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つげ義春 紅い花

 つげ義春を知ったのは全くの偶然だった。世田谷の大橋の斑鳩書房で、青林堂から出ていた「つげ義春作品集」を何気なく立ち読みをしていて知ったのである。記憶が曖昧になってしまったが 、高校1年か2年のことで、学校をサボって早退した帰り道だった。店頭で「紅い花」を一読し、僕はたちまち言い知れぬ衝撃を受けた。持ち合わせがなかったので、翌日に焦るような気持ちで本を買ったのを覚えている。あとで知ったことだが、斑鳩書房は高野慎三の家が経営する書店だった。これもまた全くの偶然である。

 ともかく、つげ義春はあの騒がしい時代でも稀有な表現者で、今となっては凶区もコルトレーンも森山大道も寺山修司も、みな時代のファッションの側面を逃れられないと思うのだが、つげにはファッションの側面など一欠片もなく、彼は時代から超越した本質的表現者だったと思う。

 その思いは今でも一貫している。僕が好きな彼の作品は「ガロ」時代の、特にいわゆる旅物の作品だ。紅い花、海辺の情景、沼、ほんやら堂のベンさん、初茸狩、峠の犬、長八の宿、など。いずれも漫画史上無比の傑作だと思う。もう何回読んだかわからないが、魅力はいまだに全く色あせない。もちろん「ガロ」後のつげの作品も立派なものだが、やはり彼の創作のピークは「ガロ」時代、それもネジ式前のものだと感じている。

 

 つげの、上記の作品群は彼の実際の旅が発想の土台となったものばかりだが、単なるルポではなく作品として構成して作り出された点、潜在意識あるいは夢をあからさまに露出していない点、がねじ式以降のいくつかの作品と大きく違うところだ。そしてそれらガロ時代の彼の作品の中でも、最も僕の印象が深かった作品といえば「紅い花」ということになる。

 上述の、斑鳩書房で立ち読みをした時に受けた強い印象は、まず濃密な自然の奥はての雰囲気であった。冒頭で鳥瞰的に俯瞰された山の光景で舞台の山深さを提示してから、その点景としての森に埋れた小さな四阿にショットが移る。そこには現実とはかけ離れた、和服でおかっぱの少女が横たわっている。極めて意図的で映像的なコマの流れである。偶然当時、僕は源流だとか桃源といったものに強い憧れを抱いていた。そのわけについては別項にゆずるが、それで釣りや山岳のガイドブックを読み、実際にも奥利根や奥只見地方に旅行したりしていた。実際のそれら源流の印象はもちろん強烈だったが、それに匹敵するようなものを書物に求めても一向に見当たらなかったから、この1ページ目を見たときの印象は強かった。読者は冒頭から意図的に山深い仙境に連れていかれるのだが、さらに読み進めて行くと舞台はさらに奥深い場所としての渓流にたどり着くのである。

 主人公である山中の四阿に一人いる少女―キクチサヨコは、たった一人でこの粗末な四阿にいるようだ。服装といい、生活の環境といい、現実世界のものとは思えない。サヨコはまさに仙境の住人にふさわしい抽象性を帯びて描かれている。そして、この仙境の住人が老人ではなく少女、そしてこの後に登場するもう一人の主人公マサジという少年である点に注意を要する。この作品では、「過去に時間的に遡って幼年に至って広がる世界」として仙境が定義付けられているのである。それは決定的に失われた、二度と自分のものとすることができない世界だ。探し求めたそのはるかな果てに現れる中華的桃源に住む「老人」とは、時間のベクトルが逆なのである。実は、それこそ僕が当時夢見た世界そのものであった。つげ義春の仙境への憧れや現実からの脱走願望は他の作品やエッセーでも繰り返し語られるが、その一つの典型が「紅い花」である。

 

 第二に強調したいのは、樋口一葉の「たけくらべ」を連想させるような、少年と少女の別れの物語としての作品の骨格である。新田のマサジという少年に誘われて、作者は渓谷に降り立つ。そしてそこでマサジが遭遇するのは、サヨコの経血が渓流の流れに乗って「紅い花」のように流れていく様である。初潮という少女期への別離を前にして、少年マサジはそれがよく理解できず、ただ少女をおぶって「のうキクチサヨコ」と呼びかけるのに対して、少女は「うん」と答える。サヨコもまた自身の変調についてよくはわかっていない「少女」のままとして描かれている。二人の間にはまだ男女の決定的な乖離は生じておらず、二人は(おぶることで)子供のようにして一つになって描かれる。そしてマサジが「眠れや・・・」とつぶやきながら山の斜面を下って行く点景がラストシーンである。作品の始まりと逆に、鳥瞰的な山景のこまにパンアウトして話は終了する。物語の終わりからの離脱を印象させるシーンだ。

