リモート教育はどこまで根付くか? | 近藤昇ブログ 仕事は自分で創れ!

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「仕事は自分で創れ!」ブレインワークスグループCEOの近藤昇が、日本とアジアをはじめとするエマージンググローバルエリアに対する思いやビジネスについて発信します。

 

 

コロナ禍で一気に変わったものが幾つかある。

その一つが、インターネットなどの仕組みを活用して、オンラインで教育をすることである。

 

もともと、パソコンが登場したあたりから、教育にITツールを使う事が拡がって来た。昔は、CAI(Computer Aided Instruction )という言い方の時もあった。その後、eラーニングが人気になった。この分野は、今でも成長している。

 

ベトナムのような新興国は、日本よりもeラーニングの普及は早かった。それは、日本のように様々な教育機関やサービスが充実している訳ではないので、新しい教育の仕組みが普及するのは早い。当然、日本のような教育の仕組みやサービスを作るのは、コストがかかる。

また、デジタルネイティブ世代は、日本だけでなくどこの国でも多く存在して、この層の人達は、ITを使うことに普段から慣れている。

 

ある意味、日本の小学校や中学校の教育機関が、ITをどう教育の現場に活用するかで、腐心している。その最大の原因は、教える側の先生がITに疎い人が多いからだ。

これは大学でも似たようなことがある。特に、大学の場合は、教授の年齢層が高いと、なかなか、教育の現場にIT活用をするのは困難だ。と言えて、コロナ禍では、相当多くの教育の現場がオンラインで授業をした。

 

そうせざるを得なかったので、多くの教える人達が頑張って対応した。その経験を得た今、日本だけではないが、オンラインを使ったリモート教育の未来はどうなるかを考えてみる。

 

まず、単純な事から話を始めると、世の中には、学校に行かずとも独力で、勉強できる人がいる。これは学校の勉強とは限らない。こういう人は、そもそも、先生に教わる必要がない。だから、ツールは何でもよい。ITでも良いし紙の本でも良い。

そういう意味では、この人たちは例外である。

 

大半の人は、何らかで、学ぶ機会が必要だ。これは学校の勉強でもビジネスの教育でも必要なものだ。教える人と教えられる人という構図になる。これがeラーニングのような仕組みになると、教える側は、コンピュータということになる。

 

もちろん、その教える内容やテキストは人間、つまり先生が作ったものではあるが、ITの仕組みを使うと、先生一人に生徒が何十人という概念が変わる。極端に言えば、無限の人に短時間で教えることができる。

正確には、生身の人が、ライブで教えているのではなく、デジタル化されたコンテンツが教えているのである。当然、学校や研修室に集まって受ける教育と違って、生身の先生に教わっているという現実感はない。

ある意味、単なる自主学習と変わらない。そうなると、学校にしてもビジネスにしても落ちこぼれそうな人をどうするか?という課題は変わらなく残る。

 

次に、ライブでリモートで先生が教えることを考えてみる。これをコロナ禍で沢山の人が経験した。先生は自宅か学校かオフィスか、どこかからしゃべっている。生徒も、自宅かもしれないし、学校かもしれない。オンライン会議の形式だ。これで、教える、教わる効果の減衰はどの程度かである。

 

正確にはデータを取ったわけではないが、明らかに学習効率は下がる。そもそも、同じ場所にいて、ある程度、強制力がある状態だから、教育の場に緊張感も出る。オンラインでリモートだと、それはあまり期待できない。結局、自主的に律することができるかに依存する。

 

教える側も教わる側も、直接一堂に会して、行う教育がやっぱり、効果が高そうである。

こんな風に考えてくと、本来は、新興国や発展途上国のように、教育を受けたくても受けられない。そういう欲求が強い人たちに、オンラインでリモート教育を推進する方が、近い将来の世界のためには有効だと思う。

 

やはり、教育を受けることができる権利はあっても、現実に受けられない人は世界中に沢山いるのだから。

 

以上