を使うようになったのは2012年から。

「川越で川越芋を作る農家さんを応援したい」という思いがあり、しかし、

「良い芋じゃないと、美味しいものができない」と信頼できる畑を探していた。

戸田さんという生産者と出会い、毎年紅高系をお願いし、

年を追うごとに使用する量が増え、同時に畑の作付けも増えて、

二人のタッグは年々繋がりを広く、深くしています。

もちろん今年の小江戸スティックのさつま芋も、戸田さんの紅高系を使用している。


時は2015年5月、川越の街の至るところに輝く湖が誕生するような田植えの季節。
そしてこの月は、川越を代表する農産物の苗植えが始まる季節でもあり、

赤ちゃんのような小さな苗が市内あちらこちらに植えられています。
今年の川越のさつま芋作りが始まりました。


「まさに今日この時間が苗を定植するのにぴったりでした」
黙々と手を動かしながら、全ての条件が揃ったこの時を狙いさつま芋の苗を植える意味を語る戸田さん。

この日まで暑い日々が続き、土がパサパサになっていて、
「早く雨が降らないか」願いながら空を見上げていた。
ちょうど雨が降り土がほどよく湿った翌日、

土の温度が少し下がってきた午後の時間を狙って、苗を土に定植していきました。

「雨が降らない日々がずっと続いて、土に手を入れると火傷するくらい熱い温度でした。

そういう状態で苗を植えると苗の細胞が死んでしまう」

この日この時間というのは、そういう秘密があったのです。
苗を植えるためにビニールの口を切り、苗をまた手にすると、

手で土に穴を開け一本一本手で植えていく。

戸田さんが今年植えているさつま芋は、
紅高系、
紅はるか、
紅あずま、
シルクスイート。

一つの苗から、紅高系なら2キロほどのさつま芋が実るとのこと。

川越=さつま芋というイメージが定着している裏側には、

こうしたFarmerがコツコツさつま芋を作っている姿があります。


そして、この時から半年ほど時間は進んで2015年10月。

記憶に新しいあの酷暑や雨不足を乗り越えて、

今年の戸田さんのさつま芋は無事に収穫の時を迎えた。

見事なさつま芋が次々と土から掘り出されていました。





この畑で育ったさつま芋が、しばし熟成の時間を経て、

いわたさんの所へ運ばれています。

収穫が始まると毎週のように一度に50キロ、100キロという単位でお店に運ばれる。

ちなみに昨年は、戸田さんの畑から1.5トンのさつま芋がいわたさんで使われたのだそう。

紅高系は小江戸スティックへ、紅はるかは生の状態で店頭で販売されています。

(いわたさん店頭で販売されている戸田さんの生さつま芋、紅はるか)


再び場面はいたわさんの厨房へ。

戸田さんのさつま芋を使った小江戸スティック作りは、

一度揚げから二度揚げのタイミングがやってきました。

温度が上がった油の中に、スティックを再び投入していく。

二度目になると、見るからにふっくら膨らんでくるのが分かる。

最初のうちは鍋の底に沈もうとするさつま芋でしたが、

この段階になると逆に上に浮いてきます。

外側をカリっとさせたら、二度目の揚げは終了、あっという間の時間でした。

鍋から引き揚げられると、初代から変わらぬレシピで作り続ける秘伝の蜜つぼにスティックを浸します。


ゆっくりとかき混ぜると、

熱々の芋に常温の蜜、温度差で蜜が芋の中へ中へと染み込んでいきます。

最後に胡麻をパラパラと振りかけたら完成、

さつま芋の甘み、蜜の甘さ、二つのハーモニーが織り成す

これが、「大学いも川越いわた」のホクホクの小江戸スティック。

スティック状で食べやすく、川越散策の食べ歩きのお供にもなる一品です。





いわたさんのことはお店のことだけでなく、

いわたさん自身が、地域を盛り上げる活動に参加することに熱心なこともあり、

これまでいろんな繋がりの話しを伝えてきました。

ざっと簡単にこれまでを振り返っただけでも、

ここにもいわたさん、ここにも、といろんな場面でいわたさんの名前が登場しと、

川越のイベントに欠かせないような存在になっているのを感じる。

川越のディープ散策「小江戸のらり蔵り」の川越ツアーとは幾度となくコラボしています。

(2014年12月20日大学いも川越いわた×小江戸川越のらり蔵り

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11967704976.html

コラボが実現したのは、いわたさんは以前から小江戸川越のらり蔵りのことを知っていて、

のら蔵による川越の独自視点に注目していたことがありました。

いわたさんは、密かにずっと抱いていた思いがあった。

「物を売るだけではなく、他に喜んでもらえることを考えていました」と話し、

一緒に楽しいことしよう!とお互いの思いが噛み合ってとんとん拍子で進んだのだといいます。


現在毎月開催されている「狐宵市」では、開催日に毎回コラボして狐のお菓子を限定販売しています。



(2015年6月狐宵市 河越藩狐衆 http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12037169289.html


お店のチーズケーキで使用している河越抹茶では、

今年の春、その産地である碾茶の茶畑まで行って、

河越抹茶を使用する他のお店の方々と一緒に茶摘体験するいわたさんの姿がありました。


(2015年5月河越抹茶の茶摘み体験」河越抹茶の産地を訪ねる

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12036393456.html


今年も夏の大人の本気のお遊びイベント「第二回川越水かけまつり」では、

いわたさんは大学いもを差し入れ、のみならず、

自身も水かけ合戦に加わってびしょびしょに濡れて楽しんでいた。



(2015年8月第二回川越水かけまつり http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12068589373.html


