地元枚方の特別史跡百済寺跡の築地塀復元工事見学会! | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

9月の終わり頃、

地元、枚方市にある

特別史跡百済寺跡の
築地塀復元工事の見学会

に行ってきましたー爆笑キラキラ



特別史跡、、国宝級の遺跡ってことなのよキラキラキラキラ

全国的には全然知られてないけど。

市民にもそんな認知度なさそうやし(泣)


昔々、朝鮮半島で百済が滅亡したときのこと、百済の王族が日本へ渡来してきました。その一族は今の上町台地あたりに住んでいたのですが、奈良時代の聖武天皇の頃、一族の末裔の敬福さんが大仏建立のために使う金を東北地方で発見し、その功績が認められて河内守に昇進。その後、わが町枚方市のあたりに一族が移り住んだとのこと。百済王氏という氏族名をもらい、桓武天皇が【朕の外戚】と言うほどの天皇家と近しい有力氏族となった百済王氏は、一氏族が住む地域としては異例の都のような南北の街区を持つ街をこの辺りに作りました。街に隣接して氏寺として造られたのがこの百済寺なのです。


古くから桜の名所として市民に親しまれた

百済寺跡ですが桜

ここ何年かかけて調査、整備されてまして


基壇や礎石が復元されています。

遺跡自体は地中に眠ってて、桜の木の根が遺跡を破壊するということで、市民に親しまれた桜の木が伐採されるという、、ちょっとしたニュースにもなりましたタラー



で、復元整備事業の一環として

築地塀が一部復元されるとのこと。

こういうやつ↓
今年の春に平城宮跡で撮った写真ですウインク


復元されるのは


東側のこの部分上矢印

久々に百済寺跡に来ましたが


けっこう復元が進んでてビックリ!

いつの間にっガーン!!


見学会は市の文化財課が募集してまして

2日で50人ほどが参加したそうです。


工事現場ということで


ヘルメット(笑)

不審者やん。。笑い泣きアセアセ


築地塀は2か所復元されるのですが

1つは古代の工法で、もう1つは現代の工法

復元されるとのことおねがい

先程の写真では


南側にある写真奥の築地塀が現代工法で、

北側にある写真手前のが古代工法になります。


あまり写真を載せてはいけないかもなので

ちょっとだけ。


こちらは


現代の工法で鉄筋コンクリート造りで上矢印

表面は古代の壁風に仕上げるとのこと。

まだ瓦も乗ってなくて、芯の部分がむき出しでした。


もう1か所の古代の工法では

ちょっとずつ土を盛って付き固める版築下矢印


まさに行われているところでした!

おおおっびっくりキラキラキラキラ

古墳なども版築で造られたそうですが

実際に作業してるのは初めて見た!!感動っラブラブ


見学会では現代工法と


古代工法の


資料が配られ、いろいろ説明していただきました。

見た目やサイズは同じだけど、

工法が違うって面白いね!!


発掘調査によって基礎の部分が見つかり、

平安時代の資料や法隆寺の建築を参考に

基礎の幅から高さを復元したとのこと。

設計した建築家の方もいらしていて、

特別史跡ということで
復元にあたり文部科学省の許可が大変だった

と話されてました。


版築の土にもこだわりがあり

いろんな場所から採取した土を試したそうです。

土の質だけでなく色にもこだわったとのこと。

土だけじゃなく小石も混ぜてるんだってー。

土器みたいやなラブ


瓦も絶賛製作中とのことで

復元が楽しみですーー!

復元したらぜひぜひ訪れてみてね。
 



で、こういう文化財関係のイベントには

ほぼ必ず、私の推し学芸員の方がいらしてて、

その方に会えるのも楽しみに来たんですがね

いてないのよ。。ショボーンタラー

ざんねーん、って思ってたら。

フフフ。続くニヤリ


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