一昨日、昨日とうまくいった寝かしつけ方法。
自分の子どもの傾向が掴めた気がして嬉しくなる。


だがしかし、今日は全く効かない!


どゆこと?
仕様変更がすごすぎて、アップデートの激しいアプリみたいだ…。


また新しい寝かしつけ方法をあーでもないこーでもないと試してやっと眠ってくれる。


こんなことを繰り返してると育児にも働き方改革は必要だと感じてしまう。
すごいドライな言い方だけど、何十年も前から親たちは同じように苦しんでいるんでしょう?進歩がないなぁと思ってしまう…
苦戦=愛情ってわけではないと思うけど…


例えば『寝かしつけのパターン1000』とかいうタイトルでフローチャート形式で試せたり、赤ちゃんのタイプ別で試すことが分けてある本とかないのかな。
あれは危険、これは危険とかで医学的にも倫理的にも駄目なんだろうか。


ちなみにうちの子どもの0ヶ月〜1歳3ヶ月(現在)の寝かしつけは以下のように変貌していってる。

①ひたすら抱っこで背中とんとん期
②おくるみ抱っこで背中とんとん期
③スワドルミー抱っこで背中とんとん期
④ベビー布団ごとだき抱えてゆらゆら期
⑤授乳からのそのまま睡眠期
⑥おしゃぶり抱っことんとん期
⑦仰向けのわたしの上にうつ伏せで寝る期
⑧仰向けのわたしの上にうつ伏せで寝ながらオルゴールを聴く期
⑨横たわった状態で後ろからはぐ期
⑩横たわった状態で後ろからはぐされながら子守唄を歌われる期


ここに行き着くまでにも失敗はたくさん。


ネントレの本を参考に一人にしてみたら泣かせすぎて寝なくなったり、落ち着くかなーと、えせプラネタリウムつけて逆に興奮させてしまったり…笑



2020年、まだまだ親の永遠の課題かも。
出産して3日目、いざ退院。
靴箱をあけるとわたしの靴入れに見覚えのない靴。

ん?
アディダスの新しいスニーカー!!


夫からのプレゼントだった。
こんなものでごめんと言われたけど、これこそわたしのほしいもの!!
思いもしない素敵なサプライズに、子どものいる病院へ向かうタクシー内で泣いた。


日赤医療センターに到着。
NICUは24時間いつでも面会が可能だった。
外のロッカーに中に持ち込むもの以外の荷物を全て入れ、手を洗う。中でも手を洗った。


日替わりで担当の看護師さんがいて、到着すると挨拶をしてくれた。


その方に搾乳した母乳を渡す。
母乳はパッキングした後、必ず冷凍したものを渡すルールになっていた。
 

子どもは寝ていた。
寝ているといってもわたしにはぐったりしているように見えた。
それでも初めて日赤で見たときよりもチューブや線の数は減っていた。


その日は担当医の先生が不在とのことで、入院期間や病状についてなど詳しいことは聞けなかった。


滞在時間は1時間くらいだったかな…?
触ったり話かけたり小さな命名書と写真を撮ったりした。(自分の子どもであれば写真も動画も撮って大丈夫)


帰り際、看護師さんから声をかけてくださって、子どもと3人の写真を撮ってくれた。
見るからに忙しいのにみなさん本当に親切だ。
優しいご夫婦と数日前に産まれた赤ちゃんと看護師さん、そしてわたしたち夫婦は空き部屋に入った。

さっき優しく微笑んでくれたご夫婦は、わたしたち夫婦が赤ちゃんを連れてくると思っていたのか手ぶらで現れた瞬間、少し驚いた表情をしていた。


おくるみのやり方を教わっているところを見学した。
お母さんもお父さんもたどたどしいけど一生懸命。赤ちゃんも負けじと泣いている。

なんてことのない風景なのに急に目に涙がたまってこぼれそうになった。


人前で泣くのが苦手なのを夫は知っている。
すかさずわたしの前に立ち、少し隠してくれた。


看護師さんが「こちらのご夫婦のお子さんは今別の病院にいてね。実践できないから抱っこだけでもさせてくれる?」と言ってくれた。

優しいご夫婦はどうぞと赤ちゃんを抱かせてくれた。

ちゃんと守ってあげないと壊れてしまいそうなくらい赤ちゃんて小さい。生きるのに一生懸命な感じが伝わってくる。

あぁ早くこの手で自分の子どもを思う存分、抱きしめたい。
なきやまなくて困ると言いたい。

泣いているところをみたい…そう思った。
羨ましかった。
午後、夫が産院に到着した。
どこでも自由に写真におさめていいと言うことだったので、二人で入院していた個室のあらゆるところを写真におさめた。