最近では、2015年9月に開催された「川越ハンドメイドの雑貨市」にて、

川越のお店を巡るスタンプラリー協力店の一つとして参加していました。

協力店となるのも毎回の恒例のようになっています。



(2015年9月川越ハンドメイドの雑貨市より http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12076427529.html


そして今度はお店として前前に出る機会がやってくる。
2015年11月3日(祝)に蓮馨寺で開催される「小江戸川越お菓子マルシェ」出店です。

お菓子マルシェには、大学いもはもちろん、

一口サイズのチーズケーキが多種類入ったミックスカップなどを提供予定。

そしてマルシェで提供する大学いもは、通常の蜜の他にも、

野々山養蜂園の蜂蜜を使用したスペシャル蜜をかけて味わってもらおうと企画している。

これはその日だけの特別メニューです。

また、いわたさんのお店の新商品として「川越安納芋プリン」にも、

野々山さんの蜂蜜が使用されていくことになりました。

プリンは全部で3種類、キャラメル、大学いもの蜜、そして蜂蜜です。


(野々山養蜂園 川越の絶品蜂蜜の現場へ http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12065261924.html

希少な川越産安納芋を贅沢に使って、

ほとんど糖分は加えず、安納芋ならでは濃厚な甘味を生かしたプリン。
作ったいわたさん本人が、

「これまで食べたさつま芋のプリンの中で1番美味しいと思ったプリン」と語るくらいの自信作。

「地産のこだわり素材と味のコラボレーション!

これからも、こんな新商品企画をいろいろ実現できたらいいなぁ、なんて考えております」


これからもさつま芋にこだわって、さつま芋の可能性を広げていく。

川越のさつま芋がここにある。

さつま芋が美味しいお店です。

「大学いも川越いわた」
新富町本店

川越市新富町1-8-17
営業時間 10:00~19:00(定休日/水曜)
Tel&Fax 049-298-5164


時の鐘店

川越市幸町15-26
10:30~17:00(定休日/水曜)
Tel&Fax 049-299-5041



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次回川越Farmer’s Marketの概要が決まったのでお知らせします。
これだけの顔触れが揃うのはFarmer’s Marketだからこそ。お誘い合わせの上お待ちしています♪

2015年12月13日(日)「川越Farmer’s Market」
蓮馨寺境内広場&講堂 11:00~15:30
小雨決行 荒天時講堂内にて実施
地域の旬の農産物の販売と生活を豊かにするいろんなことを詰めこんだマーケット、2015冬をここに開催します。12月は冬野菜がたくさん集まります♪
《MARKET》
・みずほ農園(ほうれん草、小松菜、大根、白菜、ブロッコリー、さつまいも、お米等々)
・利根川農園(ブロッコリー、カリフラワー、黒豆、大豆、大根、アピオス、ヤーコン、鷹の爪など)
・耕福米(川越の福田、高梨さんのお米)
・福原ファーム(里芋、人参、大根、小松菜、白菜、ブロッコリー)
・なるかわ農園 ~さといも専門販売所⁉︎~(さといも、その他冬野菜少々、飯野農園の野菜も同時販売!)
・忍田農園(ほうれん草、人参、里芋、さつまいも、白菜、大根、その他)
・戸田農園(ほうれん草、里芋、さつまいも、人参、じゃがいも、やつがしら)
・野菜や ながの(さつまいも、里芋、長ネギ、ゴボウ)
・野々山養蜂園(蜂蜜)
・川越いちご園すじの(いちご)
・江田養鶏場(卵&卵屋さんのなめらかプリン)
・小野文製茶(お茶)
・石田園芸(花)
・シーズニングラボ(ハーブスパイス)

出品野菜は予定ですので変更する場合もあります。
どんな野菜が並ぶかは来てのお楽しみ☆

《FOOD&DRINK》
・Boulanger Lunettesブーランジェ リュネット(パン)
・Daily Stand Copoli(食事、ワイン)
・MIMI DINER×サニーサイドテラス(食事、お菓子、ドリンク)
・tobibako(食事)
・ほどほど屋エイト(食事、日本酒)
・おにぎり屋みれっと(玄米コロッケ)
・極選川越米(おにぎり食べ比べセット&Gallery&Cafe平蔵Presentsスペシャル牛汁)
・ミオカザロ(小江戸黒豚を使用した料理)
・まめつぶ(~地元野菜とまめつぶのスープ~野菜やながのwithみやび会)
・BANON(焼き菓子、ホットドリンク)
・komugi(焼き菓子)
・トシノコーヒー(コーヒー)
・鏡山
・Bar Quesera(ケセラ)(筋野さんのブースでいちごのカクテルのデモンストレーション&試飲13時~)
・出品さつま芋でホクホク焼き立て焼き芋♪

《雑貨》
・しろつめ雑貨店
・cotofog
・pomier&andA*
・Bagna càuda cap(バーニャカウダキャップ)
・アフリカンスクエアー
・K+ito
・おすし雑貨研究所(講堂内)

《BOOK》
・渚出版×シボネボルケ(本、ホットドリンク、焼き菓子)

《ワークショップ》
■広場
・レジン樹脂のアクセサリー随時1000円(しろつめ雑貨店)
・毛糸で作るキャンドルカバー作り随時 500円(koyuri)
・フルーツポマンダー作り13:00~1000円(メザンジュ)
■講堂内
・朝yoga 10:00~10:30¥500(講師緑「Love Life Yoga」)
参加は事前予約、お名前とメールアドレスを明記の上kawagoefm@gmail.comまで。予約優先、当日参加も可。ヨガマット持参。無い方はレンタルマット¥200、3日前までに予約をお願いします。
・みんなでワイワイ楽しくお味噌作り教室 13:00~¥1800(講師pomierみや)
参加は事前予約、お名前とメールアドレス明記の上 kawagoefm@gmail.comまで。豆を煮てあるところから、みんなで大豆を潰し、丸めていきます。
・◎ミツロウキャンドルとローズマリーのミニミニリース作り、◎天然精油で作るロールオンコロン(兼保湿オイル)作り各1000円。参加は予約優先、お名前とメールアドレスを明記の上kawagoefm@gmail.comまで(Herbal works ::LUOMU::)
・アイロンビーズ ●3Dケーキ小物入れ作り●キーホルダー作り(お土産付)随時 各500円(おすし雑貨研究所)

