私は「本当の自分」を探し求めている旅の最中だが、現段階で意識できたのは、「本当の自分」を理解するに当たり、全ての課題が徐々に明らかになってくるのを感じている。それだけでも、自分の内なる心に安らぎが芽生えてくるような気がしている。そして、少なくとも、自分自身の尊いさに気づかされた。自分の人生全てが神の慈愛であると同時に、自分自身が創作人であったこと。 只、外なる偽りの自分の立場から見て、自分自身の人生は失敗ばかり、苦労ばかりだと感じ込み、その多くが自分自身を苦しみだと、錯覚を起こしてきたに過ぎなかった。

 

神の慈愛は外なる自分の知識的な望みでなく、内なる「本当の自分」に忠実であり、内なる心/意識、つまり、神と一体化した「本当の自分」の意識の呼びかけを実現化させて頂いているのである。即ち、外なる偽りの自分で望んだ物事は、幾ら懸命に行動しても、「本当の自分」の望みと異なっていたら、実現化するのは「本当の自分の」が表現化している物事だけである。それは、以前このシリーズで述べたように、例えば外なる偽りの自分が「幸せになりたい」と願った時、、内なる「本当の自分」は、事実上、自分は幸せではないと認めているが故、実現化するのは「不幸せ」である。

 

自分の望みの本質を見抜かず、その実現を得るために懸命に行動しても、望む通りの結果は出ないのは、望みに欲が混じでいる、つまり「欲望」の表しである。「欲」は神の慈愛と一体化できないが故、一度実現化したとしても、必ず、その都度の不幸を招くことになる。 これも、「本当の自分」の望みに違反するが故、本当の安らぎが得らていないのが結果として実現化する何よりの証である。

 

大宇宙大自然法、つまり、神の慈愛たる意識エネルギーには狂いはないのが事実である。