ミシュラン3つ星レストランがおいしくないわけ | 米の心

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東京ミシュラン以来日本でもミシュランガイドというのはあちらこちらに普及するようになりました。まぁ、以前の東京ミシュランが出た時ほどに話題性があるかといえば、そうではありませんが、ミシュランの三ツ星なんていえばやはり権威である感じがあるのは確かです。

しかしながら、私がミシュラン三ツ星レストランに行った中ででは満足のいくレストランがどれほどにあったのか?といえば、カンテサンスがあるくらいで、それ以外のお店はどうもしっくりこないところがあったりします。少なくとも値段に見合うのかなと思う三ツ星は珍しくありません。

以前にフランスがどこかでずっと三ツ星をとってきたレストランが三ツ星を辞退したなんて話もありましたが、あるいはこの話も同様のことがいえるのかもしれません。

ミシュランというのは、一種のブランドです。そして、そのブランドにおける最大評価というのが三ツ星なわけです。

では、ここで、レストラン側の経営という立場で物事を考えてみます。

三ツ星になってしまえば、上はありません。維持か落ちるだけです。

日本では、前ほどに評価が高くないとはいえ、一度評価されたところが、辞退などもなしに星を落とすというのは、いずれかのところで、おそらく一般的には味などの側面において評価が落ちたという印象を受けてしまいます。それが挑戦的なものであり、更なる進化の過程においてもその過程で落ちてしまえば評判は下がりますし、さらに進化をしたところで三ツ星以上の評価が改めて入るわけでもありません。

そうすると、レストラン側は、いつ三ツ星という権威、ブランドから落とされるのではないかという不安がありつつも、では、三ツ星を維持するためにどうすればいいか、という話においての選択肢は、簡単で、現状を維持することを選択します。

現状に対して三ツ星という最大評価を得ているわけですから、ここからリスクのある変化をしてそれ以上のメリットがどれほどあるのか?という話になるのです。

これは、レストラン経営において、当初はよりおいしいものいいものを提供したいなどの思いなどもあってなされるところからの、お客様の喜んでもらうためにどうすればいいかという当初あったスタンスから脱却してしまうことになります。

もちろん、三ツ星の維持そのものはそれだけ非常に大変なものなのかもしれませんが、そこを利用した側からすれば、店のスタンスや味などに面白みを感じなくなってしまうわけです。

ミシュランなどにおいてそのためか二つ星くらいが一番おいしい、面白いなんて表現がされたりします。

まだ上があるために、店に向上心がありますし、新たなものもどんどん取り入れながら、自分の店にしようというスタンスがそこにあるからです。三ツ星の場合は、多くの店は、そういうスタンスを失ってしまっているということがしばしばみられるわけです。

また、これは、そもそものミシュランガイドの考え方そのものという点でいえば、日本人の感覚とは合わないところがあったりするのもあるかもしれません。

正直なところミシュラン三ツ星であって、サーブがよくないところなどはしばしばみられますし、器などへの考え方も乏しいところなどが見られます。

しかし、それはあくまで日本人がもとめるおもてなし、サーブのレベルであったり、日本文化について造形のある日本人だからこそ、例えば、和食であればこういう器は使うべきではないなどの礼節、考え方をもっているからであり、それは、ミシュランガイドを選定する人にも同じようなものがあるかといえば別であるからです。

異文化を異文化が評価する上での、課題というのはこのようなとこに現れます。

片方からすれば、それは礼節に外れる行為だと思うようなことも、他方から見れば別に見えてしまい、ある種のミシュラン側からのミシュランの規定、考え方、文化を元にした評価に過ぎないからです。

日本人がある意味でミシュランガイドを権威とは思いつつも評価をしないのはそのためかもしれません。ミシュランの選定人の感覚はあくまでミシュランの選定基準によるものであって、(あるいは政治的なところもあるでしょうが。)それが日本人の感性とマッチングする話ではないからです。

よって、なんでこの店が三ツ星なのか?という話を、料理に、対応に感じてしまうということがしばしば起こるわけです。

とはいえ、ミシュランの三ツ星はブランディングであり、これは、すでに、一種のビジネスモデルの一環に取り入れられているものといえます。

どういうことかといえば、単純な話、ミシュランの三ツ星に行きたがる外国人旅行客は多くいますし、その文化などを知らない人にとってすれば、最もある種の信頼のおける基準のあるとされるものであるミシュランを参考にして、旅行先で行きたいお店というのを決めるという流れになるわけです。

よって、ミシュランの三ツ星は人気あって予約が取れないなんてことが言われたりもしますが、しばしば、外国人旅行客と思われるような人で埋め尽くされていることというのは見られます。

これは、ツアーとまではいくのかどうかはわかりませんが、そもそもお店側が外国人旅行客用の予約分というのをある種想定しているからともいえます。単純に予約が本当に取りにくいような環境であれば、日本語に精通している日本人の比率がより高くなるはずですがそうならないお店はしばしばみられるからです。

近年ネット社会が一般化する中で、日本に食を求める外国人旅行客というのは増え、また、ある程度自分のお店にステータスがあるようなところは、外国人向けに積極的にアピールしている印象もあります。

お店側からすれば、当然旅行そのものがキャンセルになった場合などはあるかもしれませんが、その場合は事前にキャンセルの情報を入手できるケースが多いですし、そうでないのであれば、ドタキャンのリスクそのものも外国人に合わせた方が低いといえます。それは旅行の日程として予定されているものであり、自由になかなか変えることはできないからです。

ミシュランガイドに乗るようなお店、特に三ツ星になると、特にそういう外国人を対象とした方が、どちらにとっても都合がいいというわけです。

欧州からの旅行客であれば、それこそミシュランの選定基準での選定された三ツ星レストランともなれば、ある程度どういうものか安心できますし、わざわざ日本に旅行し、そういうところを予約するような人であれば、ある程度の支払い能力の高さ、予約キャンセルの可能性の低さが想定されている人となり、お店側からしても、都合がよく、下手すれば、和食などであれば、日本人ほどに知らないからこそ、気を使わないでいいところなども出てきたりするかもしれません。

その意味合いにおいても、東京ミシュランなどが発行され、ある意味で日本人にもアピールされましたが、ミシュランのアピールの対象は、日本を訪ねる外国人であり、その外国人が日本で快適に過ごす、食事ができるためのルートを示すためのものであるということは、改めて認識した方がいいのかもしれません。

そして、そういうものが前提であるからこそ、ミシュランの基準にはそぐわないものの中に素晴らしいお店もありますし、ミシュランだからというのではなく、店のスタンスがどうであるか、そしてそのスタンスに自分はどう思うのかということを前提に考えるべきであるといえるでしょうね。

海外旅行するのであればあるいはミシュランは日本人にとっても素晴らしいものとなるでしょうし、その基準はありがたいものですが、あくまで、それはそういうミシュランの基準でしかなく、その基準を元にビジネスが展開されている中で、自分が求めるものは、そもそもミシュランの基準のようなものなのかということを踏まえたうえで、利用するかどうかということになるというわけですね。