《トーク&ライブ》
・講堂内2階11:00~12:00頃 林鷹央&百生一喜による
「生物多様性里山ソング&トークライブ」

《体験》
・境内にて昔懐かしい足ふみ脱穀体験(かわごえ里山イニシアチブ)

《EXERCISE》
・ステージにて、ワクワク脳が育つ!笑顔が生まれる!親子でハッピーエクササイズ(脳トレシナプソロジーと親子で体操)「新河岸はるはるスタジオ主宰 岡田陽子」

《MUSIC》
10:30~親子でハッピーエクササイズ
11:00~尚美学園大学
11:30~アンサンブル はつかりーな
12:00~LiLo&飯田理乃
12:30~stellatica*、ハライソ
13:00~尚美学園大学
13:30~百生一喜と生きものがたり
14:00~親子でハッピーエクササイズ
14:30~stellatica*、ハライソ
15:00~LiLo&飯田理乃

■川越Farmer'sMarketコラボイベント!
イベント当日、西武新宿線南大塚駅南口前「パティスリー ルアンジュ」にて、出店Farmerの筋野さんのいちご、鳴河さんのさつまいもを使用した当日限定スペシャルケーキを提供予定♪

主催 :川越Farmer'sMarket実行委員会
後援:川越市、(公社)小江戸川越観光協会
協賛:川合住宅設備株式会社、カワゴエン
協力:蓮馨寺、中央通商店街(昭和の街)、NPO法人川越蔵の会、KAWAGOE〼MEDIA、尚美学園大学、かわごえ里山イニシアチブ

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2015年10月18日川越まつり二日目最終日夜、提灯が灯され煌々と輝く連雀町太田道灌の山車。


「山車が動くみたいだよ!」興奮気味に話す沿道の観客が聞こえるなか、

18時に熊野神社前を出発した山車は、まず北へ進路をとって進んでいった。

昨年は先に南、本川越駅方面に進んでいったが、今年は始めに北進を選んだ連雀町。


「ソーレー!ソーレー!」

提灯を手にした曳き手たちの掛け声はいよいよ力が入り、

午前、午後の部を経て、大人の本気の祭りが始まろうとしていた。

囃子も迫力が増し、聴く者の身も心も動かすような音は、これぞ祭りという様相になっていく。

川越の様々な場でお囃子は見られ、一年間いろんな場で聞いてきましたが、

やはり、川越まつり二日目の夜の山車上の演奏と舞いは特別です。

中央通りを進みながら各所で山車を停めてはそちらに向ける。

日中は山車を向けるだけでしたが、夜は曳き手たちが間に入っていき

提灯を乱舞させる曳っかわせの時間です。

一路一番街まで来て、川越まつり会館まで辿り着いた道灌の山車。





ここでも山車を向けると、曳き手たちから不安めいた声が聞こえてきた。。。

「山車が見当たらない。。。」

北を見ても南を見ても山車が一台も見えなかったのです。

曳き手たちだけでなく、

一番街で曳っかわせを観たいと構えていた沿道の観客も肩透かしだったかもしれません。
幸町の小狐丸の山車はこの時既に、六軒町方面に行っていたはずで、

松江町一丁目の龍神の山車はまだこれから一番街へやってくるはずだった。

微妙にタイミングが合わなかったのだ。
夜の部もそれぞれの町内の山車運行ルートはあって、全部が同じ道を通るわけではなく、

また、ルートは決まっていても現場の状況で時間通りにいかないのが当然。

だから山車が出会う曳っかわせは、その時間その場所でというのは、

最終的に偶然という運任せでしかなく、一つ一つの曳っかわせは奇蹟のようなのだ。
今年の川越まつりの参加山車は13台と少なく、

一つの曳っかわせがより貴重なものになっていました。


午後6時15分、連雀町は川越まつり会館からUターンし、今度は来た道を戻るように南進していく。

夜の一番街を一台だけの山車しかいないのは、贅沢のような寂しいような、不思議な感覚。

埼玉りそな銀行前、幸町会所に山車を合わせる。

遠くを見渡しても、幸町の小狐丸の山車の灯りはやはり見当たらなかった。

・・・と、

「あそこに居る山車はどこに行くんだ」

連雀町の副宰領が遠くに提灯の灯りが見える山車を指差す。

あれは・・・野田五町の八幡太郎の山車だ。

野田五町は夕方からの出発で、連雀町交差点から北上してきたところでした。

「どっちに来るのか、ちょっと行って確認してきて!」

先触に指示を出すと、二人はすぐさま駆け出していく。

現場がにわかに騒然となる。あの山車に合わせられるかもしれない。

帰ってきた先触によると、やはり野田五町はこのまま一番街を北に来るらしい。

こちらに来るのを待って、連雀町を左、野田五町を右にして合わせることになった。

(野田五町八幡太郎の山車が近づいてくる)

