3/8 西都方面の支援者回り 都於郡城跡 | 幸福実現党 こうの一郎オフィシャルブログ

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 3月8日は西都方面の支援者回りをさせていただきました。

 

 支援者の牛農家の方は9日が競りのため、準備に忙しく、値で売れるように丁寧に出す牛を磨きこんでいました。

 

 新しく出会えた御婦人からは、「家族5人全員で応援するから、頑張りなさい」と激励をいただきました。3回の選挙で一度も伺ったことのない地区でしたが、いい出会いがたくさんありました。

 

 早期米のため、水が入っている田がいくつもありました。西都も広く、まだまだ行ったことのないところがたくさんあります。

 

 夕方回わると人と出会う確立が高くなります。帰宅する時間帯なので忙しいときですが、皆様気軽に会話をしてくださいます。

 

 都於郡城の近くの集落で、お城のことをいろいろと教えてくださいました。都於郡城は、遠くから望むと舟が浮いているように見えたことから“浮舟城”といわれたそうです。また、1582年(天正10年)に『天正遣欧少年使節』の正史としてローマに派遣された伊東満所(マンショ)は、この都於郡城で永禄12年(1569年)ころに生まれたと郷土の偉人の話も。

 

 都於郡城は安土桃山時代ごろの伊東氏の城の一つです。1335年、足利尊氏より都於郡三百町を賜って日向に下向した伊東本宗家の伊東祐持による築城されました。その跡は島津に占領されていましたが、江戸時代の一国一城制度により廃城となりました。

 

 今は石垣も無い状態の都於郡城ですが、今度城跡を見学してみたいと思いました。お城の築城の時期から考えると800年近く前から村があったことになります。歴史を感じました。