【クリス松村のザ・ヒットスタジオ 2022年2月21日放送分】

 

①佐野元春「Young Bloods」(1985)

作詞・作曲:佐野元春。オリコン7位。「SOMEDAY」(1981)と並ぶ、佐野元春の代表曲。国連・国際青年年テーマソング。イントロのブラスがスタイル・カウンシルの「Shout to the Top」(1984)のパクリだというのは有名な話だけれど、1985年にして他に先駆けるラップ調の駆け上がっていくようなメロディーとリズム、「♪鋼鉄(はがね)のようなウィズダム 輝き続けるフリーダム 願いを込めて ここに分け合いたい」という歌詞は、とてもじゃないけど37年も前の1985年に作られたとは思えない。傑出した名曲。「80年代前半J-POPベストセレクション1」で選曲済み。

 

②松田聖子「天使のウィンク」(1985)

作詞・作曲:尾崎亜美。オリコン1位、1985年度年間10位。20枚目のシングル。ダイハツ工業「シャレード」CM曲。この曲の発売後に、神田正輝との結婚と歌手活動の休止を発表した。松田聖子全盛期の終わりを告げる曲である。

 

③大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」(1984)

作詞:銀色夏生、作曲:大沢誉志幸。オリコン6位、1985年度年間37位。日清「カップヌードル」CMソング。CHARAやNOKKO、古内東子、柴咲コウなど、20組以上のアーティストにカバーされている名曲。個人的ベストセレクション入り要検討。

 

④堀ちえみ「リ・ボ・ン」(1985)

作詞:三浦徳子、作曲:松田良。オリコン2位、1985年度年間80位。あまり覚えていない。

 

⑤東京JAP「摩天楼ブルース」(1984)

作詞:売野雅勇、作曲:筒美京平。オリコン18位。TBS系ドラマ「少女に何が起ったか」主題歌。

 

⑥菊池桃子「卒業-GRADUATION-」(1985年2月27日)

作詞:秋元康、作曲・編曲:林哲司。オリコン1位、1985年度年間11位。4枚目のシングル。累計約40万枚の菊池桃子最大のヒット曲。正直、この曲あんまり好きじゃなかった。菊池桃子のボーカルは音程が不安定だし、第一、「卒業」といえば、奇しくも同年2月21日に発売された斉藤由貴の「卒業」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平。オリコン6位、1985年度年間34位)だろうと思っていた。しかし、先日、この菊池桃子の「卒業」を耳にしたところ、翌朝の歯磨き時に「♪4月になるとここへ来て 卒業写真めくるのよ あれほど誰かを愛せやしないと~」との一節が脳内再生され、数日間、流れ続けた。さすが秋元康&林哲司というべきか。脱帽。個人的ベストセレクション入り要検討。

 

⑦リマール「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」(1984)

作曲は、アイリーン・キャラ「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」(1983/全米1位)、ベルリン「愛は吐息のように(Take My Breath Away)」(1986)などの作曲・プロデュースを行ったジョルジオ・モロダー。同名の映画の主題歌。当時、アイドル的な人気のあった英国のバンド、カジャグーグーのボーカル(リマール)の曲だし…とスルーしていたのだけれど、今改めて聴くと、結構良い。個人的ベストセレクション入り要検討。

 

⑧風見慎吾「涙のtake a chance」(1984)

作詞:荒木とよひさ、作曲:福島邦子。オリコン10位、1985年度年間45位。ウィキペディると、「本作はダンスに歌が付いている、といえるほど全身を使ってパフォーマンスしている。このことにより、今日隆盛を極めるダンスミュージックの先駆者として評価される」。「風見のパフォーマンスをテレビで見て、ブレイクダンスを始めた者も多かった。日本におけるブレイクダンスの先駆者であり、テレビを通して日本中にブレイクダンスを広めた人物の1人である」。なるほど。風見慎吾さんは、偉大なパイオニアだったのか。

 

⑨テレサ・テン「愛人」(1985)

作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし。オリコン10位、1985年度年間56位。15枚目のシングル。テレサ・テンは、この次のシングル「時の流れに身をまかせ」(1986)が好きである。

 

⑩安全地帯「熱視線」(1985)

作詞:松井五郎、作曲:玉置浩二。オリコン2位、1985年度年間24位。フォード(オートラマ)「レーザー」CMソング。聴いたことがあるような…。