今さらですが、私、小夏店長が小夏を始めた理由をお話ししたいと思います
私の着物好きは幼少期から始まります。
我実家では、お正月には毎年家族全員で着物を着る家庭でした。
(兄はこの時は洋服ですが)
セピア色の写真が時代を物語っております
私と妹の着物はお宮参りのときに祖父が絵を描いて祖母が仕立ててくれたものです。
(真ん中が私で右は双子の妹です。)
夏は浴衣。
田舎の家の前なのでお祭りというわけでは無さそうです。
お正月の家族写真
父方の祖母は年齢的にも着物をさっと自分で着れる人でしたし、和裁で仕事をしていた頃もあったようです。
私が祖母に少しだけ和裁を習ったこともありました。
母方の祖母は日本舞踊を習っていて、お稽古や発表会(?)の鑑賞時に着用することが多かったようです。
自分では着れなかったそうですが
母は茶道華道を習っていたこともあり、結婚前に近所のおば様に着付けを習いに行ったそうです。
(昔はそんな感じでほとんどの女性が着れるようになったものらしい。)
祖父と父はどこで覚えたのか知りませんが自分で着てました
※仕事は着物関連ではありません。
私のピアノの発表会などには両祖母は着物で見に来てくれていたと思います。
大正生まれや昭和初期生まれの女性には珍しくないことだと思います。
私の幼少期(昭和の時代)はまだ家族みんなで着物を着るお宅は多かったと思います。
ところが、
昭和から平成になり、初詣で着物姿の人が少なくなっていっても我が家は全員で着物を着る習慣を続けていました
い、今ですか⁈
今は・・・
旦那の実家では炊事をしないといけないので・・・
あ、今年はお祝い事があってお正月にちょっとエエところで食事をしたので女3人は着物で行きました
私が中学生くらいの時に気付いたのですが、我が家はどうやら日本の伝統行事が好きな家みたいです
学校でお正月の過ごし方の話をしたときに、そんなことをしている友達は少ないことを知りました
お正月3日までは毎食おせち料理(お餅を作っていたことも)、お屠蘇、
元旦の午前中に初詣。
二日は書初め。
7日は七草がゆ。
15日はとんど。
など
豆まきやしょうぶ湯なども当たり前のように毎年続けていました。
私たちが大人になるにつれ、年々少しずつ減っていきましたが
その中のひとつとして、お正月に着物を着ることがありました。
卒入学式や結婚式はもちろん、弔事の際にも祖母や母は喪服を着ていました。
なので、特別行事の時には着物を着るのが普通だと思っていて、
でも、まだ子供なので年に一度、お正月にしか着物を着る機会がなかったので、
毎年着物を着せてもらえるのが楽しみでした
中学生くらいからは母が嫁入りで持参した着物を
母と私と妹で交代で着るようになり、大晦日は元旦に着る着物の争奪戦をしていました
数に限りがあるので、その中からコーディネートをしなければならず、
そのころから自然と着物コーディネート術を身に着けたのかもしれません
これは昔からよく着ていた縮緬の小紋。
若いころはもっと明るい色の帯をしていました。
気に入って良く着ていたので、私が今の仕事を始めてから
洗い張りして仕立て直し、八掛をオレンジからグリーンに替え、袖丈も1尺3寸にしました。
母が嫁入りで持ってきたものなので、40歳すぎるとちょっとキツくなってきたかな~
着物好きな血筋と環境で自然と着物が好きになっていったのでしょうね
着物も好きでしたが、「和柄」も好きでした。
中学生くらいからはハートやキャラクターなど可愛らしいものより、「和柄」を選んでいたかもしれません。
中学生か高校生の時にお弁当包みとしてそのころ初めて行ったロフトで購入したのが、
「いせ辰」さんのしっぶい和柄のミニ風呂敷でした
まさにこれ。今もありました。
月日が経って、
私が20代の頃、母方の祖母が亡くなり、遺品整理をしていたとき、
和タンスからしつけがついたままの着物が大量に出てきました。
これらの着物はすべて祖母のお下がりです
(母の物もあるかも)
おそらく祖母が50代60代のころに仕立てたもので、なかなか素敵なものが多く、
幸い、大きめのサイズに仕立ててあったので、母も私もそのまま着ることができました。
喪が明けたらまたお正月に着ようと気に入ったものは持ち帰ったものの、
うちのタンスには入りきらないほどの量で、どうすれば良いか悩んでいました。
そんな時、電車で出会った女性のファッションに衝撃を受け、
その後の人生に大きく影響することとなります
余談が多すぎて長くなったので
続きはまた今度