学者さん追っかけシリーズin海老名 2019.12 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

ブログのネタが無くなってきたので

あまりの熱量に

我ながらドン引きする内容なので

アップするのをらためらってた

好きな学者さん追っかけシリーズでも

載せておこうかな~。

自分の記録のためにも。。


まだまだ平和だったおととしの12月

神奈川県海老名市で行われた

古墳時代の講演会に

行ってきましたー爆笑


圏央道建設に伴う発掘調査の報告や

学者さんの講演、討論会

海老名市役所の会議室にて。



無料の講演会なのに

立派な冊子びっくり!そしてカバンまでびっくり!!



市民でもないのに、、なんかスミマセンニヤリ


講演会は休憩挟みつつ

なんと、、

10時~16時までガッツリびっくり!!

しかし

濃い~内容だっのであっという間、

たいへん勉強になりました爆笑ラブラブ


おととしは

神奈川、埼玉、茨城と

それから山梨も

関東近辺の古墳巡りをしてたので

点と点が線や面で繋がってきたような、、

いや、まだまだ勉強不足なんだけどキョロキョロアセアセ


そして

私の中でのお目当ては

東海大学の北條芳隆先生の
講演!!


注意以下注意
注意長文&マニアック過ぎる内容なので注意
注意スルーしてください注意
自分の感動と興奮の記録として。



おととしの春、

なんとかがんばって卒業までこぎつけた

通信制の大学の卒論を書くにあたり

参考にした論文の一つが

北條先生の論文!


古墳時代の中でも

石室石材についても触れた論文だったので

いつか講演を聴きたいなぁと思っていたのです。


今回の講演は

相模川流域の弥生時代~古墳時代の遺跡で

見つかっている玉作り跡のことや

その時代の玉作り、石材、流通について

お話しされておりました。


ニコニコツヤツヤとした表情でおねがい

滑らかに、ほどよく笑いも入れて

分かりやすく説得力ある内容、

とても聴きやすい講演でしたキラキラ


で、、ですよ

その講演の中で


『 紅簾石片岩の石鋸をたずさえた人々が、、』 


という一言をボソッと話されてて、

先生、今、紅簾石片岩って言ったよねびっくり!?

紅簾石片岩の石鋸って言ったよねびっくり


全身鳥肌っラブ

心臓バクバクっ滝汗!!

ちょっと半泣きえーん(笑)!


というのも

ここ何年も

日本各地の遺跡や資料館を巡ってて

弥生~古墳時代の玉作りに関する遺物の中に

紅簾石片岩でできた

石の鋸(ノコギリ)なるものを

何度か見たことかあったのです。

凝灰石などの石材を玉に加工する際に

紅簾石片岩製の石鋸が使われていたのです。


やはり

大好きな結晶片岩の1種ラブ

紅簾石片岩でできた石器ということで

記憶に残りやすいのね。



奈良の唐子・鍵遺跡、

丹後半島や鳥取県、

遠くは長野の上田、

そしてそして我が町枚方などなど

いろんなところで見ました!



でもね、石鋸の出土地、

場所はバラバラキョロキョロアセアセ

そして

どこも紅簾石片岩が産出するような

場所じゃない!!

のに、

原石から玉やビーズに加工するときに使う

紅簾石片岩の石鋸が見つかっているびっくり!!


これ、

ひょっとして

紅簾石片岩の石鋸の分布や形態を調べれば

当時の人々の移動や技術の伝播など

分かるんじゃないニヤリ???


と密やかにデータを集めてたのです上差し


各地の玉作遺跡で見つかった

玉類の形態、石材の種類、産地などの研究は

けっこうされてるんだけど

あえて紅簾石片岩の石鋸に目をつける、、

はい、

ここでもアマノジャク発揮ですよニヤリ(笑)

まぁ、私が知らないだけで

すでに紅簾石片岩の石鋸も

研究され尽くしてるかもね。


なので

先生なら何か情報をご存じかもチュー!!?


講演会終了後に質問してみました。



あの、、

講演の中で紅簾石片岩の石鋸と

おっしゃってましたが、、

日本各地の玉作り遺跡で

紅簾石片岩の石鋸を見るのですが

あれは、、

当時の玉作工人が

共通して使ってたものなんでしょうかキョロキョロ


恐る恐る尋ねてみると

北條先生は、、


素晴らしいっおねがい!!!
その通りです爆笑!!!


と目をキラキラさせ

興奮気味に話してくださいました。

※講演終了後なのでテンション高めだったのかもしれませんが。。



一番古くは、、なんと弥生時代の初め、

徳島の紅簾石片岩を採って、

淡路島、大阪湾、淀川、琵琶湖と船で渡り、

陸路を北陸の方へ抜けて

出雲など山陰の人々が

玉作りに使っていたんです上差しおねがい



ってびっくり!!!

マジですか、マジですか、

いろんな意味でマジですか爆笑!!!

ですよ!!!


あまりの興奮に

顔から血の汗が吹き出すんじゃないかと

滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗キラキラ


まず、淀川ってびっくり!!


私、大阪の淀川沿いの枚方から来たんです。


と言うと

えっ!枚方から!!

わざわざこんな田舎までありがとうございます‼️


って(笑)

いやいや、枚方も似たようなもんですニヤリ(笑)


枚方も紅簾石片岩の石鋸出てますよねウインク

はい、出てますラブ!!

