「川越style」

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かつてみんなが持っていた気持ちを

今でも胸いっぱいに持っているような方でした。


話しを聞いていると、

確かにそんなことがあった、と思い出すことがたくさんあって。


お気に入りのものを持つだけで、見ているだけで、

胸がワクワクしていた。

そうそう、確かに雑貨ってそういうものだった。

「雑貨って」

雑貨にまつわる話しが次から次へとたくさん出てきて、

うんうん、と頷きっぱなしでした。


LIKE-ITの今給黎(いまきいれ)さんは、

小さい頃から雑貨が大好きだったと回想します。
お気に入りのものを集めて、自分だけの世界を創る。

好奇心は無限に広がり、あれもいいな、これもいいな、

身の回りに好きな雑貨に囲まれていることが楽しかった。

誰がなんと言っても、自分が好きなものが好き。


小学生の時の話しをしてくれました。

新しい筆箱に変え、今日は新しいのを持って行くんだ、と

迎えた朝とワクワク感。

そうそう、そんな気持ちに包まれた時があった。


「生活を楽しくしてくれるのが雑貨ですよ」


雑貨ってそういうものだったし、

年を重ねても雑貨ってそういうもののはず。

今でも変わらずその気持ちを持っている方で、

雑貨が本当に好きなのが伝わってくる方でした。



もしかしたら、これを読んでいる方の中に、

学生時代の思い出として

この絵に見覚えがある方がいるかもしれません。

かつて川越の霞ヶ関にあったお店で馴染みだった絵。

そして今、場所を移し、違う店名で新たにスタートしたお店でも、

やっぱりここで

この絵を使おうと決めたのでした。。。♪

それだけ思い出深い絵で、LIKE-ITらしい絵でもあり、

お客さんにも親しまれた絵だった。


少し前の話し、

お店にふらっと初めて来たお客さんがいたそうなんです。

「あれ??ここって・・・もしかして??」


不思議そうな表情で店内をキョロキョロと見回していたお客さんが、

レジにやって来てそこで目にしたチラシ。

描かれた女の子の絵を見て・・・


「あ!!」


そして知る、ここはかつて通った大学の近くにあったお店なのだ、と。

久しぶりの再開に喜ぶ方も多いそうです。


このお店はまだオープンから間もないお店だけど、
気づく人は気づく。
実は、川越の霞ヶ関で長く続いていた雑貨のお店だということを。

それがOK-WORKS、いや、今の「LIKE-IT」です♪



LIKE-ITで話しを聞き、お店に浸っているうちに、

昔の映像がたくさん甦ってきたんです。
小学生の頃、南大塚駅前には雑貨のお店がありました。

お小遣いを握り締めて買ったのはアニメのノート。

ワクワクしながら月に何度も通い、気付いたら、

机の引き出しにはそのアニメのノートばかりが積み上がっていた。

全部そのお店で買ったもの。。。大事な空間だった。
・・・と、

そんなことを自然と思い出してしまっていることに驚く。

今給黎さんの雑貨の思いに触発されました♪



ポップな楽しい雑貨が並んでいる。

その先に今給黎さんの、

キラキラさせながら雑貨のことを話す目がありました。


「雑貨が好き!」


その気持ちに溢れたお店でした。という一言に尽きます(*^o^*)

生活が楽しくなるように、生活にちょっぴりワクワクと驚きを。

話しを聞いているうちに

『雑貨の本当の意味って、そういうことなんだな』

雑貨への純粋な思いが伝わってきて、

雑貨とは?その本質に触れられた気がしました。

いや、

雑貨の本質はみんな経験していること、

思い出したと言うのが正解でしょうか。

ノートを買いに自転車をこいでいた情景、それを思い出させてくれる言葉たちでした。

こんなにも、雑貨が好きという純粋な気持ちが伝わってくる方も珍しいです。

今給黎さんの言葉を通して、
雑貨が持つ本当の意味を振り返ります。。。♪


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



本川越駅から川越市駅を結ぶ道。

人の往来が多い通りの

ちょうど曲がり角のところにある黄色い建物が

2013年9月にオープンした

「LIKE-IT(ライクイット)」です。




入り口で迎えてくれたのは、お店の看板猫。。。



と、誰もが本物と間違える置物でした(*^o^*)
こういうサプライズがLIKE-ITらしい。


中に入ると、ところ狭しと雑貨が詰まっています。
雑貨のお店に来ると人に伝えるためについ、

こんな感じのお店と、テイストを一言で表したくなりますが、

LIKE-ITはピンポイントな言い方は当てはまらない。
近視眼的な見方よりも、全体の楽しさ、

パーティー会場に迷いこんだような雰囲気です。










ゆったりしたBGMが流れる中、店内を見ると

床や照明など内装は手づくり感に溢れていて。

もしかして・・・?
内装を考えて自分でやってしまうのも好きで、

棚のレイアウトを考えるのも好きだそう。

「何か楽しいものないかな?」

宝探し的な気分になります。


普段使いできるものが並び、

これを専門に置いているお店、という細分化よりも、
海外、日本問わず生活を楽しくしてくれるものを全部置きたい、


「雑貨屋さんなら細分化して深く置いた方がいい、そう思っていても

自分は絞れないんです。

何が好きというより、生活が楽しくなる雑貨は全部好きだし置きたい」


文房具に入浴剤、服、バッグに、生活用品、キッチン用品などなど生活全般、

見るとどれも「楽しい」というスパイスが降りかかったもので、

よく見ると、

ちょっとしたサプライズがあったりして、

毎日に彩りを与えてくれます♪








細分化せず、年代も狭めず、

特定の年代に向けてというより

どの年代でも楽しめる雑貨を置きたい、と言います。

例えば、雑貨の中で古い木や時計などジャンルに特化するお店もありますが、

今給黎さんに感じるのは、

楽しさをくれるものが好き、それが形になっている雑貨は全部好き、という気持ち。


「何系、というくくりが必要だなと思った時もあって、

自分はどうして絞れないんだろう、と悩んだ時もあったんですが、

いい意味でごちゃごちゃ感、これが私のお店なんだなと思うんです」


それがかえって、

川越にこういう雑貨のお店ないね、と

来る方に言われるんだと思います。

確かに川越でなかなかないお店。

いや、ずっとあったんですが、市街地では珍しいです。


可愛い雑貨、だけじゃない可愛い雑貨があるのがLIKE-IT。


「面白くないと可愛くても面白くない、面白さは大事ですよ」


ペン一つとっても、『あ、こんなペンがあるんだ!』という楽しさがあって、

驚きも大事にしています。

シャープペン・・・ではなく、エンピツ型シャープペン(*^o^*)

ボールペンは人気。



キャラメルだ!と思ったら、
消しゴムでした(*^^*)
ピーナッツもありました。


楽しい雑貨と言っても、
大人が楽しむ一線を考えている。

鍋つかみを見ても、大人が楽しくなるよう。
女性がいかにも好みそうな花柄のものよりも、


「こういうのを見ると、

ビビッとアンテナが反応して仕入れなきゃ!という気持ちになります(笑)」
これがLIKE-IT♪

フォークがあるな・・・と思いきや

伸びるフォークで、つまみ食い用だったり。

誰々に上げたいな、その時の相手の驚いた表情を思い浮かべている、

そういうストーリーが楽しいですね。



大小のミラーボールは部屋に飾るために買う方が多いそう。



ミリタリーにしても、この雰囲気の中にあるから

女性が手に取りやすいのもあるんでしょうね。





一つひとつの雑貨が、買い付けした時の様子を全部思い出せると言います。

全部が大事な宝物。


楽しい雑貨を前にすると、お客さんとの会話も弾む場面があって、

こんな風にも使えるんですよ、お客さんとの会話を楽しんでいる姿がありました。

今給黎さんは、雑貨をこう使って欲しい、これにしか使えないものより

その人なりの想像力で使い方を考えてくれると嬉しい、と語ります。

ここにある雑貨はゴールではなく、スタート。


こんな風に使うと楽しいな、自由に考えることがワクワクするじゃないですか、と

笑顔で話す姿を見ていると、

ああ、雑貨ってそういうことなんだなと改めて思います。

だから、お客さんにも

これどう使いますか??と聞いてしまうこともあったりする(*^o^*)


お客さんが楽しそうに選んでいる光景を見るのが楽しい。

これ何に使おうか、誰に上げようか、

生活や人を想像することが雑貨の本質なんでしょうね。



話しを聞きながら、

遠くからお客さんが豚の雑貨を手にしてブーと鳴らす音が聞こえます。

単に可愛いというより、リアルな感じがまたいい。

そして手にするとブーと鳴く声もリアル、というサプライズ(-^□^-)


気軽に入れる雰囲気がいいですね、そう、感じたことを言ったんです。

生活全般の雑貨が手に入り、

幅広い年代を受け入れる気軽さもある。

それはどこかコンビニのよう・・・?


「そうかもしれません(笑)それは私もどこかで思っていたかも。

こういう人に来てもらいたい、と決めたくないんです」





このウェルカムな雰囲気は、本人は意識しなくても

昔のお店の時からずっと変わらないと思います。

だから、気付く人がいる。


実はLIKE-ITは、ここにできる前にも川越にLIKE-ITはあったんです。

正確に言うと違う名前のお店ですが、

今給黎さんが営んでいた雑貨のお店がありました。


川越の霞ヶ関、


霞ヶ関駅に東武かすみ自動車教習所があって、

あの近くにあった雑貨の「OK-WORKS」が

13年営んでいたお店でした。


お店は東京国際大学の学生さんに、地域の方に、

長い間親しまれたお店だった。

(残念ながら、建物は今は残っていません。。。)


お店は当時から、ポップで楽しい雰囲気のお店で、

どこの国のテイストというくくりではなく、

生活に楽しさを、というテーマは今と一緒。


OK-WORKSを閉店後、

やっぱり雑貨が好き!という思いはずっと持ち続け、

場所を市街地に移して再オープンしたのがLIKE-ITです。


「OK-WORKSの時もいろんなものを置いて、

いい意味でごちゃごちゃ感があって、これがOK-WORKSという世界観があったんです。

違う名前のお店にしても、雑貨を選ぶ感性はずっと変わらないんでしょうね」


OK-WORKSもLIKE-ITも、

きっと、小さい頃から変わらない感性から生まれたのかもしれません。






一つのお店を13年も一人で続けるというのは、

本当に大変なことだと思います。。。


川越で続けてきた13年。


長い年月を振り返るには言葉が足りないと思いますが、

決して恵まれた場所ではなかったけれど、

悩みながらも進んできた霞ヶ関での13年。

その時間に想いを馳せます。。。


今給黎さんの雑貨は、小さい頃から始まっていた。
原点は小学生の時。

身の回りの持ち物、気に入ったものを持つことがワクワクした。
「今日はこれを使おう」

使う雑貨で一日の気分が変わるようだった。


例えば・・・と振り返ったのが、新しい筆箱に変えた日のこと。


「今日からこれを使うんだ」


朝学校に行く前から楽しい気持ちに包まれて、

その日1日の気持ちを変えてしまうのが雑貨の力だった。

「学校で新しい筆箱をみんなに見せびらかしたくて、

開けたり閉めたり繰り返していて(笑)」

好きな雑貨はなんだったんですか??


