今日は濃すぎる一日だった。先ず次男の試合があり、結果から言えば、力が互角の学校との試合を延長まで競い合った結果、惜しくも敗退し、あまりに緊迫した試合内容だった為、補欠の次男は起用されることもなく、今日が球児としての彼の最後の試合となったわけだが、本当にもう こういう地方の野球文化といえば、分かる人には分かるかと思うが、語り尽くせぬ名もなきドラマが溢れ、とても ここで書き切れそうにない。また、息子の事となると、どうも俺の筆にも「キノト」なる半端者としての気配が薄れ、ただ只管 親バカの語りしか出来なくなってしまうこともあり、今日のところはパスすることにした😆。この件については後日、小出しにしていくつもりだ。

昼からは喫茶ゴリラで濱口祐自Liveにやってきた。コロナ騒動もあり、数えると俺としては五年ぶりに祐自さんの生音を聞く機会になった。ただそれだけで感慨深くもあるのだが、上の写真、見てほしい。来店し、店員さんに聞けば、席に名札が置いてあり、そこが俺の指定席だと言うので、探せば この位置である。俺の奥に映っているのはリハ中の祐自さんだ。半日近く ずっと この距離と向きで あのギターの旋律を堪能させてもらえることになったわけである。この至近距離からだと、これまで あまり はっきりと目視出来なかった、祐自さんの手の動きを 思う存分 見られた。勿論、手の動きを見れたところで、高度な演奏技術を すべて理解できるわけではない。しかし この人が、やはりギターを弾くために生まれてきた異能であることが一層、ダイレクトに伝わってきた。この人は演奏だけでなく、MCなど、その場の空気を掴む異能なわけだが、それというのは別々の事ではなく、連動しているのである。手の動きを見ていると、時折、訳のわからない変調が突如として表れる間がある。スウィングといえばいいのか?これは祐自さんの 勝浦弁MCが度々、聞き取りにくく、しかし何か味があり、聴く者の心を掴む瞬間に酷似している。

 

濱口祐自オリジナルハンドメイドアンプ。自作である。勿論、縁取りは祐自さんの生き方の象徴である竹が使われている。音が素晴らしかった事は言うまでもない。

途中、ブルースマンのような風貌の地元?サックス奏者とのジャムも渋かった。これぞ、あがら(我ら)の音楽(ブルース)である。

 

今日のライブは演奏中、頻りに祐自さんの指が攣り、何度も休憩を挟んだり、歌モノの曲を増やしたりしながら長時間に及ぶことになった。祐自さんは「チャージ代半分にせなあかん」と自嘲気味に話したが、俺からすれば、何を仰いますやら?というものである。ライブ中、曲ごとにチューニングを合わせる際に、隣にいた俺が、替えのギターを持ったり出来た事を、どれだけ喜んでいたか?まるで この地の最高級のローカリズムを表現する側に、自分が立てているかの様な錯覚を起こしていたのである。

 

ここで やや無理矢理に冒頭の話と繋げてみる。うちの次男の球児の花道も同じである。この地でなければ生まれない、そういうものは本当にあるのだ。そしてそれは 俺の周囲から そう遠くない場所で気を吐いている。