いよいよ川越まつり二日目夜、現場では初の曳っかわせが行われる手打ちとなりました。

一番街の沿道を埋め尽くす人。

この通りで山車同士の曳っかわせを見たいという人は大勢いて、

連雀町の山車と野田五町の山車が曳っかわせするのではないかと、

固唾を飲んで見守っているようだった。

熱気溢れる囃子で八幡太郎の山車を迎えようとしていたその時・・・

連雀町がばたばたし始める。。。思いがけない知らせが駆け巡った。


「そこの角から六軒町が来てます!!」


角になって誰も気付かなかった、埼玉りそな銀行向かいの路地、

行傳寺方面からの細道を一番街に向かって進んできたのが、六軒町の三番叟の山車だった。

「六軒町の山車捜していたんだけど、あそこにいたのか」連雀町の先触が声を上げる。

急いで六軒町と話しを合わせると、路地から出た場所、

埼玉りそな銀行前で合わせることになった。

六軒町の先触れが連雀町の副宰領のもとへやって来ました。


「六軒町です、左側に山車入れさせてもらいます。その後うちは札の辻に行きます」


沿道を埋める人の喧騒に、囃子の演奏、町方の掛け声の中、大声で段取りを詰める。

角から出たところで二つの山車は合わせることとなった。

角からまず高張り提灯が出てきて、その名に、来たのは六軒町であることを場が理解した。

そして綱先の姿が現れ、続いて六軒町の曳き手たちが

「ソーレー!ソーレー!」という掛け声のもと次々と一番街に姿を現しました。

いよいよ・・・六軒町の三番叟の山車が姿を見せた瞬間、

「おお!!」「来た!!」「あそこから出てくるなんて!」「曳っかわせだ!」

ドラマチックに現れた展開、目の前で曳っかわせが行われる期待感、

沿道からも連雀町からも歓声が上がった。

鳶頭によって山車が向き合わされ、さらに近く寄せられると、

山車と山車の間に提灯を手にした両町の曳き手が入り込んでいく。

「早く!早く!急いで来い!」

これが、夜の部初の曳っかわせとなりました。



六軒町の三番叟の山車は、会所を出た後、

行傳寺から真っ直ぐ一番街に来て北の札の辻に向かうという運行ルートになっていました。

連雀町はここから南に向かう、ということは、

一番街に現れるのが遅かったら連雀町とは合わせられなかったということになります。

偶然としかいえないような二つの町内の合わせでした。

この後両町、逆方面へと進んでいきました。

山車の運行ルートは、それぞれの町内で事前に決めていて、

重なっていればどこかで曳っかわせをする可能性が高まりますが、

ルートが重なっていても時間が重ならないと合わせられない。

連雀町と六軒町は、その時間でしか、という絶妙なタイミングで出逢うことができました。

また、お互いに逆側に進んで行った後Uターンしてくるので、

夜の部最終版の時間帯に、通りのどこかでまた出会うかもしれない。


その後、こちらに向かって来た野田五町と改めて合わせていきました。

偶然にも埼玉りそな銀行を背景にした、美しい曳っかわせを魅せました。


連雀町はこの後南進、六軒町と野田五町は北へ進んでいったので、

きっと北の方で二台は合わせて沿道の観客を沸かせていたに違いない。

本川越駅方面へ、中央通りを南に進む連雀町は、要所要所で山車を止めては挨拶していきます。



山車と向けるたびに提灯を掲げて「オ!オ!オ!オ!オ!」と盛り上がる。

そしてその間も、

「新富町二丁目ですが、こちらに山車が向かってます!合わせていいですか?」と

連雀町に先触が駆けてきた。

新富町二丁目が本川越駅方面から北に進んできたようで、

ちょうど連雀町交差点あたりで合わせることになりました。

川越駅、本川越駅周辺の町内の夜の部は、

本川越駅前交差点から北へ行ってから

仲町交差点や札の辻でUターンとするいうルートを取るところが多いので、

この通りではどこかで合わせる確率は高くなります。

話は新富町二丁目の鏡獅子の山車が通りに停まっているところに、連雀町が寄せていくことになった。

じりじりと山車を近づけ、曳っかわせか?という周囲の期待に応えるように、

鳶頭がさらに山車を寄せていく。

曳き手が提灯で囃したて、囃し手がさらに演奏に力を込める。

二台の曳っかわせが実現しました。



(連雀町道灌の山車と新富町二丁目の鏡獅子の山車の曳っかわせ)


この後連雀町はさらに南へ。新富町二丁目は北に進んでいったので、

先ほどの野田五町と六軒町と通りのどこかで合わせていたかもしれません。


本川越駅が近づいてくると、人だかりができているのが見える。

川越まつり夜の部の曳っかわせ、

あの交差点にいればきっと数台の曳っかわせが見られるはずと、多くの人が待ち構えているようでした。

既に交差点にいたのは新富町一丁目の家光の山車と、脇田町の家康の山車だった。

左右に分かれて留め置かれているのが遠くに見える。


(本川越駅前交差点、既に右に脇田町、左に新富町一丁目の山車が留め置かれている)