「やっぱり筆箱ですね」


お店屋さんごっこをするのが好きだったし、

ものを売ったり買ったりするやり取りも好きだった。


「雑貨が仕事になったらいいな」


小さい頃から密かに思い続けてきたこと、と言います。

雑貨に対する純粋な気持ち、
好きな雑貨に囲まれていることが楽しい。


大人になり、お店を持つ前には

フリーマーケットに出品したりしていて、

やっぱり人と、売ったり買ったりするやり取りが好きだった。


お店を持ちたいな、ずっと胸の奥に抱いていたけれど、

目の前の生活に忙しい日々にあの時の夢は埋もれていく。。。


ちょうど引越しを考えていた時だった。

不動産屋さんが紹介してくれた思いもよらぬ・・・

『店舗付き住宅が空いてますよ』

それが、川越の霞ヶ関のあの場所だった。

いやいや店舗なんて、と一度は断り、

でもその夜、寝る時にふと、


「あ・・・借りちゃおうかな。。。」


何かが閃いた瞬間だった。

なにをやろうとは決めていなかったが、

とりあえず借りてみようかな、と。

そこに雑貨が自然と結びつき、

ログハウス風の建物にOK-WORKSは生まれました。


お店をやるのは、全部が一からのことだったので、


「お店とともに自分も成長していった感じ」


お店と、雑貨と、自分、一心同体で進んだ13年だった。


OK-WORSKは場所柄、

東京国際大学の学生さんが多く訪れるお店だったそう。

売ったり買ったりの数え切れないやり取りの中で、

お客さんがお店を作ってくれた、と振り返ります。


その時の純粋な気持ちを

今でも持ち続けていて、やっぱりLIKE-ITは「雑貨が好き」に溢れたお店。

常に雑貨のこと考えていて、どう置いたらいいかな、棚をこうしてみようか、

布団に入っても考えて目が覚めてしまうことが今でもある。
雑貨にまつわるすべてが好き、が伝わってきます。

ピンポイントでこれが好き、ではなく全部好き。
だから、目的を持たなくてもふらっと立ち寄れるコンビニのような雑貨屋さん。

「雑貨は見てるのも好きだし、人とのやり取りも好き。

生活全体が楽しくなるのが雑貨なんです」




・・・と、

また別の方がふらっとお店に入り、不思議そうな顔をしている光景があったそう。

何かを確かめるように雑貨を見て回り、手に取る姿。


(ハンバーガーかと思いきや・・・)




(ノートです(*^o^*))


お店の雰囲気を見回して、


「あれ??ここってもしかして・・・??」


と、話しかけられた。

本川越駅近くでLIKE-ITを始めた事を言ってなかったのに、

このお店はかつて霞ヶ関にあったお店では?と口にする方が後を絶たない。

『昔、通ってました』と。

『当時と同じ匂いがする』と。

『自分、常連でした』と。


そして、あの女の子の絵でみんな確信する。

そうだ、あのお店だ。


「お客さんとお互いに鳥肌が立ちますよ(笑)」


年代からすると、当時はきっと学生だったでしょうか。

学校の帰りにふらっと覗いていたのかもしれません。

いろんな雑貨を買い、楽しい雑貨を誰かにプレゼントした時もあったかもしれない、

学生時代の思い出が詰まったお店だったのかも。


本川越駅の近くで新たなお店をと考えても、

今給黎さんのテイストの根本は変わっていない、

場所が変わって店名が変わっても、

気付く人がいる。

13年お店を続けた、というのは

それだけ人の心に深く染み入ることなんでしょうね。





駅の近くに移った今の心境を聞いてみたんです。


「この辺は人との繋がりがどんどん生まれます。

オープンから間もないのに、目まぐるしくこんなに出会いがあるのかとびっくりです」


例えば、連雀町のアジアン雑貨の「WARMS」さんなど、

相談に乗ってくれる頼れる存在との出会いもあったり、

LIKE-ITのすぐ近くにあるオリジナルTシャツのお店は、

霞ヶ関時代から知っているお店。


今の場所でお店を始めてから、

Tシャツ屋さんがあるなあと思ったら、当時仲良かった方がやっているお店だった。


初めての土地だったけど、この場所の周りになぜか知り合いが何人もいて、

お互いに驚いた表情で「ええー!なんでここにいるの!?」と、

ここに来た時はそういうサプライズばかりあったそう。


この場所にまるで引き寄せられたようなんです、と笑顔で話します。


「新天地で解け込んでいけるかな、と不安だったけど、

知ってる人が周りにいることが安心感になって、勇気が湧いてきたんです」


OK-WORKSは自分の全部を注ぎ込んだお店だった、まさに人生の青春。

場所は変わっても、

ここでまた新たに進んでいこうと決めた。


LIKE-ITにあるのは、生活が楽しくなる雑貨。


「お客さんが、これを買うといより、

この子連れて帰る、そう思ってもらえると嬉しいんです」


自分がこの子に決めた!と連れて帰るように買い付けているから、

お客さんにそれが伝わるといいな、雑貨を見つめながら話していました。








「あの絵」は、

女の子がプレゼントもらって、

目をキラキラさせながら、はやる気持ちを抑えられず、

箱を開けようとしているところでした。

そう、あの目と雑貨を語る時の今給黎さんの目は似ていた。

「雑貨が好き!」キラキラした目でした。


絵を書いてもらったのは、もう20年くらい前のことだそう。

部屋で女の子がプレゼント開こうとしている、

そんなイメージを伝えて

イラストレーターの方に描いてもらった。


OK-WORKSでショップカードのイラストに使い、

LIKE-ITでもこれは使おうと思った。


LIKE-ITオープン後、

またふらっと入ってきた方が店内を見回して、

このお店知ってる、どこかで見た事あると話し掛けられた。

そして実はその方は、昔イラストレーターを紹介してくれた方だったと思い出した。

人を見るよりも、お店の雰囲気で人を思い出す、

そういうお店なんですね。


OK-WORKSとLIFE-IT、違うお店だけれど


「OK-WORKSの続きをやらせてもらっているよう」


そう話します。

物事は終わってるようにみえても、続きがあるもの。


「LIKE-ITは私の第二章です」


力強く語ってくれました。


お店の中で、特に思い入れがあるものありますか??


「全部です(笑)」


やっぱり雑貨好きですか??


「好きですね。仕事にしちゃうくらい」


それが一つ生活の中にあることで、

一日を迎える気持ちが楽しくなる、

今日はどの雑貨と過ごそう、
どんな1日になるだろう、

筆箱にしても、ノートにしても生活を変えてくれる。
ワクワクしながら1日が始まる。。。♪

そう思わせてくれるのが雑貨の力。
あの時の気持ちをそっと思い出させてくれたお店でした。



そういえば、かつて通った雑貨のお店には、

ボールペンに消しゴムにノートに、と

欲しいものは何でも揃う雑貨店だった。

今の雑貨屋さんは細分化するのが当たり前ですが、

昔はなんでも揃うのが雑貨屋さんという感じだった。。。とLIKE-ITから思い出しました。
そんな雰囲気を、今に感じさせるお店です。

話しを聞きながら、まさかと思いましたが、

豚がブーと鳴く声が二回も聞こえてきました。。。

手に取りたくなるんですね。。。


雑貨は想像力、

そう、想像力♪


「LIKE-IT(ライクイット)」

川越市中原町2-9-4

11:00~20:00

水休

















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ようやく対面できた実物に、

これがあの・・・と感慨深く思いました。


2014年新年、1月2日。


お正月の雰囲気に川越が包まれている中、

本川越駅近くにある蔵里広場でも、

屋台が多数出店して賑やかな一日となっていました。



その中でも、「おや?」と通る人の目を引くのぼりの文字がありました。


「河越茶」。


河越?川越じゃないの??

誰しもが引っかかる部分で、この文字で合ってるの?という言葉が聞こえてきます。

しかし、漂ってくる香ばしい香りに

屋台にすっと吸い込まれていく。。。




販売していたのは河越抹茶ラテとほうじ茶。

ほうじ茶の香りを楽しみながら、

よくぞ復活させてくれた。。。じんと来るものがありました。


この時、一緒に販売していたのが・・・

中院、喜多院近くにあるカフェ・アンティさんの抹茶ドーナツです。


河越茶を知っていますか??

古くて新しい、新しくて古い、

知る人ぞ知る川越のお茶、河越茶です。


かつての川越は、お茶の名産地でした。


南北朝時代、武蔵河越は天下の茶所として

人々が名をあげる茶の名園五場(全国銘茶5場)の一つでした。

関東の有力武将も愛したこの地のお茶「河越茶(抹茶)」は、

戦国時代になると、栽培していた寺院・武士が衰退すると共に姿を消していきました。

衰退した河越茶の系譜で蘇ったのが狭山茶。

両者は密接な関係にあります。


それから、およそ四百年・・・


銘茶と呼ばれたかつての河越茶にならい、

旧河越領内茶園で丁寧に栽培された高品質の茶葉を厳選し
河越茶は新たな姿で現れました。。。


河越茶を今の時代に復活させたのが、

NPO法人川越PLUSの二人。


彼らは、歴史を徹底的に辿り、探り、

河越茶が当時いかに盛んであったかつきとめ、

「これなら今の川越で、新たな魅力になるはずだ」

そう確信して、河越茶を復活させようと動き始めました。


2012年「河越茶Rebornプロジェクト」と名付けられた彼らの活動は、

川越の深部に進むごとに、

時に川越の新たな真実を導き出し、

時に壁にぶち当たり、時に偶然の出会いに歓喜し、

人を巻き込み、広がり、

少しずつ少しづつ過去と今の川越と結びつけていった。


2013年、彼らの想いは結実し、

河越茶として具体的な形で復活。

そして河越抹茶は今、川越のお店で使われるようになってきました。

一つの例が、カフェ・アンティさんの抹茶ドーナツです。


そして、2014年。

今年は市民含め、多くの方に広まっていく予感がひしひしとしています。

それくらい、河越のお茶は魅力的だし、

川越の新たな魅力になるはずのもの。



いかにして、河越茶はこの世に復活したのか。

復活させた人たちがいること。


川越PLUSの二人が、ここに至るまでに経緯を

膨大な資料を交えてじっくりと聞かせてくれました。




(ペペのラウンジにて)


河越茶の歴史、そして二人のこれまでの軌跡、

リアルな声を交え、当時の写真を頂きながら、

昔と今の息吹を感じてもらえればと思います。

二人が辿った道のりを、改めてここに辿ったドキュメントをお送りします。。。


『河越茶をこの時代に新しい姿で復活させたい。
その思いからこのプロジェクトは始まったんです。

そこで私たちはまず、「河越茶」について調査を開始しました』



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


『最初は、「河越茶Rebornプロジェクト」を見た友人から

「あれって誤記じゃないよね?」と質問されたんです。
「ん???」と思ったのですが、「かわごえ」は現在「川越」と表記されているから。

川越に育った私たちは河越氏という武士がいたので

潜在的に昔は「河越」だった!という認識作られています。

ただ、それを知らない人が見たら誤記に思ってしまうのか・・・

という発見がありました。


中世までは「河越」と表記され、

江戸時代頃から「川越」となり現在に至るようです』


河越、河越茶の深みに入っていきます。



『美しい桜で有名な中院。
その中院に「狭山茶発祥之地」という石碑があります。
川越が狭山茶発祥の地ということはかなり有名な茶所だったのではないか?


(中院にある石碑)

また、
なぜ狭山茶発祥の地と言われるようになったのか?
いつ川越に茶が伝来したのか?
どんな人が河越茶を飲んでいたのか?
など・・・様々な興味がわいてきました。


ネット検索で川越市上戸に「鈴木園」という茶園があることを知り、
私たちは真相を探るべく、アポなしで行ってみたんです』



『「話を聞くぞ!!」と意気込んで行ってみたものの・・・
まず立派な門に怖気づきました。

これは入っていいものなのか・・・どうなのか・・・
でも、「ここまで来た!」と気を取り直して、中へ。


入り口で勇気を振絞り、「すいませーん!!」と言うと

奥から女性(鈴木さんの奥様でした)の声で「はーい」と言う返事が!


