今朝六時15分頃に、妻と義母を乗せ、車で出発。


ブロ友のミヤマオダマキさんの記事に触発され、高遠城跡公園の桜を見にきた。


今まで来たことがなかったので、一度は来たいと思っていた。


義母は坂道や階段を歩いたりすることが大変なので、出来るだけ近い駐車場を探し、誘導員の方達に聞きながら上っていくと、身体障害者用の№6駐車場にいれてもらえた。

義母のおかげである。


平日の八時過ぎだったのと、朝、雨が降っていたこともあり、渋滞なしに着いたので良かった。


   北ゲートに向かう義母と妻
   


   南ゲート付近の妻と義母

   


   花を見る、義母の表情も嬉しそう
   


 私は幾つもの句碑や歌碑、顕彰碑を見たり、説明書きを読んだりしながら、妻達の後を追いながら歩いていた。


それ以外にも、こうした空堀や土塁を見ると、以前の元の山の姿を想像し、山本勘助が大改修したといわれる当時の城の姿をおもい、これだけの大土木工事にどれだけの年月と人数やお金をかけたのだろう・・工法は・・と、土方の視点で見てしまう。

   


顕彰碑などより、こうした自然石を活かした蹲(つくばい)? 手水鉢(ちょうずばち)?を見ると、石を活かしたデザインの、職人の仕事ぶりに目がいってしまう。


   

それと、城の水はどこから引いたのだろうか・・。

井戸だとすれば、どこかに井戸の跡がないか・・と探してしまう。

有名な撮影スポットでもある「桜雲橋」を見れば、石垣の格好良さに目がいく反面、コンクリート橋にがっかりする。

但し、積み方は今一だなあ・・。


   


 城跡で一時間ほど散策したり、団子を食べてから車に乗り、「絵島囲み屋敷」「高遠町歴史博物館」に入りたかったので、今度は№8駐車場へ。


本当なら南ゲートから下りていけばすぐ近くなのだが、義母を歩かせるには坂道がきついため、車で移動。

7百円の駐車料金を、また払わなければならないと覚悟して行ったが、事情を話したら無料にしてくれて助かった。



 「待ってる」という義母を車に残し、妻と「絵島囲み屋敷」に入ってみた。

「絵島生島事件」と呼ばれる江戸時代の事件は、政権を巡る派閥争いだったといわれている。

政争に巻き込まれ、遠流(おんる)の身となった絵島に思いをはせた。


   


復元された家は、間取り図の通りに作られているのだろうが、このような民家風な建物ではなく、牢獄としての機能を持った、もっと重厚な建物や塀だったのだろう。

図面によれば、塀の高さは八尺となっているから、2,4㍍以上あったはず。



大奥の華やかな暮らしから、朝夕二食の一汁一菜。

着る物も質素で書く物も許されない生活もさることながら、高い塀に囲まれ、周りの景色も見えない毎日は、つらいものだったのだろう。


   

   その後、隣の「歴史博物館」へ入る妻。

   


 義母を待たせていることもあり、妻は五分くらいで見て回り出て行ったが、私は三十分位かけて館内を見て回った。

妻達を待たせてはいけないので、それでも大急ぎで回ったつもり。


私は歴史が好きなので、高遠藩の坂本天山(1745~1803)という砲術家の発明した大砲などの模型を見ると、どれくらい飛んだのかな・・、精度はどうだったのかな・・と考えてしまう。

幕末のペリー来港時、黒船の大砲の射程距離は二千㍍から三千㍍。

日本の大砲の射程距離は八百㍍といわれているから、それ近くは飛んだのだろう。


十時半頃車を出して、「「道の駅南アルプスむら長谷」に行ってみたい」「伊那のローメンが食べてみたい」と妻が言うので、昼食がてら買い物に行ったら、ローメンはやっていなくて買い物だけしてきた。


途中でローメンをやっている店を探してみたが、なかなかなくて、あっても準備中。

伊那市内まで行って、やっと中華の店に入って食べてきた。


焼きそばに汁が入っているような食べ物で美味しかったが、「また食べたい!」という気にはならないかなあ・・。


 十二時前に店を出て、権兵衛トンネルの手前の店でお菓子を買い、帰って来た。


 今月22日は、私達の36回目の結婚記念日。

民宿や年寄りの世話で忙しい妻への、少しばかりの感謝のつもりの花見だった。



その後の様子は、また明日にでも・・。

お休みなさい。