すると夫…「分娩室とりたい」
わたし「さすがに駄目でしょ!」
夫「ダメ元で聞いてきていい?」
わたし「うーん、いいよ…」


そして看護師さん
「分娩室で写真!?全然いいですよ!」


えーーー!いいんだ!
たまたまあいてて消毒前だからOKだったらしい。


しかも撮るから夫婦でうつりなよ~( ^o^)
とのこと…

分娩台にあがり、後ろから夫がわたしを支えるように立って写真を撮った。看護師さん優しい…


そうこうしていると赤ちゃんの激しい泣き声が廊下から聞こえてきた。

ご夫婦が赤ちゃんを連れて、ナースステーションにきて「全然泣きやまなくてどうしたらいいか」と焦っていた。


するとベテラン看護師さんが登場して、おくるみの方法教えるねとそのご夫婦のお部屋に入っていこうとした。
「あ、ちょうどいい。○○さん(わたしのこと)一緒に教えてあげる。どう?」


一瞬迷った。
向こうのご夫婦に迷惑では?
他人のお子さんで練習していいのか?


向こうのご夫婦はにこりと笑ってくださった。
出産してから何一つ子どもの世話について触れていないし…こんな機会ないだろうしと思って夫婦で参加させていただくことにした。

退院前検診は土曜の午前中に行われた。一般外来もやっている時間帯だった。呼ばれて2階の病室から1階の診察室へ行くと、スムーズに内診やエコーをしてもらった。


退院OKとのことだったので病室に戻ろうとすると先生から呼び止められた。今回の出産のおさらいと、先生のお子さんも出産時に大変だったことや、今の子どもの状況など(わざわざ日赤の担当医に電話してくれていた)話してくれた。最後に励みになるような絵葉書をいただいた。
「こういうことになると誰だって自分を責める。でもそれは違うからね。」と。


泣かずに「ありがとうございます。」とお礼が言えた。
あぁみんな温かい。ここの産院で産んでよかった。


診察室を出ると、看護師さんが1人追いかけてきた。
出産前にたくさんお世話になったおばさん看護師さんだった。
「○○さん!出産、よく頑張ったね。今はね、涙を堪える時期じゃないのよ。泣きたいときは泣いたほうがいいから。」と肩を抱かれた。


土曜の午前中なんて一般外来の人でごった返してて、ここでわたしが泣いてしまったら今から出産する人たちが不安になるだろうから絶対泣きたくなかったのに、ついに廊下で泣いてしまった。


隠れるように二階の階段をあがり、看護師さんも一緒にきてくれた。自分の病室に戻りたくさん泣いた。
我慢していた時より全然楽になった。
こんなに泣くことなんて今後の人生そうないし、泣いてもいいよね。


看護師さん、ありがとうございます。
退院日を早めると子どもがいない状態でもやることがいっぱいあった。

退院後の生活指導、搾乳の仕方、産褥体操やマッサージ、明治の販売員さんの営業(笑)、退院前の検診…

全て担当看護師さんが代わるのだけど、どの人もとってもとっても親切だった。

搾乳の仕方は手絞りからとても丁寧に教えてくれて、搾乳器をかしていただいたり、母乳パックは産院でも売っているのにネットで買う方が安いと教えてくれた。
お陰様で搾乳器も母乳パックもAmazonですぐ買えた。
すぐ届くプライム会員で本当によかった…

それにしても母乳の出がいいことを看護師さんによく褒められる。「出産前にたくさんマッサージしたんだね、偉いね」と言われたけど、素直にはい!とは胸を張れなかった。

実は出産前…やるようにいわれたけど自分では痛すぎてできず…家でウダウダ言っていたら夫がやってくれるようになった。毎日とても痛かったけど本当にあのマッサージのお陰だと思う…ほんと色々すみません…


別の看護師さんから産褥体操を教えていただいたあとに、アロママッサージをしてくれた。
とっても快適で、こんな至れり尽くせりでいいのかな?看護師さんてこんなことまでしてくれるの?と恐縮した。

子どもは特に呼吸が苦しいようだった。
周りの赤ちゃんは低体重の子が比較的多く、我が子よりも一回り小さかったが大きな声で泣いていた。

わたしたちは一時間の滞在中、子どもの「にゃぁ」
と絞り出すような声を一言聞いたきりだった。

たくさん泣けるようになりますように。

最後に初乳を届けて病院を後にした。

初産ではじめからたくさん母乳がでるわけではないのでストックができず、明日の分も届けたいと思った。
このまま入院していてもやることがないので、退院を早めてもらうことにした。
(本当のスケジュールでは沐浴指導や生活指導などがあった)