 「たけくらべ」の少年少女の別れが、少女の社会的旅立ちによって生じるのに対し、ここでは別れは生理的な出来事であり、つまり別離は外部から強制的に来るものではなく、無自覚なものである。マサジにもサヨコにも別離自体がまだよくわかっていないように話は終わる。つまり、この作品では二人共に、最後までまだ大人の手前の世界にいる。マサジは取り残される存在としてよりは、最後まで同伴する存在として描かれる。サヨコも自分に起こった決定的な変化の意味はまだわからずにマサジの背中におぶわれて話の終幕を去っていく。その点が「たけくらべ」との決定的な違いである。キクチサヨコは初潮というイニシエーションによってこの仙境からの追放を決定づけられているから、読者は誰もやがて訪れるのが必定と言える両者の別れをかすかに予感はする。しかし、「たけくらべ」での社会的別離のもたらす直接の断絶と哀切はそこにはない。なぜなら、マサジには成人に向かうべきなんらの契機もこの作品の中には与えられていないからだ。そして、僕にはそれはある意味至福のことのようにも思えるのであった。

ありがとう吉本隆明

 吉本隆明がなくなった。
 僕は18歳の時に、「抒情の論理」の冒頭におかれていた「恋歌」を通して、はじめて吉本隆明に出会った。以後「高村光太郎」「固有時との対話」と読み継ぎ、さらに延々と40年以上その表現と発言に影響されることとなった。時には反発もしたが、いかなる既成流通の概念も保留し個人の思惟のみを立脚点として発言する姿勢は常に尊敬して来た。
 たくさんの本を読んだが、それらの中で僕にとって最も大切な吉本隆明の本は「最後の親鸞」。その事はよそで触れているが、この書物の影響は未だに一切衰えずに続いている。そして、近年一種遺言のようなものと感じながら読んだのが「日本語のゆくえ」。「抒情の論理」をふくめて節目の3冊を振り返ると、僕にとっての吉本隆明とは、政治や文学の状況を論じる思想家評論家である以上に、「詩人」だったのだと気がつく。晩年のオウムや原発に関する発言に接するたび、思想家の反骨、自立、老い、などといった彼への評価はどうでもいいもので、「時代を終えた詩的精神」の痛ましい悲鳴のように聴こえ、それが切実でならなかった。
 詩的精神とは時代の「宿命」とほぼ同義だ。たった一人で戦中戦後の時間に耐えてきたこの詩的精神は、その歩みを終了した。ありがとう吉本隆明。

地名の俳人 前田普羅

 前田普羅は山と旅の句で知られるが、同時に印象深く地名を用いた人である。旅情をしばしば句中の「地名」に結晶させ、読者をして何か地の精に触れたかのような深い感触を喚起させた。

 新聞記者として実直の生活を送った人だが、本質不定居の心の持ち主だったように思う。定住していた富山時代にあってさえ、定住者の生活感よりは旅人の視点を感じさせる句を詠んだ。注目すべきは、下記揚句中の「立山」の句にしても「砺波」の句にしても、すでに隠された旅情が「地名」に滲み出ている点である。このころ既に、地名はある大きさを持って孤愁を包み結晶させるようなものとして使われており、後年の彼の旅中の句と同様の特色が感じられる。

 年譜をみれば、後半生は実際に漂泊に近い居住不定の年月を送ったことが分かる。下に揚げるように、この時代の彼の句中の地名は、旅する自然の大きな広がりとそのさなかの小さな旅人の孤独とが解け合う、一種の象徴のようなものにしばしば昇華した。定住時代の句に比べて、地名と旅の孤独との関係はより研ぎすまされ、より混然としたといえる。いいかえれば、旅する人こそが持ちうる、巨いなる地勢への孤独なまなざしが、よりくっきりと地名に浸透刻印された。奥白根の句でも弥陀が原の句でも、地名はもはや、地勢の記号でもなければ旅の孤独でもない、両者がお互いに浸透しあって判然と分ちがたくなっている何かである。そして、これらの句を通じ、普羅は近代俳人中とびきりの「地名」の俳人となったのである。

春尽きて山みな甲斐にはしりけり
立山のかぶさる町や水を打つ
雪つけし飛騨の国見ゆ春の夕
乗鞍のかなた春星かぎりなし
奥白根かの世の雪をかがやかす
弥陀ケ原漂うばかり春の雪
くらやみの砺波をすぐる時雨かな
(下線筆者)