ウチの三女 V3 、

ウィリアムズ症候群につき、

中度知的障害があります(と判定されています)。

 

特別支援学校ではりますが、

まあまあ、フツーに女子高生してます。

 

 

 

先週のことですが、

学校から訃報がとどきました。

 

2年生の男子ですが、

17歳の誕生日を迎えることなく亡くなったとのこと。

 

V3 は、

クラスは違うけれど、挨拶したことはあるよ、

ということでした。

 

だったら御焼香だけでもということで、

V3 と Mommy で通夜に伺いました。

 

ざっと見回したところ、

参列者は主にお父様の仕事関係の方々で、

学校の生徒さんは5、6人位だったそうです。

 

 

読経と焼香が終わると、お父様が、

「息子の人生を、これでオシマイにはできません」

と前置きして、

 

大意、以下のようなお話をされたそうです。

 

 

生後すぐに水頭症と診断、

知的障害の可能性告知。

手を繋いで一緒に歩くことも出来ないのかと覚悟したけれど、

訓練の結果3年ほどで歩けるように。

通常の園には行かず、

学校も初年から特別支援学校。

6年生で脳腫瘍を患い入院手術。

回復したものの高等部1年の終わりに再発入院。

最近になって一時帰宅できそうということで、

受け入れの準備をしていたところに・・・

 

 

 

そのお父様(喪主様)からの、

「お礼の言葉」にある住所で判ったことですが、

彼は、ウチの隣の小学校区で同じ中学校エリアでした。

 

 

 

障碍があったり病気がちだったりで、

施設、病院で過ごすことが多かったりすると、

私たちは、彼・彼女を知らないままに過ごしてしまいます。

 

特別支援学校(かつては養護学校)も、

設立が古い学校ほど山間僻地にあったりします。

 

障碍の程度によっては致し方ないところもあるのだけれど、

 

子供会なり自治会なりの行事で、

彼を知る機会がもっとあれば良かったのに。

彼の人生を知る人がもっと多ければ良かったのに。

 

 

そんなことを、ちょっと思いました。

 

 

 

「障害者は生きている価値がない」

 

そんなことを言う人物や、

それに同意する人がいたりするけれど、

 

想像力が弱く、感受性に乏しく、憐れです。

 

 

人が生きている価値というのは、

たぶん人と人との間に在って、

 

その人自身にではなく、

その人生を共に生きる人の処に在るのでしょう。

 

 

で、なければ、

誰であれ必ず死ぬ他はないこの人生、

生きる価値なんてそれこそ全く無くなってしまいます。

 

 

彼の人生は、決してオシマイじゃありません。

 

翌日、葬儀の時間に合わせ、

学校でも全員で黙祷を捧げたそうです。

 

 

 

幸せは、そうなんだと感じる心に。

生きている価値は、此処にそれ在りと認める処に。

 

 

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

 

水頭症.jp:水頭症とは

http://www.suitoushou.jp/about/index.html

 

国立がん研究センター 小児がん情報サービス:脳腫瘍

http://ganjoho.jp/child/cancer/brain_tumor/index.html

 

 

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