明けましておめでとうございます。

 

もう元日も過ぎようとしていますが、今年も宜しくお願いします。

 

妻からは「もっとお正月らしい歌は無かったの?」と責められていて、賀状には相応しくない重い歌かもしれませんが、日々命を大切に生きていきたいです。

 

大変申し訳ありませんが年賀はがきでなく、添付した賀状をもって、賀状を頂いた皆さんへのご挨拶に代えさせて頂きます。

 

 

 

 四歳か五歳の頃。

私が囲炉裏の間に居た時、奥の部屋から殆ど手足の無い身体でしたが、短い脚でトコトコトコッと素早く動いて来るのを見て、驚いて固まってしまい、化け物か何かを見るような目で見たと思う。

そんな私を見る女史の眼が何とも悲しそうで、今でも忘れられないのと同時に、申し訳なかったなぁ‥と思う。

 

当時、祖父が妻籠農協の組合長をしていて、講演会などを企画していたようなので、そんな関係で中村久子女史を呼んでいたのだろう。

 

祖父ちゃんは他人を家に呼ぶのが好きで、子供の頃多くの人が来ては宴会をし、楽しそうにしていたが、祖母ちゃんやお袋は大変だったことだろう。

 

そんな祖父の性格から、我が家に泊めていたと思う。

 

 

 元旦から色々と段取りを忘れていたりしていたが、今日は部落の新年会が10時からあったのに、四日の狼煙上げやどんど焼きの10時半からと混同し、10時半のつもりでいたら電話で呼び出され、15分遅れで参加。

 

お神酒に石川県の酒を飲んだりしていたので、歩いて行くのに息が切れ、時々休みながら上がって行った。

 

早速長老から叱られたが何も言えない。

 

四方山話で11時にお開き。

最後にいつも私の初吟で終えるので、心づもりはしていたのだが今年はなし。

 

11時15分頃帰ってきた。

 

 今年二十歳になる孫娘が彼氏を連れてきて、お昼を一緒に食べたりトランプゲームをして大いに盛り上がった。

 

彼氏は我が家の賑やかさに、驚くことばかりだっただろう。

同僚の二人は一緒に帰って行った。

 

2時過ぎには私の三番目の妹と娘達が来て、上の娘と旦那は夕方帰って行ったが、妹と下の娘は夕食を一緒にして帰って行った。

 

孫の彼氏が高そうな酒を持って来てくれたが、夕食時に皆で飲んで直ぐに無くなった。