脇田町の先触が飛んできて、「連雀町は山車をどう入れますか?」確認に来る。

声は上ずって表情は紅潮している、

どこの町内の先触もそうだが、みなずっと走り回って冷静なテンションではなくなってくるよう。

連雀町「二つの山車の間にうちが綱入れます!」

脇田町の先触が戻っていき、これから本川越駅交差点にて3台による曳っかわせがこの時決まった。


ゆっくりとゆっくりと交差点に近づいていく連雀町道灌の山車。

それは、交差点の四つ辻で待っている観客からしたら、ボルテージが高まっていっているはず。。。

交差点に二台の山車がいるところに、

『あ!向こうからも山車がやって来る、3台がここに集まりそう。凄い展開になった!』と。

その期待は、ゆっくりと山車の歩を進める連雀町もしっかりと把握していました。

今から、これぞ川越まつりという曳っかわせを見せにいく、曳っかわせをやりにいくぞ。

道灌の山車に並走するように本川越駅前交差点に向かう人の波ができている、

みな期待しているのだ。

本川越駅前交差点は広いので、現代の川越まつりでは一番人が集まる辻であり、

たくさんの山車を入れ込むことができるのもここでした。

交差点中央、これ以上ない川越まつりが盛り上がる舞台、

二つの山車に挟まれるようにして道灌の山車を入れていく。

3つの囃子が混ざり、場はまさに興奮のるつぼ。

山車を回転させ、3台が正面を向け合った。そして、さらに寄せていく山車さばき。

「ほら!入れ!入れ!前行け!」

提灯を持った町方の背中を押し、どんどん3台の真ん中に入れていく。

「もっと前行け!入れ!曳っかわせだぞ!!」

・・・と言いながら、「ばかやろう!こんなに人が入ったら山車が寄せらないよ!」

ここで盛り上がらなかったらどこで盛り上がるのだと、みな分かっていた。

さらに山車が寄せられ、囃子がカオスのように混ざり合う。

提灯を乱舞させて「オオ!オオ!オオ!オオ!オオ!」雄叫びが夜空に響いていた。

時計の針は午後7時45分、

脇田町の徳川家康の山車、

新富町一丁目の徳川家光の山車、

連雀町の太田道灌の山車、

3台による曳っかわせが行われました。

この場面に言葉を添えるのは野暮と承知して付け加えますが、

今年は、徳川家康公没後400年事業として、川越でも数々の関連行事が行われてきました。

川越まつりでも、家康にゆかりのある

脇田町の徳川家康の山車と新富町1丁目の徳川家光の山車が、

まつり初日の10月17日に仙波東照宮と喜多院へ記念参拝を行っています。

そして、川越まつり最終日の夜、この3台による曳っかわせは、

偶然にして最高の400年イベントになったのではないでしょうか。

そう思わずにいられないのは、

脇田町は会所が離れているため、時間内に帰るためにもう時間が迫っている頃で、

連雀町がもう少し遅かったら3台は合わなかったかもしれない。

後々まで語り草になるであろう3台の曳っかわせは、

400年目の夜に、家康公が最後に目に焼き付けたいと、

見えない采配をふるったとして思えないような奇蹟でした。

見事な曳っかわせを披露し、

沿道から惜しみない拍手が送られました。


午後8時過ぎ、まだ時間は交通規制が解かれる時間を考えてもまだ一時間以上余裕がある。

本川越駅を出た連雀町は、来た道を戻り、北へ進路を取ります。

ここからは、札の辻など北へ進んで行った山車がUターンして戻ってくるので、

合わせるタイミングが多くなる。



(連雀町道灌の山車と松江町一丁目龍神の山車の曳っかわせ)


途中、末広町の先触が連雀町にやって来て、

末広町「向こうにうちの山車があるんですが、合わせられますか」と息を切らしてやって来た。

ただ末広町はもう会所に帰る時間が近づいているという。

今年は山車が少なく、なかなか曳っかわせを合わせるタイミングがない、

もし合えば道灌の山車と合わせたい、と。

そういうことならと、

連雀町内がばたばたし出し、先触、副宰領、鳶頭がなんとか末広町が待つ所に行きたいと画策したが、

辿り着くまでに通りの居囃子などに山車を向けていくと、

まだまだ時間が掛かりそうだった。

ほんの数百メートル、そこに末広町の高砂の山車が見えているにもかかわらず、

合わせられないもどかしさ。

末広町のもう帰らなければならない、

連雀町のまだもう少し時間が掛かるというずれで・・・曳っかわせは行われることはなかった。

高砂の山車は会所に戻るために北へと舵を切りました。

末広町は残念そうな表情で、

「また来年以降よろしくお願いします。お疲れ様でした」と言葉を残していきました。


その後、連雀町の交差点で合わせたのが、野田五町の八幡太郎の山車。

この交差点も絶好の曳っかわせポイントとして、待ち構えている人たちが大勢いました。




(連雀町道灌の山車と野田五町八幡太郎の山車の曳っかわせ)

この時の時間を考えると、野田五町ももう自分たちの会所に帰らないといけない。

野田五町もこれが最終盤の曳っかわせになったはず。

思えば今年は、連雀町と野田五町は、昼から数えて夜の曳っかわせもよくタイミング合いました。

二台による最後の囃子の競演、曳っかわせが終わると、

この後八幡太郎の山車は川越日高線を西に進み、

六軒町交差点から川越市駅踏切を越えて帰っていくことになります。


道灌の山車は連雀町交差点からさらに北に進むと、向こうからやって来た六軒町と合わせる。

(連雀町道灌の山車と六軒町三番叟の山車の曳っかわせ)

夜の部、連雀町が一番街埼玉りそな銀行前で初めて合わせたのが六軒町で、

あの後お互い逆方面へ進みましたが、Uターンして川越まつり終盤で再び曳っかわせが実現しました。

さらにUターンして来た新富町二丁目の鏡獅子の山車とも合わせ、

連雀町は仲町交差点に辿り着こうとしていた。
「ソーレー!ソーレー!」
既に時間は午後9時15分を過ぎていた。山車を格納しなければならないのは9時40分。

仲町交差点で最後の曳っかわせを魅せる、

そこが2015年川越まつりのクライマックスになりそうだった。

仲町交差点が見えてくると、

そこにいた山車は・・・

末広町の高砂の山車だった。。。!

先ほどタイミング合わず、「また来年」と離れていった山車は、

会所に帰るギリギリの時間で仲町交差点に留まり、そこに連雀町が奇蹟的に追いついたのだ。

山車を回し交差点中央に向ける高砂の山車、そこに道灌の山車が入っていく。


さらにもう一台・・・

佐久間旅館方面から、Uターンしてきた幸町の小狐丸の山車が加わる。。。!