そして、NPO法人で河越茶について調べているというお話をしたところ・・・
鈴木さんは工場でお茶の袋詰め作業中とのことでした。


また、出直そうとしたところ鈴木さんの奥様から

「せっかくだし中を見ていきますか?」

と言って頂き、工場の中を案内してもらいました。
工場の中はお茶の芳ばしい香、歴史を感じる木箱など・・・圧倒されました。

鈴木さんとはお話できませんでしたが、川越でお茶が生産されていることを肌で感じ、

また改めて訪問することにしました』



その後、鈴木さんと会う事ができた二人は、

鈴木さんから貴重な話しを伺うことができた。



『河越茶は平安時代から活躍した武将・河越氏とつながりがあるということを知りました。
鈴木さんの茶園から100mくらいのところに河越館跡があり、
鈴木さんのご自宅が大手門だったという調査結果もあるとのこと。
歴史の妄想が膨みました。


河越館跡からは天目茶碗、茶入れなどが発掘されているので、
800年くらい前から鈴木さんの茶園のあたりでお茶が飲まれていた可能性が高い・・・
河越茶を知るために河越氏との関連も探っていく必要があるかな・・・と、

ネット検索で見つけた「鈴木園」さんでしたが、

なんと鈴木さんは川越茶業組合の会長であると判明したんです。


「以前、河越茶を復活させようとしたこともある!」と驚きのお話もありました。
“河越茶”と“茶”の魅力を再確認した一日でした』



『私たちが次に向かったのは川越市立図書館です。
「狭山茶業史」などお茶について書かれている本を読んだり、
ネットで河越茶を検索したりしながら調べてみました。
小学生の自由研究みたいだな・・・と。


その中で集めた情報で、


・南北朝時代の1340年頃に書かれた「異制庭訓往来」(いせいていきんおうらい)の中で
「宇治・伊勢・駿河などとともに武蔵河越の茶は天下の茶所として
人々が名をあげる産地」と称され、関東唯一の茶場だった。
・江戸時代中期に書かれた「除睡鈔」(じょすいしょう)で
「武蔵河越が後世銘茶の産地となった」と記述がある。
・河越茶があった時代のお茶は香料とともに、
貴人、高僧の間に於ける最も優雅にして高貴な贈答品だった、ことなどを知りました』



歴史って難しい・・・
河越茶の伝来を調べながら実感する二人。

上記以外にも「狭山茶業史」、「茶の歴史」などの本や博物館の資料、
河越茶の歴史が記載されたチラシなどを参考に、

進めば進むほど、迷宮に迷い込むようにいろんな説に出会っていった。



・京都の高僧明恵上人が「武蔵河越(川越)」の地に植栽したのが始まりとされている。
・河越荘が新日吉神社に寄進され、河越荘内に新日吉山王宮が勧請された時に、
比叡山麓の茶園から茶の木が荘内に入ってきた。
・河越荘を支配者していた河越重頼氏の子孫が鎌倉幕府に重用され、
鎌倉における飲茶の流行が河越荘内に入ってきた。
・天台宗の興隆と合わせて天台教義が関東に伝わり、
これに伴って叡山の飲茶の流行が主として関東の天台宗寺院に入ってきた。     
・最澄の高弟円仁が武蔵河越(川越)に無量寺(喜多院の前身)を草創した。
最澄が唐より茶の実を持ち帰り近江坂本に播いた(『西宮記』)とすれば、
その高弟円仁が無量寺を創設するにあたり
茶の実を河越(川越)にもたらし、河越茶の基を開いた。



『どの説も真実なのかもしれないし・・・
作られた話なのかもしれなし・・・
まだまだあるのかもしれないし・・・
歴史は本当に難しい・・・
だから、調べる甲斐がある!!と前向きに考えました』



『一番街にある服部民俗資料館の服部館長から
入間市博物館が「お茶の博物館」だという話を伺い行ってみたんです。

最寄駅は西武池袋線の入間市駅。
そこからタクシーで15分くらいでした。


その博物館で我々は驚愕の事実を知りました。
河越茶の伝来で京都の高僧明恵上人が、
関東に下向したという記録がないというのです。


博物館の説明員の方と話をしているときに・・・


説明員の方「じゃあ、河越茶ってどうやって入ってきたか知ってる?」



川越PLUS「いろんな説があるみたいですけど、明恵上人という人が植えたんですよね」



説明員の方:「・・・・(苦笑)」


明恵上人が河越(川越)に茶を植えたという史実はない・・・
また明恵上人は当時の超スーパースターで
河越に来ていれば史料に残っているはずだが、まったくないとのことでした。

他の地域にも明恵上人が茶を植えたのが始まりと伝わっている場所があるようです。


驚愕の事実を知り、博物館の出口で肩を落としていると・・・
突然、後ろから「残念だったね、明恵上人」と言われました。
その人は入間市博物館の館長。
館長に励まされ、入間市博物館を後にしました』


この話は都市伝説的な感じなのか・・・
明恵上人が河越に茶を植えた。。。?
信じるか・・・信じないか・・・

河越茶の追跡、さらに迷宮に入り込みます。



歴史を辿りつつ、河越茶を広めようと動いていた彼らの活動は、

一つの実に結びつきます。

2013年4月27日。

小江戸蔵里で「河越茶」の販売を開始しました。


NPO法人川越PLUSが定義する「河越茶」は、
かつて河越・川越と呼ばれた土地、

埼玉県西部地区(川越、狭山、所沢など)で生産され、高品質な茶葉を使用したもの。
パッケージは蔵造りの黒漆喰をイメージした黒を基調としています。




2012年10月から動き出したこのプロジェクト。

『今後も様々な仕掛けを考え、

河越茶が浸透していくように決意を新たにしました』


その後も、河越茶の追跡は続きます。


『河越茶をさかのぼると12世紀頃に活躍した河越氏と
近い関係があったと考えられているそうです。


室町時代の書物には、
「館の前庭に茶を植えるように」といった意味の記述が残っているらしいです。


河越氏の館と言えば・・・
上戸小学校の横に河越館跡が残っています。
あの近くの茶園??
一番始めに訪問した鈴木園さんの近く。
鈴木さんから「うちの家のあたりが大手門だったらしい」という話も聞いていたので
いろいろものが結びついてくる感じがしました。


河越氏の館跡からは茶碗や茶臼が出土していることから
ここでお茶が飲まれていた事は間違いさそう!と思いました』



「河越館跡史跡公園イメージキャラクター 河越茶太郎氏」。



川越市上戸にある「河越館跡」を発掘をしたときに出土した石臼があります。

一見なんてことない石臼なんですが・・・
今のところ14世紀頃の石臼(抹茶を作る際に使われたと考えられている)が、
様々な茶道具などと出土するのは武蔵国では河越館が唯一!


古くから川越と抹茶の深い繋がりを感じることができる出土品だなと思います。
河越の武将たちも、

自分たちで抹茶を碾いてくつろぎの時間を過ごしていたのかも・・・?


当時の武士は唐物(中国製)を好み、
鎌倉を介して東アジアの陶器などが運ばれていったそうです。

河越館跡の発掘では、
天目茶碗・茶臼の他にも茶壺・茶入れ・風炉などが茶道具が出土しています。



1984年12月6日に国指定史跡となった「河越館跡」。
河越館は入間川の水上交通と東山道武蔵路による
陸上交通の接点に位置し、戦略上重要な地点であったとされています。


南北朝時代に成立した「庭訓往来」という書物の中にある
「御館造作の事」によると・・・
館を構成する要素の一つとして

「前栽の茶園」という記述があり、館の前庭には茶を植えるべき!と

されていたそうです。



明治9年に作られた「茶場後碑」。


『平安時代末期頃より河越(川越)は

秩父平氏の流れを汲む河越氏が支配していました。


河越氏は武蔵国留守所総検校職を務めるなど
関東の有力武将として名を馳せましたが、
武蔵平一揆の乱(1368年)で敗北し、歴史の舞台から姿を消しました。


その河越氏が支配していた土地は、

かつて『河越荘』と呼ばれていました。


『支配する土地』と聞くと、現在の川越市のように
『ここからここまでが川越!』と考えてしまいがちですが、
中世の河越荘は散在的であり、現在の川越市以外に、
狭山市・坂戸市・鶴ヶ島市・日高市などの一部も、
河越氏が治めていました。


河越荘の地名は、33箇所確認できるので
『河越33郷』ともいわれています』



河越とお茶。

この二つのキーワードには

近現代に、この地でお茶を普及させようと命を懸けた人物がいます。


明治時代、生糸とともに輸出の中心であった茶が
手もみであるために量産できないことを知り、
47歳から製茶機械の研究に取り組んだ人が川越にいました。


医学を学び、川越市小仙波で開業した
高林謙三氏(埼玉県日高市出身)です。
(1832(天保3)年5月25日-1901(明治34)年4月1日)


医師として川越藩主の侍医までになった高林謙三氏が
新しい研究を始めた背景には、
重労働の茶づくりを改善したいという想いと生産コスト低く抑え、
当時生糸とともに輸出の中心であった日本茶を輸出して
国益を増大させたいという想いもあったといいます。


高林謙三氏は私財を投じ川越に林野を購入、
開墾して茶園経営を始め、製茶機械の研究に心血を注ぎました。


1884(明治17)年に『焙茶器械』、
翌年に『生茶葉蒸器械』と『製茶摩擦器械』、
その後も『改良扇風器械』、『茶葉揉捻器械』、
そして『茶葉粗揉機』を完成させ、
6つの専売特許を得ました。


日本茶業の発展に大きく貢献しましたが、

晩年は病に倒れたり、
火事で家を失ったりするなど決して平坦ではなかったそうです。

現在は喜多院の閻魔堂墓地に葬られています。


川越市立博物館には高林謙三氏の写真や

特許を取得した器械が展示されています。



河越には、昔から時代を超えて

この地でお茶を発展、広めようと尽力した人がいたこと。


『スーパースターであったと伝えられている

明恵上人(1173年~1232年)が高山寺で茶の栽培を始めた栂尾茶を第一の茶として、
山城の仁和寺・醍醐・宇治、大和・伊勢・駿河などに並び
武蔵の河越茶があったと伝えられています。


その中で河越茶(狭山茶)は
今も昔も日本で最も北限の茶産地です。


茶の木は温暖な場所に生育する樹木で寒さを苦手としているため、
品種改良を行って寒さに強い茶の木を作ったり、
寒い気候で採れる茶の葉を生かした茶を作ったりと
工夫を続けながら栽培が行われています。


恐らく数百年前に茶の木がこの地に伝わってから
たくさんの創意工夫があり、現在もお茶が作られているのだと
調べながら感じました』



そして、蔵里に続いて河越抹茶を使用を始めてくれたのが、

時の鐘近くにあるライトニングカフェさん。


『河越抹茶ラテ』はまろやかな味で美味しいです♪
『河越抹茶豆腐ティラミス』もあります。




菓子屋横丁の玉力製菓さんでも、

河越抹茶をたっぷり使用した飴を発売が開始。
「河越抹茶 飴」。




去年の冬には、菓子屋横丁にあるパン屋さん
「川越ベーカリー 楽楽」さんで、

小江戸シュトーレンの販売も行いました♪




小江戸蔵里の明治蔵内にある『Kura Cafe』さんで
河越抹茶を楽しむことができます。


川越PLUSの二人は、丁寧にお店の方に河越茶を語り、

これを復活させたこと、新たな川越の魅力にしたいということ、

熱い夢を語っていきました。

話しを聞いたお店の方は、「川越の新たな魅力として、ぜひ使いましょう!」と

積極的に応援してくれるところが多い。

お店の熱さも感じることができた、と二人は話します。



二人の話しを聞き、河越茶は「川越市内」の産茶を意味しているわけではなく、
河越氏の勢力圏である

狭山野の古茶園もひっくるめての総称だったと、理解しました。


河越茶Rebornプロジェクトで「河越茶」は、
「かつて河越(川越)と呼ばれたことのある地で作られた茶」と定義しています。

そして「かつて河越(川越)と呼ばれたことのある地」を
「旧河越(川越)領」と呼び活動しています。


彼らの活動の輪はだんだん大きくなり、

街中で「河越茶」ののぼりを目にする機会も増えてきました。

2014年に広く浸透するのでは、と期待しています♪


なにより、河越のお茶は美味しい!



