昨日の吟道研修講座の続きから・・。


 濵岳優先生の講座は、

俳諧歌「老の坂」一茶

     「かぢ枕」一茶

紀行文『奥の細道』より「最上川」


この三題を、一時間半の間に行なうのだから大変。

普通なら、「かぢ枕」や「最上川」一題だけでも、一時間以上欲しいところだろう。

そんな短い時間でも、きっちりと伝えられていた。

年明けに八十才になるというが、五本という女性向けの音の高さで声を出されていて、三本が苦しい私は羨ましい限り・・。


 会場で一緒に講習を聞いていた宮下岳耿先生も、今年十二月で満八十才になるが、女性と一緒に五本を出されていて本当に凄いと思う。

宮下先生も、今でも各地に講師で行かれる忙しい先生だが、講師をしているから声が出るのか、声が出るから講師が出来るのか・・。

自分が二十年後に、お二人の先生のような声が出るかどうか・・。


 講座は四時頃閉会し、帰られる諏訪の濵先生と岩本先生をお見送りした後、場所を移して五時半から一時間ほど、先生方や地元会員と食事会。

生中を二杯も頂いて、反省や感想を話しながらの楽しいひと時だった。


 地元会員の中に、下條村出身のタレント「峰竜太」さんの実兄がいた。

また、会場のコスモホールを始め、立派な建物も多いのは、この村出身の、二人の国会議員が居たからなのだとか。


(確かに帰るとき、中条村から阿智村へ抜ける道を通ってきたが、それまでの二車線道路がトンネルを通って阿智村に入った途端、狭い曲がり道だった。

政治力の差かと思うが、橋やトンネルの工事中だったから、木曽谷よりはすすんでいる。)


 お開きとなった五時半頃、前会長の木下先生に送ってもらって、車で二~三分の位置にある宿の「加賀美」に着いた。


夕方、三女の車で三女と妻と義母が来て、私の乗ってきた車を妻が運転して宿に持っていってくれていて、私が着いたら皆風呂に行っていた。

お湯は昼神温泉や南木曽の温泉と同じ泉質のように感じた。


三人は六時からの夕食で私は風呂に行ってから、終わる頃に食事の部屋に行き、義母の食べないものを頂きながら生中を一杯。

これがいけなかった。

以後体調不良だった。


 一日のご褒美に、九時半から一時間マッサージを頼んだ。

あまり「痛い!痛い!」と言うのも恥ずかしいので我慢していたが、「結構凝ってますね」と言うので、一時間半近く立って講習をし、他は座って聞いているだけのようだが緊張していたのだろう。

十二時前に寝たのだが、普段エアコンの音を聞きながら寝る事がないので音は気になるし、義母のトイレやらで何かと眠りが浅い。


起きてから妻と三女は朝風呂に行ったが、私は頭痛がひどくなるといけないのでパス。


 八時から朝食を食べ、九時過ぎに宿を出た。

出掛けに宿の若い女性に「下条村のお勧めの所は何処ですか?」と聞いたら、滝とお宮を教えてくれたので行ってみた。


「鎮西の大滝」というので期待して向かったのだが、少し広い道路から山道に入ると道が狭く舗装も悪い。

しかも1,3kmの間に車の避けあえる場所がほとんどなく、もし対向車があったら200㍍くらいバックしなければならないことを、覚悟しなければならない。


やっと看板のあるところに来て、車一台がやっと停められる場所に、「第一駐車場」とか「第二駐車場」などの表示があるが車をUターンする場所が100㍍以上上でないと回れない。

道路から滝までは草を刈ってあり、大滝小滝と二つあると言うが、下りてみると大滝しかなく、説明の石碑には16㍍と6㍍あると書いてあるが、見える大滝は小さいのでがっかり。

大滝がこれでは小滝は見る価値がないだろうし、小滝の位置の説明もないのですぐに戻ってきた。


帰ってきて調べたら大滝は高さ5㍍で、小滝が15㍍なんだとか・・。


http://kodaru.blogzine.jp/taki/2012/01/post_37ec.html


いずれにしても、車の運転に自信のない人には、お勧めできない場所である。


下りて道を戻る途中、「大山田神社」というのがあり寄ってみた。

千年以上の歴史ある神社らしく、苔むした石段は趣があって、樹齢八百年の大杉も立派だった。

ここはお勧めである。


 下條村を後にして阿智村に行き、「満蒙開拓記念館」に入った。

国策で二十七万人の移民(棄民)を出し、その後の中国残留孤児を作り出した流れが良くわかった。


 飯田で昼食を食べ帰って来た。