幸町も会所に帰る途中で、これ以上ないタイミングでした。

連雀町道灌の山車、

末広町高砂の山車、

幸町小狐丸の山車、

この日初の町内同士の曳っかわせが2015年川越まつり最後に訪れたという巡り合せ。





最後の最後の曳っかわせで魅了した3台は、

それぞれの会所への帰路につきました。

連雀町道灌の山車は、来た道を熊野神社へ向けて真っ直ぐ戻る。

「ソーレー!ソーレー!」

もう声が枯れがらがらになりながらも、最後まで大声で山車を曳いていく。

今年もたくさんの曳っかわせができた、表情はみな、充実感でいっぱいのようだった。

通りを進みながら、また各所で山車を向けて最後の挨拶していきます。





午後9時半、2015年川越まつりも終わろうとしています。

今年を振り返って、というより今年もになりますが、雑感。

午前中から観光客の方に「曳っかわせはどこで?」と訊かれたりしましたが、

午前はどこも町内曳きから始め町内の繁栄を願い、それが優先されるので、

山車が近づいても合わせない事も多い。

フェスティバルではなく祭礼という川越まつりらしい雰囲気が特にある午前の部。

その辺りを含めて、「午前の部」と分けて書きました。

二日目「午後の部」の市役所前山車巡行も、

山車が勢揃いするのではなく、一時間半の幅の中で山車がやって来るというものです。

山車が時間を決めて一堂に会するのは難しいことは、

午後の部を読んでもらえれば分かると思います。

一日目の山車揃いが実現できるのは、神幸祭で集まるからというのがある。

「夜の部」の曳っかわせの、

一回一回が多大な時間とエネルギーが注がれて実現していることも伝えたかったことでした。


今年の川越まつりもドラマチックな曳っかわせがいくつもありました。

埼玉りそな銀行前での道灌の山車と六軒町の三番叟の山車の曳っかわせ、

そして本川越駅前での、家康、家光、道灌の山車の曳っかわせ。。。

川越まつりで毎回思うのは、単に曳っかわせが行われるだけでなく、

なんでこんな劇的な曳っかわせがいつも起こるのだろうということ。

それは、町の人が道を駆け回って合わせようとしている現場があるからこそで、

曳っかわせに偶然はない。

山車がお互い数百メートルも離れたところから話しを擦り合わせているわけで、

たまたま通り過ぎたという瞬間的なことではないのです。

全ては人が作り上げていること・・・と前提を押さえた上でも、まだ、思う事がある。

その時間、その場所に、

お互いがいなかったら起こり得なかった曳っかわせがあって、

では、あの曳っかわせの脚本は誰が書いているのか・・・??

冒頭で、「だから山車が出会う曳っかわせは最終的に、偶然という運任せでしかない」

と書きましたが、最終的には、

もしかしたら・・・いや、やはり、神様の見えざる手が働いているんじゃないか。

観たかったんじゃないか。

一年に一度の祭りを楽しみ、町民を楽しませようと、

ちょっとした匙加減があったんだろう、そう思うと妙に納得する。

それが川越まつりだと考えたら、しっくりくる。


熊野神社にたどり着くと、山車を通りから中に入れる。

最後の舞い手、天狐が舞いながら、

「川越まつり~~」「オ!オ!オ!オ!オ!」

「連雀町~~~」「オ!オ!オ!オ!オ!」

と何度も提灯を跳ねさせて盛り上がる連雀町。







2015年の川越まつりは、川越市発表で二日間で93万9千人の来場者がありました。

参加山車は13台。

幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車
六軒町 三番叟の山車
末広町 高砂の山車
脇田町 家康の山車
新富町一丁目 家光の山車
岸町二丁目 木花咲耶姫の山車
川越市 猩々の山車
志多町 弁慶の山車
松江町一丁目 龍神の山車
連雀町 道灌の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
野田五町 八幡太郎の山車
旭町三丁目 信綱の山車