河越茶を復活させるために、もともとは

河越(川越)と呼ばれた地の茶畑を一軒一軒訪ね、

プロジェクトへの参加を呼びかけていくことから始まったものでした。


『どこの農家さんも、河越茶復活の話しにはとても興味持ってもらえました』



『河越茶(抹茶)」は甘く濃厚な旨味とコク、独特な香りが特徴です。


日々、茶の職人たちが江戸時代から代々受け継がれてきた伝統技術と
独自の栽培技術を駆使し最高の茶葉を追求し続けています。


大規模な茶の産地としては北限に位置するここ武蔵野では
厳しい気候ゆえに年二回しか茶を摘みません。
収穫回数が少ない分、茶葉が時間をかけじっくり成長するため
旨味と栄養が凝縮され肉厚な茶葉となり味に深みを生み出すんです』


茶の品種改良は

明治時代より本格的に取り組みが始まったと言われています。
ここ武蔵野でも気候条件や立地条件に合った茶の木にするため、
長い年月をかけ品種改良を重てきました。


茶の職人達が特に力を入れているのが「土」作りです。
長年の経験のもと栄養度の高い土を作り上げます。
河越(川越)茶が栽培されている武蔵野大地は水はけが良く
茶の栽培に適しています。また降水量が多く
「上湿下乾」であるため上質の茶が育ちます。



その茶葉を、抹茶にするのは、

川越PLUSの想いに共感してくれた、関東唯一の抹茶工場である
「狭山碾茶工房 明日香」。

ここで河越抹茶は作られています。


明日香は15年の試作期間を経て、
平成18年に最新鋭の設備を導入し新設されました。
平成21年度には埼玉県より優れた技術・生産品や周辺環境への配慮などの点で
他の模範となる「彩の国工場」に指定されました。


明日香の特徴は茶葉の栽培から製茶までを
一貫して行っていることです。
そのため安定して高品質の抹茶を生産することができる。



南北朝時代、武蔵河越は天下の茶所として

人々が名をあげる茶の名園五場(全国銘茶5場)の一つだった。

関東の有力武将も愛したこの地のお茶「河越茶(抹茶)」は、

戦国時代になると、栽培していた寺院・武士が衰退すると共に姿を消していった。



時を超えて、復活、発展させようとしてきた男たちの姿。

鈴木園の鈴木さんや高林謙三さんの姿。

そして今、川越PLUSの二人。


今度こそ、今だからこそ、きっと広まっていくはず。

話を聞いていて確信しました。。。!



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



河越茶Rebornプロジェクト、

最初から今に至るまでの経緯をじっくりと聞きました。


聞けば聞くほど、川越の新たな魅力になるはず、と感じます。

盛り上げていきたいですね♪


プロジェクトはまだまだ道の途中で、

これからの展開こそが楽しみです。


河越茶が、どう広がっていくのか、

さつまいもと並ぶ名産になるのか、

なって欲しい(-^□^-)



河越茶Rebornプロジェクト、続く。。。


そして、

河越抹茶を実際に使用して

抹茶ドーナツをお正月に蔵里で販売していた、

カフェ・アンティさん。


アンティさんの河越抹茶に寄せる思い、


「中院の近くでお店をやるからには」


その思いを聞きます。。。次回に♪



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広い室内に、遊び道具にカラフルな飾りがあちこちにあって、

来ている親子の方々は、みんなリラックスした表情でした。


子どもと一緒に遊んだり、スタッフの方と談笑したり相談したり、

思い思いにこの場所で過ごしています♪

目の行き届いた部屋で、ある親子はボールで遊び、

ある親子は絵本を読み、お母さん同士が会話を楽しむ光景もあります。

ここは、親子で遊ぶ場所、利用時間内であれば、いつ来ていつ帰っても自由です。

予約の必要もなく、料金も掛かりません。


スタッフの方は、


「行きたい時に行ける場所なので、気軽に親子で来て欲しいです
『今日はもんちっちに遊びに行って、家に帰ったらお昼寝しよう』

そんな風に生活のリズムの一つに加えてもらえればいいなと思います」

そう語ります。
ここは、子どもを遊ばせるというより、親子で一緒に遊ぶ場所。

そして、親同士のつながりが生まれる場所でもあります。


連雀町つどいの広場「もんちっち」 』。


川越の子育て支援として、NPOが運営する親子のためのつどいの広場です。


一体どういうところなの??

気軽に入れる??

どんな風に過ごしてるの?

どんな人が来てるの??

もんちっちを詳しく伝えるために、連雀町に向かいました。。。♪



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



川越の連雀町、本川越駅から北に進んだ先にあるお寺が蓮馨寺。

蓮馨寺の裏通りにある建物、福祉サポート連雀町の2階に

もんちっちはあります。









この日も午前中から親子がつどい、子どもと一緒に遊んでいます♪


「連雀町つどいの広場(愛称は、もんちっち)」は、

NPO子法人子育てネットワークが、川越市から委託されて運営しているつどいの広場。

川越市内には親子のためのつどいの広場が多数ありますが、

公立と法人の保育園でやっているのが全部で11くらい。
NPOのメンバーが運営しているつどいは、連雀町のここだけです。

もんちっちは5年前に開設したそう。



もんちっちは、0~3歳くらいまでのお子さんと保護者の方が

一緒になって、月曜日から金曜日まで遊べる場所です。


曜日別に対象年齢がおおまかに分けられていて、

火曜日~木曜日は、「みんなの日」で0歳~おおむね3歳

月曜日は、主に2、3歳の日(下のお子さんの可)

金曜日は、0、1歳限定の日、となっています。

土曜日は、第二土曜(10:00~12:00)に開放し、

お休みのお父さんが来られるようにしています。


この場所を知るのは、大体の場合
川越市のホームページや行政とつくる子育て情報誌「こえどちゃん」を

母子手帳のタイミングで家庭に配布した時、

転入者の未就学児の家庭に配布する時、
あとは新生児訪問の時に、助産師さんに勧められて知る、

というパターンが多いそう。

広場の設備を見てみると、

離乳食を温めるための電子レンジ、

ベビーベッド、絵本、リサイクル品をやり取りする掲示板もありました。

「子ども椅子使わなくなったので、どなたかいりませんか?」

など、子どもを持つ親同士のやり取りが書き込まれています♪


毎日10:00~15:00で開放し、
予約は不要(他のつどいの広場では、人数決めて予約必要なところもあり)


つどいの広場で親子を迎えてくれるスタッフは、

NPOのメンバーのうち12人で、

皆さんある程度子どもが大きくなって動ける方が

持ち回りで担当しています。


その中で1日にこの広場に常駐しているスタッフは、二人。

代表の本田さんが話します。


「ここのスタッフは、みんな子育て中の母親と父親で、

0歳から高校生の子どもを持つ大人たちで運営しています。

自分たちが子育て経験していて、来られる方と同じ目線で接することができます」





スタッフの方は皆さん、子どもが好きというのもあるし、

なにより、こういう場所があって欲しい、自分たちの子育ての時にはなかった、

その想いから子育てネットワークに関わっている方が多いです。


「イラストが好き。通信などにちょこちょこっとイラスト描いています。
同じ子育て中のママに喜んでもらえたらうれしいです。
絵が好きなママがドンドン増えると、もっと楽しい~。」


「自分に出来ることって何?
こういう活動ってお客様気分じゃなくて、主体的に参加した方が楽しそうと思って参加。

「あったらいいな~」と思っているだけじゃ始まらない!
私にもできることがあるかも、と今、思っています。」


「人と人が出会うことって、ステキなこと!
出会いの場を企画したり、コーディネートできることしていくことが楽しくて。

人との出会いは親子の関係も豊かにしてくれます。」


「仕事をしていた時の経験を生かせるかな、と参加中。」


広場のあちこちにある飾りはスタッフの方の手づくり、

ぶつかっても痛くないようにと、椅子は牛乳パックで作られたものでした。







もんちっちでは、スタッフの方が

絵本の読み聞かせを行う日や、お誕生日会、エプロンシアター、

講師を呼んでのわらべ歌、クリスマス会など

さまざまな企画も考えて楽しませてくれています♪



駐車場がないので、徒歩か自転車で来る方が多いそうですが、
(近くにコインパーキングはあり)

川越市全域、市外からも来られる方がいるそう。


「今日来られていた方はバスで来たそうですよ」

バスに乗ってわざわざ来るってそうですね、よほど気に入ってるんでしょうね。


「そうですね、ここが気に入ってくれてる方も多いし、

住んでる地域につどいの広場がないので安心して遊べる場所がない、と

来てくれるんだと思います」


幼稚園、保育園と違うのは、親子で気軽に過ごせるということ。
教育という場ではなく、過ごせる場所。
そして、子どもが中心というだけでなく、
親子で遊び、お母さん同士が仲良くなれる場所です。

「核家族化が進んで、地域のつながりが希薄になっているので、

こういう場の交流から友達を作ってもらえれば」

みなさん、ここに来るとどのくらいの時間いるんですか??

「滞在は人それぞれですね。ちょっとだけいて帰る人もいれば、

午前中遊んで帰る人、お昼を食べて帰る人、などさまざまです。

久しぶりに来てくれた方に会えると嬉しいですね」

今の利用としては、各曜日一日に15~20組くらい。

金曜日は特に多くて、20~30組くらいの親子がやって来ます。

みんなここにずっといるというより、

それぞれの都合で出たり入ったりして使っている。
0歳、1歳の金曜日が多いのは、

この月齢の時に、安心して遊べる場所が他になかなかないというのと、

同じ境遇の人と出会えるので話しも合うし、友達作りにも、と集まるそう。



ちょうどこの時は、0歳、1歳の子どもがたくさん集まる日でした。

曜日ごとに年齢が分かれているのは、

同じくらいの子ども同士なら親子共々打ち解けられる、という考えから。

「例えば赤ちゃん同士でつどえば、

子どもが寝ていてもみんな赤ちゃんなので親御さんは安心だと思います」


安心して子どもを寝かせられて、

親同士はお互いの話しをし合う。


「みなさん学生の時の友達とかいると思うのですが、

友達の中に、同じくらいの月齢の子どもがいるとは限らないですよね。

そばに話しが合う人がいるのって大事なんですよ」


同じ境遇って大事なんですね。。。


「そうなんです、

『昨日はご飯食べてくれた』

『今日はなかなか食べてくれない』

『うちもそうなの』

話すことでストレス発散になるし、

話しが合う人がいるのって、心の落ち着きにもなるんです」


子育てをしてきた、しているからこそ、

スタッフの方はその悩みを身をもって知っています。


0歳、1歳だと公園に出かけても、

石や砂を口に入れないか心配になる、外だとオムツ換えの場所を探すのも大変。

安心して遊ばせられる環境が少ないと口にされる方は多い。


室内で子どもを安心して遊ばせられる場所という点で、


「いつでもウェルカムですよ(笑)」


と、笑顔で話します。



多くの親御さんを見ている環境から、

さらに話を続けます。


子どもができるということは、

考え方も感性も変わって世の中の見方自体が変わる大きな出来事。


「特に初めての子育てだと、右も左も分からないと思うんですよ。
子どもは泣くのが基本なんですが、

お母さんとしては凄く気にするんです。
『周りに迷惑になっているんじゃないか?』

『どう思われているだろう?』って。
公共交通機関も、みんな遠慮しながら乗っているんです。
今度電車で出かける用事があるから、その前に一度練習で2駅だけ乗って帰ってきた、

