コロナな日々189~松屋と亡き友人のおまいり

 

●2023年12月〇日(〇) 某店訪問348回目

 

「寒鯖の塩焼き」「ミニ造り」「手作りハンバーグ デミグラスソース」。身は小さいけれど、塩鯖は安定の美味しさ。通常は隠しメニューの造りがメニューとして表に出ている。鰤と鯛。旨い。もっと食べたい。塩鯖に添えられているじゃこが隠しメニューということか。小鉢が洋風の味付けの野菜の和え物でレア。

 

●2023年12月〇日(〇) 松屋 期間限定「うまトマチキン定食 特盛ご飯」

 

11時30分頃、突然A社から電話があり、その対応に追われる。勘弁してくれ…。奥の手を繰り出し、何とか終わったのが14時30分過ぎ。もちろん、某店は無理なので、松屋へ。

 

期間限定「うまトマチキン定食 特盛ご飯」(税込830円)。「ゴロゴロチキンカレー」のチキンに、スープ状のトマトソースが大量にかかり、温玉が入っている。見た目、トマトカレーに見える。食べてみると、トマトソースの酸味が強く、スパイス感はない。やや冷めているのも良くない(カレー的な料理は熱々が大事)。どうせなら、トマトカレーにすれば良かったのに。松屋にしては、やや残念。

 

●2023年12月〇日(〇) 松屋「富士山豆腐の本格麻婆定食 特盛ご飯」

 

12時50分に某店に到着するも、メニュー看板が仕舞われ、何とすでに閉店状態。日替わりランチだけでなく、天丼、海鮮丼、御膳も全て売り切れたようである。仕方がない。やむなく2日連続の松屋へ。「富士山豆腐の本格麻婆定食 特盛ご飯」(税込620円)。生野菜(松屋ではサラダのことを「生野菜」と呼ぶ。単品価格140円)が付いて、この価格は立派。現在、松屋はライス大盛、特盛、お代わり無料だし、価格満足度は高い。

 

食べてみると、豆腐はもちろん充填豆腐なので、柔らかく食べやすいものの、食べごたえはない(なお、自分が毎日夕食時に食べているのは木綿豆腐<夏期は絹ごし豆腐>。充填豆腐は濃い豆乳を冷却後に凝固剤を加えて、そのままパック詰めして作る豆腐で、安価で大量に生産できる。スーパーにて3パック100円程度で売られている豆腐は充填豆腐が多い)。また、麻婆豆腐の麻辣(マーラー)や山椒のいわゆる「シビ辛」は、スパイス的な辛さほど好きではないので、まあこんなものかという感じ。ただ、この内容で、この価格は素晴らしい。

 

 

●2023年12月〇日(〇) 亡き友人のおまいり

 

8月に亡くなったM君のおまいりに、共通の友人であるA君とともに出かける。事前にA君とSMS(ショート・メール・メッセージ)で連絡を取り、「御佛前」(四十九日までは「御霊前」。四十九日が過ぎると「御佛前」。「御霊前」は薄墨で書くが「御佛前」は通常の濃墨で書く)を「金壱万円也」用意。また、自分とA君との連名のかけ紙(葬儀関係は「熨斗(のし)紙」ではなく、「かけ紙」と呼ぶ)で、「御供(おそなえ)」の和菓子(賞味期限が約80日残っている個包装されたお饅頭。1,728円)も準備。M君の実家のある明石へ向かう。

 

最寄り駅に到着すると、こんな日に限って、JRが止まっている。マジか? 正確には普通電車は動いているけれど、快速、新快速が遅れている。「奈良線の京都駅にて、列車との接触事故が発生したため」とのこと。奈良線と京都線&神戸線はつながっていないので、関係ないのではと思うものの、停止信号が発報されて、京都駅周辺の全ての電車が止まったのだろう。梅田から阪神の直通特急姫路行に乗ろうかと一瞬考えるも、最高速度130kmを誇るJR西の新快速のスピードには比ぶべくもないので、大阪駅で耐えて待ち、40分遅れの新快速姫路行に乗車。予定より約30分遅れて、明石駅に到着。

 

徒歩で向かう予定を変更し、タクに乗る。運転手に住所を告げ、その近辺で停めてほしいとお願いしたものの、下されたのは隣りの町。プリントアウトしたYahoo!地図を見ながら、ご実家を探す。神社やお寺があり、海が近い。路地があり、道が入り組んでいる。典型的な旧市街地。路地をウロウロしていると、家の前に立っている女性と遭遇。M君のお母さんだった。

 

中に上がらせていただき、仏壇に線香をあげ、手を合わせる。遺影は、割に最近のものか。位牌はない(M君家は真宗か)。そっか、本当に死んだんだな。何か嘘みたいだけれど。いつも父の位牌に語りかけるように、M君の遺影にも「村上春樹の本を渡す予定だったのに、渡せなくてごめんよ。6月に会えば良かったね」と話す。お骨とメガネが残されている。お母さんは、早く納骨した方が良いかもしれないが、とてもじゃないけどそんな気にならない。メガネはお棺に入れてはいけないと言われたので、そのままにしているとのこと。

 

M君の最期についてお聞きする。コロナで急に亡くなったという。亡くなる2日前、通院している病院2院に行き、散髪に行った。M君には、喘息、アトピー、B型肝炎などいくつか持病があったので、副反応を恐れて、コロナワクチンは打たず、その代わり外出時には細心の注意を払っていた。

 

翌日8月3日(金)の朝、喉が痛いと言い出し、熱があったので、コロナの検査キットを使ってみると、陽性反応が出た。でも、しんどそうではなく、熱もそれほど高くはなかった。

 

その翌日8月4日(土)午前中、自室のある2階からトイレに降りてきた。トイレから音がしたので、見に行くと、便座から崩れるように倒れていた。でも、その時は意識もはっきりしていて、救急車を呼ぼうかと尋ねると、大丈夫との返事だった。少し支えながら、自力で階段を上り、自室の椅子に座らせた。ちょっとしんどそうだったので、やっぱり救急車を呼ぶよと声をかけ、部屋から出て119に電話し、部屋に戻ってくると、事切れていた。

 

息子に先立たれたのはもちろん、母親の私がついていながら、家で亡くなったのが…。本当に後悔しかありません。今にも、2階から息子がおりてきそうで…。お母さんの言葉に、自分もA君も言葉が出ない。何と言って良いのか、分からない。本当に分からないのだ。

 

コーヒーとバウムクーヘンの次に、出前の寿司桶が出てきた。結局、2時間以上、おじゃましてしまった。

 

大学時代は、一緒に講義を受けたり、学食でご飯食べたり、雀荘で下手な麻雀打ったりしていた。あれから30年以上の時が流れ、M君は亡くなり、自分とA君はまだ生きている。M君のお母さんの言うように、これも運命なのか。

 

 

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか          (敦盛)

 

 

露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 (秀吉)

 

 

この人生は、一瞬の夢なのかもしれない。もしそうであるなら、さめる前に、死ぬ前に、もう少し残りの人生、好きなように生きたい。それが亡き人へのせめてものはなむけとなる。