一年に一度川越まつりを経るごとに、川越の街はより色濃くなっていく。

川越まつりの街川越は、来年に向けて動き出していきます。


2015年川越まつり完。そして2016年へ。。。


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2015年10月18日川越まつり二日目最終日、

午前の町内曳きが終わった連雀町は、熊野神社前に太田道灌の山車を留め置き昼休憩となった。

川越まつりでは各町内、時間が違っても昼休憩と夕方の休憩が二回あります。

休憩の間、居囃子の周りには観光客が集まり、山車や囃子を写真に収めている。

午後の部になると、いよいよ町内を出て山車を曳き廻していく。

特に13時半~15時までの間、

市役所前に山車が集まる山車巡行は二日目午後の部の目玉の一つ。


13時半、連雀町の副宰領が「山車出ますので道開けてください!」と声を上げ、

人の間をかきわけるようにして綱を張り始める。

午後も出発に先立って鳶による神聖な木遣りが始まる。

頭によって拍子木が二つ打たれると囃子の笛が吹かれ、

「ソーレー!ソーレー!」と山車を曳いて行く、という一連の流れは午後も同じで何度見ても美しい。

小気味良い太鼓がテンポを作り、午前も午後も山車の出だしは天狐が舞っている。





午前の町内曳きを経て、祭りの雰囲気はだんだん人を染め上げ、

午後になるとぴりぴりするような空気感に変わってくる。

川越まつりはこれから時間を追うごとに空気が張り詰めていきます。

熊野神社を出た道灌の山車は、道いっぱいに広く綱を張りながら

川越日高線をゆっくりと東の方へ進んでいった。

「ソーレー!ソーレー!」

そして要所要所で山車を停めては、山車の向きを変えて挨拶していきます。



川越日高線はすぐに松江町一丁目に入っていくので、

大正浪漫夢通りの入口辺りに差し掛かると

連雀町の先触はすぐさま前方へ走り出していった。

山車が町境を越える前に松江町一丁目の会所に赴いて、通行の許可を得てこなければならないのだ。

川越まつりで山車がスムーズに曳行されている陰には、

町内の人たちがこうして現場を走り回っている事実がある。

松江町一丁目から帰ってきた先触が宰領に伝える。

「今、会所の許可得てきました」

そして、通行の許可を得るだけでなく、その後

町境に立って待ち構えているのが、松江町一丁目の案内人二人だった。

こういうところが川越まつりの伝統で素晴らしい部分。


松江町一丁目の案内人は、連雀町の山車が自町内に入る境から案内し、

先頭に立って会所まで露払い役を演じるのです。

その後も山車が自町内を出るまでまた先導するという、

迎えと見送り、というのが川越まつりの粋な伝統。

もちろんこれは、連雀町内に他町内の山車が入ってくる時も、

連雀町の会所で待機している人が案内人として迎えと見送りとしています。


交差点で停止した後、綱を北側に急いで張って、町の人も大移動した後、

ゆっくりと向きを変えた道灌の山車は、川越街道を北へ進んでいく。

松江町一丁目の交差点から市役所までの風情ある川越街道の風景と山車がよく合う。

やはり歴史ある道と山車の相性はぴったりです。










この数百メートルという区間の山車の曳行は、今あまり見返されることはないかもしれませんが、

川越まつりらしい色濃さを残して、魅力が詰まっている通りであります。

通りに遺る古い建物もそうですが、実はこの道幅が山車をより映えさせているように思う。

広過ぎず、ちょうど良い狭さと高さで建物との間を縫うような形になるバランスは、

かつては道幅から計算して山車を設計したはずで、その名残が残っていると妄想したくなるほど。

街道の風景は変わっていても、かつて賑わったであろう川越まつりの喧騒が、

そこに再現されるようで特別な気持ちにさせられます。

この通りには、松江町一、二丁目、大手町の会所があり、その会所自体の建物の風情も見もの。


道灌の山車から響く囃子の音色を聞きつけた松江町一丁目の人たちが

会所から出て迎えていました。

「ソーレー!ソーレー!」

頭が拍子木を打ち山車が停められると、会所正面に向きを変えて挨拶します。


囃子に一層力が入ると、会所から拍手が沸き起こる。

そしてこの間も現場は動いていて、綱の外の警護の人が周りの無事を常に気にし、

先触がすぐ先にある次の会所、松江町二丁目へと駆けていっている。

山車はまた方向を正されて、北へ進んで行きます。

「ソーレー!ソーレー!」

(松江町二丁目に入り、案内人が連雀町を先導する)

松江町二丁目の会所でも、既に表に出て連雀町を迎えようとしていた。

ここでも頭の合図で山車が止められ、会所に山車の正面を向けて挨拶します。





その後は、町境まで松江町二丁目の案内人が見送りし、

続いて町境で大手町の案内人が待機していて、連雀町の山車曳行の案内に立つ。

城下町らしい大手町のクランクを見事な山車さばきで越えると、

大手町の会所と居囃子に山車を向けていきます。



街道を真っ直ぐ進むと川越市役所が見えてくる。

川越まつりでは両日とも、市役所前に山車が揃うというのが恒例行事で、

初日は山車が勢揃いする「山車揃い」ですが、

二日目は13時半から15時頃までに、時間差で山車が次々にやって来るという「山車巡行」。

なぜ時間に幅があるのかは、

ぴったりの時間に山車を一ヶ所になかなか揃えられないというのは、

連雀町のこうした現場の様子を見てもらえば納得してもらえるのではないでしょうか。

思ったより早く運行している、思ったより時間が押している、とそれぞれの町内の当日の事情があり、

だから二日目の山車巡行は、13時半から15時頃までの間でと幅を持たせているのです。

この時時計の針は14時半。

15時頃までなので、市役所にはもう山車が残っていないかもしれない、

先触や宰領、鳶頭が先に走って行って市役所前の状況を確認しに行くと、

やはり、他の山車は早い時間に市役所に到着して既に移動しているようだった。

ただ、一台は居る、と。。。


市庁舎が見えてくるとだんだんと人の数も増え、

山車がやって来るのを楽しみにしている方が詰め掛けていた。

そこにいた山車は、川越市の猩々の山車と・・・

野田五町の八幡太郎の山車も居た。。。!

しかし野田五町は猩々の山車に合わせた後で、もう移動しようとしているところだった。

(野田五町の八幡太郎の山車)