夫と別れて病室にひとりになってからは、会社に出産報告を入れた後の返信に追われていた。

「写真ちょうだい」「お見舞いいかせて!」など、返答に困ってしまう返信も相次いだため、後から報告する人たちには「子どもは色々あって別の病院に入院しています!」と伝えた。

ホルモンバランスもあるのか、いつもは気にもとめないようなメールやラインのやり取りで鬱々としていた。
難しい。

少し落ち着いたところで先ほどの看護師さんが戻ってきて色々説明してくれた。


一通り質問なども終えたところで「抱っこしますか?」と看護師さんが手際よくチューブやコードをまとめてくれた。なんだか不思議なもので「抱っこしていいんですか?ありがとうございます!」と他人の子に気をつかうようなことを言ってしまった。
抱き方を教わり、色々な線があって抱きづらいけど恐る恐る膝の上に乗せる形で抱きかかえた。


このままここにいたいな。帰りたくないな。
そう思った。


夫が「やっとこれで俺も抱っこできる」と言うからどういうことか聞いたら、救急車の中や入院手続きが終わったタイミングなどあらゆる人に抱っこを許可されていたらしいが、はじめては奥さんがちゃんと抱っこしてからにしますと断っていたらしい。

そんなの聞いたらせっかく涙が止まったのにまたでてしまうじゃん…

「ありがとう。」って言って、我が子を夫に渡した。
夫はこれまで一貫して冷静な態度だったのに一変!
「わー!」ってちょっと泣きそうになりながらキラキラした目で子どもを見つめて抱きかかえてた。


わたしがこんなだからずっと感情を押し殺してたんだろうな…。ごめんね、本当にありがとう。

こんなお父さんをもって子どもも幸せだと思った。
写真は自由とのことでこの時の様子は記念に撮った。

出産から二日目、入院中の病院を抜けて日赤医療センターへ夫と一緒にタクシーで向かった。


喘息持ちで痛み止めが飲めず、おまたが痛い…
上手に歩けず日赤で車椅子を借りた。


感染症予防のため何度も手を洗わなければならず、手をごしごししながら、とりあえず泣かないと決めて、NICUへ入った。


看護師さんが忙しいのにお出迎えしてくれて、子どもの前に案内してくれた。
たくさん触ってたくさん声かけてあげてくださいね。と言って去っていった。


対面した我が子はたくさんの機械が身体につき、呼吸器のようなものもつけていて、今にも死んでしまうのではないか?というような格好だった。
寝ていたのもそう思わせる一因だったかもしれない。
もちろん勝手に抱き上げることはできず、機械に触れないところを指でさすった。


そうしていたら我慢していたけどダメだった。
ごめんねという気持ちと頑張って生きているすごさと、色々な感情が襲ってきて涙が止まらなくなった。


夫は私より見てるからか全然平気そう。
「生まれたときに比べたらずいぶん元気になった。
そう死にはしないよ。」と明るく励ましてくれた。

病名がわかると永遠とネットで調べてしまった。

後遺症が残るだとか、どんな障がいが出るとか・・・

 

今の時代、ネットのお陰ですごく簡単に情報を手に入れることができるから

すごくありがたいって思ってたけど、その時は見たくないのに調べてしまって依存症みたいだった。

 

この子の将来ってどうなるんだろう。

あの時なんで分娩台に上がってしまったのか、回旋異常を戻すためにもう少し我慢できなかったのか・・・

わたしのせいだ・・・そうやってずっと自分を責め続けた。

 

別の部屋から赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてくると涙がとめどなく出てきた。

今頃自分の子どもはどうしているんだろう。泣き声あげられるようになったんだろうか。

 

看護師さんの前で涙は見せなかったし、いたって普通の振る舞いをしていたと思う。

でも夫の前では無理だった。顔を見るだけで弱い自分が出てきて泣いてしまった。

 

「自分のせいだと思ってるんでしょ?言っておくけど○○じゃなかったら赤ちゃん死んでたよ。

むしろよく二人とも無事だったよ。120点の出産だよ。」

「赤ちゃんはきっと何か障がい出ると思う。そう思って二人で準備していこう。」

「どう生きていくかは赤ちゃんが決めることだから俺らはサポートすればいい。」

 

他にもいろいろな言葉で、わたしの落ち込んだ気持ちを救ってくれた。

この先どんな未来があってもこの時の夫への感謝の気持ちを忘れてはいけないと思った。