なんて話しをしてくれた方もいました。
ドキドキしながら二人で乗って、傷ついたりしながら頑張ってる。

バスの中で泣いてしまってどうしたらいいかパニックになった、とか
ベビーカーを畳む畳まないで悩んだり、みんな凄く悩んでいます」


子どもがいるのといないのとでは、

ここまで世の中の見方が変わるのか、と衝撃的。



「それに加えて産後うつで出口が見えなくなってしまう例もあって、
『こんな生活がいつまで続くんだろう?』って、気持ちが浮き沈みしながら

暗闇の中を手探りで進んでいくよう。

同じ境遇のお母さんと話しができるって大事なんです。

何しろ家に居たら相手は泣く子どもしかいない、自分が1日一言も喋らないという状況になったりする。

旦那さんが仕事で帰りが遅いと余計にうつうつしてしまう。
そういう毎日なんですよ」



もんちっちに辿り着いた方の一人の話しで。

別の曜日にもんちっちに来て、

0歳、1歳の曜日があることを知り、金曜日に改めて来てみた。

その方は、
「子どもともっと遊べる場所を探して、ここを知りました」
と言っていました。


まだ知らない、知っていてもまだ来たことがない、

そういう方に来てもらいたい、と本田さんは語ります。


家以外に過ごせる場所があること。


ここで子どもは子どもなりの社会性を学ぶ場でもある。

家ともんちっち、環境が違うと子どもの態度も違って、

『ここは家じゃないんだ』と感じている。

他の子と触れ合わせたい、と通う方もいるそうです。



「幼稚園や保育園に入ったり、小学校に入れば子供会があって、

そこで地域との繋がりを実感するようになる。
それまでの期間を安心して過ごせる場所でありたい」と語ります。
実現した場所は、かつて自分たちが欲しかった場所でもあった。

話しを伺いながらも、子どもたちの元気な声が聞こえてきます。




もんちっちには、月に一度は

保育士さんと助産師さんがやって来る日があります。


保育士さんの日は、

スタッフができないような手遊びなどの遊びを子どもたちとやってもらい、

助産師さんが来る日は、

お母さんたちの聞きたいことに相談に乗ってくれる。

みんな聞きたいことがたくさんあるので、賑わう日になります♪

例えば、

「初めての子どもなんですが、離乳食の量が分からない・・・」


「うちの子は好き嫌いが多いように思うんですが・・・」


「寝つきが悪い、夜遅く起きちゃう」


など、それぞれ抱える問題に対して相談に乗ってくれます。


離乳食のことが分からなかったら、

雑誌やネット、川越市の保健センターの教室に当選したり、とあると思いますが、

つどいの広場に来て助産師さんに聞いたり、

経験豊富なスタッフの方に相談したり、

他のお母さんの生の話しを聞くのもいいですね。



スタッフの方が呼びかけ、手遊びが始まりました♪









ここでは、お昼ご飯の時間の前に、スタッフの方による手遊びの時間を設けているそう。
午後と合わせて一日2回行っています♪


『リンゴリンゴ、リンゴのほっぺ

ブドウブドウ、ブドウのおめめ

イチゴイチゴ、イチゴのおはな

おくちはチェリーだよ~、チュ♪』


手遊びの後、お昼ご飯を食べる親子には

ランチルームを使ってもらっています。

5年前連雀町つどいの広場「もんちっち」を開設した頃の川越は、

お昼を持って子どもとゆっくり遊べる場所がほとんどなかった。

つどいの広場はあっても、

予約をして遊びに行くという場所がほとんどで、

午前中の部、午後の部数組と制限もあった。

一ヶ月先の予約が必要だったり、


「お昼の時間閉めていたところが多かったんです」


もんちっちでは、使いやすい場にしようとランチルームを作って

11:30~12:30の時間で

食事をしてもらえるようにしました。





例えば、地域の公園だと、
すでにママ友のコミュニティがあって入りにくいと感じる方もいると思います。
つどいの広場がいいところは、
毎回顔ぶれが変わって出たり入ったり、それぞれの都合で過ごせるところ。

「『すでにある友達の輪に入れないんじゃないか?』
不安に思う方もいるはずなので、
スタッフがサポートしながら打ち解けるようにしています」


この広さに二人もいれば、

充分過ぎるくらい親子をサポートできるのではないかと思います。
初めて来る方には特に気にして見て、話しをするようにしている、と話していました。

スタッフが仲介役となって、

「例えばお住まいを聞いて、近い方を紹介したり、
お子さんの誕生日が近いですね、と別の方を紹介したり」


広場の雰囲気を見ても、出来上がってるコミュニティというより、

入ってくる人を自然に受け入れる様子がありました。
その日によって、その時間によって変わる場所。




こういう気軽に親子がつどえる場所というのは、

川越はまだまだ少ないそうです。

国としては、こういった子育て支援施設を中学校区に一つは作る方向で進んでいますが、

中学校区だと川越市の中学校は22校あり、

その中でこういうつどいの広場や子育て支援センターは15あるかどうか。。。 

遊び場が足りない。



そして、これから子育てネットワークが力を入れていきたいと語るのは、

妊婦さんのこと。

他の催しで、お子さんがいる親御さんと妊婦さん、

一緒に参加できますよ、としていても

妊婦さんはなかなか行きにくい雰囲気を感じてしまう、

妊婦さんだけを対象にした集まりも行いたいそうです。


妊婦さん対象の活動は、

例えば公民館や企業が提供してくれる場所を借りたり、と考えている。
不定期になると思いますが、


「そこでも、つながりが生まれるようにしたいと考えています」


川越市でも、保健センターでプレパパママスクールを実施していますが、

単発なので、出会ってもすぐに別れてしまう。

「友達を作るなら、定期的に顔を合わせる場所が大事だと思うんです」

この取り組みは他ではなかなかないので、

これから知ってもらいたい部分です、と力を込めます。


妊婦さんに力を入れるのは、
出産してから孤立してしまうお母さんが多いのを見てきているからてす。

「妊婦さんの時から近くに同じ境遇の方と知り合っていれば、

それからの過ごし方も違うはず」

今、つどいの広場に来る方に聞くと、
ある程度子どもの月齢がいってからこの場所を初めて知りました、

という方が多い。


今までどうしてたんですか??


「家でずっと子どもと二人でいました」


と。


始めからこういう場があるのを先に知っておいて、

子育てに余裕ができてきた時に、じゃあ行ってみよう、となれば

心の持ち方も違ってくるはず。
だから知っていて欲しい、と。




NPO法人子育て子育てネットワークの活動は、

実に多岐に渡っていて、

「連雀町つどいの広場もんちっち」以外にも

さまざまな活動を行っています。

もんちっちは活動のひとつなんです。

他の子育て支援としては、

親子の居場所づくりとして「子育てサロン」の開設。


■第1月曜日:赤ちゃん広場
5ヶ月前後の親子(保健センター10時~)


■第2金曜日:体遊び あっぷっぷ
隔月)概ね1歳半~の親子(中央公民館 10時半~)


■第3月曜日:ぴよちゃんサロン
0歳児の親子と妊婦さん(中央公民館 10時~)

(ぴよちゃんサロンの様子♪)


■第4日曜日:パパっこサロン
未就園児のパパと子(隔月)(中央公民館 10時半~)

※祝祭日と重なった場合は次週開催



それから、スタッフが講座・イベントを定期的に受け持って、

いろんな場所で行っています。
マタニティサロンを開いたり、
モデルハウスを借りて子育てサロン、
サロンを運営するためのスタッフ養成講座、
0歳児限定の子育てサロンなどを企画したりしています。


(モデルハウスを借りての子育てサロンの様子♪)

きれいで暖かいリビングでお茶を飲みながらゆっくりママトークしませんか?
今回は、インテリア講座第1弾!「家具配置について」
インテリアコーディネーターの方からアドバイスをもらいます♪

【日 時】 平成26年3月4日(火) 10時~11時30分
【場 所】 タマホーム 川越支店 (川越市広栄町1-1)
【参加費】 500円 (保険代込み。シフォンスカーフ付きは800円) 
【対 象】 0歳児のお子さんとその親                   
【定 員】 10組(抽選)


蔵里で開催した「こえままサロン」は、

川越に引っ越して来たばかりのママたちが集まって、みんなと一緒に、

楽しくお喋りしたり、手遊びしたりして、楽しい時間を過ごす催しでした。


コーチングの手法を取り入れたワークショップ、

「育自のための小さな魔法」も開催。


こういうサロンやイベントから、

「連雀町につどいの広場があるんですよ」と知ってもらって、

もんちっちを知ってもらう。



子育てネットワークは、
普通のお母さんとしての子育て体験、気持ちから始まった活動です。

初代の代表が、地元が川越ではなく

ここで子育てした時に、子どもと二人ぼっちで孤立していた。
その思いもあって、共感してくれた数人で始めた活動でした。


「子育て中の人が始めたので、自分たちが本当に欲しかった場所を形にしていこう」と、

賛同してくれる人も増えていった。

2002年7月
任意団体「川越子育てネットワーク」が生まれました。


4年が経過した2006年のこと。

改めて振り返ってみた時に、
『とうして、この活動をしているの?』『ネットワークの意味』『活動への思い』


「自分の原点をスタッフみんなで話し合いました」


そして至った結論。
当事者性を持ち、先駆的で独創的な活動を通じて、

より社会に貢献できる活動にしたい!
2006年10月
「NPO法人川越子育てネットワーク」となりました。



子育てネットワークは、一貫して場づくりに取り組んでいるNPOです。


親子で一緒に遊ぶ場所、
そこで共感してくれる人がいること。


「お母さんにストレスがあると、子どもにもよくない。
一人で悩み二人で孤立しているなら、一度足を運んでみてください」


最後にそう語ってくれました。


続けて、これからの夢も語ってくれました。

「現役子育て世代じゃなくても、

こういう活動をやっているんだという事を知ってもらいたいです。
地域のお年寄りの方を呼んでイベントを企画したり、

地域が一体となって子育てを見守るような、古くて新しい子育て環境になればいいな、と思います。

そうしていきたいです」


「連雀町つどいの広場もんちっち」

川越市連雀町31-1 福祉サポート連雀町2階

10:00~15:00

火曜日~木曜日は、「みんなの日」で0歳~おおむね3歳

月曜日は、主に2、3歳の日(下のお子さんの可)

金曜日は、0、1歳限定の日、となっています。

土曜日は、第二土曜(10:00~12:00)に開放


子育てって、
ひとりじゃなんとかできないことがある。
そんなとき、
思いを共感したり、共有したり、
育ち合える仲間がいたら・・・いいよね。

川越というこの街に
一緒に子育てできる仲間がいたら、
子育てを応援してくれる人が身近にいたら、
温かいまなざしで見守ってくれる人がいたら。

“ひとりじゃないんだ” そんな気持ちになれるはず。

~ひとりの子育てから、みんなの子育てへ~

ひとりではできないこと、みんなでならできる。
“あったらいいな” をできることから少しずつかたちにしていきたい。








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2014年1月19日に本川越駅近くのカフェ・マチルダで開催した

第1回ドリカム新年会 」。

川越の熱い人達が集まって、交流を深めた一夜でした。

興味持ってもらえた方も多く、

ドリカムパーティーにドリカム新年会に、

この会はこれからも継続して続いていきます。

 

あの会で、一際大きな存在感を放っていた人がいました。

 

