まっすぐ立っていない。

左足に体重をかけ、右膝が少し前に出て、それにより腰をひねっている。

ルネサンスのコントラポストが、平安時代の像ですでに生かされている↑

↓台座は江戸時代の修復時のもの?それよりもっと新しい?

↓光背が差し込まれていた穴

↑膝から下を江戸時代に修復している↑立っているのはその時の足先のおかげ?

↑修復した材料の上から背中に赤字で「正徳元年」と書かれたので↑1711年の修復だと判明した。

指先はきれいなのだが↑手自体が顔の大きさに比べて小さすぎる。

↓江戸時代の修復時のもの?

↑手首のところから別材になっている↑修復した人は無理があるとおもわなかったのかしらん??

小松仮説:両方の手が同じように小さく・同じ雰囲気で上手に彫られている、ということは、両方の手は別のお像から移植されたのではないだろうか。当時(修復がほどこされた江戸時代)破損した仏像は今よりずっとたくさんあっただろう。

↑巨大な耳たぶが優雅↑髪の毛の下になっている↑かつては宝冠や金属の飾りがつけられていただろう↑化佛もあっただろうか↑

このお像は平安時代には天台宗の伽藍にあったのだろう。

が、戦国時代と廃仏毀釈の末、現代には長浜八幡の入り口にあったお堂に安置されていた。それで「北門前…」と呼ばれている。

御守りしていた集落の惣が実質解散して博物館に預けられた。

忘れられていたのが、平成六年に博物館の倉庫から見つかった。

 

※長浜八幡は昨年春のお祭りで「こども歌舞伎」を観覧した

ここの門前のお堂にあったお像だったのか。
 

長浜にはまだまだ集落がひっそり御守りしているお像がある。