野田五町が遠くから連雀町が向かっているのを確認した。

「向こうから連雀町が来ている。どっちに行くんだろう」とわさわさ騒然となっていた。

連雀町の先触の所に野田五町が駆けてくる。

方向を確認し、せっかくのタイミングなので、

野田五町「うちが真っ直ぐ抜けた後に連雀町に合わせたい」と申し出る。

・・・が、

連雀町「時間がなくてここでは合わせられない、申し訳ない。またどこかで」

野田五町「そうですか、ではうちは札の辻の方に真っ直ぐ行くので、綱を入れないで待っていてください」。

連雀町「分かりました。その後にうちが市役所前に出ます」

先触同士が確認し合い、戻ってくると進路を町内に伝える。


「野田五町が札の辻に移動してからこちらの山車を市役所前に入れます」


市役所前交差点で八幡太郎の山車が進んで行くのを確認した後

連雀町が山車を進めて、市庁舎前に辿り着いた。

まず市役所前では、待ち構えるお客さんの方に山車を向け、お囃子を聞かせた後、

川越市の猩々の山車と向かい合わせになってお囃子競演が始まる。。。

始まろうと・・・していた現場鳶が慌しく準備し始めたところに、

今度は川越城本丸御殿方面から山車の影が小さく見える。

あれは、脇田町の徳川家康の山車だ。

市役所前を埋め尽くした人からは「あっちからも山車が来た!」と歓声が上がる。


このタイミングで向こうから新たに山車がやって来ることは誰にも想像できないことで、

全てはリアルタイムで刻々と変わる現場の状況に合わせて決めていく。

連雀町は家康の山車を背後先に行かせてから、猩々の山車に向き合おうと判断。






さらに背後を通過した後停止していた家康の山車に対して、

逆側に山車を回して合わせる、という山車さばきを見せる。

客席から「おお!」とどよめきと拍手が起こります。


市役所の山車巡行を終えた道灌の山車は、

元町一丁目の案内人の先導で、札の辻方面へと進んでいく。

途中元町一丁目の会所に山車を向け挨拶。



その先、札の辻が見ると、

すでに人だかりができていて、山車が近くにいるような気配。

先ほど市役所から先に出ていった野田五町の八幡太郎の山車がいるのかもしれない。


辻という場所は、川越まつりでは何かを期待させるものがあって、

数台の山車が合わされる瞬間に立ち会える確率が高まる。


ここからの札の辻での3台による曳っかわせは、

これぞ川越まつりという特に素晴らしいものだった。

それは曳っかわせ自体の迫力だけでなく、3台を向かい合わせにした鳶たちの山車さばきが芸術的。

川越まつり午後の部でも白眉だったかもしれない。

一番先に札の辻に入ったのは連雀町だった。

札の辻に到達した連雀町は、別の2つの方向の道に山車があるのを確認、

一台は先ほど出た野田五町、

もう一台は背後から来る脇田町、

ここで3台合わせられるのではにかと画策を始める。

この時は一旦、道灌の山車を交差点の少し奥に留め置いた。

辻から少し奥に置いたのは、

その後北から野田五町の八幡太郎の山車がやって来て辻を通すため。

野田五町は辻を過ぎ、一番街側に停める。

さらに市役所方面からは今合わせた脇田町の家康の山車がやって来て、札の辻に入ってくる。

脇田町の先触が飛んできて、話しを擦り合わせると、

これで札の辻に3台が集まる形になった。

もちろんその間もそれぞれの山車の囃子は止むことなく続き、

3台は札の辻の中央で向かい合わせになったところから・・・さらにじりじりと寄せていった。





なぜ連雀町が、一旦奥に山車を進めたのかというと、

野田五町が一番街方面に進んでいくことを考えてのことだった。

さらに後方から脇田町が来ているので、奥に置かなければ脇田町が札の辻に入ってこれない。

山車のその先の進路のことまで考慮しながら、辻で山車を置く位置を決めている鳶の山車さばき。

さらに素晴らしいのは、山車を通り過ぎさせてから、回転させて合わせるというダイナミックさ。

これも、回転させることを考えてどこに山車を停めればいいか決めている。


連雀町はここから、菓子屋横丁の先にある元町二丁目の会所に向かうのが昨年でしたが、

道灌の山車はここから北へと行路をとった。。。そう、喜多町方面だった。

山車の運行ルートは毎年大体同じものですが、

(もちろん当日の状況で、予定ルートをカットするといった判断もある)

年によってイレギュラーなルートが入ることもあり、今年はまさにその年でした。

「ここの道は初めて通ります」と宰領が語るように、

初めての道に道灌が通る様は不思議な感覚。

なぜここを通っているのかというと、

今年は喜多町の会所に向かうという新たなルートが設定されていたのです。

それは連雀町だけでなく、他の町内も同じで、先には新富町一丁目の家光の山車が見える。

ちょうど喜多町の会所へ行って戻ってきた新富町一丁目の家光の山車と途中合わせていました。

そして喜多町の会所に山車を合わせ挨拶を済ませる。



また来た道を戻り、札の辻から真っ直ぐ南進していく。

ここからはいよいよ蔵造りの町並みの一番街ということで、

蔵造りを背景にして山車が通る様子を観たいと、沿道で見守る人の数もぐっと増える。

山車の曳き手も「この通りに来ると自然とまた力が湧き上がってくる」と話し、

川越まつりの醍醐味が感じられる場所です。

連雀町は太田道灌の人形を山車上に迫り上げ、山車本来の姿を見せる。

電線のない一番街では、高さを気にせず上げることができます。

河越城築城に関わった太田道灌の鷹狩りの様子を模した人形で、

現川越市役所前に設置されている道灌像も、同じく太田道灌の鷹狩りを題材にしています。

人形が設置されると沿道から拍手が起こった。

「ソーレー!ソーレー!」

綱を握る手にさらに力が入り、道灌の山車は一番街をゆっくりと進んでいく。

囃子台では舞い手が次々と変わり、観客を魅了しています。






一番街では川越まつり会館や幸町の会所に山車を向けて挨拶。

幸町の会所から舞い手で登場したのが、天狐。

川越でも特に珍しい女天狐です。






仲町交差点を過ぎ中央通りを南下し、仲町の会所などで山車を向けながら、

ホームタウンの連雀町熊野神社へ到着しました。






午前の町内曳きから、いよいよ他町内へ出て山車を合わせていった午後の部が終了。

日が暮れ始め、辺りが薄暗くなっていく頃、川越まつりは夜の部へ突入していく。

その前に山車には提灯などが付けられ、夜の装いに変わります。

夜の部は18時から。

それまで再び町は休憩に入り、夕飯を食べて英気を養い、祭りの最高潮に備える。

2015年川越まつり最終日夜の部、百花繚乱の曳っかわせは、もうすぐ始まろうとしていた。



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