誰に対してもフレンドリーで、

すぐに友達になってしまう気さくさ。そして熱い。

「どこにお店あるの?今度遊びに行くよ。うちは霞ヶ関にあるんだ。ぜひ遊びに来てよ!」

川越の霞ヶ関に生まれ育って、川越の霞ヶ関を愛して。

『川越で最も熱い30代』と称される漢(オトコ)がいると知ったのは、

いつのことだったか。。。

噂ではずっと耳にしていたけれど、

その姿を見たのは、ドリカム新年会が初めてでした。

確かにこんな漢はなかなかいない、と

会った瞬間にすぐに納得。

「川越はまだまだ奥が深いなあ。こんな人物がいたとは!」

この熱さの正体を知りたい、

地元霞ヶ関を愛しているからこそ、

彼を通して川越を、霞ヶ関を、よりディープに感じられる予感がした。

どんな仕事をしていて、どんな生い立ちで今あるのか、人生の転機は?など

興味が湧いてくる人柄でした。
富岡竜一という漢。

その人物を掘り下げようと訪れた

川越の霞ヶ関。

川越日高線から、的場の交差点を八瀬大橋方面に入り、真っ直ぐ進んだ先、

関越の手前に自動車修理工場があります。

ここが、モナミモータース。


仕事着のツナギで迎えてくれた彼は、

こちらの姿を見るやいなや、手を振って大きな声で

「おお!ようこそ!!お茶でも飲んで行ってくださいよ!」

と、笑顔で事務所へ招き入れてくれました。

お茶を飲みながら、

男同士、いや、漢同士の語り合いが始まった。。。


モナミモータースは、30年以上続く自動車修理工場であり、

日本、アメリカ含めた中古車販売もしています。

富岡さんに、弟の準さん、お母さん、他のスタッフ合わせ、

アットホームな雰囲気のショップ。

お茶を淹れていただいたのはお母さん。

修理としては、車検、オイル交換、ブレーキパッドの消耗品など

小さいことから大きいものまで、さまざまな依頼を引き受けている。

例えば、走行中に異音がする、などといった連絡があれば、

レッカーを頼むか、

「川越市内なら僕らが助けに行きますよ」と語るフットワークの軽さです。

修理に関しては、

「どの車でも大丈夫ですよ」と、自信を持っています。

初対面でもすぐに打ち解けてしまう雰囲気があって、

 

昔からの友達のような感覚になります。

普段の時以上に、やはり職場では情熱的。

その人柄で、多くの人を引き付けている富岡さん。

いつも人の輪の中心にいるような人で、

「トミーさんに会いたいから」と

人柄を慕って自動車修理工場にやって来るという・・・

そういうことがあるんだろうか、と思っていたけど、

いや、富岡さんなら、ある。

自動車修理工場が、販売に力を入れているのもモナミならではです。

販売用車を見ると、ピックアップトラックにSUV、USトヨタなど

「漢が好きそうな、無骨な車は多いですね」

なかなか手に入らない逆輸入車を扱い、

全国から問い合わせがあるショップです。

 

 

そして、どのスタッフの気さくに話しをしてくれる。

富岡さんの下で働くと、間違いなくそうなるんでしょうね。。。


修理・販売のあとも、お客さんとは関係を続ける。

「アフターフォロー」という言葉からは、大抵マニュアル的な響きがありますが、

彼が口にすると、

人対人、一対一の深い付き合いを感じさせる言葉になります(*^o^*)

そこはやはり、個人でやるショップだからこそ、

大事にしているものがありました。

修理工場がここまでやるなんて、と何度も口にしたのですが、

富岡さんは平然と、

「お客さんとは友達みたいな関係ですよ」
お客さんとはフレンドリーに密に、友情みないなもの、と語ります。

高級販売店の接客もいいけれど、

自分たちは気軽に向かえて、お茶でもどうぞ、と

フレンドリーに距離の近い感じで迎えたい、と。

 

神奈川、茨城、栃木、オイル交換だけのために

モナミに来るお客さんがいる。

近くで済ませられるものをわざわざ霞ヶ関まで来る人がいる。

遊びに来る感覚で、それは間違いなく人柄の力です。

今でこそ、笑顔が絶えないショップですが、

ここに来るまでには幾多の山あり谷ありがあった。。。

ある時、修理工場ならではの苦境に立たされ、

打開するために人生の勝負に出た時がありました。

その時のことを富岡さんは、

「新たな路線に進んでいく、人生の勝負所だと思いましたね。

点と点を結ぶ勝負の時だな、と自覚して進んでいった」

岐路に立たされた時、漢はどう考え、どう壁に立ち向かい、

越えていったのか。

その生き様を通して、生きるヒントが得られるかもしれない。

深く聞いてみます。

根底に大事にしていたのは、人との繋がり。

 

「人と同じ事やっても二番煎じにやっちゃうから、

今までなかったことをやる、挑戦ですよ」

 

立ち向かった、その時のこと。そして霞ヶ関のこと。

事務所で当時を振り返ってもらいます。

常に前向き、ネガティブな言葉がまったく出ない生き方。

仕事だけの話しで収まり切れないのが富岡さんです。

 

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



モナミモータースというのはもともとは、

30年以上前にお父さんが始めた自動車修理工場で、

時を同じくして

お母さんが東京国際大学の前の通りに「モナミ」という喫茶店を始めた。

富岡さんが生まれる前のことでした。

当時は、霞ヶ関に2つの「モナミ」があったことになります。

日産のメカニックだった富岡さんが

 

モナミモータースに入ったのが22歳の時。

今から15年前。

そこから彼が中心となって、モナミモータースを経営していくことになった。
富岡さんは、

「小さい頃から車もバイクが好きだった」

自分で乗るようになったのは16歳の原付から。

最初に買って乗った車は

「ボロボロのいすずジェミニでしたね」

それから日産フェアレディZ、などいろんな車を乗り継いできた。

お父さんから継いだモナミを経営し、

最初は修理をメインに行っていたモナミ。

お客さんを待つ姿勢が多い修理工場で、

富岡さんの行動は異彩で積極的だった。

 

「お客さんを待つのではなく、

仕事が終わった後に、チラシを配ったりしてましたね」

 

さらに、他の町の修理工場と違っていたのは、

 

「車をそのまま置いておくより、常に綺麗な状態を見せるように」

綺麗に洗って展示し、清潔感を大事にした。

当時の工場では、そういう感覚が広まっていなかった時代。

 

そこまでした訳は・・・??

「うちみたいな修理工場って、発信源がないんです。

ディーラーさんならお客さんに葉書が届けられる。

でも修理工場が、新しいお客さんとつながれる機会ってほとんどないんですよ」

今から10年ほど前の修理工場は、

 

お客さんが来るのを待つ姿勢のところが多かった。

接客の意識もそんなに高くなく、

いくら工賃が掛かるか分からない、時価のような工場が多かったそう。

 

「それだと人はやって来ない。なんとかしたかったんです。

システムを分かりやすく、自動車修理工場に気軽に来られるように」


それまでの自動車修理工場の常識を疑っていた。

富岡さんは工賃表を作り

これはいくら、これはいくらと明確化していった。

電話での問い合わせにも「来てもらわないと分からない」という対応ではなく、

おおよその金額を答えられるようにした。

こういう対応は、今でこそ行っている修理工場はありますが、

当時としてはとても画期的なことだった。

それは富岡さんが日産のディーラーにいて、

シビアな現場を体験していたから、新しい感覚をどんどん取り入れられたんでしょう。

だんだん修理のお客さんが増え、

修理にとどまらず販売にも力を入れ始める。

販売のノウハウは最初は持っていなかったので、

一から覚えていくことに。

「最初は変なの買って失敗したこともありましたね」

当時を笑顔で振り返ります。

 

板金塗装も独学で覚えた。

自分で一から積み重ねたことで、

今までの業界にはない発想が生まれたのもあったかもしれません。

ただ、それでも修理メインにはかわりない。

それだけでは商売としてビリ貧になっていくのも

一方で感じていた。

周りを見れば、修理ならガソリンスタンドなど競合はたくさんあって、

少子高齢化で車に乗らない人が増えている。

同業者はみんな、これじゃあ食べていけないと口にし

でも現状のままの工場がほとんどだった。

このままじゃダメだ。。。何か打開策はないかと模索している時に

ある話しが弟の準さんからもたらされた。

 

準さん♪

今から5年前のこと。

モナミの転機となった時です。

町の修理工場からの飛躍。

大学卒業後、アメリカに3年いた準さんが、

現地での整備の仕事を通して、いろんな人と出会い、

ある時出入りしていた日本人のバイヤーから

こんなことを言われた。

それがターニングポイント

「逆輸入車を日本で販売したら??」

逆輸入車を日本に送って販売してみたら、と勧められた。

そうか・・・!と、興奮しつつ

日本にいた富岡さんに話すと、

「それは面白い!日産にいたから、

インフィニティとかUS日産のトラックとか

他ではやってない車をモナミでやってみようか」

日本で手に入らないアメリカの車を弟さんのコネクションを使って買い付け、

兄弟で霞ヶ関で販売する。

町の修理工場から、新境地に進んでいく第一歩になった。

 

「新たな路線に進んでいく、人生の勝負所だと思いましたね。

点と点を結ぶ勝負の時だな、と自覚して進んでいった」

日産のディーラーで働いていたから、

日産の工場長や整備の人との人脈も知識もあった。

日本に帰ってきた弟さんと、

アメリカで買い付けた中古車を始め、

日本、アメリカ含め中古車販売に乗り出していくことになった。

買い付けから船に積んで日本の港まで、全部自分たちで管理、

一社で全部担当する例は珍しいそう。

「自分たちで全部やれば、手間はかかるけど良い状態でお客さんに渡せる。

うちで売る逆輸入車は、クレームがないのが自慢です」

特に力を入れるインフィニティ、US日産が、

川越でここまで手に入るのはモナミくらい。

US日産はなかなか手に入らないので、問い合わせが多いそう。

全国的にも、修理工場が

ここまで逆輸入車に力を入れるところも少ないです。

販売だけでなく、それを修理できることが何より強み。

 

「販売はしても直せるところが少ないから、

全国から問い合わせがくるんですよ」

売りっぱなしではなく、

アフターフォローに特に力を入れていきました。


今では販売から修理に、新しいお客さんも増え、

いい循環を感じていると言います。

岐路に立った時の決断は勇気がいったと思いますが・・・?

「修理工場がダメになってから動いても遅いと思うんですよ。

ダメになる前に早めに動かないと」

弟さんのアメリカの経験から、いろんな人と繋がり

それをきっかけにして世界を広げていったモナミモータース。

今でも弟さんが定期的にアメリカに買い付けに行き、

逆輸入車車を霞ヶ関に運んでいます。

(世界最大規模の車の祭典、ラスベガス・SEMAショーより一枚)

自分で買いつけ、横浜港に辿り着き、霞ヶ関にやってきます。

お店にない車は、現地オークションにてニーズに合わせたものを探し出し、

日本に運んでくれるそう。

ドレスアップの相談にも乗ってくれます。

富岡さんの語り口からは、

順風満帆なようにここまで来たように感じたけれど、

実は・・・と聞いてみると、その後も山あり谷ありだった。

「逆輸入車は、最初の一年は一台しか売れなかったですよ」

0から1にする難しさ。

大変な時期だったけど、

苦労を平然と語る強さがあります。

最初に売れたFX35には感慨深いものがある、と当時の思い出を語ります。

2年、3年、4年と続けてきて、広まってきた手応えを感じている。

待ちの姿勢ではなく、

「大事にしているのは情報発信」と、

富岡さんは積極的にブログで自身の姿を公開しています(*^o^*)