そのルートの1つの拠点ですね照れ


では

出雲の人々がなぜ

徳島の紅簾石片岩を知っていたと思います?

それは

稲作で使っていた石包丁が元になっているんですウインク


四国の三波川変成帯に算出する紅簾石片岩が

硬い石材であると

遠く出雲まで知られていたのですおねがいキラキラ


石包丁びっくり!!

確かに!

手のひらに収まるサイズが似ているラブ!!!



そして思っていた通り

先生も石材に精通している!
嬉しいっラブラブラブ!!



で、もひとつ

四国、淡路島、大阪湾、淀川ルート、、って

まさかここで

このルートの話が出てくるとはっニヤリ


このルートって、、

私の追い求めてるやつやんチュー!?

まさかの、、キョロキョロいや、やっぱり、、チュー

つながるんやん爆笑!?


この流れでこのルートの話されたら

もう聞いとくしかないよねラブ!!


古墳時代前期の大阪、奈良など

畿内の古墳の石室に

結晶片岩が使われてますが

やはりこの石材の流通ルートが

ベースになっているんでしょうかラブ??


はい、

そうだと考えられますニコニコ


先生から力強い賛同をいただいたっ!!

うおおおおおっグーラブグー


結晶片岩が産出しない畿内、

どこから石材を入手したのキョロキョロ


四国産を淡路島、大阪湾、淀川、または大和川の

海ルート船

それとも

和歌山や三重産を内陸の河川や沿岸部を船で輸送トラック


今は海ルートがほぼ定説になっていますが

なんかモヤモヤしてたのです。

でも、これって

海ルートを裏付ける証拠になるんじゃないニヤリ


というか

なぜそんな遠路はるばる

結晶片岩を使いたかったの?

石室を造りやすい石材なら

近くに安山岩、チャートなどなどあるのに。

実際そうした石材を使った古墳も

たくさんあるのに。


そのこだわりは、、何チュー??


というのが

私の卒論のテーマの1つでもあったのです。


先生はさらに

結晶片岩の板状に割れやすい性質が

古墳造りに向いているというのと

紅簾石片岩はもうひとつ

赤い石、ということに意味があるのです!


って、、これもキタキタキタキタラブ!!


それは、、朱の代わり、、

ということでしょうかニヤリ??


その通りですおねがいキラキラ!!


やっぱりそうかーーーチュー!!!

そうじゃないかなーって

思ってたんだよー。


古墳の石室や石棺などの棺には

朱やベンガラなど

赤い顔料が塗布されることが多いのね。

魔除けなどの意味があるそうです。


紅簾石片岩は

朱などを塗らずとも

もともと赤いラブ

石そのものに赤い力が備わっているって

考えられたんじゃないだろうかニヤリ??


さらにさらに先生は

縄文、弥生時代に石鏃として使われた石材、

サヌカイトも

実は古墳石材として使われています。


って!!!

それそれそれ

まさに卒論で参考にさせていただいた先生の論文ですラブ



いやぁ、もう、、お腹いっぱい笑い泣き!?

いや、話せば話すほど

まだまだ聞きたいことは山ほどラブ

欲張れば

箱式石棺についても講演で言及されていたので

聞いてみたかったけども、、

周りで会場の撤収作業が進んでいたので

質問はそこまでで断念ゲッソリアセアセ



何て言うのかなぁ、、

これまで一人でボソボソと妄想してきたことが

おもいっきり肯定された喜びっラブ!!


こっそり独学で学んでた外国語が

通じたラブ!というか、会話できてるラブ!!

みたいな感動(笑)

考古学という共通言語で会話できてるー!
ラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブ


さらにさらに

新たな説を展開していく種を

いっぱい手に入れた興奮ラブ炎

先生!ありがとうございましたお願い!!!


高校時代に目覚め

旅の道すがらハマっていった

結晶片岩、、ねラブ

このためにずっと追い求めてきたのかなぁ

とか

石の方から

ずっとずっと語りかけてくれてたんだなぁラブ


さらにいとおしくなりましたラブラブ(笑)



弥生時代や古墳時代に行って

実際に証拠を見ることができないから

いくら先生がおっしゃったからといって

それが正解とは言い切れない、

こうしてブログを書いてると

いや、こういう考え方もできるんじゃ?

ってのもあるし、、

そもそも石包丁と古墳石材では

使用量が全然違うし

結晶片岩の流通は

縄文時代の石棒にも遡れそうな気もするし

まだまだ妄想が尽きない、、っニヤリ

楽しいっラブ!!

頭の中が忙しいわっ笑い泣き!!



結晶片岩を携えた古(いにしへ)の旅人に

思いを馳せる年末だったのでした。


って、、このブログを書くために

撮り貯めてた石鋸の写真を探したけど

古いスマホに入ったままなのか

全然見つからないのでした。。チーンチーンチーン

唯一見つけたのが


丹後半島の資料館のもの。





講演会場に持ってこられていた
先生収集の玉製品石材、
美しい緑色のグリーンタフ(緑色凝灰岩)
下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印下矢印

まさに長野の上田のラブ!!
この石材を加工するための石鋸を
上田の資料館で見たんですっ!!

その写真も、、いずこチーンチーンチーン!?





この講義を聴く前日は

先生の著書を読んで予習しました!
 



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