先日、叔母からおばあちゃんに関するLINEがやってきた。
ここ最近、おじいちゃんが生き返った報告を電話でするようになり、
こちらもいつ症状が悪化してもおかしくないと思っている次第…。
そんな中で、
区役所に意味なく3時間も滞在していた
役所の人からは施設に入れたほうが良い
との連絡。
叔母はやや陰謀論者なので、ネガティブな情報を注意して読まなくてはいけないが
区役所に意味なく3時間滞在はたしかにヤバいかもしれない
しかし、なぜ3時間も区役所に?
施設に行くべきと進言すべきなのか?
そう思い、1週間に1度、おばあちゃんから電話がかかってくる今日を迎えた。
認知症の進行が進めば、もちろん電話だってかけられない。
亡くなったおじいさんがそうだった。
電話に出れたのに、出れなくなったのだ。
前回の電話が最後かもしれない…そう思っていたら、
朝5時50分に着信。
電話がかかってきたのだ…。
もちろん、電話の中ではおじいさんが人間に生き返った報告があり、
やっぱりこの会話は最近お気に入りなんだな〜と思っていたら、
「金曜日、区役所に行ってきて3時間待たされた」と突如報告するではないか。
ここで重要なことは区役所になぜ行ったのか?
認知症が進行すると、目的がなく徘徊をする。
目的のない徘徊は非常に危険で、レベルによっては3以上認定が決定する。
やっぱりおばあちゃんの認知症レベルが上がったのか?
そう思っていたら…
「お金を降ろせなかった」と目的をはっきり伝えているではないか。
とはいえ区役所は銀行ではない
なぜ区役所に足を運んだのか?その理由を考えて見た。
前に行っていた銀行が数年前に某所へ移転。
昔の記憶では銀行があった場所に銀行が無くなり、区役所に行った?と推察される。
とにかく「お金」という目的があったのだ。
よく考えたら80後半であと余命10年程度、
幸い僕とは違い、お金に困ることなく余生を過ごせる…
にもかかわらずまだ「お金」に必死なのにも少し驚く…というか引く。
確かに人形にご飯をあげたり、外でずっと立っていたり、区役所に3時間待つ、35度の日にクーラーをつけない
などなど、問題は山積みだ。
でも、トイレが間に合わなかったといった話も聞かないし、
誰かが見ていれば、生活は何とかやっていける「認知症レベル2」だ。
安全性を考慮すれば、施設に入れたほうが良いか認知症の進行は進み、余命もあと3年程度になるだろう。
東京にいる私が出来ることは限られているが、おばあちゃんに「生きがい」を見つけてもらうことが可能だ。
ということで、私は今後対策として…
電話の回数を増やす
手紙を書く
これでおばあちゃんの生きる「目的」や「生きがい」を増やし、認知症の進行を遅らせてみようと思う。
これを読んだ「身内」の皆さんも、おばあちゃんへ少しだけかまってあげる行動をしてもらえると嬉しいところ。
構いすぎても調子に乗るだけなので、適度な構いが必要だ。