ブログをやっていることで、「トミーさんに会いたい」と

10代、20代の若い人も新しくやって来るようになった。

修理を頼むなら、ディーラーでもガソリンスタンドでもできる、

そこでどうモナミを使ってもらうか、

情報発信としてブログを更新し、自分がどういう人間か知ってもらう。

「ブログも続けることで、

『この人楽しい人だ』『ここはこんな修理ができるんだ』と、ここに来てくれるんですよ」

修理は、「どの車でも大丈夫」と自信を持ち、

「他の業者さんからも『できる??』と仕事の依頼がくるんですよ」と。

2トン以上あるタイタンを、持ち上げられるリフトがあることが強み。

価格もディーラーに頼むより安くしているそう。

そうして縁あって繋がったお客さんとは、

BBQを開催したりして、関係を続けていく。

すぐ近くが入間川なので、河川敷がちょうど良いBBQ会場です♪

ふと、面白いものがあると言い、

富岡さんが歩いて行きました。

「これ見てくださいよ。素敵でしょ??」と、案内してくれたのが、

ログハウス風の建物。

これは・・・?と不思議に思っていると、

「ここをおしゃれな待合室にしたいんです」と。

「だんだんと中も形になってきたところなんですよ」

今ある事務所は、スタッフも奥で事務作業している場なので、

15分くらいで比較的早く終わるお客さんに使ってもらう一方、

お客さんの中には1時間、2時間待つ方もいる。

なによりモナミは、遠方からわざわざ来るお客さんも多いので、

ゆっくり過ごせる場所を用意したい、と

思いついたのがこのログハウス。

「テレビを置いて、本を置いて、リビング的に使ってもらいたいな」
シンガポールなどに知り合いがいるので、

 

ゆくゆくは海外の雑貨を置いて販売もしたいそう。
雑貨販売という発想も、

人の繋がりから「じゃあ、一緒にやろうか」と、生まれたもの。

そこまでするんだ・・・とも思うけど、

なんの仕事でも最終的にサービス業ですからね、と語る表情が印象的でした。

そして、こっそり教えてくれたのは、

他の修理工場にこっそり覗きに行っているんだ、と。

他はどんな接客をしているのか、自分の目で見に行って、

いい所悪い所、学べるところがあればどんどん学ぶ。

ここは、町の自動車修理工場という言葉では

括りきれない器の大きさがありました。

こんな熱い修理工場見た事ないですよ、とつい言葉が出た(*^o^*)

 

「最初から商売商売という姿勢だと人はついてこないんですよ。

 

仲良くなれば、じゃあ車検お願い、と後からついてくるもの。

球一つ交換300円ですよ?でもどんな小さな仕事も嫌な顔しないでやる。

話をすることで打ち解けて、次に繋がるじゃないですか。

それの繰り返しですよ。

事件に大きいも小さいもないように、修理だって人と人ですから、

大きいも小さいもないんです。

一生懸命やっていれば、人は見てくれている」

 

今まで大変な時期があって、

これからもあると思うけど、大事にしなくてはならないものは譲らない、

確信を込めた表情で、仕事への想いを語ってくれました。

仕事に熱い方ですが、

それだけの枠に収まりきらないのが富岡竜一。
彼の熱さはそれに留まることなく、

地元でまとまり、どう霞ヶ関を盛り上げるか、まで広がっていきます。

ご存知の方も多いと思いますが、

川越まつりの山車は、市内の全ての町にあるわけではなく、

それは霞ヶ関も例外ではありません。

川越まつりの山車が自分たちの町にあること。

 

それは川越市民にとっての、一つのステータスのように受け取られるけれど、

川越の霞ヶ関には山車はない。

(あったとしても、街の中心部まで巡行するのは大変過ぎます。。。)

他の町なら、仕方がない、と諦めるところだけど、

彼は違った。

「霞ヶ関に山車がないなら、自分たちでオリジナルの神輿を作ろう!」
中学、高校時代の友達を誘い中心となって、

「霞笑和会(かすみしょうわかい)」を組織した。

神輿に乗せるのは、川越の地酒鏡山。

神輿を喜多院の駐車場で組み立て、

20人以上の漢たちがワッショイワッショイ!担いで町の中心部に進入。

祭りの間を練り歩いたのでした。。。

それが、2013年7月27日。

毎年、川越百万灯夏まつりの日に、

大正浪漫夢通りなど川越が祭りで賑わう最中に、

神輿を担ぐ漢たちの姿は今や恒例となっています。

特に去年の祭りは夕方から大雨。。。

それでも担いだ漢たち。

「2013川越百万灯夏まつり 霞笑和会より」





 

 

そして富岡さんは霞ヶ関愛が高じて

地元に美味しいラーメン屋が欲しい、と

東京国際大学の前にラーメン屋「麺屋すん」をオープン。(現在は閉店)

オーナーという立場で関わり、

霞ヶ関史上初、行列のできるラーメン屋を作り出しました。


その前には、霞ヶ関にある角栄商店街を活性化するためのNPOを作ったり、
積極的に活動している富岡さん。

彼の生い立ちは、

まさに霞で産声を上げ、霞で育ち、ここで生きてきたこれまででした。

角栄幼稚園から霞ヶ関北小、

霞ヶ関東中学から川越南高校へ進学し、

整備の勉強のため大宮の専門学校に通った。
霞ヶ関にこだわるのは、生まれ育ったのもあるし、

昔の活気を知っているからでもあるんでしょう。

そんなに商店街の活気、凄かったんですか??と訊ねると、
「今はシャッター通りになってしまってるけど、
昔はめちゃくちゃ栄えていて凄かったんですよ。

通りは自転車の嵐。

車もいたけど、自転車で埋めつくされていたんです」

今の商店街の姿を確かめるために、

随分久しぶりに角栄商店街を訪れました。

(この時は、空が万国旗で埋め尽くされていました!)

 

商店街にあった黒田書店は、

僕自身学生の時にアルバイトしていたお店。

本が好きで、川越で本屋と言ったら黒田書店という時代。

クレアモールに新宿町に、霞ヶ関に2店と、

川越だけで4店あって、最も隆盛を誇っていた時期でした。

角栄の書店の隣には当時、

かろうじて角栄ストアが残っていたのを思い出します。

自分にとっても、霞ヶ関は思い出の詰まった地。

富岡さんのお母さんが、40年以上前に

モナミという名の喫茶店を開いたのは、

東京国際大学のすぐ近くだった。



(今はうどん屋さんになっていました)
改めて角栄商店街見渡すと、

地域に密着した商店が通りに並んでる雰囲気が

むしろいいな、と。

富岡さんも、ここに魅力を感じています。
「専門店がひしめき合っていて、人情も専門性もあるし、

改めて見るといい場所ですよね」
例えば、下町の商店街が人気のように(台東区のおかず横丁のような)、
川越郊外の新たな魅力として、

角栄商店街を見直してもいいのでは、そんな夢も膨らみます。



留学生が多い国際大学もあるし、

国際色を出した通りにしてもいい、語り出したら止まりません(*^o^*)

そして、富岡さんのこれからは、
「まだ先の話しになると思うけど、世界中に散らばった友達がいて・・・」
これ全部友達なんですよ、と壁に掲げられたボードを指差します。

昔からの友達が今、世界中で働き活躍している。
例えば、マレーシアでラーメン屋を始めてもいいし、


「このネットワークで、何かみんなでできないかなって思ってるんですよ」


富岡竜一という漢は、
会った瞬間から熱さを放って、まったく人見知りしないし、
友達に恵まれてるなあ、と思いました。

でも話しを聞いていると、恵まれているのは

なにより繋がりを大事にしているからなのだと思い直しました。

 

「全部、繋がりの中で広がっていった感じなんです。

 

修理工場から販売を始めたのもそう。

ただがむしゃらにやるんではなく、

人との繋がりで、点と点が線になって、線が繋がって円になる感じ。

そうやって始めるものなら大体上手くいく。

だから逆輸入車の販売も勝算あると確信していました。

円というと、この前のドリカム新年会みたいな感じですね(笑)」

 

モナミモータースの魅力は、
なにより富岡さんの人柄、そして会社のスタンスも明確なところでしょうね。

 

「うちにしか書けないブログで情報発信し、

 

うちにしかない車を売る、なんでもオンリーワンじゃないと」

 

周りの工場は、

いろんなアイディアを口にするけど、行動に移さない人が多い、と。
忙しいは理由にならない、
そこをスマートにやりくりしてこそ、結果につながる、熱く語ります。

話を聞いていると、名言がたくさん出ますね(笑)

目標を立てること、繋がりを大事にすること。

好きな言葉を聞いてみたんです。
「継続な力なり」

即答でした。
誰でも会社は作れるし社長になれるけど、

継続には大きなパワーがいる、

でも一生懸命やっていれば、必ずお客さんはついてくる、と。

お客さんとモナミになって、仲良くなる

モナミは、フランス語で「友達」という意味です。

 

モナミモータース富岡竜一、

確かに川越で最も熱い30代というのは、

間違いありませんでした。。。!

 

「モナミモータース」

 

川越市的場981-7

8:30~18:00

049-233-8035

日、祝、第二土曜休(フェアの時は土日営業)






 

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緑色の空間でいただく緑色のお茶。

茶碗を持ち上げる、口に近づける、

少し口に含ませる、ほっと息を吐く、

すべての所作が癒しに繋がるお茶。


茶をいただくなら畳の席がいい。

それもゆっくり落ち着けるような

喧騒から離れた場所があればなおいい。


「色の静岡 香りの宇治 味の狭山」


一口、一口、すするごとに

地元にこんなに美味しいお茶、茶畑があることを改めて実感しました。

隠れ家的な異空間で、特別な時間に浸ることの幸せ。。。


川越の一番街。
 

蔵造りの町並みを眺めながら歩くと、ふと、通りに漂う香ばしい香り。

いつの間にか一番街の北の端、

札の辻交差点まで歩いて来たことに気付きました。


香りが鼻をくすぐり、我に返り香ばしい元を探る、

辿った先にあるのが

店頭で炒りたてのほうじ茶を提供している「長峰園」さんです。
 

札の辻交差点にあるお店は、もともとあった旧呉服店を改装した建物で、
明治の建造物をそのまま生かした造りです。
1階が店舗売店、2階が喫茶室。

一番街に来る人にとって、今やお馴染みとなった長峰園さんの炒りたてほうじ茶。

通りを歩く人が「いい香りね」と足を止める光景は見慣れたもの。

香りに癒され、この香りに癒しを感じることで、自分が日本人であると再確認するよう。
 


  
ほうじ茶の香りに誘われてお店に足を踏み入れると、

充満している癒しの香り。

長峰園さんには、様々な種類の茶葉に狭山茶を使ったお菓子が並び、

お茶を愛する人が集まる空間です。

ここで扱うのは、自分たちの畑で作る狭山茶のみ。
 

長峰園さんは、創業60年以上で3代続くお茶農家。

茶畑は、鶴ヶ島・日高に6町歩(東京ドーム1.7個分ほど)広がり、

埼玉県の中で、一所有者が持つ畑としては最大です。お茶の年間生産量はなんと8万キロ。

畑で作った茶葉を販売する店舗が、ここ川越と鶴ヶ島の2店。

一番街のお店は、2011年3月にオープンしました。

お茶屋さんというのは一般的に、全国の産地の茶葉を扱うお店が多い中、

地元の方にも意外に知られていないのが、

ここ長峰園は自分たちの畑で作り、茶葉にし、自店で販売する

「自園・自製・自販」という形をとっているということ。

他産地では、栽培と販売は別々の会社に分かれることが多いそうですが、

自園・自製・自販という一貫した流れは、意外にも埼玉独特なんだそう。

埼玉は人口も多く、大きな消費地なので、

結果的に狭山茶は地産地消が成り立って

どこで誰が作ったのか、生産者の顔が見える形になっています。

改めてですが、すぐ身近に畑があって、

こんなに美味しいお茶がある地域に住んでいることに感動。

お店は川越最大の観光地にありますが、

観光客に地元の人に、このお店の本当の魅力が伝わっていないかもしれない、

それにあの特別な空間。そこで初めて体験したお茶のことも。至福のお茶体験でした。。。


やっぱり香りの効果で・・・と納得したのが、

お店の一番人気がほうじ茶であると長峰さんから聞いたとき。

通りに漂っているこの香りのお茶が欲しい、そう言って買う人がやはり多いそう。

ほうじ茶だけでも数種類あって、

店頭で炒って売っているのが炒りたてほうじ茶。

他にも、玄米入りほうじ茶や高級なほうじ茶もあります。
 

そして、壁際に並ぶ煎茶の種類の豊富さに特に目が引かれる。

煎茶だけで、その数なんと20種類。。。

この細分化こそ長峰園のこだわりでもあります。
 


 

パッケージは、鶴ヶ島市に縁のあった切り絵の神様「百鬼丸」さんのデザイン。

もちろん、先に述べたように、様々な煎茶は自社で細かく作り分けていて、

自社で製造するから、微妙なテイストの違いをお茶に表現することができ、

例えば「深蒸し茶」も、新芽の時期によって種類が分かれ、

茎茶に、粉茶、造り込み茶、玄米茶、棒茶、ティーパック、パウダーもありました。

自園・自製・自販ならでは、

まさにお茶の芽を味わい尽くすバリエーション。


お茶のお店というと、茶葉の種類は産地で分かれるのを見ますが、

一つの畑で、狭山茶だけで、これだけ作り分けている茶農家がいることは衝撃の事実です。

繊細で、奥の深いお茶の特性を熟知しているからこその作り分け、

煎茶の種類の多さに驚きました、率直にそう言うと長峰さんは、

「葉っぱは蒸し方ひとつで味わいが変わるんです」と。

お茶には機械に頼れない製造工程もあり、

長峰さん自身が何時間もかけて手で揉んで作る手もみ茶もありました。


幅広く展開するのは、日本人にとって遠いものとなってしまったお茶をまた、

身近な飲み物に復権したいという思いがある。

「昔の日本人は、食後は必ずお茶、という方が多かったですよね。

それが日本の文化だた。それがだんだんと急須がない家も増えてきて、

お茶を飲む機会が減っている。このお店が狭山茶の魅力の発信地になればいいなと思っているんです」


お茶をもっと身近なものにするために、

りんご、いちご、みかん、、ゆず、ピーチ、緑茶のフレーバーのティーパックを開発。
 



ハーブ狭山茶もありました。

チョコレート、キャラメル、スイートポテト、などほうじ茶のフレーバーティーパックもありました。

全て自身で開発したもの。

こういう発想と行動力が、他のお茶屋さんにない面、狭山茶の伝道店のような存在です。


長峰園の茶畑は、

有機肥料の施用、低農薬化など減農薬・減化学肥料と
茶園管理を行った畑で育成栽培した茶葉を使用しています。
自社の持つ製茶工場で揉みや火入れなど全ての製造工程を行う一貫生産です。

(店内に掲げられている茶畑の様子)

狭山茶畑の一年とは。

新茶は、この地域だと4月下旬から5月初旬に採れるそう。

「新芽の香りは特にいいです。癒されますよ」

収穫が終わると、茶の木を膝くらいの高さまで刈り落として肥料を入れ、

夏には堆肥を入れ、害虫駆除。

「暑くて倒れそうになります」と苦笑いしつつ、

35度を超える野外でコツコツと除草を続ける。







寒い冬を越え、お茶は1年間育てると170センチくらいにも伸びるのだそう。

温かくなれば葉っぱの付け根に新芽が出て、

今年の4月にまた収穫が待っています。

摘んだ葉っぱは、蒸して揉んで乾かして、

これが一次加工品で荒茶になる。

荒茶を大きさ別に分別し、重さが軽いものを飛ばして茎を取り除く、

それで残ったものが煎茶と呼ばれます。

煎茶を火入れして、旨みを香りを高めたものがお店に並ぶことになる。

さらに、これに二次加工の仕上げが加わるお茶もあり、と細分化していきます。




 






 







長峰園さんでは、販売しているお菓子も

「必ず狭山茶を使うようにしている」というこだわりで、

狭山抹茶を使った五家宝は特に人気商品。

狭山茶ドロップ、狭山茶入りチョコ・ケーキ・クッキー、

フィナンシェ、レーズンサンド、全部長峰園考案のオリジナル品です。
 


 

お菓子含めてお店に並ぶ商品の全てを、自分たちで考えていることが驚きです。

そこまでやっているお茶屋さん、なかなかない。。。

そして、ここからが

長峰園さんで過ごす特別な時間になります。

知られざる隠れ家cafe。

一番街の喧騒から、落ち着いた畳の空間へ。。。♪

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


二階に上がるのは、一階で靴を脱いで階段を上がっていきます。

木の階段から二階に上がると、目の前に広がる開放的な空間。

木枠の隙間から光が射し込み、

床や座席の畳の上にに柔らかく注いでいます。

ふと聞こえてくるのは、水のせせらぎの音。

見上げると100年以上経つ梁が見え。。。


階段を上がった先、長峰園の二階にあるカフェが

「和芳庵(わほうあん)」です。
 


 


 

茶農家さんが・・・と何度も連呼していますが、

ここでもやはり、茶農家が直接カフェまで手がけているのが珍しい。(埼玉で2軒しかないそう)

ここでももちろん、長峰園の畑で作った茶葉を

お茶やお菓子に使って提供しています。


どこか茶席を思わせるような凛とした空間は、

着物で川越に来る人の間に『畳でお茶やお菓子がいただける』と

口コミが広がっている場所。

長峰さんが考えたのは、

「この空間のコンセプトは、お茶を通じてホッと一息くつろげる時間を提供したい」

靴を脱ぎ畳の上に、静かな空間にそっと響くつくばいの水の音。
 


 



カフェで提供しているお茶は、

「ここは、自分たち茶農家がお客様に直接お茶をお出しする場なので、

特にいいお茶を提供しています」。

生産者が自らそこまで言うからには期待が高まり、そして味は間違いありません。

日常で飲めるお茶なら、ここで飲まなくても、と

ここで提供したいのは特別なお茶と時間。

 
・「さやまきっさこ」は、

狭山茶とオリジナルスイーツの組み合わせ。

生チョコ、ギモーブ、クッキー、チョコバーがつきます♪

ちなみにきっさこ(喫茶去)は、

「よう来られた、まあお茶でもどうぞ」という意味。


・「さやままっちゃ きぬさ」は、

狭山抹茶と狭山茶を練りこんだ最中を合わせて。


・「かわごえ茶」は、和芳庵人気のお茶。

使用している茶葉は川越市内の畑で、

新茶初期にとれる、品質のいいものを使っています。

狭山抹茶五家宝との組み合わせが合います。


・「しずく茶 かなめ」「」火入れ茶 ことぶき」

香りが美しい2つを飲み比べできます。


頂いた狭山抹茶は、さすが茶農家さんが自信を持って提供しているだけに、格別です。
 


お茶請けの「五家宝(ごかぼう)」は、

きな粉ではなく、狭山抹茶が使われています。たっぷり振りかけられた抹茶♪

うん?これはなんだろう。。。

メニューで気になるお茶を見つけました。

「しずく茶」というお茶。初めて聞きます。

「しずく茶はすすりながら飲むんです。

そういうすすり茶は、良いお茶じゃないとできない頂き方なんですよ」

と話す長峰さん。

良いお茶じゃないとできない・・・?

通常のお茶は、急須に茶葉をいれますが、

これは「茶碗」に葉っぱをそのまま入れて、上から熱いお湯を注ぐ。

蓋をしたら、蓋をしたまま口に運び、

少しずらせた隙間からお茶を頂きます。

すするようにして飲むから、つまり、すすり茶。

飲み方も初めて、味も感動的な初めての味。

最初の一すすりは甘く爽やかさが広がり、

二口目には濃い余韻が残る、

すするごとに味の濃淡が楽しめるお茶でした。


一杯をあっという間に飲み干し、

茶碗の底に香りを放つ茶葉が残りました。

お湯を注いで二煎目をいただきます。

またすすり、すすり、緑の味のグラデーションが楽しめる。


長峰さん自身が作ったすすり茶は、特別な栽培方法で作られたものだそう。

日光を遮る「被ふく栽培」した茶葉で、

それは玉露や抹茶の作り方と同じ。

日光を遮ると、旨味であるアミノ酸を持ったまま葉っぱが伸びてくる。

それを手で摘んで、手もみして作った茶葉がこれなのでした。

「なにより茶葉の旨味はアミノ酸。

アミノ酸を育てるために丁寧に作った茶葉なんです」

そう力を込めて語っていました。


別のお茶請けに、生チョコを。

チョコに抹茶がふんだんにまぶしてあり、チョコと抹茶の二つの癒しでした。

 

濃厚な抹茶を感じられ、お茶屋さんと言いつつ、スイーツのレベルの高さに驚きます。


今後はかりんとうや、夏には狭山茶カキ氷なども考えているそう。

「狭山茶を広めるために、狭山茶を使ったものを増やしていきたい」

狭山茶に懸ける思いは、誰にも負けない長峰さん。


お茶を頂きながら、この空間を見回してみる。

カフェとして見て他のお店と違うのは、

テーブル・椅子が一個一個独立しているのではなく、

畳椅子が繋がっていて、他の人と椅子を共有して並んで座ること。

居ながらにして場を共に共有する感じになります。お茶の世界を感じられる。


畳の一室の奥は、小上がりになっていました。

「ここでお手前をできるようにしているんです」

そのために、椅子もテーブルも移動できるようにしている。茶席に早変わりです。

そのために、小上がりの高さまで考えられている細やかさ。

「もっと、お茶に親しんでもらいたいんです」

さらにお茶の淹れ方教室などをこの場で考えているそうで、

お茶を楽しむ初めの一歩として、

こういう場のお茶体験なら、気軽に参加できそうですね。


二階から降りる時に、靴を入れる袋をまじまじを見返したら、

6種類は川越唐桟で作られたもので、それもオリジナルで作ったもの、というこだわりよう。

思わず小物入れにしてしまいたいくらいの素敵さでした。



そうそう、ちなみにお店の暖簾も川越唐桟です。

自分たちの畑で作った狭山茶葉を、

お茶とお菓子に使用して提供する、

畑とお店が繋がった、この一貫した形が他にはない長峰園。


埼玉のお茶、狭山茶は、小さい頃から親しんでいました。

美味しい、と結局いつも選んでいるのが狭山茶で、

親しんだ土地で作られたものを美味しいと感じる、

やっぱりそういうことに行き着くんでしょうか??という個人的な話しをした時に、

「例えば同じやぶきた茶でも、他産地と埼玉では味が違う。

産地の製法、木の特性も違って、埼玉のお茶は旨味が強いんですよ」

と説明する長峰さん。

埼玉のお茶は、全国の品評会でも毎回上位に来るほど評価されているそう。

身近であり、質も高い狭山茶。


長峰さん自身が手もみしたお茶も、今回品評会で入賞したそう。

1キロ摘んだお茶を手もみして、水分を飛ばしたら残るのは200gほど。

「5~6時間手を動かして、残るのはたったそれくらいなんです。

これしか残らない。。。と思うけど、そういうものなんです」

手間はかかるけれど、極上の美味しさはそうして出来るものだ、と。


狭山茶カフェに居て思いました。

特別に意識しなくても、お茶を飲むことが癒しで、

お茶にまつわること全部が癒しなんだな、と。

お湯を沸かす、

湯を注ぐ、

しばし待つ、

茶碗を手に持つ、

口に近づけ、少し口に含ませる、

ほっと息を吐く、すべての所作が癒しに繋がる。


生活の身近なところに、簡単で最大の癒しがあること。


「色の静岡 香りの宇治 味の狭山」


伝統的な美しさ「倭美(わび)」と、

お茶のもつ様々効能が生み出す「茶美(さび)」、

地元にある素晴らしいお茶を知ってもらう、そのためのここは、発信地。

自分の畑で作ったものを自分のお店で販売する、
「自園・自製・自販」にこだわってこれからも。。。


「長峰園 川越札の辻店」

川越市元町2-2-5

10:00~17:00

定休日なし




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